Tiny garden

My Lover Might Be Santa Claus.

 嘘をつくのはいけないことだと、子どもの頃は思ってた。
 でも、今はちょっと違う。嘘をつくのはいけないことかもしれないけど、どうしても必要な嘘もあるんだ。つかなくちゃいけない嘘。いつかはばれてしまうことだけど、だからこそ今だけはついておく嘘。
 その嘘は、大人が子どもに話すサンタクロースの話と似ている。サンタクロースを信じてたのはもうずっと前のことで、今はもう、サンタクロースが誰でどうして私の欲しいプレゼントをくれたのか、ちゃんとわかってる。でも本当のことを知ったからと言って、がっかりもしなかったし怒りもしなかった。そういうものなんだな、って思った。そういう一時だけ必要な嘘が、この世界にはたくさんあるんだ。

 今日、私がお父さんとお母さんについた嘘も、いつかはばれてしまうような嘘だ。今だけは秘密にしておきたいから、本当のことは言わない。友達と出かけてくるから、と言ったクリスマスイブの午後、私は友達なんか誰も来ない待ち合わせ場所へと向かう。
 郊外のショッピングセンターのコーヒーショップで、待ち合わせの約束をしていた。ホットのカプチーノを頼んで席に着くと、ものの五分も経たないうちに静司くんが入り口に現れた。私の方へ軽く手を上げてから、レジで注文を始める静司くん。ダッフルコートの後ろ姿を、カプチーノの湯気越しに見る。あんまり待たずに済んでよかった。
「時間通りだね」
 小さなテーブルを挟んで、向かいの席に座った静司くんに声を掛ける。
「まあな、同じバスに乗ってたし」
 湯気の立つコップに息を吹きかけながら、静司くんが言う。思わず、私は瞬きをした。
「え? そうだったの?」
「そうだよ。後ろの方に乗ってた。希、ちっともこっち向かないんだもんな」
 同じバスに乗ってたんだ。そりゃ、ほとんど同じ時間に着くよね。私だってまさか静司くんがいるだなんて思わないから、後ろの席を見る気になんて全然ならなかった。
「まあ、斜向かいに住んでて、同じところまで出掛けていこうって言うんだからな。バスだって一緒になって当然だろうけど」
 静司くんは何だか不満そうに言ってから、コーヒーを飲み始めた。いつもお砂糖もミルクも入れないブラック派の静司くん。カッコいいねって私が言ったら、こっちの方が美味いんだってしかめっ面で言い返された。昔はお砂糖を入れなきゃコーヒーも飲めなかった静司くんなのに、いつの間にブラックが当たり前になっちゃったんだろう。
 そうは言っても、私だってカプチーノなんて飲み始めたのは最近だ。ちょっと前までは飲み物と言えばオレンジジュースを選んでた。冬でも冷たい飲み物の方が好きだった。それがいつの間にやらホットのカプチーノなんて、子どもの頃は名前すら知らなかった飲み物に手を出している。これも、大人になったってことなんだろうか。
「バスの中でも、声掛けてくれればよかったのに」
 でも、私はまだまだ完全な大人じゃない。一人で乗り物に乗るのは寂しくて、好きじゃなかった。静司くんがいてくれたなら、隣に座って、いろいろ話し掛けて欲しかった。
「お前、まだ乗り物苦手なの?」
「うん」
「もう子どもじゃないんだからな、慣れろよ」
 私の答えを聞いて、静司くんは呆れたように笑った。その後で、ちょっと声を潜めて続ける。
「そもそも、誰かに見られたらまずいんだろ? 俺たちが一緒に出掛けてるとこ」
 そう、ちょっとまずい。私と静司くんが今日、一緒にお出掛けすることは、誰にも秘密ってことになっている。別に隠しておくことじゃないのかもしれない。いつかは皆にばれてしまうことなのかもしれないけど、今はまだ、言い難い。
 幼馴染みってこういう時微妙だ。もうただの幼馴染みって言える関係じゃないのに、そんなことを誰にも話せない。何だか恥ずかしくて、私と静司くんがもう子どもじゃないんだってこと、他の誰にも教えられない。あんまりにも『ただの幼馴染み』でいる時間が長過ぎて、周りの人たちにどう話していいのかわからない。だからもうちょっとだけ秘密にしておこうって二人で決めた。二人でクリスマスイブにお出掛けするような関係だってことは、今年のうちはまだ秘密。
 サンタクロースが来なくなった私は、代わりに静司くんと会う為の嘘をつくんだ。静司くんも、同じように。
「お父さんもお母さんもこっちの方には来ないよ」
 わざわざ郊外のショッピングセンターを選んだのもそのせいだった。うちの両親や静司くんの家族はこんなところまで足を伸ばさない。二人でデートみたいなことをするにはぴったりの場所、のはず。
