Tiny garden

My Lover With My Ducky.

『授業終わったらすぐに俺の家に来い』
 相変わらず、静司くんからのメールは相変わらずだった。
 夏休みの頃からずっと変わらない、素っ気ない文面。私は思わず吹き出してしまう。

 愛想がない。それも相変わらずだけど、でも今日みたいな日はちょっとくらい捻ってくれたっていいと思うんだ。授業中もずっとうずうずしながら静司くんからのメールを待っていた私に、もうちょっと色をつけたメールをくれたっていいと思うんだ。
 例えば――、『やったぜー! どうだ参ったかー!』でもいいし、『ま、俺の実力なら楽勝なんだけどな』でもいい。或いはもっとわかりやすく、いっつも静司くんがバカバカって言う私にでもわかるように、一言、『サクラサク』って入れてくれたってよかった。もしくは、もっともっとわかりやすく、それでいて愛想のない静司くんらしく――『合格した』の一言だけでも、よかったのに。
 で、結局どうだったのか。『サクラサク』だったのかそれとも『サクラチル』だったのか。そのメールにははっきり記されてなくって、私はまたまたうずうずする羽目になった。教えてくれたっていいのに。今日は一日中静司くんの結果を気にしてたのに。静司くんの馬鹿。私とは違う意味で馬鹿だ。酷いんだから。
 でも、文面からは静司くんの内心も読み取れた。無愛想だけど照れ屋で、たまに素直じゃなくてごくたまに素直な静司くんが、どんな顔をしてこのメールを、学校にいる私宛てに打ったのか。何となくわかった。きっと何て打とうかちょっと悩んで、打ちながらはにかんでたりして、送った後で違う文面にしとけばよかったかなあなんて思ってたに違いないんだ。絶対そう。

 授業が終わるとすぐ、私は学校を飛び出した。
 友達から遊びに行こうって誘われたけど、彼氏と約束してるから、って断った。三年生が自宅学習期間に入ってて、ぼちぼち入試の結果が出る頃だって皆も知ってるから、にやにや笑いで見送って貰った。私の幸せ者め。
 木枯らしの吹く帰り道。年が明けてからは一人寂しく帰る日が続いていたけど、今日はちっとも寂しくない。全速力で、一度も立ち止まらず、ぶっ飛ばして帰った。
 家に駆け込んで、鞄を放り投げて、制服を着替える時間はもったいないからそのままで、だけど忘れ物はしないように、机の引き出しにしまい込んであった紙袋は引っ掴んで、家を飛び出す。その間、十分も掛かってないはず。その勢いのまま、斜向かいの静司くんの家へすっ飛んでいった。

