Tiny garden

秋の日に訪れる(1)

 彼女のアパートの前で車を停める。
 待ち構えていた園田が明るく笑って手を振った。その笑顔はいつも通りだが、服装は――ある意味、いつも通りだ。グレーストライプのスーツを着ている。提げている鞄も黒いハンドバッグ、足元はパンプス、まるで勤務中にしているのと同じ格好だった。
 もちろん俺も同じだ。仕事に行く時と同じようにスーツを着て、ネクタイを締めている。園田が助手席に乗り込んでくると、これからデートというよりまるで出勤するみたいだと思う。
「おはよう。すっかり涼しくなったね」
 園田は俺が何も言わないうちから、黙って助手席に座るようになっていた。
 俺としても彼女の指定席のつもりでいたからそれは嬉しいことだが、どこまで意識しているのか尋ねてみたい衝動にも駆られる。でも聞いたりしようものなら、真っ赤になって拗ねてやっぱり後部座席に乗ると言い出しそうだからやめておこう。
「そうだな、ハーブティー日和だ」
 俺が応じると、シートベルトを締め終えた園田が小さく笑った。
「だね。楽しみだなあ、課長の奥さんのお店行くの」

 十月の訪れと共に、俺達の見合いの日もまたやってきた。
 約束の日曜日、晴れた空には群れたようなひつじ雲が広がっていた。まだ紅葉シーズンには早い時期だったが、道端の街路樹は葉を落とし始めていた。
 季節の移り変わりにそこまで敏感な方ではないが、秋だけは特別だった。俺にとっての秋の訪れは誕生日が近いことも意味するからだ。来月にはいよいよ三十一になる。去年ほどの憂鬱はないが、当然ながら嬉しさもない。
 いや、今年は祝ってもらえそうな予感がする。久々に迎えて嬉しい誕生日がやってくるかもしれない、と希望は持っておこう。
 まずは今日の見合いを上手く成功させなければならない。

 件のハーブティーの店へはもちろん初めての訪問だ。
 同じ市内とは言え、この辺りは閑静な住宅街で用もないのに訪ねていく場所ではない。土地勘はほとんどない為、俺はナビを起動して、経路案内を受けながら車を走らせた。住宅街の一角にひっそりと建っているような、ごく小さなお店のようだった。
「お見合いだっていうのに二人で行くっていうのがまず斬新だよね」
 園田は緊張こそしていないようだったが、いくらかはしゃいでいるように見えた。助手席から聞こえてくる浮かれた声に、俺も笑いながら応じる。
「確かにな。お見合い会場で初顔合わせってイメージしかなかったよ」
 ドラマなんかで出てくるお見合いと言ったら、いかにもお節介焼きそうなおばさんが相手の写真と釣書を持ってきて――というところから始まるのが定番だ。それか不意打ちで会場に連れて行かれたらそれがお見合いだった、とかな。
 今回のようにお互いが何もかも知り尽くした状態から始まるお見合いは、そうそうないだろう。
「そういえばさ、前に婚活パーティ行ったって話したでしょ?」
 妙にうきうきと園田が言った。
「その時にも釣書じゃないけど、プロフィールっぽいもの書いたよ」
 俺も、そして園田ももうその手のパーティに行く必要はないが、だからこそ少し興味があった。突っ込んで尋ねてみる。
「どんなこと聞かれた? そういうイベントって」
「びっくりしたのはね、飲酒と喫煙について記載する欄があったことかな」
「へえ。まあ、人によっちゃ地雷ポイントだからな」
「あとは宗教とか」
 その辺りはむしろ必要不可欠な項目だろう。普通に恋愛から始めたところで、それらが理由で破局するカップルも山ほどいる。まして結婚前提の出会いなら、地雷になり得る条件は早めに把握しておくに限る。
 しかし園田は不思議そうに首を捻っていた。
「あれって実家の宗派とか書けばよかったのかな」
「普通に考えてそうだろ。お前、何て書いたんだ?」
「『お盆にはお寺に、お正月には神社に行きます』って」
 彼女の答えに俺は思わず吹き出してしまった。
 確かにそれで大方理解できるところもあるが、プロフィールで求められているのはもっと詳細にわたる回答だろう。そんな大雑把な答え方で係員には何も言われなかったのだろうか。園田らしいと言えば実にらしい。
「しかし、結構細かく聞かれるんだな。その手のパーティでも」
 思いっきり笑ってしまった俺は、その後も声が震えてしまって困った。お蔭で助手席からは軽く睨まれる始末だ。
 とは言え園田も園田らしく、あまり怒りを引きずらずに言った。
「そうだね。人数が多いだけで、実質普通のお見合いだったのかも」
「結構出席者多かったのか?」
「うん。男性三十人、女性も三十人で合計六十人。ホテルのダイニング貸し切ってたからね」
「男だけで三十人もいたのか。よかった、園田が誰にも捕まらなくて」
 俺は本気で胸を撫で下ろす。

