Tiny garden

写真には収めきれない (2)

 園田の姿をちゃんと目にすることができたのは、披露宴が始まってからだった。
 チャペルでの式の間も彼女がいるのは見かけていた。短い髪を編み込んで後ろでまとめているのが新鮮だった。だがチャペル内では皆が着席していたから彼女がどんな盛装をしてきたかは見えなかった上、落ち着きなくきょろきょろしていい空気でもなかった。俺も結婚式の間は行儀よく振る舞い、後輩とその奥さんの晴れ姿を見届けた。白いドレスをまとった今日の花嫁は文句のつけようもないほど美しかったし、隣に立つ花婿もそれに見劣りしない堂々たる姿だった。
 結婚式において最も美しいのは花嫁と、どんな式でも相場が決まっているものだ。だが花嫁と比肩するほどではなくとも、パーティ用の装いはなかなか華やかで見応えがある。披露宴で古巣である営業課の面々と同じテーブルを囲んだ俺は、着飾った女性客をさりげなくチェックしていた。
 もちろん一番の目当てが彼女であったのは言うまでもない。

 彼女の姿を見つけた時、俺は驚きのあまり息を呑んだ。
 あまりにきれいだったから――というのは半分本当で、半分誤りだ。
 正確には、あまりにきれいでしかも見慣れない髪型と装いをしていたから、最初に視線が留まった時、すぐに彼女だとわからなかったのだ。
 チャペルでも見かけていたハーフアップの髪型に、短い丈の黒いボレロと膝上の長さのベージュのドレス。胸元から腰にかけてはぴったりと張りつくようなデザインで、腰の細さがこの距離からでもわかる。そこから下はスカートがふわりと広がっており、裾から伸びた引き締まった脚には確かに見覚えがあった。一端のモデルみたいにスタイルも、姿勢もいい。遠目からは彼女が園田であることに、恥ずかしながら自信が持てなかった。
 披露宴の食事はいわゆる着席ビュッフェ形式で、めいめいが自由に席を立って食事を取りに行きがてら歓談を楽しめるようになっていた。
 園田も皿を手に取り、同僚の女の子達とお喋りをしながら料理を選んでいる。ふとした時に見せる気取りのない笑顔は確かに彼女のものだったが、服装だけでこうも変わるのか。もっと近くで見てみたくなる。

 俺がそっと溜息をつくと、
「やっぱり、すごくきれいですよね」
 いきなり隣の席で、小坂さんが同意の言葉を発した。
 ぎょっとしてそちらへ視線を向ければ、小坂さんがうっとりとどこかへ視線を送っている。それがちょうど俺の見ていた方向と同じだったから一層ぎくりとした。
 この子に園田の話をした覚えはないし、石田経由だとしても知っているはずがない。まさか女の勘というやつだろうか。焦る俺をよそに、小坂さんは至ってマイペースに言った。
「花嫁さんって夢のように美しいなって思います。見惚れちゃいますよね」
「……あ、ああ。そうだな」
 どうやら小坂さんは俺の視線の先をビュッフェテーブルではなく、その奥にある高砂席だと思ったらしい。これ幸いと肯定しておく。
 高砂には赤いカクテルドレスに着替えた新婦がおり、隣にはフロックコート姿の新郎がいた。二人の元にはご親戚と思しき方々が代わる代わる声をかけに向かっており、それを夫婦揃ってにこやかに受け答えしている様子が見て取れた。更にその傍らにはデジカムを構えた石田がいる。本職と見紛う堂に入った構えっぷりだが、一段落つくまで食事も取れないのは少々大変そうだ。
「新郎新婦にご挨拶に行くの、後にした方がよさそうですね」
 小坂さんが高砂席の盛況ぶりを見て呟く。
 式の前には霧島夫妻と軽く話をしたが、さすがに今は声をかけに行く空気でもない。以前園田とも話していた通り、今回参列した霧島夫妻のご親戚も友人一同も遠方からはるばる訪ねてきているそうで、会社の同僚その他、ともかく会おうと思えばいつでも会える面々を優先することもないだろう。
「ああ、挨拶の機会はまずご親戚やご友人に譲るのがマナーだ。俺達は後回しでも仕方ない」
 俺は肩を竦めた。
「もっとも、披露宴の時間はたっぷりあるからな。心配しなくてもあとでちゃんと話ができるよ」
「わかりました。勉強になりますっ」
 小坂さんが素直に返事をしてくれたので、俺は笑ってから、大急ぎで自分の皿を空にした。そして席を立ちながら彼女に告げる。
「それより、今のうちにごちそうをいただいた方がいい。ここの料理はなかなかだよ」
「そうですね。安井課長はもうお替わりですか?」
「ああ。思ったより空腹だったみたいだ」
 慌しく答えた後、俺は早足気味にテーブルを離れた。
 無論、そこまで腹が減っていたわけではない。急がないと園田がビュッフェテーブルから離れてしまう。さすがに秘書課の面々と同席している彼女のところへ訪ねていくのは人目を引くし、まずい。

