Tiny garden

夏が来る度、思い出す

 夏は、もしかすると特別な季節なのかもしれない。
 思えば私の十六年の人生の中で、何か重大なことが起きるのはいつも夏だった。大事件だったり、大きな変化だったり、大きな大きな幸せだったり、とにかくいろんなことが起きた。夏が来る度、忘れられない思い出が増えていくような気がする。
 今年の夏も、もう終わってしまったけど、やっぱり重大な夏だった。忘れられない夏になった。静司くんが再び一緒にいてくれるようになった、思い出深い夏だった。
 きっと、夏が来る度に思い出す。


 昨日の約束どおり、次の日の朝も静司くんは迎えに来てくれた。
 うちの軒先に突っ立って、わざと作ったような不満顔をしていた。
 だから私の方から、挨拶をしてみる。出来るだけ普通に。
「おはよ、静司くん」
 普通っぽくなっているかどうかはわからない。だって私も照れていた。昨日の今日だもん、顔を合わせるのがとってもくすぐったい。
 でも、静司くんに会いたかった。昨日の夜からずっと会いたかった。会えば会ったでどんな顔をしていいのかわからないに決まってるのに、ずっと会いたくて仕方がなかった。それで朝になって、顔を合わせて、何となくもじもじしているんだから、身勝手だなあと自分で思う。
「おはよ」
 ぶっきらぼうに静司くんは言った。その後で、少し笑った。
「お前、普通にしてるのな」
 普通。静司くんには、私は普通に見えるんだ。ふうん。
 私の目には、静司くんはやっぱり違うように見えるけど。
「普通っていうかさ、いろいろ慣れなきゃなあって思って」
「慣れるって何に」
「いろいろ。こういう朝とか」
 恋人っぽいことがあった日の、次の日の朝とか。幼馴染みでいた時間とはまるで違う空気とか。そもそもお互いのことを、『付き合いの長い幼馴染み』として捉えなくなる瞬間とか――そういうものに、全部慣れたい。いつか普通に、静司くんのことを恋人だって言えるようになりたい。
 今はまだ、照れるけど。
「何だよ、いろいろって」
 静司くんは疑問半分、好奇心半分の顔で聞いてくる。うかつに答えると突っ込まれそうな気がしたから、私は笑って言っておく。
「いろいろは、いろいろなんだもん」
「ちゃんと説明しろよ、希」
「やだ。言わなくたってわかるでしょ、静司くん」
 多分わかってる。わかって聞いてきてるんだ、静司くんは。だから答えてあげないんだ。
「ほら、行こうよ。遅刻しちゃうよ」
 軒下の日陰から飛び出して、声を掛ける。
 静司くんはまた不満そうな顔を作って、
「待っててやったのは俺の方だろ」
 とか何とか言いながら、私の後を追い駆けてきた。

