Tiny garden

スタートライン(4)

 この洋風居酒屋には、以前も石田達と来たことがある。
 だからメニューは把握済みだ。イタリアン風にアレンジされているがそれはそれで美味い豆腐サラダもあるし、ベーコンと水菜の豆乳パスタといういかにも伊都好みの品もあったりする。彼女と二人で来るにはちょっと物足りないが、こうして食の好みが多様な面々と飲むにはちょうどいい店だった。

 案の定、伊都は豆腐サラダと豆乳パスタを頼んでいた。そしてビールを飲みながらパスタを食べている。
「麺類食べながらお酒ってちょっと不思議な感じ」
 彼女のその発言に、俺も含めた皆は一斉に霧島を見る。
 ちょうど霧島はカルボナーラを食べながらワインを飲んでいて、皆からの視線に気づくと伊都に向かって愛想よく笑いかけた。
「麺とお酒というのもなかなかいい組み合わせだと俺は思いますよ」
「こいつ、飲む時はいつも麺類なんだよ。何でか知らないけど」
 俺が説明を添えると、伊都は目を丸くする。
「そうなんだ。霧島さん、そんなに麺類好きなんですか?」
「好きなんです」
 霧島は真面目な話でもしているように重々しく頷いた。
「麺類って種類豊富ですし、味つけだって豊富じゃないですか。その自在さに懐の深さを感じるんですよね。俺も麺のように懐深く、それでいてとっつきやすい人間でありたいと――」
「お前、いちいちそんなこと考えながら飯食ってんのか」
 魚介のカルパッチョをつつく石田が呆れると、霧島はむしろそれを小馬鹿にするように目を細めた。
「えっ、先輩は普段何にも考えないでただ漫然とご飯を食べてるんですか?」
「『飯が美味い』以外に何か考えるべきことあるか、ないだろ」
「俺は食事中でも常に自分のあるべき姿、持つべき目標について常に思いを馳せてますよ」
「そんなの考えてたら麺伸びるわ」
 霧島と石田の会話を、デザート選びに余念のない霧島夫人がくすくす笑って聞いている。
「確かに、映さんは麺類がないと駄目な人ですもんね」
 実際、霧島の麺好きは伊都の豆腐好き並みに強固なものだった。一緒に飲みに行けば必ず何がしかの麺類を食べている。
 もっとも本人の言うように、食事をしながら麺類の可能性に自分を重ね合わせて思いを馳せているなどということはないと思われた。いつも普通に美味そうに食べている。
「そんなになんだ……毎日献立考えるの、大変じゃない?」
 伊都が感心したように聞き返す。
「そうでもないよ。麺類自体は映さんの言うように種類豊富だから、メニューに迷うことないし」
「ゆきのさん、お料理のレパートリー凄いんですよ!」
 言い切る霧島夫人を、ピッツァマルゲリータに夢中だった小坂さんが顔を上げて誉める。伊都も納得した様子で頷いていた。
「わかるなあ、そんな感じする。自分でお弁当作ったりしてたよね」
「でもそれは園田さんだってそうでしょ? ずっと安井さんにお弁当作ってたって聞いてるよ」
「ま、まあね。巡くん、私の豆腐料理を美味しいって食べてくれるから……」
 俺について話題が及ぶと、伊都は途端に照れ始める。恥ずかしそうにはにかむ彼女を見て、俺もあまり飲めない酒を妙に美味く感じている。
「そういえば安井先輩、豆腐好きでしたよね。出会うべくして出会った二人なんですね」
 霧島がそう口にした時だ。
 待ってましたと言わんばかりに石田が笑みを浮かべて、
「違うんだよ霧島。こいつは昔から豆腐好きだったわけじゃなくて――」
「待て石田、余計なこと言うな」
「何だよ、隠すような話か? 彼女の影響で豆腐好きになっちゃいましたって言えばいいだろ」
 事実としては確かにそうなのだが、改めて、しかも冷やかすように言われるとこっちだってこそばゆい。
「あっ、そうだったんですか。なるほど……」
 霧島も石田に続いて、そこでにやにやし始めた。
「それで先輩も飲み会の度に豆腐を食べるようになったわけですね」
「豆腐食べる度に彼女のこと思い出してたんだろうな。やらしいよなあ」
「妙な言い方するな! いいだろ何考えて豆腐食べてたって!」
 俺は慌てて反論したが、伊都がしっかり俺を見て、しかも恥ずかしそうにしていたので困った。
 実を言えば――言うまでもなく、石田の言うこともあながち的外れではなかったからだ。
「伊都の影響なのは事実だけど、俺だって今は純粋に豆腐が好きなんだよ! ノートーフノーライフだ!」
 いつだったか伊都が言った言葉を俺が繰り出すと、霧島は眉を顰めて考え込んでから言った。
「じゃあ俺は、ノーヌードルノーライフですね」
「わあ、そう言うと格好いいですね! だったら私は……」
 と、今度は小坂さんが思案を始めた。だが好きな食べ物が余程多いのかどうやら絞り込み切れなかったと見えて、やがて力強くこう宣言した。
「選びきれなかったので、ノーフードノーライフにしておきます!」
「そりゃ人類皆がそうだろ」
 すかさず石田が突っ込むと、霧島夫人と伊都が同じタイミングで吹き出した。
「確かに! その発想はなかったです」
「いいツッコミだね、もう既に夫婦漫才だよ!」
「ボケたつもりはなかったんですけど、えへへ……」
 今月に結婚式を控えた小坂さんは笑われたことにか、あるいは夫婦と呼ばれたことにか大いに照れていたようだった。それを見て霧島夫人も伊都もますます楽しそうにする。石田も口元が緩むのを全く隠しきれていないし、霧島はにこにこと優しく笑っている。
 しかしまあ、楽しそうでいいことだ。
 俺も伊都の笑顔を横目に見ながら、早くも酔いが回るのを感じていた。

