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あなただけを(2)

 春は中身を袋に収めたまま、視線だけを上げた。眉根を寄せる吉川へと尋ねる。
「これ、どういうこと?」
「だから、俺は知らねえって。とにかく渡したからな」
 彼はこの場をとっとと立ち去りたいようで、それだけ言うと踵を返した。門へと通じる敷石を辿り出したので、春は急いで呼び止める。
「あ、待って」
「……何?」
 眼光鋭く、吉川は振り向く。春は臆することなく尋ねた。
「今日、堂崎に会う予定、ある?」
 春が堂崎を呼び捨てにしているせいか、前髪を下ろした彼は気味の悪そうな顔をしてみせた。しかし、頷いてはくれた。
「会うけど。いや、会うっつうか報告しに顔見せるくらいで――」
「じゃあお願い、渡して欲しいものがあるの」
 有無を言わさぬ口調で言い、家の中へと取って返す。自室に放り出していた紙袋を引っ掴み、再び外へ出た。意外にもおとなしく待っていた吉川へ、その紙袋を手渡す。
「これ、堂崎に渡して。私からって言えばきっとわかるから」
 春の言葉に、吉川はもう一度じろじろと春を見た。頭のてっぺんから爪先までを憚りもなく眺めた。不審と畏怖と僅かな好奇心のうかがえる視線だった。
 それから、慎重に聞いてきた。
「なあ、桂木って――もしかして、堂崎さんの女なのか」
 聞き慣れない形容をされて、春は驚きの後に吹き出した。
「違うよ」
 それで吉川はますます納得のいかない顔をしたものの、深く追及はしてこなかった。代わりに、焦り気味に言い添えてきた。
「堂崎さんには言うなよ。俺が詮索みたいなことしたって」
「うん、わかってる」
 春が頷くと、吉川は再度踵を返す。首を捻りつつも、早足で桂木家を出て行った。

