Tiny garden

蜜月旅行(3)

「ハンバーグを作ってくれるだろうと思ってた」
 瑞希さんは播上さんにそう言った。
 私も同じだ。瑞希さんの好物は決まっているし、かつて播上さんがそれを作って、ごちそうしてくれたこともあったというから、今日の献立は伺うまでもないだろうと思っていた。
 だけど、出来上がった品にはいい意味で予想を裏切られた。
 じゅうじゅう音を立てたハンバーグが、大皿にぐるりと丸く、串に刺さって並べられている。さっき焼いていた串物はこれだったらしい。種類も一見つくね風のものから、薄切り肉や大葉で巻いたもの、照りのいいソースや溶けたチーズが掛けられているもの、団子のように小さな丸型までバリエーション豊富に揃っている。
 家でもよく作る彼の好物だけど、いつも小判型の、ごくごく平凡なハンバーグばかりだった。味付けもありふれたデミグラスソースや和風おろし程度のローテーション。こんなに美味しそうな料理を目の前にしておいて真っ先に思ったのは、勉強になりそう、だった。ここまで手を掛けるのは無理でも、何かいい味付けを学んで帰りたい。私には到底思いつけないアイディアが大皿一杯に詰め込まれている。
「良かったら味も覚えてって。気に入ったのあったら、播上が教えてくれるよ」
 せっかく真琴さんもそう言ってくれたので、ありがたくお言葉に甘えようと思う。その為にも良く味わって食べないと。
 食欲を掻き立てられるご飯の前、私と瑞希さんは顔を見合わせてから、一緒にいただきますを言う。
 ハンバーグ以外のメニューは春らしいキャベツの漬物と、小芋といかの煮物だった。どちらも味付けはあっさりしていて、お肉と合わせて食べるのにはちょうどいい。炊き立てのご飯もとても美味しかったし、お味噌汁のわかめの味も歯応えも市販の品と違うのは、さすが港町だと思う。
 メインの料理もとびきり美味しかった。いろんな味があるので、瑞希さんと二人であれこれ食べ比べてみる。彼の好みに合いそうなものがあれば勧めてみたりして。
「こっちの串は、うずらの卵が入ってました」
 スコッチエッグ風の串が美味しかった。私がそう言うと、彼もちょうど齧りついていた別の串について首を捻ってみせる。
「こっちは……ジャガイモかな? ポテトサラダか? 美味しかった」
「それはいも餅入り」
 すかさず播上さんが説明を挟み、私たちは揃って驚く。
「いも餅ですか? へえ……」
「良くこんなの思いつくな、僕は考えもしなかったよ」
 挽き肉の衣の中に隠れた柔らかいいも餅は、弾力もあって食感が楽しい。甘辛い醤油だれとも良く合う。
「いや、それほどでもない」
 播上さんは照れたようにしながらも、口調は淡々と続けた。
「店のお客さんに出す分とは違うからな。遠慮なく実験も出来る」
「何だ、播上。僕らを実験台にしたのか?」
「美味しいからいいだろ?」
 軽く睨んでみせる瑞希さんに対して、播上さんは若干悪びれた笑みを浮かべた。その『若干』気後れした様子がいかにもいい人そうだから、瑞希さんや真琴さんが信頼を寄せるのもわかるな、と思う。
 そして実験と称されたハンバーグ串の中、特に美味しかったのが大葉巻き串。添えられた柚子胡椒をつけて食べると、あっさりしていてついつい食が進んだ。
「僕はこれが一番好きだな」
 瑞希さんが最も誉めていたのは照り焼きマヨネーズの串だった。つくね状の串を照り焼きにして、そこにふんわり軽いマヨネーズを乗せている。市販のものよりもやや白っぽく、味もきつくないのは、何か工夫がしてあるんだろうか。
「このマヨネーズ、くどくなくて美味い」
 堪能する瑞希さんの言葉に、播上さんが種明かしをしてくれた。
「生クリームを入れてる。泡立てた奴な」
「へえ。一海、覚えておこう」
 もちろん。教えていただいた以上、しっかり覚えて帰らなければ。早速、一言断ってから携帯電話でメモを取る。
 キーを打つ私の手元を、瑞希さんが覗き込んでくる。
「帰ったら一海も作ってみてくれる?」
「いいですけど、播上さんほどは美味く作れないですよ」
 それは言っておかなければいけない。私の腕ではとてもじゃないけどここまで作れない。覚えて帰るのはあくまで私にも出来そうな、素敵なアイディアの断片だけ。そっくり同じものを作れるようになる為には、きっと長い時間が必要なはずだ。
「愛情が入ってればそれでいいよ」
 瑞希さんはそんなことを言うけど、気持ちというならこの昼食にこそ確かに入っていた。播上さんが気持ちを込めて作ってくれたのだと思う。愛情だけではとても敵わない。
「仲良いねえ、渋澤くんと一海さん」
 不意に、真琴さんがそんな声を掛けてきた。冷やかしのニュアンスが含まれた言葉は、事実だったけれど、それでもちょっと照れた。今が新婚旅行中なのだということも急に意識してしまう。
 一方で瑞希さんは、微塵も照れたそぶりを見せなかった。
「当たり前だろ? こんなに可愛い妻を貰っておいて、仲良くしてなきゃバチが当たる」
 むしろ堂々と冷やかしより恥ずかしいことを言ってくるから、私は俯いていた方がいいのか、胸を張っているべきなのか、迷ってしまう。それにだって嘘はないのだし、うれしさも少なからずあったものの。
 私が内心うろたえている間に、瑞希さんは仕返しを試みようと決意したようだ。
「そっちこそ、相変わらず仲が良いみたいじゃないか」
 揶揄する口調でやり返してから、私に対して説明をくれた。