 飲み会はその後も和やかに進み、女性陣はみるみるうちに打ち解け、仲を深めていったようだ。
 そのうちに三人だけで固まって座り、きゃあきゃあと楽しげに話し始めた。

 話題はもちろん『ノーフードノーライフ』にふさわしいものばかりだ。この店の何が美味しいだのデザートは何がいいだの家で作るんだったらこうするだのと語り合っている。主婦歴二年目の霧島夫人は大層な料理上手だし、結婚を控えた小坂さんも以前と比べるとレパートリーが増えたようだ。そして伊都は豆腐料理の知識と腕に関しては誇れるだけのものを持ち合わせている。
「へえ、お豆腐って何にでも使えちゃうんですね!」
 驚きの声を上げる小坂さんに、伊都は誇らしげに頷いてみせた。
「そうなんだよ。ご飯のおかずにもデザートにもなり得る万能食だよ」
 それからクイズの出題者みたいな顔つきで二人に向かって、
「ホットケーキに豆腐混ぜて焼くの、試したことある?」
「ないです。そんな発想すらなかったです」
「あ、それ聞いたことある。牛乳の代わりに入れるんだよね」
「じゃあ一度試してみてよ。これがね、すっごく美味しいんだよ」
「ど、どんな感じになるんですか? 気になります!」
「私も知りたい! 食感からして変わりそうだけど」
 小坂さんと霧島夫人が食いついたのを見て、伊都は懇切丁寧に豆腐ホットケーキの作り方をレクチャーし始めた。俺も何度か食べさせてもらったことがあるが、もちもちした食感になってとても美味い逸品だった。