 男が三十人もいて、園田にお声がかからなかったのはありがたい話だ。そんなどこの誰とも知らない奴に掻っ攫われたんじゃ困る。見る目のない奴ばかり揃っていたようでよかった。お蔭で俺はこうして、助手席に彼女を乗せていられる。
 それからふと、視線を感じた。
 横目で助手席を窺えば、彼女がじっと俺を見ていた。
 運転する俺の顔だけではなく、運転席ごとしげしげと観察している。まるで焼きつきそうなほど真剣な眼差しだった。何がそんなに気になるのか、わかってはいるが尋ねたくなる。

「……何でこっち見てるの、園田」
 すると園田は慌てて助手席のシートに寄りかかり、特に乱れてもいない前髪を直し始める。
「ご、ごめん。ちょっと見てただけだから気にしないで」
「気になるし、何で見てたのか聞いてるのに」
 そして、それを言って欲しいと思ってるのに。
 俺の追撃に、園田は困っているようだ。苦し紛れに言ってきた。
「それ、今言っちゃったら運転に集中できなくならない?」
「なるな、確実に」
 でも聞きたい。今の園田が俺をどう思っているのか、いつでも知りたいと思っている。ましてやあんなに熱い視線を送られたら、一体どんな気持ちで見とれてくれていたのかって気になって当然だ。
「じゃあその話もお見合いの席で聞こうか。お互い隠し事はなしってルールだからな」
 俺は前もって園田に釘を刺しておく。
 今日はいい機会だ。彼女には聞きたいことも、話したいこともたくさんあった。照れ屋な彼女に普段は濁されたりかわされたりする言葉を、今日は是非聞きたいと思っている。
 園田は、俺の釘刺しにすら答えなかった。戦々恐々とした様子で車の外を眺めていた。もしかしたら、少し緊張し始めていたのかもしれない。

 コインパーキングに車を停めて、店まで十五分の距離を歩いた。
 住宅街は区画整理されていたが、ハーブティーの店はその前の通りに入って近づいていくまで見つけられなかった。そのくらい、小さな店だった。
 白やピンクの薔薇が咲いている生垣をくぐると、店の入り口がようやく見えた。扉は一見どこの家にでもあるような木製のものだが、菱形の飾り窓がついており、その中には美しいステンドグラスが填められている。扉の右隣には大きな窓があり、どうやらその向こうが店内らしい。園田は中の様子が気になるのか、小さな子供みたいにが首を伸ばして窓の奥を窺おうとしていた。
 入口の扉の下にはカフェによく置いてある黒板書きのメニューが置かれていた。本日のお勧めはしっとりパウンドケーキです、と女性らしい筆致で書かれていた。そういえばどこからかほのかにいい匂いが漂っている。
「じゃあ、入ろうか」
 俺が声をかけると、早く店内を見てみたかったらしい園田が素早く頷いた。
「うん」
 そこで俺は彼女の為にドアを開け、先にくぐった園田の後に続いて入店する。

