冬は恋に適している(1)

 十一月に降り積もった雪は、わずか一週間ほどで解けてしまった。
 迎えた十二月は思いのほか暖かく、衣替えで用意したコートやマフラーの出番がない日が続いた。
 雪が積もった道は歩きにくかったから、その点では助かったのかもしれない。だけど雪が消えると街並みは少し寂しくなったように思う。
 黒野くんが残念がってないかな、そんなことも考える。

 それでも、暖かくたって十二月は十二月だ。
 気がつけば駅前通りにはイルミネーションが点り、あちこちにサンタ人形やスノーマンが飾られるようになった。今やコンビニもスーパーも、大きなショッピングモールさえもがクリスマスソングをBGMとして流している。この街の全てがクリスマスを迎える準備を済ませてしまったように思えた。
 もしかすると、準備ができていないのは私だけなのかもしれない。

 江藤くんも、クリスマスの準備を始めているようだ。
 今日なんて休憩時間中にタウン誌を読みふけっていた。今月号の特集は『クリスマスを楽しむおでかけスポット』、表紙の写真も輝くクリスマスツリーだった。きっと、彼女とどこかへ行くんだろう。
「クリスマス、どこか出かけるの?」
 私は『気安い先輩』を装って彼に尋ねた。
 すると江藤くんは雑誌から顔を上げ、照れ笑いを浮かべてみせる。
「ええ、そのつもりです。どこにしようかって検討してるところで」
 幸せそうな顔をしている。羨ましいことだ。
「そっか、いいね。クリスマスはいっぱい楽しい場所あるもんね」
 私は笑顔で相槌を打つ。
 それはもう、カップルで行けばどこだって楽しくて素敵なデートになるだろう。ただでさえきれいなイルミネーションを、一緒に楽しめる人と見られたら一層幸せだろうなと思う。
「三島さんはクリスマス、ご予定あるんですか?」
 想像に耽ろうとした私を現実に引き戻すが如く、江藤くんが尋ねてくる。
 そのことはここ最近ずっと考えている。だけどまだ、答えを出せていなかった。
「残念ながら、今のところは」
 私がそう答えると、途端に江藤くんは気遣わしげな顔つきになる。
「あ、すみません。ずけずけと聞いてしまって」
「なんでそこで謝るかな。触れちゃいけないって態度の方が失礼だよ」
 冗談半分で彼を睨めば、彼の方もどこかほっとしたように苦笑した。
「そうですね、すみませんでした」
 相変わらず、江藤くんは優しい人だ。

 江藤くんとの関係は目下この通りだった。
 ぎこちないながらも、とりあえずは職場の先輩後輩らしい距離感を保てている――と思う。
 正直に言えば、まだ話したくない気持ちは残っていた。先月のようにとげとげした感情ではなくなっていたものの、何とも思わないという域には達していない。ましてや彼が彼女さんと過ごすクリスマスの予定にはちっとも興味がない。もう少しすればそれも『よかったねえお幸せに』って思えるようになるんだろうか。
 ただ、江藤くんは意外と私の態度に敏感だ。さっきみたいに気遣わしげな顔をして優しいことを言ってくれるので、私は適度に彼を構わなくてはならなかった。職場の皆だって、私が江藤くんを遠ざけてたらさすがに気づいてしまうだろうし、やむを得ないことではある。
 とは言え先月に比べれば、何もかもがずっとましになってきた。
 クリスマスの話だって別に気を遣われるような状況じゃない。
 私だって『今のところは』予定がないだけだ。

