Tiny garden

さよならなんか許さない

 初めて、携帯電話を買ってもらった。
 私の希望というよりも、静司くんたっての希望によって。

 うちのお母さんは私よりもむしろ静司くんの言うことを信用していて、つまるところ静司くんが援護射撃をしてくれたから、私も持つことを許されたって訳だ。
 前に私が欲しいって言ったら絶対駄目の一点張りだったのに、静司くんが携帯電話のいいところとか、料金のこととか説明しだしたら――やっぱりすぐに連絡取れるっていうのは便利だし、安心ですよ、おばさん。ほら、いざとなったらお使いも頼めますし。料金のことなら大丈夫、使用額が一定を超えると使えなくなるサービスもあるんです。え? ニュースでよく聞く出会い系サイト? 希が被害に遭わないか心配? 大丈夫、そんなものは俺が責任を持って絶対利用させませんから安心してください――静司くんのセールストークにころりと騙されちゃって、初めて許可が下りた。複雑。
 そういう経緯があって今、私の手には真新しい携帯電話がある。まだビニールを剥がしていない、ぴかぴかの携帯電話。色は薄いブルー。

 早速、静司くんから電子音と共にメールが来た。
『とりあえずメールを打てるように練習だ。慣れれば喋るより速く打てるようになる』
 無茶言うなあ、もう。こっちは取扱説明書の分厚さだけで投げ出したい気分なのに。こんなにちっちゃい機械なのに、どうして説明書はこんなに厚いの? 読めないよ。
 でも黙っているとうるさいから、早速返事をしてみる。――ええと。『頑張ってみる』って答えとこうか。『が』はどこだろう……か行? あ、記号で濁点付けるのかな。こうか。よし。で、次は――あれ、何これ、予測変換って何? 何かいっぱい出てきたけど、この中から選べばいいの? えっと、頑張る、はどこかな……あった。頑張って、まで完成。次は『み』を打って、と――。

 操作中にまた、メールが届いた。電子音が部屋に響いてぎょっとする。
 書きかけのメールが画面から消えて、受信したメールが表示される。
『とっとと返事よこせ。何もたもたしてんだよ、とろい奴だな』
 感じ悪い。メールの中でも口が悪いんだ。
 貰ったメールを閉じると、さっき打ちかけだった私のメールが戻ってきた。『頑張ってみ』で終わってる文面。ちょっと恥ずかしくなる。
 大急ぎで『る』を探して、打つ。……あっ、行き過ぎた。『頑張ってみれ』になってる。クリアキーで打ち直し。……あ、消し過ぎた! あーあ、『頑張っ』になっちゃった。やり直さなきゃ。ええと、まずは『て』を探してっと。た行、た行……見っけ。よし、これで。
 途端、再び画面が消えた。
 静司くんからの三通目のメール。返事打ってる最中だったのに。ちょっとむっとする。
『メール一つ打つのにどんだけ時間掛かってんだよ。ぶきっちょめ』
 かなりむっとした。
 思わず顔を上げて、目の前にいる静司くんに言った。
「あのさ、これでも一生懸命打ってるとこなんだから、邪魔しないでくれる?」
 おもちゃ箱みたいな私の部屋に我が物顔で上がり込んで、カーペットの上で寝転がってる静司くん。私の声に、すかさずこっちを見る。
「一生懸命なら許されるってもんじゃないだろ。さっきから一通打つのに何分掛けてんだよ。もう三十分は経ってる」
「……そうかもしれないけど」
 そんなに経ってる? 首を傾げてみれば、間髪入れずに言われた。
「かも、じゃなくて実際そう。計ってたんだからな」
 うわ、静司くんの陰険。意地悪。
 せっかくここにいるんだから、教えてくれたっていいのに。――と言っても、まだ何がわからないのかわからない状態だから、私としても質問するようなことはないんだけど。