 店内に踏み込んだ瞬間、店の外に漂っていたい匂いが一層強まったようだ。
 例えば喫茶店なんかに入ると馥郁としたコーヒーや紅茶の香りが立ち込めているものだが、この店はそういった香りとは少し違う、甘くて爽やかな香りに満ちていた。果物、例えばリンゴのような瑞々しい甘さ――これがハーブの香りなのだろうか。
 中にいたのは二人だけだった。カウンター内でコップを拭いている女性と、カウンター席に腰かけている男性だ。男性の方は後ろ姿だけでもわかる小野口課長で、となるとカウンター内にいるのが言うまでもなく奥様だろう。
「いらっしゃいませ」
 女性の方が顔を上げ、俺達に向かって微笑んだ。

 かつて我が社でも『美男美女の結婚』と騒がれただけのことはあり、小野口課長の奥様はとてもきれいな方だった。ウェーブがかった髪をバンダナで覆い、リネンのエプロンを身に着けた地味めのいでたちだったが、それでもぱっと目を引く、何もしなくても華があるタイプの女性だった。若かりし頃の姿をちょっと見てみたかった。
 それから俺は隣の園田にちらりと目をやり、十年、二十年後の園田はどんな顔をしているのかを考えた。
 ばりばりに緊張した微笑を湛えた園田からは、これから年齢を重ねた姿なんて想像もつかなかったが、園田なら何年、何十年と経とうとこんな調子で可愛いに違いない。俺の隣であっけらかんと笑っているか、いくつになっても照れてはにかんでいるか、それとも唇を尖らせて拗ねているのか――どれでもいい。見てみたい。

「おお、いらっしゃい」
 カウンター席に腰かけていた小野口課長も振り返り、慌てたように椅子から下りた。
 思えば普段着姿の課長とお会いするのは初めてだったが、さすがに男前だけあってシャツにチノパンという無難な組み合わせでも難なく決まっていた。まさに美男美女の組み合わせだ。
「さあどうぞどうぞ、こっち座って」
 小野口課長は俺と園田を窓側のテーブルへと案内してくれた。白木の四角いテーブル席で、開放感溢れる大きな窓から差し込む日差しが温かい。
 席に通された俺と園田が椅子を引くと、奥様もカウンターの外へ出て、小野口課長の隣に立った。柔らかく笑んでお辞儀をしてくる。
「はじめまして、小野口の家内でございます。主人がいつもお世話になっております」
 俺と園田もそれに応じて頭を下げた。
「安井と申します。本日はこのような席を設けていただきまして、ありがとうございます」
「園田と申します。お招きにあずかりありがとうございます」
「こちらこそ、遠いところをお越しくださいまして」
 奥様はそう言うと、隣に立つ夫に何か言いたげな視線を送った。
 小野口課長はその視線に気づき、数秒置いてからはっとした。
「ああ、そうだった。僕が紹介しなきゃいけないんだったな」
「もう……あなたが緊張してどうするの?」
 奥様がくすくす笑っている。評判通り、仲睦まじいご夫婦のようだ。
 恥ずかしそうに頭を掻いて、小野口課長が答える。
「いやあ、いつもならこんなに緊張しないんだけどな。何せ今日のは普通のお見合いとは違うからね」
 それから課長は俺達に、改めて椅子を勧めながら続けた。
「本日のお二人はもしかしたら今日、この場で結婚が決まってしまうかもしれない段階なんだ。うちでも是非、丁重なおもてなしをしないと」
 そんなことを言われたら園田がさぞかし照れるだろうなと思っていたら、案の定彼女はその言葉の直後にわかりやすく頬を赤らめた。そわそわしながら俺の方へ『どうしよう』なんて窺うように目を向けてくる。そういう目で見られるとこちらまで気恥ずかしくなるから困る。
 照れながら二人で席に着くと、奥様が卓上に置かれたメニューを指し示しながら言った。
「それならとびきりのお茶をお入れしますね。何かお好みのものはございます?」