「お邪魔しまーす!」
 玄関の鍵は開いている。私は叫んで靴を脱いで、子どもじゃないつもりなので靴を揃えた。それから静司くんの部屋へと向かう。走らないようにするのに苦労した。部屋の前では一応、ドアにノックもした。
「どうぞ」
 他人行儀な静司くんの声。私が来たってわかってるくせに。
 ドアを開けると、静司くんはデスクチェアに腰掛けていて、私を横目で見た。ちょっとにやっとしてみせた。
「お帰り、希」
「うん、ただいま、静司くん」
 私は素直に答えたけど、もうそんなやり取りだってもどかしかった。すぐに聞いた。
「どうだったの?」
 すると静司くんは首を竦めて、
「とりあえず、ドア閉めろ。寒いから」
 うずうずする。私はドアを後ろ手で閉めて、もう一回尋ねる。
「どう、だった?」
 静司くんは床を指差す。
「まあ落ち着け。そこに座れよ」
 座ってる場合じゃないのに! 落ち着くことなんて出来ずに、私はぺたんと座った。制服のスカートにも、持ってきた紙袋にも構う余裕はなかった。
 もう一回。
「で、結果は?」
 呆れ顔の静司くんは、だけど笑いを堪えるような顔で、
「いいから落ち着けって。お前、息上がってる」
「走ってきたから当たり前だもん。入試どうだったの?」
「髪の毛めちゃくちゃだぞ。ちょっとは構えよ」
「そんなことどうでもいいの! ね、静司くん、早く教えてよ」
「どうでもよくないだろ。お前も女の子なんだからな」
「どうでもいいんだってば! っていうか早く教えて、ねえったらー!」
「今日の授業はどうだった? わかんないとこあったら俺に聞けよ」
「あーもうそんなのいいから! はーやーくー!」
「そういえばうちの母さんが、バウムクーヘンあるよって言ってたけど、食べるか?」
「それもどうでもいいの! ねえねえねえねえ、早く結果ー!」
 絶対わざとだ静司くん。だって笑ってるもん。私が全速力で走ってきたせいで疲れてることとか、多分ぐっちゃぐちゃの髪の毛とか、今日の授業とか、お菓子のことだってどうでもいいくらいに静司くんのことを気にしてるって、わかってるから言ってるんだ。
 その証拠に、静司くんは口元をぴくぴくさせていた。次第に肩も震え始めて、やがて堪え切れずに吹き出し、大爆笑へと変わる。デスクチェアをぎしぎし慣らして、お腹を抱えて笑い出す。
 私は笑えない。というかもうこれ以上焦らされたら耐え切れない。溜め込んできたうずうずする気持ちがしまいには破裂して、あちこち飛んで行っちゃいそうだ。早く知りたい。今日一日、私がどれだけうずうずしてたかってこと、静司くんも思い知っちゃえばいいのに!
「お前、そういうとこは本当に変わんないなあ」
 ひとしきり笑った後で、静司くんは目元の涙を拭った。
 それから、
「受かった」
 と、前置きの長さに比例しない簡潔な答えを、言った。
 私はすぐに反応できずに、しばらくぽかんとしていた。
 受かった。受かったってことは――合否の合、の方? サクラサク?
 理解した瞬間に、うずうずする気持ちがぷしゅう、と抜けた。その後でじわじわと喜びが込み上げてくる。
「本当?」
「こんなことで嘘ついてどうするんだか」
「でも、静司くん意地悪だから。持ち上げて落とすの得意だから」
「しないよ馬鹿。本当に本当、ちゃんと受かった」
 そう言って静司くんは、座っていた椅子から下りた。すとんと私の前に座った。あぐらをかいて、照れ笑いを浮かべる。
「心配したか?」
 聞かれて、私は大きく頷く。
「うん。すごく。とーっても」
「何だよ、信用ないな。俺が落っこちる訳がないだろ?」
 別に信用してないとかそんなんじゃないよ。本当に、ないよ。静司くんが実は結構頑張り屋さんだってことは私も知ってるもん。私の前では受験なんてどうってことないみたいな顔しといて、陰ではこっそり努力してたってこともちゃんとわかってるもん。
 でも、それでも心配しちゃう時ってあるじゃない。
「ま、そういうのもお前らしいけど」
 静司くんは手を伸ばしてきて、めちゃくちゃのぐっちゃぐちゃだと思われる私の髪を、指で軽く梳いてくれた。私も照れた。
「これで晴れて、四月からは大学生だ」
「おめでと、静司くん」
「ありがとう。心配掛けたな、希」
「うん」
 否定はしない。
 一番に思うのはやっぱり、うれしいってことだけど。