 幸いにも園田はまだビュッフェテーブルの傍にいて、熱心に料理を選んでいた。
 ざっと見たところ彼女好みの豆腐料理があるようではなかったが――むしろ、だから時間がかかっているのかもしれない。何を食べようか迷い、料理をじっくりと眺めてはその見た目から味つけを想像しようとしているみたいだった。スタイルのいい人形みたいに着飾っていても園田は園田だ。声をかけるのに気後れすることもない。
 とは言え、あちらこちらで歓談の花咲くビュッフェテーブル周辺にて、彼女めがけて近づいていく俺は自分でも呆れるほど緊張していた。
 いい歳して、美しく着飾った元カノに目が眩んでどうにもならなくなっているとは全く情けないことだ。いくら見慣れない、新鮮な姿とは言え、もう少し冷静な判断力を持たなければ別の意味でまずい。今夜はこの後、二人で飲む約束をしているから、是非とも冷静になっておかなければ――。

 園田の後ろ姿を目の前に捉えた。
 後頭部で緩くまとめた髪はつやつやとした光沢があり、柔らかそうで触ってみたくなる。髪を掬って後ろへ持ってきているからか、小さな可愛い耳が露わになっていた。耳たぶがほんのりと赤くなっているのは乾杯の酒のせいか、会場を包む熱気のせいか、見ただけではわからない。
 俺は深呼吸をして、それから、一言めはあえて素っ気なく告げた。
「遠目に見たら誰かわからなかった」
 すぐに園田が振り向いた。
 俺を見て驚くこともなく、怪しむような目つきで聞き返してきた。
「それは、いい意味でってことだよね?」
 当然その通りだが、むきになったように勘繰る園田が可愛くて、俺はまず笑ってしまった。
 誉めるつもりがないわけではなかった。ただいきなりべた誉めすると彼女も反応しづらいだろうし、最初は軽く弄るところから入ってみた。園田が拗ねてみせたら反応は上々、これで思う存分誉められる。
「当たり前だろ。そのドレス、すごくよく似合ってる」
 俺は園田の隣に並び、まずその全身を眺める為に視線を上下させた。
 身長差があるからか、隣に立って見下ろせば彼女のきれいな鎖骨がまず目に入る。胸元はぴったりしたドレスで覆われ、肩口もボレロを着ているせいで見えなかったが、くっきりと浮かび上がった華奢な鎖骨だけはよく見えていた。会場の強い照明が彼女のなめらかな肌を白く、目映く照らしている。
 そこから視線を下ろせば、細い腰から丸く広がったスカートと、更にその下のきれいな脚がちらりと見えた。
「それに髪型も可愛いな」
 一番近くで見てみたかったのは、その髪型かもしれない。
 ずっと髪の短い園田が、髪型をアレンジしていることはあまりない。それこそ結婚式でもない限りはこんなふうに手をかけたりしない。彼女の髪はそのままでもさらさらできれいだからかもしれないが、こうしてまとめているのも何だかいい。小さな耳が覗いて、頭の形がよくわかる。
 いつだったか、園田が俺の頭の形を誉めてくれていたが――確かにこんなもの、じっくり見る機会でもない限りはわからないものだ。
 そして園田も、頭の形はとてもきれいだ。
「ありがとう。でも結構大変なんだよ、これまとめるの」
 園田は自分の髪にそっと触れながら答えた後、視線を俺の肩越しにどこかへ向けた。
「本日の花嫁さんみたいに、前々から伸ばしとけばよかったかなって思うくらい」
 彼女が見ていたのは高砂だった。
 真っ赤なカクテルドレスをまとった新婦が髪を伸ばしていたという話は初耳だった。チャペルの式だから髪を結う必要があってというわけではないようだが、長い髪の方がドレスが似合う、ということなのだろうか。確かに長い髪を高く結い上げた花嫁は気品があって、よりきれいに見えた。
「やっぱりきれいだよね、花嫁さん」
 園田がそんな花嫁に羨望の眼差しを送っている。
「元々きれいな人だけど、ドレスだとお姫様みたいに素敵だよ」
 ちょうどさっき、小坂さんが向けていたのと同じ目をしている。何だかんだでどんな女性達も、多かれ少なかれ花嫁に憧れるものなのかもしれない。
「そりゃ今日の主役だからな。髪を伸ばしてたとは知らなかったけど」
 俺は相槌を打ち、それから件の花嫁と園田を見比べるようにして提案をする。
「園田も一度伸ばしてみればいいのに。見てみたい」
 付き合っていた頃から思っていた。園田は自転車乗る時に邪魔だから、汗をかくと鬱陶しいからといった理由で伸ばすのを億劫がっていたが、彼女の髪は手触りがよく上質な刷毛のようにさらさらしている。俺は彼女の髪を撫でるのが好きだったから、もし園田が髪を伸ばしていたらもっと撫でるのが楽しかろうと思っていたのだ。
 今となっては撫でるどころか、触れることすらできない間柄になってしまったが。
 触ってみたかったな、今日の髪。
「気が向いたらそうするかも。でも短い方が楽なんだよね」
 園田は軽く首を竦めた。
 それから顔を上げて、俺を真っ直ぐに見る。
 何気ない視線ではあったが、そうやって見上げられるだけで胸がざわついた。俺がどきっとしたのには気づかず、彼女は俺の全身を軽く確かめるように見てから、どこか冷やかすように微笑んだ。
「安井さんも今日の格好、決まってるよ。すっかり課長さんが板についてきたみたい」
 カラフルに華やかに着飾れる女性陣とは違い、男のフォーマルな装いなんて色も形もたかが知れている。俺も無難なブラックスーツに白いネクタイという、文句のつけようもないが目新しさもないいでたちをしていた。園田が誉めてくれて嬉しくないなんて罰当たりなことを言うつもりはないものの、もうちょっとこう、もう一声誉めてみてほしかった。
 それに『課長が板についてきた』というのも、三十なりたての俺にはいささか複雑な言葉だ。
「貫禄が出てきたとか言うなよ。俺はまだ落ち着きたくない」
 俺は率直に訴えた。
 別の部署の課長クラスの人々と比較しても、人事課長の俺は明らかに若い方だった。仕事においては若ければいいというわけではなく、社員の相談事や不満解消、トラブル解決まで請け負う人事においては足を引っ張ることもままあるのだが、一方で俺自身はその若さをステータスにもしていた。何だかんだで誇り、自慢に思っていたわけだ。
 だがそんな俺もとうとう三十、世間的にはおっさんの域である。認めたくないが。気持ちだけはまだまだ二十代なのだが。
「もう落ち着いてもいいんじゃないの? 年齢的に」
 園田はためらいもなく、俺に自覚と落ち着きを促してきた。ちょっとへこんだ。
「……めでたい日に喧嘩を売ってくるなよ、園田」
 笑い飛ばそうと思ったが、自然と乾いた笑いになる。