「そうだろうけど」
 静司くんは奥歯に物の挟まったような言い方で、一旦言葉を止めた。コーヒーを一口飲む。
 それから、視線をテーブルの上に落として、ぽつんと言った。
「希、お前さ」
「なあに?」
「うちの親とかに、話してないよな?」
 短い言葉だったけど、何を聞こうとしているかはわかった。素早く首を横に振る。
「うん、絶対に話してない。どうして?」
 私が聞き返すと、静司くんはこっちを見ないままで続ける。
「何となくだけどな」
「うん」
「確証はないんだけど……ばれてるような気がするんだよ」
 低い声で明かした静司くんは、その後でようやく、ちらと私を見た。私はどう反応していいのかわからない。とりあえず、もう一つ聞き返してみる。
「何でそう思うの?」
「さっき、ここに着いてすぐ、うちの親からメールが来たんだ。『帰りにケーキ買ってきて』って。今日は遅くなるからって言ってあったのに」
 それが理由? ばれてると思うにしては、私はぴんと来ないけど。首を傾げていたら、静司くんは低い声のままで説明してきた。
「だから、お前と一緒に出掛けてるんなら、早めに帰って来いって釘を刺されたような気がするんだ」
「そうかなあ」
 心配し過ぎのような気がする。単にお使い頼まれただけじゃない。私と一緒じゃなくたって、静司くんのおばさんは頼んでたと思うよ。
「いや、俺だって確証はないけどさ」
 ぶつぶつ言いながらコーヒーを飲む静司くん。表情が浮かない。
 私も納得のいかない気持ちでいたけど、とりあえず切り替えようと静司くんに尋ねた。
「でも、ケーキは買って帰るんだよね?」
「は? 何で?」
 何でって、頼まれたからじゃないの。不思議そうにする静司くんが、私には不思議。
「だっておばさんが買ってきてって言ったんでしょ? ケーキ買って帰るくらいで、私と一緒だったなんてばれないよ、きっと」
 一緒にバスに乗って、バス停からばらばらに帰ればいい。それなら大丈夫。そう思って私は言ったけど、静司くんは眉間に皺を寄せていた。
「って言うか希、お前」
「なあに」
「今日、帰るのか?」
 一瞬、何を聞かれたのかわからなかった。
 照明の暗いコーヒーショップで、少しの間、瞬きを繰り返す。ざわざわした店内、私たちのテーブルだけがしばらく静かになっていた。コーヒーとカプチーノの湯気越しに、視線は合わせたままで。
 ようやく、何となく意味がわかって、だけど私は聞き返す。
「帰るのって……帰らないの、静司くん」
 だって、帰らない訳にはいかないじゃない。ケーキだってあるし、ねえ。
「帰る気でいるとは思わなかった」
 静司くんは言いながら首を横に振る。呆れたように言ってくる。
「お前な、今は冬休みだろ?」
「うん。だから何?」
「だから、別に早く帰ることなんてないじゃないか」
「それはそうだけど」
 そうだけど、私は反論せずにいられない。
「遅くなるって言うのと、帰らないって言うのとは違うもん。私、遅くなってもいいかなとは思ってたけど、帰らないって選択肢は考えもしなかった」
「考えとけよ、男と出掛けてるんだから」
 不機嫌そうに言い放って、静司くんはぷいと横を向く。ってことは、静司くんは今日は帰らないつもりでいた……んだろうなあ。頼まれたケーキはどうするんだろう。
「だって、私」
 言い訳するみたいに――実際言い訳なんだけど、とにかく私は言った。
「今日は晩ご飯食べるから、取っといてって言ってきちゃったよ」
 お母さんに。そう打ち明けたら、小さなテーブルの向こう側で深い深い溜息が聞こえた。
「何でだよ。今日は俺とデートじゃなかったのか」
「デートだけど、晩ご飯は家で食べるのかなーって思ってた。今日はうちも、静司くんの家もローストチキンだし」
「ローストチキンが何だって?」
 横を向いたままの静司くんが睨んでくる。
「ごちそうじゃない? ローストチキン」
「お前な、ローストチキンと俺と、どっちが大事なんだよ」
「……それはもちろん、静司くんだよ」
 聞かれるまでもない。というか、まさか比較対象にされるとは思わなかった。やきもち焼きの静司くんめ。
 でもうちのお母さんはオーブン料理が苦手だから、ローストチキンなんて年に一度、クリスマスの時期くらいしかやらないんだ。そういう意味では大変貴重なメニュー。やっぱ、食べたい。もちろん大事なのは静司くんの方だけど――両方のいいとこ取りが出来たら一番いいなあ。
「大体お前、あひるが好きなくせにチキンは食べるのかよ」