「――それで、だ」
 私の髪を直し終えてから、静司くんは改まったように言った。
 ちらと私を見る、何か言いたそうな目。
「お前に相談――っていうか、まあ、話っつうか、確認したいことがあるんだけど」
「なあに?」
 特に心当たりもなく、私はすぐに聞き返す。何かあったっけ。
「最終確認って言うのかな」
 と、またしても長くなりそうな前置きをして、静司くんは言葉を止める。もう一度、ちらっと見てくる。私は促す。
「なあに、静司くん」
 もうこれ以上焦らされるのはやだよ、と目で訴えると、やがて静司くんは声を落として言ってきた。
「俺、この家出ないけど、いいのか」
 いいのか、っていう質問は、何か妙な感じだった。いいに決まってる。静司くんがここにいてくれた方がいいもん。斜向かいの静司くん、でいてくれる方がいい。
 前にもそんなこと、言ってたっけ。クリスマスの日のことを思い出してみる。どうして静司くんがそういう風に考えてるのか、何となくわかる。わかるけど。
「うん」
 迷わず頷いた私に、静司くんは未練がましい顔をする。
「けどさ、この家にいるといろいろ厄介だろ。うるさい連中もいるし」
「おばさん、うるさくないよ」
 私にとっては、だけど。
 もう静司くんのおばさんは私たちのことを知っているけど、別にうるさいことなんて言われてない。おばさんは『ちょっと愛想のない子ですけど、よろしくね』って言ってた。もちろん私は、はいって答えた。
 うちのお父さんとお母さんも、静司くんと私のことを知ってる。二人とも反対したりとか、うるさく言ってきたりはしなかった。お母さんはにこにこしながら、ずっと仲良くするのよ、と言ってくれたし、お父さんはちょっと複雑そうに、しばらくはお嫁に行くんじゃないぞ、と言った。そんな感じで、皆にばれても困ったことなんてなかった。
 恥ずかしいのは、やっぱりそうだったけどね。それはどうしても、しょうがない。
「別に反対されてる訳じゃないもん」
 私はそう思ってる。だから、今のままでもいい。
「静司くんが近くにいてくれた方が、私はうれしいよ」
「そりゃまあ、そうかもしれないけど」
 まだ、歯切れの悪い静司くん。
 ダメ押しのつもりで、
「おばさんだってきっと、そうだよ」
 と言ってみたら、途端に顔を顰められた。
「あいつはいいよ、別に寂しがったりしないだろ」
「えー、寂しがるよ。わかるもん、おばさんなら絶対そう」
「好きにしろって言われたけどな、前に聞いた時は」
 静司くんは、言い訳するみたいに言った。
「おばさんに聞いたの?」
 それはちょっと、びっくりかも。もうそこまで話が進んでたんだ。
「聞いた。一応話通しておこうと思って」
「ふうん……」
「だから、後はお前の意見だけ。お前次第ってとこ」
「私!?」
 何だか丸投げされた気分だ。そんなこと、私が決めちゃっていいんだろうか。
「静司くんの気持ちは? どっちがいいって、考えてるんでしょ?」
 そう聞くと、静司くんはしかめっつらのままで、
「俺は別にどっちでも。大学から近い方が通い易いとは思うけど、ここからだって大した距離じゃないし。だから希次第なんだ、お前がいいって言う方に決める」
「でも、私が決めちゃうなんていうのは、おばさんにも」
「親も、どうしても俺にいて欲しいって感じじゃないし、いいからお前が決めろって」
「そんなこと言われたって」
「いいんだってば。とっとと決めろよ、どうせ決まってんだろ、お前の中では」
 苛立つような言葉を聞いた時、ふと、ひらめいた。

 ――あーなるほど。そういうことかあ。わかったわかった。
 静司くん、きっと引っ込みがつかなくなってるんだ。おばさんに『家を出るかも』みたいなこと言っちゃったから、やっぱ出ないっていう風には言えなくなっちゃったのかな。私に引き留めてほしいのかもしれない。私が出て行かないでって言えば口実になるもんね。それで私に決めてって言ってきたんだろうな。素直じゃないなあ、もう。
 おばさんも同じなんだろうな、と思う。好きにしろって言っておいて、実は気持ちははっきり固まってるんだ。きっとそう。本当、似たもの親子なんだから。
 とは言え、私の気持ちだって固まってる。一つだけだ。だから焦らさないで言ってあげよう。