 これが同じ同期でも石田辺りの言葉なら、お前も三十だろと突っ込むことができた。
 だが同期でも園田は俺達より二つも下で、まだ二十八になったばかりだった。三十歳になる憂鬱などわかるまい。いや、思いつきさえしまい。
 とは言え俺としても三十になった園田など想像もつかない。入社当時から今に至るまで、髪型も含めてあまり変わったところの見受けられない彼女だ。二年後もあまり変わらず、三十になったことをいちいち気にしたりもせず、あっけらかんと笑っているのかもしれない。
 その頃は俺も三十二か。一体、何をしているだろう。
 今よりも前に、進めているだろうか。

 俺が鬱屈としたものを抱え込んでいると、園田が思い出したように口を開く。
「そういえばこれから、歌を歌うんだよね」 
「ああ」
 結婚式と言うと余興を任されるのがいつものことだった。
 歌にはいくらか自信があったがそれは趣味と言うより、両親の英才教育の賜物だった。音楽愛好家の両親は三人の息子達が幼い頃からレコードを聴かせては歌を歌わせ、将来は誰か一人でも音楽の道を、などと夢を見ていたらしい。
 だが両親の趣味は狭く、クラシックにジャズと古きよきものしか認めない傾向があり、俺達兄弟は揃ってその趣味に反旗を翻した。お蔭で俺はメロコアを好んで聴くようになったし、弟なんてアイドルオタクである。何事も強いすぎてはならないといういい例だ。
 何にせよ、人前で歌えるくらいには歌唱力がついた。可愛い女の子に聴かせてうっとりされるのも悪いものではない。
「今回は何歌うの?」
 園田が尋ねてくれたので、俺は即答した。
「ユア・ソング」
 途端に彼女は目を輝かせて言った。
「エルトン・ジョン? へえ、好きな曲だよ」
 好感触の反応に、こちらのテンションもぐんと跳ね上がる。
「じゃあ頑張るよ。園田にも聴いてもらえるように」
「任せて。ばっちり聴いとくよ」
 園田が屈託なく笑いかけてくれたので、現金なものだが俺も余興に懸ける情熱が湧き上がる。
 いやもちろん、一番の目的は新郎新婦の為だ。超生意気だが可愛い後輩とその美しき奥方の為に手を抜くつもりなど微塵もない。
 だがやはり、可愛い子に言われるとやる気も違ってくるというものだ。
 それもいつもと違う、特別な装いの彼女なら尚のことだった。
「頼むよ」
 俺が念を押すと、彼女はもう一度笑って頷き、それから目当ての料理を見つけたようで俺の傍から離れていく。

 その後ろ姿を目で追いつつ、俺も今更のように料理を見繕い、皿の上に盛りつけた。
 ただし少しだけだ。これから歌を歌うのに、満腹になっていては差し障る。
 それに、全く現金かつ単純なことだが、腹の代わりに胸がいっぱいになってしまった。
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