「播上も清水さんも、昔っからこんな感じなんだ。付き合う前から付き合ってるみたいだったのに、結婚するまで六年も掛かったんだからな」
 想像もつく。播上さんと真琴さんは息もぴったりだし、友人同士でいた頃から仲が良かっただろうことも窺えた。実直そうな播上さんと、愛嬌のある真琴さんとは、きっといいコンビでもあったんじゃないだろうか。
 そこに瑞希さんが加われば、さぞかし賑やかで、楽しい時間が過ごせていたはずだ。
 実際、食事中にもかかわらず、瑞希さんと真琴さんは仲良く言い合いを始めていた。
「もう『清水』じゃないもん」
「ああ、ごめん。でも君だって、結婚したのに播上のことを名字で呼んでるだろ」
「だって播上は名字変わってないもん」
「そうだけど。二人でいる時もそう呼んでるのか?」
「うん」
 話題は、真琴さんが播上さんを名字で呼んでいることについてだ。友人関係からのスタートだったせいだろうか、結婚してからも普段は名字で呼んでいるらしい。
「でもお店ではちゃんと名前で呼んでるよ」
 付け加えた真琴さんが、終わりの方でしまったという顔をした。
「――あ」
 小さく声も上げていたけど、なぜだろう。怪訝に思う私をよそに、瑞希さんは面白がって尋ねる。
「へえ、店では何て?」
 それで真琴さんは播上さんの方をちらっと見た。その視線にどんな意味があるのかはわからないけど、多分、正直に言ってもいいかと尋ねたかったんじゃないだろうか。播上さんは恥ずかしいのか、やや気まずげにしながらも頷く。
 一呼吸置いて、真琴さんがおずおず答えた。
「ええと、正ちゃんって」
 ちゃん付けというのも、友人時代の名残なんだろうか。あるいは同い年だから、なんだろうか。どちらにしても親しげな関係が素敵だ。
 私は瑞希さんを、さん付けでしか呼んだことがないから――そうでなければ渋澤課長、としか。ちゃん付けはさすがに想像出来ないから、この先もずっと『瑞希さん』と呼び続けることになりそうだけど。
 ぼんやり考える私をよそに、
「何だ、普通に呼んでもらってるじゃないか。どうして普段から呼ばせてないんだ」
 瑞希さんは、矛先を播上さんへと向けていた。問われた播上さんはどことなく困った顔つきになって、ためらいがちに答える。
「……あんまり、好きじゃないんだよ。その呼び方」
「照れてるのか」
 そうなんだろうな、と私も密かに思う。
 築き上げてきた関係が変わる瞬間は、少なからず戸惑いや不安を伴う。私も上司として尊敬していた人を、恋人だと思えるようになるまでには時間が掛かった。皆から好かれている人だから、悩みもしたし、どうして私なんだろうと奇妙に思いもした。今となっては、彼のいない日々は考えられないくらいなのに。
 播上さんと真琴さんは現在でも仲の良いご夫婦だけど、夫婦としてあることには照れもあるようだった。結婚してからまだ一ヶ月と少しだと聞いているから、しょうがないのかもしれない。
 面映そうなそぶりにすら信頼感が窺えて、長い年月を過ごしてきたお二人が羨ましくもなる。
「お友達同士からご夫婦になるのって素敵ですね、憧れます」
 私が本心を打ち明けると、播上さんや真琴さんより早く、瑞希さんにぼやかれてしまった。
「でも、こんな二人に挟まれてた僕の身にもなって欲しいな。毎度のように当てられてて大変だったんだから」
 物言いから察するに、大変だったと言うよりは楽しくて仕方がなかった、の方が正しい気がする。でも本当に、楽しいだろうな。こんなお二人と友達でいられたら。
「何言ってんの渋澤くん」
 そこへ真琴さんが頬っぺたを膨らませて、
「それなら私だって、渋澤くんが播上と焼肉で喧嘩をした時はもうすっごく大変だったんだから――」
「清水さん、それは言わなくていいから!」
 口にしかけた言葉は、慌てている瑞希さんによって阻まれた。
 ふと思い出したのは、お店に入る前に聞いていた、彼と播上さんの喧嘩の話だけど。
「……どんな喧嘩だったんですか?」
 私が尋ねると、真琴さんと瑞希さんはほぼ同時に口を開いて、
「それがねー、もう本当にどうでもいいような喧嘩だったんだけど」
「大したことじゃないからいいんだよ。一海に聞かせるような話じゃないから!」
 真琴さんがうきうきとした表情でいるのに対し、瑞希さんは何だか気まずげにしている。私がちらと視線を送れば、困った様子の彼は播上さんに水を向けていた。
「播上だって、あの一件については秘密にしといて欲しいよな?」
「俺は別に。間違ったことしたつもりはないし」
「僕だって間違ってない!」
「お前は間違ってたよ。確実に」
 今度は播上さんと言い合いを始めて、そこへ真琴さんが口を挟み、
「渋澤くん、往生際悪過ぎ。昔の過ちはちゃんと認めないと」
「そういえば清水さんは昔っから播上の肩ばかり持ってたよな」
「俺の方が正しいんだから当然だ」
「わ、私だって、別に播上を贔屓してるとかじゃないもん」
「いや贔屓だね。僕の言い分だってちょっとは考慮されるべきだ!」
「いいから奥さんに教えてやれよ、渋澤」
 瑞希さんと真琴さんが声を張り上げる傍らで、播上さんがマイペースに合いの手を入れている。その様子はまるで学生さんみたいな賑々しさで、私は知らないはずの数年前を垣間見たような気分になる。
 もっとも、当の喧嘩についての詳細は、その賑々しさのうちですっかり曖昧になってしまった。

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