Tiny garden

写真には収めきれない (1)

 約三年ぶりに、園田にメールを送った。
 結婚式の後に二人で飲むことについて、連絡を取り合う必要があった。
 式当日は細かくタイムスケジュールが決まっているから悠長に話していられるとは思えない。俺は披露宴で余興として歌を披露することが決まっていたし、撮影係の石田と共に早めに式場入りして、必要とあらば式前の新郎を揉んでやる必要もある。彼女と打ち合わせをする暇もないかもしれない。
 何より、園田とと二人で飲みに行くことをまだ誰にも知られたくなかった。
 付き合っていた当時ならともかく、今更噂になると厄介だ。人目を気にする園田にまた逃げられる可能性だってあるだろう。事は慎重に進めなくてはならない。

 連絡先を教えてくれと園田に頼む時、俺は内心緊張していた。
 飲みに行く約束をした後の何日間か、それを彼女に頼む機会をじりじりと窺っていた。ちょうど数日後、退勤して着替えを済ませた彼女が帰ろうとする瞬間に行き会うことができたので、俺は彼女を捕まえて素早くまくし立てた。
「そういえば、連絡先を教えてもらっていいかな。例の件で連絡を取りたいから」
 空々しい俺の態度とは裏腹に、園田はきょとんとしてから造作もなく答えた。
「連絡先? 昔と変わってないよ。あ、もしかして消しちゃった?」
「……いや、消してないけど。変わってない? 本当に?」
 予想外の返事に俺は、一瞬声が出なくなるほど驚いた。
「うん、全然。学生時代からずっと同じだし」
 園田の電話番号やメールアドレスは携帯電話に残っていた。
 もともとは同期としても連絡を取り合う仲だったから、というのも結局は口実で、単に消せなかっただけというのが正しい。それでいて別れてからは一度もメールを送れなかった。彼女が俺のメールを拒否していたら、俺の知らないところでメールアドレスを変更していたら、立ち直れない気がしたからだ。
 だが園田は何も変えていないと言うし、俺からの連絡を拒否していた様子もなかった。
「安井さんは変えたの? もしかして」
 逆に尋ねられて、俺はかぶりを振る。
「俺も変えてないよ。俺の番号は覚えてる?」
「覚えてるって言うか、登録した時のままだよ。まだ残ってる」
 彼女の答え方はあっさりしたもので、まるで何のわだかまりも持っていないみたいだった。
 連絡先を尋ねた時、彼女が俺の電話番号その他を消してしまっている可能性もあると覚悟していた。別れた直後の園田はそうしていてもおかしくないほどきっぱりと俺を拒絶していたからだ。それが俺の連絡先を残してくれていた、自身の連絡先も変わっていなかったと言うから拍子抜けだった。
「何だ。てっきり全部変えてるのかと思ってた」
 素直な気持ちを口にしたら、無性に笑えてきた。
 あの鬱屈とした思いを抱え続けた日々は何だったのか。もしも勇気を出してメールを送っていれば、彼女は返事をくれたかもしれなかった。踏み切れなかった自分自身の情けなさに呆れつつ、園田の変わらない彼女らしさにほっとしていた。
「だったら一度、試しにメールでもしてみればよかったな」
 俺が冗談っぽく呟くと、園田は黙って声を立てずに笑った。どう答えるか迷っている表情に見えたが、実際何を考えていたのかはわからなかった。
 それから声を潜めて尋ねてきた。
「お店探し、安井さんに任せちゃっていいの?」
「いいよ、そのくらいは任せてくれ。何か注文があれば今のうちに言っといて」
「特にないよ。披露宴でご馳走食べるから、お酒だけ飲めたらそれで」
 園田は頷くと、じゃあ任せたね、よろしくねと言い残して帰っていった。

 かくして俺は再び彼女との繋がりを得た。
 だが初めのうちは必要最低限の連絡に留めておいた。調子に乗って昔みたいに毎日メールができる身分でないことは自覚していたし、彼女とのやり取りが久し振りすぎて、まだ距離感を掴みかねているところもあった。
 ただ、だからこそ今度の約束では失敗できない。そう思い、入念な下調べをして店を選んだ。あまり騒がしくなく雰囲気の落ち着いた、小さな店がいいと思った。
 式場近くで探すと社内の連中と鉢合わせる可能性があるから、あえて式場から離れた駅前近くで店を選んだ。各々がタクシーで駅前まで戻り、現地集合で落ち合うという計画だ。園田には手間をかけさせて申し訳ないが、彼女も人目は気になるのか、俺が立てた計画に異を唱えることはなかった。快く了承してくれた。
 現金なもので、俺はすっかり結婚式当日が楽しみになっていた。
 俺には生涯を共に歩んでくれるきれいな花嫁も、感傷的な夜を共に過ごしてくれる可愛い彼女もいないが、少なくとも一人きりの孤独な夜を過ごす心配はない。ましてその孤独を埋めてくれるのが園田なら、他に言うこともない。