 陽射しはまだ強かった。お日様がぎらぎらしていて、アスファルトがお好み焼きの鉄板に見えてくる。街路樹の緑だけがやけに涼しそう。風はあまりない。今日も暑い日になりそう。
 夏じゃない季節の暑さは、少しだけ胸が苦しくなる。夏が過ぎ去ってしまったことが寂しくて。夏は私にとって特別な季節だった。もちろん、毎年やってくるんだけど。
「暑いね」
 歩きながら私がぼやくと、静司くんも頷いた。
「暑いな。早く涼しくなるといいのにな」
 カッターシャツの一番上のボタンを外して、ぱたぱた風を迎え入れている。私はセーラー服だから同じことが出来ない。男の子って羨ましい。
「涼しくなるのはいいけど、春になるのは嫌だなあ」
 私は正直に言った。
 隣を歩く静司くんが、眉間に皺を寄せてくる。
「何でいきなり春? まず秋でいいだろ」
「うん、秋と冬はいいけど。春になったら静司くんは卒業しちゃうじゃん。だから」
 春はまだ来なくていい。
 来なくていいって思っても、結局来るんだろうけど。夏だって終わらなくてもいいって思ったこともあったのに、呆気なく終わってしまった。
「それを言うなら冬は来なくていい」
 急に真顔になった静司くんは言って、首を竦める。
「冬になったら俺は受験勉強ばかりで、希と遊んでばかりもいられなくなるし」
「そっか、大変だね。クリスマスとかあるけど、今年はお預けかなあ」
「それはやる」
 素早い、静司くんの答え。やるんだ。
「えー、受験勉強はいいの?」
 意地悪したくなって聞いてみたら、意地悪さでは上を行く静司くんが一言、
「それまでは真面目に勉強する。俺は誰かさんと違って優等生だからな」
 誰かさんって、誰のことだろう。
 やっぱり静司くんは意地悪だ。
「どう考えたってクリスマスは外せないだろ」
「うーん、そうかも」
「かも、じゃなくて絶対そう。お前も外出禁止令とか食らわないようにしろよ。一緒に出かけるんだからな」
 静司くんは張り切ってる。まだ九月なのに、もうクリスマスの話をしてる。
 お蔭で私まで、クリスマスが楽しみでしょうがなくなってしまった。待ち遠しいなあ。まだ九月なのに。
「静司くん、ケーキ食べに行きたいね」
「ケーキ食うことだけかよ、お前の楽しみは」
「他にもあるよ。お母さんの焼くローストチキンとか」
「……あっそ」
 呆れられたのかな、静司くんはまた首を竦めた。でもクリスマスって言えばやっぱりケーキとチキンだよね。楽しみ!
「まあ、来なくていいってことはないんだよな。冬も、春も」
 その後、静司くんが呟くように言った。
「俺からすれば、とっとと卒業した方がいいこともありそうだし」
「えー! 静司くんは卒業したいの?」
「そりゃそうだ」
「寂しいよ。卒業しちゃったら、一緒に学校行けなくなるんだよ?」
 せっかく一緒に通えるようになったのに。せっかくこうして話せるようになったのに。私が唇を尖らせると、静司くんは苦笑いを浮かべる。
「だからって、卒業しない訳にいかないだろ?」
 そうだけど。
「あ、静司くんが二年分留年したら、私と同じ学年になるよね」
「なれるか馬鹿。別にそこまで同じじゃなくたっていいんだよ。同い年じゃなくたって、こうして一緒にいられる時間はあるんだし」
 近頃珍しくなくなった、すごく優しい口調の静司くんが、諭すように言った。
「卒業したって同じだよ。会おうと思えば会えるし、一緒にだっていられる。そういう時間は無理にでも作ってやる」
 そっか。そうかも。だって私たちも、結局一緒にいられるようになったもんね。いろいろ、それこそいろいろあったけど、今になって考えたら離れてた時期があったなんて、信じられないくらいの仲良しだ。
 今度はずっと一緒にいられるように、頑張ればいいんだ。
「いつまでも高校生のままなんて、つまんないしな」
 静司くんは既に、次の春のその先を見ているみたいだった。
「でも、高校生も楽しいよ。二人一緒なら」
 私はそう思う。今が一番楽しい。先のことなんてまだ考えられないくらいに。
 それで静司くんは私を見て、やっぱり優しく笑った。
「まあな。とりあえず、冬休みまでは毎朝迎えに来るから」
「本当?」
 やった。私がばんざいをすると、静司くんは更に言った。
「一緒にいるのは当然、ずっとだからな。冬休みが終わっても、俺が卒業してもだ」
「もちろん!」
 私はとびきり大きな頷きで、その言葉に答える。

 こんな会話が出来るようになったのも、今年の夏のお蔭だ。
 きっと、夏が来る度、思い出す。私と静司くんが再び一緒にいられるようになった、特別で最高の夏の日のことを。
 だってこれからもずっと、一緒にいるんだもん。静司くんとこれからも、一緒に夏を過ごすんだもん。何度季節が巡ったって、今年の夏のことは忘れるはずがない。
 絶対に。
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