Tiny garden

Try,try,try again.(3)

 急いだ方がいいとわかっていた。
 園田に直接話をして、確かめなくてはならない。
 それは小野口課長に待ってもらっているからというのもあるが、俺にとっては見合いの是非以上に彼女の意思が気になっていた。
 結婚したい、なんてことをあの園田が本気で口にするとはどうしても思えない。俺に対して告げた時もほとんど思いつきみたいな軽さだったし、あれからたった二ヶ月で上司に見合いのセッティングを頼むほどの決意ができたとは考えられなかった。例によって酒の席か何かで園田が、軽い気持ちで結婚したいなどと口走ったのを、小野口課長が本気と取った、その程度に違いない。
 そうであればこの件は園田にとっても寝耳に水のはずだ。
 彼女の反応で、事の次第が掴めそうだった。

 彼女と話をするチャンスは数日のうちに訪れた。
 そもそも広報課は人事課のすぐ隣にあり、その地理上、園田がいつ頃終業し挨拶をして退勤するかがおおよそわかるようになっていた。明るくていいと上司からも評される彼女が戸口に立って発する『お先に失礼しまーす』の声は、隣室にいても上手い具合に聞こえてきた。

 俺はその声を聞いてからいくらか間を置いて席を立ち、時間差で人事課を出る。
 ロッカールームへ向かう彼女には階段を上がったところで追い着き、後ろから声をかけた。
「園田」
 以前のように避けられることはなく、彼女は振り向いてすぐ俺に笑いかけてくれた。
「あ、安井さん。お疲れ様です」
 疲れの色が見えない笑顔は仕事の後とは思えないほど朗らかだ。こんな奥さんがいればいい、とは確かに思う。こんな笑顔に出迎えてもらえたら疲れも吹っ飛ぶことだろう。
 そういう妄想に浸りきれず、空しさが募るのが今の状況だった。一度は夢に見かけた未来だからこそ、今は酷く遠いものに感じられる。
 だからこそ急がねばと、俺はすぐさま切り出した。
「お疲れ。今帰りだろ? 疲れてるとこ悪いんだけど、ちょっと話できるか?」
「いいよ。どんな話?」
 園田は迷わずに聞き返してきた。俺の態度からそれなりに大事な用件だと察してくれたようだ。
 しかし大事な用件である為、第三者に聞かれるのは正直困る。
 俺は廊下を見回し、どこかから足音が近づいてくるのを聞いて、場所を移すことにした。そういう可能性も考えて、一応用意をしていたのだ。
「ここじゃちょっと。場所移していいか」
 俺の言葉に、園田が戸惑いながら頷いた。
「うん……」
 それで俺は園田を引き連れ、第三会議室へと足を向けた。

 社内にある会議室のうち、第一、第二はそれなりの設備を整えた立派な部屋だが、第三会議室は空き部屋に寄せ集めの備品でできた、言わば予備の会議室だった。
 普段は第一第二が使用中で埋まっている時にやむを得ず使うような場所だが、逆に言えば予約も下準備もなしに気安く使用できる会議室であり、人事課としてはまだ公にできない個人面談等を行う際によく使用する部屋でもある。半年くらい前、まだルーキーだった営業課の可愛いお嬢さんをここに連れ込んだこともある。あの時の石田は全く愉快だった。
 事前に鍵を借りていた用意周到さを、園田はどう思っただろう。ともかく俺は第三会議室のドアを開け、室内の明かりを次々と点けた。目映い蛍光灯の光が室内に広がり、折り畳めるテーブルの天板やパイプ椅子の背もたれを白く照らした。窓のカーテンは当然のように開けっ放しだったが、いちいち閉める時間も惜しい。
 彼女を室内に招き入れてから、俺は静かにドアを閉めた。