 大体、私と静司くんの間にメールなんて、必要かなあ。
 お互いの家は目と鼻の先、斜め向かい。夏休みの間は始終顔を合わせていて、今日も私の部屋まで遊びに来てる静司くん。わざわざメールで連絡し合う必要もない気がしてる。会いに行って、口で言った方が早いもん。
 だけど静司くんは、どうしても私に携帯電話を持てってうるさかった。私は前にねだってすげなく却下されたいきさつがあるから、もう一度頼むのは気が引けていたのに……静司くんは、渋る私はおろかセールスマンみたいな口八丁ぶりでうちのお母さんまで丸め込んでしまった。
「いつでも連絡取れる方がいいだろ」
 と、静司くんは言う。
「もうじき夏休みは終わりだし、学校も始まる。そうしたら今みたいに会えなくなるし」
 あっという間に夏は過ぎ、始業式は来週だった。カレンダーを見る度に名残惜しさに胸が苦しくなる。
 いろいろなことがあったから、夏休み、終わって欲しくない。
 何と言っても一番は、静司くんとのこと。何となく疎遠だった幼馴染みとの関係が変わってしまったこと。高校に入ってから初めて迎えた夏休みは、私にとって特別なものになった。
 でも、それも学校が始まればどうなるかわからない。わからない、気がする。漠然と。
「……静司くん」
 私はほんのちょっと不安だった。私たちは同じ高校に通ってるけど、学校では口を利いたことがなかったんだ。廊下ですれ違ってもお互いに知らないふりをしてた。友達に見られるのが恥ずかしかったのもあるし、単に昔みたいに仲がよくなかったからっていうのもある。そういうのは寂しかったけど、しょうがないとも思ってた。静司くんと同じ高校に入らなきゃよかったのかな、とも思った。
 今は、一学期の頃とは違う。違うはずなんだけど、夏休みが終わって学校が始まってしまえば、また元に戻っちゃうような、そんな気がしていた。こうして仲良くなれても、学校で話をするのは難しそうに思うし……きっと恥ずかしいだろうなって思うし。お互いに避けてしまって、前みたいに話せなくなったりするんじゃないだろうか。そうしてどんどん疎遠になっちゃったら――そんなのやだ。どうしよう。
「私たち、これからも仲良しでいられるかな」
 質問というより、確かめたくなって聞いた。内心では不安だったけど、不安だって口にするのは抵抗があった。だからそういう風に聞いた。

 静司くんはすぐには答えなかった。
 むくりと起き上がって、携帯電話を閉じる。それから溜息をついて、低い声で答えた。
「当たり前だろ」
 当たり前、なのかな。本当にそう?
 そりゃ私だって、変によそよそしかった一学期の頃より、今の方がずっと楽しいし、自然な気もしてるよ。だけど。
「……夏休みが終わったら、今までみたいにはしてられないよね? 学校ではあんまり、話せないよね?」
 もう一つ、二つ、尋ねてみる。
 返ってきたのは、静司くんの苛立ったような声。
「だから、その為の電話だろ」
「携帯電話?」
「そうだよ。学校で話が出来なくたって、メールで連絡し合えばいい」
 怒ったみたいにそっぽを向いた静司くんが、その後で言った。
「学校始まったって、別に何か変わる訳じゃない。帰ってくるとこは同じだし、土日だってあるし……不安がる必要なんてこれっぽっちもないんだからな」
 私、不安だなんて言ってないのに。
 心の中ではちょっと思ってたけど、言葉にはしてなかったのに。
「……顔見りゃわかるよ、希の考えてることくらい」
 静司くんは、私の心を読んだようだ。そんなことも出来ちゃうんだ。そこまでばれてしまっては何にも言えなくて、私は黙り込む。
「お前がそういうこと言い出すと、こっちまで心配になるだろ。言うな」
 横を向いたままの静司くんが、そう言う。
 静司くんを不安がらせるのは嫌だなって、私は思う。

 だから早く、メールの打ち方を覚えないと。
 初めてのメールはまだ送れてない。これを静司くんに送れたら、不安も全部なくなるかな。そうだといい。
『頑張ってみる』
 携帯電話も、メールもそうだけど――もう二度と疎遠にならない為に、頑張ってみる。頑張らなきゃ。
PREV← →NEXT 目次
▲top