「三島さん、ベイエリアのツリー点灯式って行ったことあります?」
 タウン誌をぱらぱらめくりながら、江藤くんが聞いてきた。
 そしてあるページに行き当たると、こちらに誌面を見せてくれた。
「これです。結構評判いいみたいなんですけど」
 その記事には、観光名所として話題のベイエリアに毎年立てられるクリスマスツリーの紹介が書かれていた。クリスマスともなると午後六時にツリーの点灯式を行い、ツリーに目映い明かりが点るところを皆で眺めることができるそうだ。
 今年は特にイブとクリスマスが土日にあり、暦通りのお休みなら三連休ということもあり、ツリーの点灯式も三日間にわたって行うらしい。
「私はまだ行ったことないかな」
 こっちに引っ越してきたての頃、ベイエリアの辺りは臨海公園と並んで敬遠していた一帯だった。今はそれほど抵抗もないけど、だからといってカップルひしめくクリスマスのベイエリアに単身突っ込んでいく勇気はない。七年も住んでいるというのに、この街のクリスマスシーズン名物ともいうべきツリーの点灯式を一度も見たことがなかった。
「でも、評判は聞くね。すごくきれいなんだって」
 私がそう続けると、江藤くんも深く頷いた。
「今年は行ってみようかと思ってるんです。けど、人が多くないかが不安で」
「それはまあ、クリスマスに出歩いたらどこだって混んでるよ」
 むしろクリスマスに空いてるデートスポットを探す方が難しいんじゃないだろうか。
 どこ行ったってカップルや家族連ればかりで、ざわざわと賑やかなのがクリスマスの街というものだ。本当に"Silent Night"が過ごしたいなら出かけるべきじゃない。
 逆に、二人きりの静かな聖夜にまだ抵抗があるという間柄なら――例えば付き合いたてとか、あるいは付き合ってないけどそういう雰囲気になりつつあるとかなら、クリスマスの外デートは最適だと思う。
 ツリーの点灯式、か。
 私が行きたいって言ったら、黒野くんはどう答えるだろう。
「それもそうですね。じゃあ、覚悟決めて行ってみようかな」
 江藤くんも、ツリーの点灯式に狙いを定めたらしい。珍しく浮かれた口調でそう言った。
 そして再びタウン誌を熟読し始めたから、私も彼の傍をそっと離れる。
 以前は痛いほど感じていた切なさもようやく薄れ、私は違う人のことばかり考えるようになっていた。

 クリスマスが近づき、街の空気がふわふわと浮き立てば、自然とその予定を考えたくなる。
 私はクリスマスを一人で過ごしてもさして気にならない方ではあるけど、クリスマスを口実にしたい気分ではあった。
 この街が一番賑わう時期だし、黒野くんにとってはきっとここで迎える初めてのクリスマスだろうし、ツリーの点灯式は私も見てみたいし、それに――とにかく、理由ならいくらでもある。
 あとは黒野くんを誘うだけ、なんだけど。

 あいにくと、黒野くんとはここ二週間ほど顔を合わせていなかった。
 ロールキャベツをお裾分けしたあの日以来だ。お互いのタイミングが合わないみたいで、一度として会えていなかった。
 もちろん元気でいるのは知っている。
 お裾分けした翌々日、月曜の夜に私が帰宅すると、私の部屋のドアノブに鍋を入れた紙袋がかけられていた。赤いホーロー鍋はきれいに洗われていた上、可愛い子犬の柄の封筒が添えられていた。
『鍋を返すのが遅くなってごめん。でもすごく染みる美味しさだったよ。今度は一緒に食事がしたいな』
 そんなメッセージがしたためられたカードと共に、『クロノス』のヘッドスパ無料券までが封入されていて私は慌てた。
 さすがにそこまで大したものを作った覚えはないのに、これって結構お値段張るものなんじゃないだろうか。どうしよう。でも突き返すなんてもっと失礼だし、困った。
 でも、嬉しくないわけじゃない。
 それどころかすごく嬉しい。私のロールキャベツを美味しく食べてくれて、黒野くんなりに、お礼をしたいって思ってくれたんだろうから。
 だから私はむしろお礼を言いたくて、黒野くんに会えないかと思っていたのだけど。