 園田はドアを背にした俺を見て、怪訝そうにしている。心なしか、おどおどしているようにも見える。こうして静かな、邪魔の入らない場所で二人きりになったのが久し振りだったからだろうか。
 それとも俺が持ってきた詳細不明の用件に恐れをなしているのか。
「園田」
 俺が呼びかけると、彼女の奥二重の目がうろたえるように見開かれた。
「な……何?」
 彼女の声がかすれたのを、俺はあえて追及せずに語を継いだ。
「お前、小野口課長にお見合いがしたいって言ったのか?」
 何よりも早く、その真偽の程を知りたかった。
 園田は本当に結婚する気でいるのか。小野口課長に見合いを頼むほど確固たる意思をもって結婚に臨むつもりでいるのか。その辺りをだ。
 彼女は俺の言葉に一層大きく目を瞠った。蛍光灯の光のせいか、いやに白く見える顔つきが驚きに強張る。
「え!? 何で知ってるの?」
 そして張り上げられた声に、俺は逆に驚く。
 まさか本当に言ったのか。いや、園田のことだからそれも軽い気持ちで、思いつきで言った程度に違いない。まさか本気なんてことはあるまい。
 俺は一旦気持ちを落ち着け、まずは彼女の動揺を収めるべく答える。
「俺も、見合いしないかって言われたんだよ。あの人に」
 すると園田は先程よりは控えめに驚きを表情で示し、その後で納得してみせた。
「そうなの? へえ……」

 こっちはもう少しうろたえるなり、愕然とするなりして欲しかったな。俺は仮にも元カレだぞ。ちょっとは気にしろよ。
 ――とも思ったが本題はやはりそこではない。
 園田はぽかんとしているが、ここまで言われて考えないものだろうか。小野口課長は園田の為に見合いを用意しようと動き、そして俺にも見合いの話が同じ小野口課長から持ち込まれている。これだけで、察しのいい人間ならぴんと来そうなものだ。

「お前、俺が何を言いたいか、本当にわかってるんだろうな」
 念の為、俺は彼女に尋ねた。
「わかってるよ、安井さんもお見合いを打診されたんでしょ?」
 彼女が何を当たり前のことを聞くのか、という口調で聞き返してきたので、俺は溜息をつく。
 そして言った。
「察しが悪いな。お前と見合いをしないかって言われたんだよ」
「ふうん……」
 一度はすんなり理解したかに見えたが、次の瞬間、園田は雷に打たれたように身体を震わせた。と同時に、紙みたいに白かった彼女の顔に赤みが差した。
「……え? えええ!?」
 いや、赤みが差したなんてものじゃない。額から顎までかっと真っ赤に染まってしまって、園田はすっとんきょうな声を上げながら一歩後ずさった。
「ななな、何でっ。どういうこと!?」
 意外な反応だった。俺と見合い、と言われて赤面するくらいには意識してくれてるのか。どういう意味合いの意識かは読み切れないが、何の意識もされないよりは遥かにいい。
 それに、彼女がこうも狼狽してくれると俺の方は落ち着いていられるからありがたい。
 俺は彼女の両肩に手を置き、ぽんぽんと叩いて宥めにかかる。
「はいはい、いいから落ち着け。大声出すな」
 久々に触れた彼女の肩は、着ているスーツのせいで感触がわかりにくかったが、記憶に埋もれているのと同じ細さをしていた。二人きりなのをいいことに抱き締めたくなったが、そこはさすがに堪えた。
 俺がどさくさに紛れて肩に触れても何の反応も示さないくらいだ、園田は平静を取り戻せていない。すっかり赤くなった顔と潤んだ目で俺に訴えかけてくる。
「で、でもっ、こんなのうろたえるなっていう方が無理だよ!」
 まごつく園田は結構、可愛い。
「考えてみれば順当なとこだろ。同期入社の売れ残り組だしな」
 俺は跳ね除けられないのをいいことに、彼女の肩に手を置いたまま続けた。
「前々から『結婚しないのか』とは聞かれてたから、そういう話もそのうち来るだろうと思ってた。まさか相手が園田だとは考えもしなかったけどな」

 同期入社の面々のうち、まだ同じ社内で働いている連中は結構な数が結婚済みだ。
 三十前後ともなれば既婚者が未婚者を割合で上回るのもやむを得ないことだろう。
 そして残った未婚者の動向を気にする連中がいるのもまたやむを得ない。それならあぶれた者同士をくっつけてしまおうという発想は安直だが、同期だからこそ話が合うのもまた事実ではある。
 それで俺と園田に見合いを、とお鉢が回ってきたのは運命的と言うべきか。