 はっきりとした予感があるわけではないが、何かが変わりそうな気はしていた。
 少なくとも、これまで無為に過ごしてきた三年間に、彼女と二人で過ごす時間によって一つの区切りがつけられそうだと思っていた。
 その区切りがどういうものになるかはまだわからない。純粋に思い出を振り返って過去を懐かしむことになるか、過去はあえて掘り返さずに今現在の話に終始することになるか。昔のように話が弾むと過信するのもよくないだろうが、園田となら何だかんだで楽しく過ごせるはずだった。
 そして二人で楽しい酒を飲んだ後、俺達に訪れる変化はどんなものだろう。
 俺は一人密かに浮かれていた。

 迎えた結婚式当日はうっすらとした雲が広がる曇り空だった。
 俺が石田、そして小坂さんとタクシーに乗り合わせて会場入りした時、日没前の空からはちらちらと細かな雪が降り始めていた。式場はゴシック様式のチャペルを併設した石造りの建物で、雪がちらつく中で見るのはなかなか雰囲気がいいものだった。
「ロマンチックですね」
 式場前で足を止めた小坂さんが、雪の中のチャペルを見上げてうっとりしている。
 長い髪を華やかに結い上げた彼女は今日の為におめかしをしてきたとのことだが、残念ながらそのドレス姿は冬物のコートの下にある。それでも、普段よりくっきりした色合いの口紅が、今日が晴れの日であることを如実に物語っていた。
 確かに女の子はこういうわかりやすいシチュエーションが好きそうだ。イベント事がある日に、示し合わせたように雪が降ってきたら素直に喜ぶんだろう。まるで神様が雪を降らせてくれたみたい、なんて言ったりして。男にはそういうロマンに多少なりとも付き合ってやる度量が求められる。
「結婚式場だからな」
 もっとも、石田は小坂さんの前でもさして取り繕ったりしない。それは後輩のめでたい門出の日だろうと、仕立てのいいフォーマルスーツを着込んでいようと全く変わることはない。小坂さんに対してものすごく率直な一言を返している。
 傍で聞いていた俺が、相槌にしてももっと言いようがあるだろと思っていたら、小坂さんは実に素直に頷いていた。
「ですよね、結婚式場ですもんね」
「だろ」
 二人で顔を見合わせ頷き合っている。
 第三者からすれば何を納得しているのか全くわからないのだが、これで通じ合っているようなのだから不思議だ。石田は大体飾り気のないストレートな物言いしかしないし、小坂さんはそれを含蓄のある深い言葉のように受け取って、奴への尊敬の念を募らせている。ちぐはぐなようで実に上手く噛み合っているこの二人を、俺は時々羨ましく思う。

 独り身の俺はせいぜい想像の世界に逃げ込むしかない。
 ここに園田がいたらどうだっただろう、そんなことを考える。
 普段こそ雪が降ると残念がる園田も、こういう状況では同じように景色に見とれて、ロマンチックだと思うかもしれない。彼女はそういう感想を自ら口にする方ではなかったが、雰囲気に弱い傾向はあった。いいムードになるとその空気に呑まれて、目に見えて緊張するのが可愛かったな。

 俺は何気なく敷地内を見回した。
 石田が撮影係を請け負ったので少し早めに来た都合上、他の参列者はまだちらほらとしか見当たらなかった。もちろん求めていた姿もここにはまだない――来るとわかっているのだからあえて今から探すこともないか。
 園田はどんな格好をしてくるのだろう。彼女とは同期の結婚式などで同席したことがあるが、惜しいことに、あるいは愚かなことに、どんな服装をしていたか何も覚えていなかった。当時は異性として意識すらしていなかったからだ。女性は結婚式の度にドレスを新調しなければならないから大変だ、と零していたことだけは覚えている。園田にはお姉さんがいたから、お下がりを貰い受けることもよくあったらしい。
 今夜、盛装した彼女と顔を合わせるのが楽しみだった。ある意味、こういうフォーマルな場で初めて意識して彼女を見ることになるのだ。じっくりと目に焼きつけておかなければならない。
 彼女を飲みに誘った時は『下心はない』と言ったし、今でもその言葉は真実で、まだ嘘にはなっていないと思っている。だが一方で、かつては親密に付き合っていた相手を異性として意識せずに見るのもまた無理な話だ。着飾ってくる園田を楽しみにしている心理には、そういうある種複雑で、ある意味大変に単純な男心が深く影響していた。