 俺がその会話に聞き耳を立てていると、
「合間合間にちらちら見てるんですね」
 霧島が声を潜めて俺に無礼な指摘を寄越した。
 途端に石田も乗っかってくる。
「だよな。もうすっかり目が離せなくなってんだよ」
「うるさいな……しょうがないだろ」
 俺は弁解したが、弁解になっていないこともわかっている。
「安井先輩、豆腐がないと生きてけないなんて言ってましたけど、そうじゃないですよね」
「本当はそれ以上にあるよな、ないと生きてけないものが」
 霧島と石田はこういう時に容赦してくれるような連中ではない。にやにや笑いながら口々に言われて、俺は答えに窮した。否定しないのが答えだと思われていそうだが、否定できるはずもなかった。だが同じことを目の前にいる二人に尋ねれば、二人とも俺と同じ反応をするだろうことも予想に難くない。
 そこをつっついても水掛け論にしかならないだろうし、もっともらしく言い訳だけしておく。
「彼女が楽しそうにしてくれてるからほっとしたよ。あっさり仲良くなれてるし」
「心配してないんじゃなかったのかよ」
 また石田がからかうように言ってきたが、その後で奴も表情を和らげた。
「まあ、盛り上がってんならそれはそれでいいよな」
 ちらりと女性陣の方を見て、
「これで溶け込めないってなったら気になるもんな。園田だから大丈夫だとは思ってたが」
「ああ。こういう集まりで無理強いはしたくないしな」

 伊都の性格は知っている。俺の実家でもそうだったように、初対面の相手だろうとそれほど親しくない相手だろうとすぐに打ち解けるし、楽しく過ごしてくれるだろう。
 ただこの場に連れてきたのも付き合わせているのも俺だ。伊都が少しでも無理をしているなら、そこは俺が言われるよりも早く気がついてフォローしてやらなければならない。結婚するからといって互いの人間関係まで強制的に共有するのは窮屈なことだろう。
 とは言えそれも今となっては杞憂なのかもしれない。
 女性陣の現在の話題は豆腐で作るヘルシーなデザートだった。
「ちょっと前に話題になってた豆腐わらび餅も美味しかったな。意外と簡単に作れるんだよ。まず絹ごし豆腐と片栗粉、黒蜜を用意して……」
 ますます興が乗ったのか豆腐について語りに語る伊都、ふんふんと熱心に頷きながら聞き入る霧島夫人と小坂さん。もうすっかり男子禁制、三人の世界という感じだった。

「ノースイーツ、ノーライフって感じですかね」
 霧島がそれを見て、女性陣をそんなふうに評した。
「可愛いから許す」
 石田が更に一言で断じる。
「そうだな」
 俺も当然、異論はなかった。
「しかしこうなると、俺達男側の話題レベルも低いままではいけませんよね」
「低くはないだろ。俺達も割と建設的な話することあるしな」
「……あったか? 大体いつも雑然とした実のない話しかしてないような」
 俺達の話題の低レベルさ加減は今に始まったことではない。大体いつもくだらない話ばかりしている。もともとは男ばかり三人の集まりだったからそんなものでもよかったし、そういうのが居心地よかった。
 しかしいつからか霧島夫人が加わるようになり、石田が小坂さんを連れてくるようになり、そして今日は俺が伊都を連れてきた。これからもっと人数が増える可能性もあり、それに応じて集まり方、そしてそこで上る話題も変わっていくのかもしれなかった。
「じゃあ実のある話をしよう」
 石田がいきなりそう言い出したかと思うと、俺に向き直って、
「安井、結婚式のプランはもう検討し始めてるのか?」
 と尋ねてきた。
「いや、まだだよ。式場選びから始めるところだ」
 俺が正直に答えると、石田は得意げに胸を張ってみせる。
「今なら俺も相当詳しいぜ。何だったら相談に乗ってやるから早いうちに言えよ」
「ああ、助かるよ。お前の結婚式も参考にしようかと思ってた」
「お、そうかそうか。じゃあ刮目してじっくり見とけよ、俺と藍子の晴れ舞台を!」
 もうじき結婚するとは思えないくらい、今日の石田も実に平常運転、いつも通りだ。所帯持ちになったら少しは落ち着くのではないかと心配していたのだが、そうでもなさそうだった。正直、ほっとした。
「ウェディングドレス選びなら、うちの妻が苦労したので詳しいですよ」
 霧島がそう言うと石田もすかさず頷き、
「そうそう、俺もドレスを選ぶ際の三ヶ条を教えてもらったんだよ」
「三ヶ条なんてあるのか……具体的にはどんな?」
「一、即断即決しないこと。二、ドレスを着たら必ず写真を撮っておくこと。三、ドレスショップの店員さんは得てして誉め上手だが、決して妥協はしないこと――肝要なのはこの三つです」
 指折り数えながら霧島が教えてくれたので、俺はウェディングドレス選びなるものは一筋縄ではいかないもののようだと直感した。