「も、もちろん断ってくれたよね?」
 落ち着きない様子の園田が恐る恐る尋ねてきた。
 俺は名残りを惜しみながら彼女の肩から手を離し、正直に答える。
「まだだ。園田に確かめてから返事しようと思ってた」
 それで彼女はほっとしたのか、胸を撫で下ろした。
「そっか……。じゃあ断っておいてよ、私も聞かれたらちゃんと言っておくから」
 園田はこの見合い話を断るのが道理だと考えているようだ。
 普通に考えれば当然だろう。俺達が過去にどういう関係にあったかを小野口課長に知られたら面倒なことになる。見合いの席を復縁交渉の場にされては、さすがの小野口課長もいい顔はしないはずだ。
「でも興味ないか?」
 俺は、あえて軽い口調で持ちかける。
「お見合いって俺もしたことないし、いい機会だからしてみたい」
 当たり前だが、お見合い自体に興味があるわけではない。園田が相手でなければこんなことは考えもしなかった。
 園田さえ乗り気なら、さも『これまで八年間ずっとただの同期でした』という体でお見合いの席に着いてもいいと思っている。それで園田がもう少し、俺を意識してくれるようになったらいいのだが――。
「してみたいとかそんな軽い気持ちで受けちゃ駄目だよ! ちゃんと断ろうよ!」
 園田は俺をむっと睨んで諭してくる。
 それをいなすつもりで、俺は笑った。
「園田だって興味はあるだろ? ハーブティーの店でお見合い、しかも小野口課長の奥様が入れるお茶だぞ」

 小野口課長の説明によれば。
 お見合いの舞台は課長の奥様が経営されている喫茶店、噂に聞くハーブティーの店なのだそうだ。いつもそこにお見合いをする男女を招き、ご夫婦でもてなしながら話を進めていくのだと、先日の酒の席で説明を受けた。
 美男美女と名高い小野口夫妻が仲睦まじく営む店、こんな機会でもなければまず自発的に飲みに行くこともないであろうハーブティー、そして未経験のお見合い――どれもが純粋に好奇心をくすぐる存在であることは間違いなかった。

 予想通り、園田の好奇心もあっさりと揺り動かされたようだ。
「……それは確かに、ちょっとだけ興味あるけど……」
 言いにくそうにしながらもぼそぼそと白状したので、俺はチャンスとばかりに畳みかける。
「だろ? 俺も園田となら気負わなくていいし、気楽にお見合いできそうだ」
 だが園田はそこで深呼吸をして、ようやくいつもの調子を取り戻した。
「あのね。私達がお見合いしたら詐欺になっちゃうでしょ」
「詐欺? 随分穏やかじゃない物言いだな」
 小野口課長のご厚意を利用する形になるのは確かだが、そこまで大事ではないだろう。俺は笑ったが、園田は本気のようだ。
「結婚詐欺ならぬ、お見合い詐欺だよ。課長がご厚意で設けてくださる席を冷やかしに行くなんて失礼だよ!」
 妙にむきになって反論してくる園田が面白い。
 俺はそこまで多大な気遣いが必要な相手だとは思ってないが――にこにこと人のよさそうな笑顔の小野口課長ではあるが、先日の飲みの席ではどうも俺を試すようなことを言ってきたり、こちらの内心を見透かしているような態度を取ったりと、食えない人物であるようにも思える。
 小野口課長からすれば園田は一本釣りで広報に引っ張ってきた肝煎りの部下、いい加減な男を掴ませたくないというのはわからなくもない。しかし小野口課長も趣味の仲人ができるというメリットがあるのだし、こちらにそこまでの気兼ねが必要だろうか。
「小野口課長も趣味みたいなもんで、絶対楽しんでやってるって。あの人、仲人やるのが大好きらしいからな」
 そう告げると園田も思うところがあったのか、あえて否定はしてこなかった。
 ただ俺に対しては頑として言い張った。
「私はお見合いなんてしないからね。安井さん、行ってみたいなら他の人にしてって課長に頼んでよ」
 他の人では意味がない。
 園田とだからこそする意味があるのに、彼女は乗り気ではないらしい。
 このお見合いを利用する選択肢はなくなりそうだ。そこまで期待を寄せていたわけではないが、いささか落胆はした。
「そうか。なら仕方ないな、俺も断ろう」
 俺は肩を竦めた。
 それで園田は奇妙そうに俺を見上げてきたが、特に何も言ってはこなかった。
 こうなると俺が気になるのはやはり彼女の意思、そして事の次第だ。見合いの話が一段落したところで、俺はそれを確かめようと切り出した。
「園田は、他の奴とならお見合いするのか?」
 俺の問いに、彼女はくたびれた様子で首を振る。
「しない。と言うか私、聞かれた時に一応断ったんだよ」
 それは妙だ。
 小野口課長はそんなこと、一言も言っていなかった。
 俺は内心眉を顰めつつ、更に園田に聞いてみる。
「小野口課長は、お前が結婚したがってるって言ってたけど」
「それは言ったけど。お見合いはまだいいです、早いですって言ったつもりだったのに」
 園田は首を傾げていた。

