Tiny garden

どれだけの間、見詰めていたんだろう

 何年ぶりになるかわからない、静司くんとおばさんの家。
 当たり前だけど、記憶の中の光景とは違っているところがたくさんあった。

 リビングに置かれたテレビはプラズマだし、ビデオデッキがDVDプレイヤーになってる。風に揺れるカーテンの柄も、慣れない目に暗く映るカーペットも皆、変わってしまっていた。
 昔、小学校の頃に静司くんが作文で賞を取って、立派な賞状を貰っていたのを覚えてる。おばさんがそれを額に入れてリビングに飾っていたのも記憶にあった――はずだったのに、それがなかった。気になったので静司くんに聞いてみた。
「静司くん、作文の賞状は?」
「は?」
 キッチンで食器棚を開けていた静司くんは振り返って、眉を互い違いに顰める。
「あんな恥ずかしい物、黙って飾らせておく訳ないだろ」
「何で? 賞状じゃん、誉められたのに恥ずかしいの?」
「恥ずかしい」
 きっぱり言った静司くんが、テーブルの上にお皿を並べていく。フライパンから湯気の立つチャーハンを盛りつけると、すごくいい匂いがして、ものすごくお腹が空いてきた。
「ほら、手伝えよ。冷蔵庫に麦茶あるから、持ってこい」
 ぼんやりしていた私に、静司くんが声を掛ける。
 慌ててキッチンに踏み込んで、冷蔵庫を開けた。両開きのドアは開け方に一瞬、迷った。

 広いキッチンテーブルに、椅子は二つしかない。一つはおばさんが捨ててしまったんだって、ずっと前に静司くんから聞いていた。これは、記憶の中の通りで、今も二つきりのまま。
 だから私はおばさんの席に座って、静司くんと向かい合わせでチャーハンを食べた。
 チャーハンは文句なしに美味しかった。でも、記憶の中にあるものとはやっぱり、違った。ウインナーは入ってないし、代わりに青ネギが入ってた。だからか、昔よりも大人っぽい味になっていたような気がする。
「美味いか?」
 私が黙って食べていたからか、静司くんの方から聞いてきた。
「うん」
 素直に頷いたら、今度は呆れられた。
「お前な、美味いかって聞かれたらどう美味いかちゃんと答えろよ」
「どうって言われても、美味しいものは美味しいんだもん」
「駄目。お前グルメレポーターの才能なし。失格」
 その上、深く溜息をつかれた。
 別にグルメレポーターになる気なんかないけど、さすがに言葉足らずかなと思う。静司くんもすぐ機嫌を損ねるんだから。何かそれっぽく誉めてあげないと。
 ちょっと考えてから、ふと思いついて言ってみた。
「静司くん、いいお嫁さんになれるよ」
 誉め言葉のつもりだった。なのに、静司くんと来たら憐れむような目を向けてくる。
「何だそりゃ、誉めてるつもりか」
「うん。料理上手ないい奥さんになれると思う」
「気持ち悪いよ」
 切り捨てる口調で言った後、ちらと私を見た静司くんが、こう尋ねてきた。
「じゃあお前、婿に来るか?」
「いいの?」
 それ名案かも。静司くんがお嫁さんで私がお婿さん。静司くんはお料理も出来るし、いろいろしっかりしてるからちょうどいい。
「いいの、じゃないよ馬鹿。否定しろよ」
 静司くんは自分で言っておきながら、私を睨んでくる。
 すかさず言い返した。
「でもうちのお母さんがよく言うんだ、Tシャツ一枚とかでいると『そんなだらしない格好してたらお嫁にいけないわよ』って。だから私、お嫁に行かずにお婿に行けばいいじゃん、って思って」
「……そりゃなあ、十六にもなって庭先でプール遊びとかしてりゃ、おばさんもそう言うよな」
 さすがに、プール遊びはもう止めるよ。だって見られたら恥ずかしいもん。水着姿で庭へ出るのは止めようと思ってる。
 だけど家の中ではどんな格好してたっていいと思うんだけどなあ。駄目?
 あ、家の中だってまずいか。静司くんがしょっちゅう遊びに来るようになったから、いつ来られてもいいようにちゃんとしてなきゃいけない。やっぱ、もうちょっと気を付けようっと。
 と思っていたら、ふと静司くんに聞かれた。
「ところでお前さ、Tシャツ一枚って……本当にそれだけ?」
「えー、まさか! ちゃんとパンツははいてるよ」
「当たり前だろ馬鹿!」
 ――何で怒鳴られたんだろう。はいてるって言ったのに。