 伊都ならどんなドレスが似合うだろう。
 せっかく脚がきれいなのだから俺としてはそれを生かせるドレスがいいが、ミニスカートはさすがに本人が却下しそうだ。一筋縄ではいかないと聞いていても、彼女とドレスを選ぶ日が楽しみでもあった。

「あと披露宴で何やるかとかもな」
 石田は、恐らく自分の結婚式プランを検討した時のことでも思い出していたのだろう。眉根を寄せて考え込みつつ切り出した。
「そう言や安井、ファーストバイトって知ってるか?」
「何だそれ。初めてのバイト? 高校生かよ」
「そっちのバイトじゃねえよ。ウェディングケーキを新郎新婦が食べさせあうってイベントだ」
 ますます『何だそれ』だ。何の為にそんなことを。
「司会からかけ声をかけるよう言われるんですよね。『あーん』って」
 霧島が更に説明を添えてきたが、知れば知るほど少々気恥ずかしい。上司部下その他を呼ぶ結婚式でそういうのはさすがに。
 俺は抵抗を覚えたものの、石田は悪ガキのような気軽さでそれを勧めてきた。
「お前、園田とそれやれば?」
「何でだよ……と言うか多分、伊都が嫌がるよそういうのは」
 恥ずかしがり屋の伊都に公衆の面前でケーキの食べさせあい、なんて苦行以外の何物でもあるまい。俺は彼女よりも面の皮が厚い方だが、そんな俺でもできるかどうか。
「ケーキでやるって言えばそりゃ園田もついてこないだろ」
 石田が大袈裟に肩を竦める。
「豆腐でやるんだよ。そしたら園田、一も二もなく食いついてくるぞ」
「……本当に食いつきそうだから、言わないでおくよ」
 伊都は恥ずかしがり屋だが、無類の豆腐愛好家でもある。美味しい豆腐があれば一時の恥だって乗り越えかねない。よってこの案はこの場で廃棄とする。
「安井先輩が恥ずかしがってどうするんですか。結婚式はこれからなんですよ!」
 俺の反応を面白がってか、霧島が脅かすように言った。
 それに石田も続いて曰く、
「心配すんな。プランナーの話聞いてれば、恥ずかしいことでも次第にやる気になってくるから」
「嘘だろ……お前もやるのか、ケーキの食べさせあいっこ」
「それはやらないが、俺は愛する藍子の為ならゴンドラにも乗れると思った」
「乗るのか!?」
 俺が思わず声を上げると、話し込んでいた女性陣が一斉に振り向いた。
 そこで石田は唇の前で指を立てると、にやりと笑んだ。
「どうだろうな。もうじきわかるぜ、真偽の程が」
 さしもの石田も今時ゴンドラに乗ってご登場はないだろう――と思ったが、確かに石田なら小坂さんにねだられれば何でもやりそうな気がする。愛の力は偉大である。真偽の程は今月中に明らかになるが、何が起きても驚かない覚悟で参列しよう。
 俺も伊都の為なら何でもできる気がしている。問題は、二人で何をするかだ。
 ちょうど話をやめた伊都が怪訝そうに見てきたので、俺は説明も兼ねて彼女に尋ねた。
「結婚式の話をしてたんだ。伊都はどういうのがいい?」
 すると伊都は小首を傾げて考え込み、集まる視線に照れながらもにっこり笑んでこう言った。
「豆腐が美味しい式にしたいね!」
 途端に石田が俺を見た。見るな、と軽く睨んでおいた。

 俺達が豆腐の食べさせあいっこをするかどうかはともかくだ。
 結婚するにあたって、これから決めなければならないことは山ほどある。かつて霧島が、そして石田が通り抜けていった道を、俺も今から伊都と二人で追い駆けていくことになる。
 ここはまだスタートラインだ。
 今も既に幸せで満ち溢れているが、これから一層幸せになる為、俺達は歩み続けていくのだろう。
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