「じゃあ、出て行かないで」
 私は、きっぱり答えた。
 迷うような余地もなかった。
「ずっと、斜向かいの静司くんでいて」
 そう言うと、静司くんは照れたようににやっとして、
「しょうがないな。希が言うなら、そうしてやるよ」
 結局、この家を出て行かないことを、やけにあっさり決めてしまった。
 静司くんは相変わらずだ。でも私は、そういう静司くんが好きだった。
「じゃあ、話もまとまったところで」
 私は、ここに来た時から放ったらかしにしておいた紙袋を手に取る。目の前に座る静司くんへ、差し出した。
「これ、合格のお祝い。おめでとう、プレゼントだよ」
「プレゼント?」
 目を見開いた静司くん。訝しそうに、紙袋を受け取る。
「今日買ってきたのか?」
「ううん。大分前から用意してた」
 お年玉貰った時に。お金使っちゃう前にと思って、あらかじめ買っておいたんだ。さすがに気が早いかなとも思ったけど、まあいいやって。
「別に気を遣わなくてもいいのに」
 静司くんは苦笑してから、例の意地悪そうな口調で聞いてきた。
「お前、俺が落ちてたら、これはどうしてたんだよ」
「その時はお祝いじゃなくて、『残念だったけどまた頑張りま賞』にしたと思うよ」
 そんな可能性はこれっぽっちも考えてなかったけど、もしもの話で考えて、答えた。
 どちらにしても何かあげてた。だって静司くんには、何でもしてあげたいって思うもん。うれしい時にはお祝いを、悲しい時には、励ましを。
 少し笑った静司くんが、紙袋の中身を覗く。
「開けてもいいか?」
「うんっ」
 それで静司くんの手は、きれいな包装のされた薄い箱を取り出した。丁寧に包装紙を剥がして、箱を開ける。
 開けてすぐ、静司くんは眉を顰めた。直前まで浮かんでいた照れたような笑みが、ぱっと消えてしまった。
「……何だよ、これ」
「え? 見てわかんない? 筆記用具セットだよ」
「そりゃわかるよ、俺が言いたいのはそこじゃなくて」
「大学生になってもそういうの使うよね? 無難だけど文房具がいいかなって」
「いや、だから、それはいいんだけどな」
「うん。なあに?」
 私が首を傾げると、静司くんは不満そうな顔でペンケースを取り上げた。まだセロファンに包まれたままのペンケースには、可愛い模様がついている。
 可愛い、黄色い、あひるちゃんの絵だ。
「何で俺に、これを?」
 静司くんの口元が引き攣っている。
「せっかくだから、お揃いにしようと思って!」
 私もあひるちゃんグッズが好きだから、文房具は大体それだ。黄色いラバーダッキー。ペンケースもそう、消しゴムもそう、シャープペンシルもそうだしボールペンもそう、あと定規も。
 ペアルックって言うのかなあ。恋人同士っぽくていいかなって。
「それを見る度に、私のこと思い出すよ、きっと。大学でも使ってね」
「使えるか馬鹿! 恥ずかしいだろ!」
「えー何で? いいじゃん、私とお揃いだよ」
「そういう問題じゃない!」
 怒鳴った静司くんは、大きく息をついてから、今度はぼそりと言った。
「大体お前、あひるよりも俺の方が好きなんじゃなかったのか」
「うん、そうだよ」
 何を今更なこと。私が答えると、ますます不満そうにされた。
「だったら何で、あひるグッズなんだよ」
 何で、っていうのも今更かも。聞かなくてもわかると思うんだけどなあ。
 だけど私は優しい彼女だから、ちゃんと教えてあげるんだ。
「恋人とは好きな物を共有したくなるんだよ。そういうのって、あるでしょ?」

 しばらくの間、静司くんはぽかんとしていた。
 それからゆっくりと表情を解いて、この上なく優しい顔で笑った。
「希も言うようになったよな」
 言われて、私も胸を張る。
「大人になったでしょ」
「まあ、大人になったってよりは、余計な知恵がついたって言うのかもな」
「……静司くん」
 むっとした。思わず唇を尖らせると、
「冗談だって」
 静司くんは笑いながら、私の頭を撫でて、その後でそっと抱き寄せてくれた。

 私たちは一緒に大人になっていく。変わってしまうものはたくさんあるけど、それだけは決して変わらない。
 それと、お揃いで持っているあひるちゃんの可愛さも、きっと、ずっと変わらないと思う。
 私の恋人は、静司くん。
 もう、黄色いゴムのあひるちゃんじゃない。
 これからも私は静司くんとずっと一緒にいる。それを、あひるちゃんには見守っていてもらうんだ。私たちがキスしてても、喧嘩をしても、くだらないこと言い合って笑い転げてても、あひるちゃんは顔色一つ変えずに、見守っていてくれるはずなんだ。
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