 静司くんの家は風通しがいい。
 窓を全部開けていると涼しい風が吹き込んできて、あちこちのカーテンが揺れていた。
 何もかも変わってしまったものと思っていたけど、この風は違った。昔のまま、記憶の中にある通りだ。静司くんの家は涼しくて、昔からずっと居心地がよかった。
 ここらへんは車通りも少ないから、窓を開け放っていても静かで、カーテンの揺れる音と、どこかよその家の風鈴の音が聞こえてくる。蝉の声も聞こえてくる。
 まだ夏みたいな、九月の初め。
「希、お前さ」
 不意に、静司くんが話を振ってきた。
 チャーハンを食べ終えてから、二人でしばらく黙っていた。何となく、口を開きにくい時間が続いていた。
 その沈黙を破ったのは静司くんの方。空っぽになったコップに麦茶を注ぐと、更に尋ねてきた。
「学校、どうだった」
「どうって、普通だよ。楽しかった」
 お父さんみたいな質問だなあ、と思いながら答えてみる。
「友達と会えてうれしかった。夏休み前とは変わってた子と、あんまり変わってない子がいた。携帯のアドレス交換しまくった。そんな感じかな」
 私の答えを聞いた静司くんは、少し笑った。
「何だ、楽しくやってたんだな」
「静司くんは? 楽しくなかったの?」
「俺の方こそ普通。受験モードで遊ぶどころじゃなかった連中も多かったらしいけど、ばっちり日焼けしてる奴もいた」
 首を竦めて、続けてくる。
「俺は、ちょっと気にしてた」
「何を?」
「何ってお前のことだよ。他に何があるんだよ」
 鼻を鳴らした静司くん。私がとっさに口ごもると、いくらか柔らかい声で更に言った。
「思ってたほど不安なことなんて、なかっただろ?」

 そうだった。その通りだった。
 夏休みが終わっちゃうのが不安だった。今年の夏休みは特別だから、終わらなきゃいいと思った。夏休みが終わってしまったら、夏休みの間に生まれたものは壊れてしまうんじゃないかって、そんな気がしていた。
 だけどそんなことはちっともなかった。
 私が不安だと思った時、静司くんは昔みたいに手を差し伸べてくれた。朝は迎えに来てくれたし、学校ではメールをくれたし、帰りも一緒に帰ってきたし、今はこうしてお昼ご飯まで一緒に食べたし――不安になる暇もないくらいだった。
 むしろ、必要がなかったんだ。
 不安になることなんてなかった。静司くんがいてくれたから。

 だけど私はその時、言葉に詰まってしまった。
 うれしいような、でも何だか無性に泣きたくなるような気持ちになって、黙って静司くんを見つめていることしか出来なかった。どうしてだろう。たった一つ、『うん』って頷けばよかったのに。それすら出来なくなって、静司くんを見つめていた。
 静司くんは少しだけ笑っていた。それはいつもの馬鹿にしたような笑い方とも、呆れたようなものとも違った。すごく優しくて、大人っぽい笑顔だった。
 どうしてなんだろう。目の奥がじんとする。不安なことが皆なくなってしまったからか、こんなことで不安がってた私の子どもっぽさに気付いてしまったからか、それとも――静司くんがすごくすごく優しいってことを、思い知ったからなのか。
 どのくらい、私のことを考えていてくれたかって、わかったからなのか。

 声を出せずにぼんやりしていた私を、静司くんもしばらく、黙って見ていた。
 どれだけの間、見つめていたんだろう。
 微かにカーテンの揺れる音がした時に、その唇がそっと開いた。
「希、まだ、いられるか?」
 時間はあった。まだお母さんも、静司くんのおばさんも帰ってこない。
 私が瞬きをすると、静司くんも息をするように続きを口にした。
「俺の部屋、来るか。久しぶりに」
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