 話が食い違っているというよりは、誤解があったということだろうか。
 もしかすれば園田の意思なんて関係なく、見合いの話を用意したがっているだけかもしれない。だとすると小野口課長には釘を刺しておく必要がありそうだ。
 何にせよ、心底ほっとした。園田が自分から見合いをしたいと言い出したわけではなかったようだ。そうだろうとは思っていたが、本人の口からはっきり否定されたことで安心できた。

「俺も話が来た時は驚いたよ。園田が見合いしたがってるって言うから」
 そう言ってから、ふと思い出して俺は言い添える。
「けどお前、まだ『優しい人がタイプ』って言ってるんだな」
 先日の酒の席で、小野口課長が酔いに任せてか、ふと呟いていたのだ。
 ――園田さんは何より優しい男がいいって言うんだよ。だからこそ、君なんかどうかと思ってね。
 その呟きは俺の耳には非常に痛かった。かつて園田は俺のことを優しい人だと称していた。俺自身は優しさとはかけ離れた身勝手な男だったが、彼女がそう望むならと俺らしくもない優しさを多分に発揮して彼女にできるだけのことをした。つもりだった。
 だがその優しさは無意味だった。
 むしろ、俺から彼女が離れていく要因にしかならなかった。
「おかしい? 誰だって優しい人の方がいいじゃない。暴力振るう人なんてやだよ」
 園田は唇を尖らせて反論する。
 今の物言い、俺に言ったことなんて忘れてしまったみたいだ。
 俺は暴力なんて振るったこともない。ただ、優しさの扱い方を間違えた。それでお互いに結構傷ついたはずだったが、園田は覚えていないのだろうか。
「お前には合わないよ。優しい人ってだけじゃ無理だ」
 俺がそう告げると、園田は腑に落ちない様子で聞き返してきた。
「……どういう意味?」
 あいにく一言では答えられない。
 答えない代わりに、俺はわずかな間黙って彼女を見つめた。

 俺以外の、お前が理想に思うような『優しい男』を探しに行くなよという意味でもあるし、俺はもうお前に優しくするつもりなんてない、という意味でもある。
 あの日の俺は、それが優しさだと思って彼女の手を離した。もう二度と同じ過ちを繰り返してはならない。
 だが、俺はその手をもう一度掴めるだろうか。

 こうして二人きりでいても、どさくさに紛れて肩には触れられても、彼女の手には触れられない。今ここで手を握って拒絶されたらと思うと、踏み込めなかった。
 それに、ここは会議室だ。そういうことはもっと、プライベートな時間にすべきだ。
「ところで園田、連休中は暇か?」
 俺は園田に尋ね、少し疲れた顔をした園田はすぐさま顎を引く。
「え? ああ、うん、一日くらいなら空いてると思う」
「じゃあそのまま空けといて。約束通り、飲みに行こう。また連絡する」
 そこで会話を打ち切るように、俺は会議室のドアを開けた。
 園田はタイミングを逸したのか返事をしなかったが、彼女なら駄目な時はきっぱりそう言うはずだ。だから心配は要らない。
 見合いが駄目なら地道にやるまで、俺は連休中の約束に期待をかけることにした。

 ただその前に、小野口課長には正式に断りを入れなくてはならなかったが。
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