 静司くんに突っ込まれて、私は思わず笑った。
「え、チキンはにわとりじゃん。あひるちゃん関係ないもん」
「同じ鳥類だろ」
「そんなこと言ったら、静司くんは牛肉や豚肉も食べられないでしょ。同じ哺乳類なんだから」
「知恵を付けやがったな、希」
 頬っぺたを膨らませた静司くんに、また笑ってしまいそうになった、その時だった。

 ふと、テーブルの上に置いてあった静司くんの携帯電話が鳴り始めた。数秒、イントロを鳴らしただけですぐに止む。メールかな、と思う。
 静司くんが画面を覗き込んで、眉を顰めた。
「うちの親からだ」
「……何て?」
 さっきまでの話題が話題だ。私はどきっとしつつ、静司くんの答えを待つ。
「『ケーキは苺ショートでお願いします。七時にパーティをやるので、間に合うように帰ってくるように。母』……だって」
 メールを読み上げた静司くんは、すぐに返事を打ち始めた。
「パーティやるなんて聞いてないっての」
 ぶつぶつ文句を言いながらメールを送り、携帯電話をテーブルに置く。
「何て答えたの?」
 私が聞いたら、静司くんはむかむかした様子で答えた。
「『無理』って」
「静司くん、冷たい」
「あれだけ遅くなるって言っといたのに、何聞いてんだ、あいつ」
 おばさんを『あいつ』呼ばわりした静司くんは、だけどその後でしきりに首を捻る。
「やっぱ、ばれてんじゃないかな」
 私もちょっと、そんな気がした。静司くんが今日は遅くなるって言ったのを、聞き逃してたならまだわかる。けど、聞いてたのにケーキを買ってくるよう言ってるなら……やっぱり、早く帰ってきなさい、って意味じゃないのかな。これだけで判断するのも足りないくらいだろうけど。
「でも、ばれてるんならはっきり言うんじゃないかな。静司くんのおばさんなら」
 私が言うと、だよな、と静司くんが肩を竦めた。
「じゃあ、単に忘れっぽいだけだな。あいつも歳だから」
 口が悪いなあ。私たちのことが秘密じゃなかったら、おばさんに告げ口しちゃうとこなんだけど。
 静司くんはぐいとコーヒーを呷った。もう残り少なかったのか、それで静司くんのコップは空になる。私が慌てて追い駆けようとすると、にこりともせずに言ってきた。
「別に焦らなくてもいいからな」
「うん、ありがと」
「時間はまだたっぷりあるし」
 そんなことを言う割に、静司くんはそわそわしているように見えた。携帯電話を覗き込んで、迷うような顔をしている。
「その気になれば、電源切ってやることだって出来るんだからな」
 そして、急にそう、呟いた。私は温いカプチーノをちびちび飲みながら、答える。
「電話通じなくなったら、おばさんが心配しない?」
「知るか。こっちはもう子どもじゃないんだ」
 子どもじゃない。確かに、そうなんだろうな。私も静司くんももう子どもじゃない。嘘もつくし、子どものままじゃ知らなかったこともたくさん知っている。
 でも――そのことはまだ、私たち以外の誰も知らない。話してないから、うちのお父さんとお母さんも、静司くんのおばさんもきっと知らない。話さないうちは気付かない、きっと。
 やっぱりこの嘘は、一時だけの嘘だ。いつかは本当のことを言わなくちゃいけない嘘。そのいつかはいつになるんだろう。それを打ち明けるまではまだ、私たちは大人になったって言えないんじゃないだろうか。
「静司くん」
 ふと不安になって、私は口を開いた。
「今日、やっぱり帰らない?」
「……帰さない」
 訂正するみたいに、静司くんがぼそっと言う。その後でぼやくように続けた。
「何の為に今日まで倹約してきたと思ってんだよ」
 こんな時でも妙に現実的なのが静司くんらしい。まあね、先立つものは必要だよね。私たち、まだ高校生だもんね。でも、だからこそ。
「私、おばさんに心配掛けるのはやだな」
 私はそう思った。
「あのね、するなら、誰にも心配掛けないような付き合い方がいい。だから今日は帰ろうよ、静司くん。帰って、皆に話そうよ。私たちのこと」
 秘密にするの、止めよう。いつかはばれちゃう嘘なら、言えるうちに打ち明けてしまおう。私、ちゃんと話したい。やっぱり恥ずかしいし、何と言っていいのかわからないけど、でも話したい。静司くんのおばさんに、私でよかったって言って貰えるようになりたい。うちのお父さんとお母さんに、静司くんなら安心だって言って欲しい。だから。
「お前、それでいいのか」
 静司くんは目を丸くしていた。
「うん」
 私は、頷く。
「まだ秘密にしていたいって言ってただろ? いいのかよ、打ち明けても」