 この二週間、黒野くんはとても忙しかったようだった。
 お店が軌道に乗り始めたということなのかもしれない。彼の帰りはめっきり遅くなっていて、年の瀬で残業続きの私がアパートに戻っても、彼の部屋の明かりもまだ点いていないのが常だった。週末にお店の前を通れば、お客さんの姿が二、三人はいつもあり、どうやら繁盛しているらしいのがわかった。それはもちろん、いいことだ。
 だけどお休みの日まで講習会にお店の勉強会にと時間を費やしているらしく、時折くれるメールからもその大変さが窺えた。
『昨夜なんか床で寝落ちてたよ。忙しいのはありがたいことだけど』
 黒野くんからのメールは、いつも送信時間がまちまちだった。朝八時だったり、正午過ぎだったり、夜遅くだったりだ。それだけ暇がないんだろう。
『最近話せてなくて、都さんが恋しいよ』
 そういう一言をいつも添えてくれるから、私は会えない間も黒野くんのことばかり考えてしまう。
 二週間前に告げられたあの言葉にも、まだちゃんと返事ができていなかった。
 あの時点で、出会ってからたったの八日だ。それなのにあんな熱烈な告白ができる黒野くんは、一体どういう人なんだろう。私のどこを好きになってくれたんだろう。以前は一目惚れかも、なんてことを口にしていたけど、それだけなんだろうか。

 私は、黒野くんに会いたいと思っている。
 会って、いろいろ聞きたいこともある。私の方から言いたいこともある。
 私はまだ、黒野くんに同じ言葉を返すことなんてできない。出会ってからの中身の濃い一週間と、その後全く会えなかった二週間。恋心を育むにはまだ時間が足りなかった。
 だけど私は彼に会いたい。
 黒野くんといるのが楽しいから、一緒にいたい。
 いっぱい話をして、彼のことをもっと知りたい。気は休まらないけど私の心を明るくしてくれる、彼の優しさにもっと触れてみたい。
 今は、そんなふうに思っている。

 黒野くんはこの通り忙しそうだけど、クリスマスの予定はどうなんだろう。
 ヘアサロンってクリスマスシーズンは混み合うものなんだろうか。誰もがきれいになりたい、可愛くなりたいって思う時期だろうから、もしかしたら駄目かもしれない。

 仕事を終えて辿り着いたアパートで、いつも彼の部屋の明かりが点いていないのを確かめてから、自分の部屋へ帰る。
 そんな確認作業が日課になった十二月の初め、私はついに決断し、彼を誘ってみることにした。
 本当は直接会って誘いたかったけど、それが叶わない以上はメールしかない。
『黒野くん、クリスマスって暇?』
 まずはそう打って、いきなりすぎたかなと思いつつ、後の文章を付け足してみる。
『もし暇だったら、一緒にどこかへ行かない?』
 これだけでもデートの誘いとわかることだろう。
 だけど、どうかな。ちょっと漠然としすぎているかもしれない。この街に来たばかりの黒野くんを誘うなら、もっと具体的にどこどこへ行こうと言わないと答えにくいんじゃないだろうか。
 そう思って、更に付け足す。
『三連休、ベイエリアでツリーの点灯式やるんだって。夜の六時からなんだけど、もし行けたら、黒野くんと行きたいな』
 伝えたいことを口頭じゃなくメールで告げようとすると、何だか必死な文面になってしまう。黒野くんはこのメールを見たらどう思うだろう。そう考えるとかなり恥ずかしい。
 でも推敲しようとすればするほど、言いたいことが多すぎて長ったらしい文章になりそうだ。
 私は意を決して、そのメールを送信した。
 そしてその夜遅くまで、自分の部屋でそわそわと、彼の返事を待っていた。

 黒野くんからの返事は、日付が変わる直前にあった。
 ちょうどその直前、外の階段を上がってくる足音が聞こえて、黒野くんが帰ってきたなと思ったから――タイミングとしてはばっちりだ。
 ただし、メールじゃなくて電話だった。
 そして電話越しに聞く黒野くんの声は、いつもより少し力なかった。
『ごめん、都さん。三連休はずっと予約でいっぱいで……』
 やっぱり、そうか。
 残念だけど、仕方ない。
『本当にごめん。せっかく都さんが誘ってくれたのに』
「気にしなくていいよ。もし空いてたらって思っただけだから」
 別にクリスマスにこだわる必要はないのだし、私はそこまで落ち込んでない。
 でも黒野くんは焦った様子で食い下がってくる。
『二十四日の夜ならどうにかなるかもしれない。返事、保留にさせて』
「うん、わかった。でも無理はしなくていいからね」
 多分、本当にすごく忙しいんだろうな。
 それが読み取れたから、私は黒野くんに無理しないよう繰り返した後、電話を切った。

 どうやら今年のクリスマスも、何の予定なしってことになりそうだ。