 それで俺と園田は一緒にメニューを覗き込んだが、正直言って味がわからないものばかりだった。
 メニューの半数以上を占めるのがハーブティーだったが、ラベンダー、セージ、シナモンなど、香りは何となく知っていても味がわかるほどじっくり味わったことはない。
 更にこの店ではハーブティーのブレンドも行っているそうで、俺と園田はメニューを覗き込んだままうろうろと目移りする事態に陥った。

「安井さん、どれにする?」
 園田の問いに俺は格好よく答えたかったが、見栄の張りようもなかった。やむなく正直に答える。
「実はハーブティーって初めてなんだ。どれがいいのかわからない」
 わからない時は素直に聞いてしまうに限る。俺は奥様に尋ねることにした。
「よろしければ、お薦めを教えていただけませんか」
 すると奥様は慣れた様子で微笑み、言った。
「それでしたらお任せいただければ、お口に合いそうなものをご用意いたしますよ」
 恐らく俺達みたいな、ハーブティーなんて全くわからんという客は珍しくないのだろう。これ幸いと、俺はお任せでお願いすることにする。
「ではお願いいたします。園田も、それでいい?」
 一応、園田にも尋ねると、彼女も安堵した様子で答えた。
「うん。よろしくお願いいたします、奥様」
「お任せください。味や香りのお好みなど、伺ってもよろしいですか?」
 それから奥様は俺達に好みや今の気分、アレルギーの有無などを尋ねてきた。俺達がそれぞれ答えると、かしこまりましたと言ってカウンター内へ戻っていく。
 小野口課長はそんな奥様を優しく見送った後、俺達へ向き直り胸を張る。
「うちの妻はこういう見立ては上手いんだ。期待していいよ」
 その惚気に園田はくすっと笑ったが、俺はむしろ羨ましい気分でそれを聞いていた。

 うちの妻、か。
 俺もそんなふうに彼女を呼べる日が来るだろうか――来て欲しい、是非とも。

 ちらりとそちらを見たからか、ふと園田が目を瞬かせた。
「安井さん、どうかした?」
「いや」
 俺は一旦かぶりを振ったが、今日のこの席は見合いなんだと思い直して、それなら素直に言ってやろうと打ち明けた。
「俺も園田のこと、『うちの妻は』って言えるようになりたいと思った」
「は……」
 驚いたのか、園田はほとんど吐息だけみたいな声を上げた。
 それからすぐに赤くなって慌てふためき始め、俺に向かって咎めるように言った。
「な、何言ってんの。課長の前だよ」
「だって今日はお見合いだろ。このくらい言ってもおかしくない」
 園田とはこれまでにもたくさん話をしてきた。二人でいるといつでも楽しく話ができたし、時間があっという間に過ぎてしまうほどだった。
 だが今日はこれまでにはできなかった話をする。俺が聞きたかったことも、園田に言いたかったことも、できるだけたくさん話したいと思っている。さっきの言葉だって当然、嘘じゃない。言いたいから言ったまでだ。
「ですよね、小野口課長」
 俺がテーブルの傍に立つ小野口課長に確かめると、深い頷きが返ってきた。
「そうだね。そういう話をする場だからね」
 その後で課長はいかにも困ってしまったというふうな態度で俺達を見回し、尋ねてきた。
「だけどこの分じゃ、仲人はいなくても上手くいきそうだなあ。僕は席を外した方がいいよね?」
 園田は答えない。忙しなく瞬きを繰り返し、頬を赤くしながら直属の上司を見上げている。救いを求めても無駄だと察したのかもしれないし、しかしそれでもこの人相手には言いにくいと思ったのかもしれない。
 そこで俺は彼女にこちらを向かせてやろうと、早速釘を刺し直しておく。
「園田、打ち合わせ通り黙秘権はないからな」
「えっ、それもう始まってるの?」
 彼女はぎょっとしていたが、結局答えらしい答えは口にできなかったようだ。しばらく一人でまごまごしていて、それがすごく可愛かった。

 そうこうしているうちに、店内にはハーブティーと思しきいい香りが立ち込めてきた。
 最初に店に入った時に感じたような、甘い果物の香りによく似ていた。
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