「うん……ちょっと恥ずかしいけど、どうせ言わなきゃいけないことだもん」
「お前がそう言うなら、俺はいいけど」
 意外にも、あっさりと静司くんは了承した。あんまりあっさりしていて、拍子抜けしたくらいだ。
「静司くん、いいの?」
「何がだよ。自分で言っといて」
「だって」
「俺もそのうちに言おうと思ってた。来年、卒業するしさ」
 そうだった。静司くんと一緒の高校に通えるのも、もう後ちょっと。春から静司くんは大学生。はっきりさせておくなら、今のうち、なのかな。
「でもまさか、今日とは思ってなかったけどな」
 静司くんはそう言って、ちらっと私を睨んだ。
「結局、お前を連れて帰んなきゃならない訳か」
「うん、ごめん」
「……埋め合わせ、させるからな」
 釘を刺すような言葉の後で、また、静司くんの電話が鳴った。静司くんは画面を覗き込んで、途端に顔を引き攣らせる。
「おばさんから?」
 私が聞くと、静司くんは黙ってメールの文面を私に見せた。
『希ちゃんと一緒なのは知ってます。希ちゃん家で皆でパーティをするので、必ず二人で帰ってくるように。ケーキも忘れずにね。苺ですよ。母』
 読み終えてから、思わず私は呟いた。
「大人って、すごいなあ」
「知ってたなら先に言えよな、むかつく……」
 口の悪い静司くんは、真っ赤な顔になった後、率直に感想を述べた。

 ショッピングセンターでの短いデートの後、苺のケーキを買って、私と静司くんは家路に着いた。
 バスを降りると外はもう真っ暗で、雪が薄く積もった道の上、誰かの足跡が続いている。それを辿るように並んで歩く。
「結局短いデートだったよな」
 ケーキの箱を抱えた静司くんがぼやいている。
「俺、大学入ったら家出るかな」
「え? 何で? 家から通えるじゃん」
「そしたら気兼ねなくお前を連れ込める」
「静司くん、動機が不純」
 私はちょっと笑う。それだけが目的? 単純過ぎるよ静司くん。
「そのくらいしたっていいだろ、今日だって結局お預け食らったし」
「おばさんが寂しがるよ」
「知るか。あんなふてぶてしい奴、放っといたって生きてるって」
 そんな風に言う静司くんが、お母さんのことを考えて近くの大学を選んだこと、ちゃんと知ってるんだ。静司くんはお母さん思いなんだ。それからおばさんも、すっごく静司くん思いだ。わかってる。
 今日の為に倹約してきたっていうお金は、抱えた大きなケーキに化けた。そういうところも静司くんらしい。
「私も、静司くんには斜向かいにいて欲しいな、ずっと」
 そう言ってみたら、不意に静司くんは足を止めて、
「希」
 私の名前を呼んだ。
 思わず立ち止まると、すぐに顔を近づけられて、唇で触れてきた。頬っぺたと唇に、短いキス。冷たかった。
「ああ、こんなんじゃ全然足りない」
 悔しそうに呻いた静司くんに、私は笑って言っておく。
「十分過ぎるくらいだけどな、私」
 うん。私、幸せだ。クリスマスイブに静司くんと一緒にいられて、大きなケーキを持って帰れて、家にはお父さんとお母さんと静司くんのおばさんが待ってる。あと、年に一度のローストチキンも。
「静司くんは私のサンタクロースだもん」
 そう言ったら、逆に笑われた。
「何だよそれ」
「だって、サンタクロースは嘘で出来てるんだよ」
 もう私のところには、サンタクロースは来ない。でも、静司くんがいてくれる。サンタクロースも静司くんもとびきりの素敵な嘘で出来ていて、私を幸せにしてくれる。でも、幸せになれるのは嘘をついている間だけで、いつか皆が本当のことを知ってしまったら――必要なのはサンタクロースじゃなくて、恋人になるんだ。
「少女趣味だよな、お前」
 呆れたように言う静司くんも、まだ知らないことがある。私だってそんなに子どもじゃないんだ。
「じゃあさ、静司くん。こういうのはどうかな」
「何?」
 背伸びをして耳元で囁く。
「うちのお父さんとお母さんと、静司くんのおばさんに、たくさんシャンパンを飲ませちゃうの。で、皆が酔っ払ったところを見計らって……」
 それを聞いた静司くんは、思いっきり吹き出した。
「希も知恵がついたもんだよな」
「駄目? 名案だと思ったんだけど」
「相手は一枚上手だからな。上手く行けばいいけど」
 何だ、静司くんもやる気だ。じゃあ足りない分は後でこっそり補うことにしよう。その時にはきっと、私たちも本当の恋人同士になっているだろうから。
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