 午後四時。
 カードの文面通り、真新しい携帯電話が震えた。春は自室の隅にうずくまるようにして通話ボタンを押す。どきどきしながら耳に当てる。
「もしもし」
『――春。俺だ』
 堂崎の声がする。電話越しには初めて聞いた。春は覚えた安堵を押し隠すように、平静を装って応じる。
「この電話、どうしたの?」
『誕生日プレゼントだ。俺から、お前への』
「そんな、貰えないよ。だってお金とか――」
『金のことは心配しなくていい。それより、家の人間に見つからないようにしろ。取り上げられないようにな』
 気のせいか、堂崎の声も潜められているようだった。今日はパーティのはずだから、どこかに身を隠して電話を掛けているのかもしれない。
『それと、その電話は俺専用だ。緊急時以外は他の奴には掛けるな。番号も知らせるな。俺じゃない奴から掛かってきても繋がらないように設定してある。俺が春と話したいと思った時、電話中だったら困るからな』
 堂崎は早口でそこまで言って、その後、照れたような口調で続ける。
『これで、春といつでも話せるようになる』
 胸が痛んだ。
 一月一日、誕生日に、プレゼントを渡しに行くことさえ出来なかった。普段も話したい時に話せる、会いたい時に会える相手ではない。春は多くを望んでいない。一緒に暮らしたい訳でも、同じ名字に戻りたい訳でもないのに。
『な、いい誕生日プレゼントだろ?』
「……うん」
 兄のふるまいの唐突さを、春は頷き一つで受け止めた。
 素直に言えば、うれしかった。どんな形でも繋がりが持てた、そのことが。
「ありがとう」
 礼を述べると、堂崎は一層照れたようだ。微かな笑いが聞こえた。
『まあ、このくらいはしてやるよ。兄として当然だしな。で、使い方はわかるか?』
「電話の出方くらいなら。友達が持ってるから」
『そうか。今度会った時、メールの送り方も教える』
「うん。……あ、吉川さんから受け取った? 私のプレゼント」
 母親に聞こえないよう、春もひそひそ声で電話をする。すぐに、ああ、と堂崎が答えた。
『受け取った。ありがとうな』
「うん。今日渡せてよかった。外へ出してもらえなかったから、吉川さんが来てくれて助かったよ」
 渡せないかもしれないと思っていた。もう駄目だと思った。それを繋いでくれたのがあの少年だ。春は素直に感謝していた。
『あいつは割と言うことを聞かせ易いんだ。多少の無茶でも手を貸してくれる』
「今度会ったらお礼が言いたいな、あの人に」
『いいよ、礼なんて。春が気にすることじゃねえよ。それより、いきなりガラの悪いのが行ったからびっくりしただろ? ちゃんとした格好しろってきつく言っといたんだけどな』
 堂崎の物言いは言葉ほどにはぞんざいでもなく、吉川に対する微妙な信頼も垣間見えていた。堂崎の交友関係は気がかりの一つでもあったが、心を許せる相手がいるならそれはうれしい。兄の素行の悪さも一概には否定出来なくなる。
「びっくりはしたけど大丈夫だよ。吉川さん、いい人だったし」
 感謝を込めて言ってから、
「今日、行けなくてごめん」
 次いで春は詫びた。約束を破ったのは、やはり自分の方だった。交わした時は出来ない約束だと思わなかったが、自分を取り囲む状況もまた、思いのほか窮屈だと気付かされていた。
 電話の向こうで堂崎が笑う。
『いや、謝んなくていいよ。俺はどうせそうなるってわかってたし』
「え……」
『厳しく言われてるんだろ? 知ってるよ。お前は来れないだろうと思った。だから最初は止めたんだ』
 諦念交じりの笑い方だった。胸が締めつけられるように、痛んだ。
 春は携帯電話を握り締める。これはこの先、堂崎と春とを繋ぐ、たった一つのよすがになるかもしれない。
『お前があまりにも必死になるから、一旦は折れといたけどな。無理だろうと踏んで、それで吉川を使った。お前に今以上、辛い思いはさせたくなかったしな』
 言外に、春の養父母への不信感が滲んでいた。
『メッセンジャーにしちゃ胡散臭いのになっちまったけど。でも首尾よく事が運んだし、結果オーライだよな』
 自分がわがままを言っていたことに、春は今、ようやく気付いた。甘えていないつもりでも甘えがあったようだ。どうしても自分の手で、堂崎の十六歳を祝いたかった。でもそれは、堂崎にも春にも負担を掛けることだった。
『この間も言ったけど、俺の気持ちは変わってないからな』
 堂崎は言う。
『春。お前と、一緒に暮らせるようになりたい。いつか絶対に叶えてやるから』
 叶う訳はないと春は思う。双子の妹としての自分が、堂崎以外の誰からも必要とされていないことを知っている。堂崎に妹はいない――皆が認識している事実はそうだ。だから吉川は春を堂崎の恋人と誤解したのだろうし、春の両親は双子の繋がりに怯えるのだろう。
 春の願いは違う。妹としていられなくてもよかった。ただこうして繋がっていられたら。そして兄が、堂崎家の当主として相応しい人間でいてくれたらそれでいい。
 だから、兄の言葉にはこう答えた。
「今日、話せてうれしかったよ。十六歳、おめでとう」
 素直に、けれど本音は押し隠しつつ。それでいて、本来の役目は忘れたそぶりで告げてみた。
『……お前もな。おめでとう』
 彼も気付いていたかもしれない。春は今日、堂崎を正しく呼んでいない。魔法の言葉は決して口にしなかった。
 妹じゃなくてもよかった。彼と繋がっていられるなら、たとえ他の形でもよかった。春の瞳も本当は、堂崎しか映していない。他の誰も、兄と共には映らない。
『そろそろ時間だ』
 溜息が聞こえた。
『俺、戻るわ。これからまたパーティの続きだ』
「そっか……今日は、大変だね」
『まあな、見世物扱いも楽じゃねえよ』
 そう言いつつも、堂崎は笑っていた。意外にも明るい声だった。彼も内心では、春と同じように思っているのかもしれない。
 繋がっていられるだけでいい。二人が本来あるべき関係には戻れなくても、こうしていられるだけでいい。多分そのくらいしか、十六歳の二人には望みようもないのだから。

 プレゼントに添えたメッセージカードに、春は記していた。
 ――世界で一番、あなたを想っています。
 春が思いつく限りのもっともらしい、それでいて本音に近い言葉だった。まるで恋人に贈るような言葉だと、今になってから思う。誤解されても仕方ないのかもしれない。堂崎がそのカードを見てどんな顔をしたのか、知りたかったな、とも思う。

 双子は一緒に齢を重ね、ようやく一つのよすがを手に入れた。
 それがいつまで続くものか、十六歳の春はまだ知らない。
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