 外観ばかり眺めていても仕方がないので、俺達は式場の中に立ち入った。
 入り口にはウェルカムボードが飾られていた。結婚式ではよくある飾り物で、木製の枠の中に参列者への歓迎のメッセージと新郎新婦の名前が記されている。木枠は左上と右下の隅に白薔薇が飾られていて、同じく木製のイーゼルの上に置かれていた。
 職場でも親戚でも学生時代の友人のでも、とにかく結婚式には何度も出席してきたし、こういったウェルカムボードも随分たくさん見てきたはずだった。だが改めて新郎新婦の名を、麗しい飾り文字で記された『Akira&Yukino』の名の並びを目の当たりにすると、本当にあの二人が結婚するんだなという今更な実感が込み上げてくる。
 あの真面目なカップルが無責任な付き合いを続けていくと思っていたわけではないが、有体に言えば、時の流れの速さを感じてしまったというところだ。俺も三十になるわけだと思う。俺が足踏みを続けている間にも時は容赦なく流れて、俺以外の誰もが立ち止まらずに進んでいく。俺もそろそろ前に進まなくてはならないだろう。どこへ着地するかはまだ見えないものの。
 感慨に耽りたくなったのは俺だけではないようで、石田も小坂さんも足を止め、しばしそれに見入っていた。二人の表情は対照的で、石田が居心地悪そうに照れ笑いを浮かべている横では小坂さんがまたしても素直にうっとり見入っていた。恐らく石田もこのウェルカムボードのお蔭で霧島が結婚するという事実に実感が持てたというところだろう。付き合いの長い後輩の結婚をこそばゆく思っているのかもしれない。
 俺が石田に視線を向けていたからか、石田もそれに気づいてこちらを見、そしてぼやいた。
「ここからして幸せ一杯な感じだな」
 ここにいない人間を冷やかすような口調だった。
 当然、俺も追随した。 
「早くも当てられた気分になるな」
 そもそも結婚式なんて幸せいっぱいの新しい夫婦をあえて眺めに行くイベントだ。出席となった時点で当てられる覚悟はしておかなければならないし、その上で祝福だってしてやらなければいけない。先を越された妬み僻みもなくはないが、今日くらいはあの生意気な後輩を心から祝ってやるべきだろう。

 だから俺と石田は写真を撮った。
 今日の記念に、飾られたウェルカムボードを撮影しておいた。カメラに関心のない俺は、写真を撮る時は携帯電話で済ます。昨今の携帯電話はカメラ機能もそれなりに優秀だったし、仕事とプライベートで、例えば何か記録を残すために撮影する程度ならこれで十分だった。
 しかし石田は自前のデジタル一眼レフを持参していた。奴のカメラにかける情熱は俺みたいな一般人からすると訳がわからないほどで、携帯電話を機種変更する時でさえ内蔵カメラの性能を気にして画素数がどうの、解像度がどうのと熱く語ってみせる。俺からすれば写して後から見られたらそれでいいくらいなのだが、そう言うと石田は哀れむような目を俺に向けてくるのだった。
 撮れるならよりきれいで鮮明な写真を撮る方がいいじゃないか、というのが奴の言い分だ。そのくせ自分の彼女の写真は撮ろうとしないところが謎だった。

 ちょうど石田がウェルカムボードの撮影を終えたので、俺は奴にそっと囁いた。
「ついでに彼女も撮っとけば? 今、シャッターチャンスだろ」
 目線で示してやった先、小坂さんが携帯電話を手にしている。彼女もウェルカムボードを撮影しようとしているのだが、両手で携帯電話を構えて中腰になっている、その妙に真剣な横顔がおかしかった。まるでこれを上手く写真に収めねば今日は来た意味がないと意気込んですらいるように見えた。
 すると石田は鼻を鳴らして言い返してきた。
「やめとく。俺の腕じゃ藍子の可愛さは写真に収めきれないからな」
 謙遜かとも思ったが、同じ言葉は以前にも聞いたことがあった。今とは違う相手の時、同じことを言っていた。だから、というわけではないがその言葉は真実に近いのかもしれないと思う。
「試してみればいいだろ。お前くらいの腕があれば、案外収められるかもしれない」
 俺は石田を唆した。
 だが奴はわかりきったことのように首を横に振るだけだ。
「もう撮ったことがあるからわかるんだよ。写真の中に収まるのは所詮一瞬だけだ」
 そして己の無力さを痛感するように肩を竦めてみせる。
「ほんの一瞬がそれより長い時間に太刀打ちできると思うか? 俺は一瞬よりもなるべく長い時間、ちょこまか忙しなく動いていろんな顔をする藍子を見てる方がいい」
「惚気か」
 石田の存外真面目な物言いに目眩がしたが、実のところ納得できる意見でもあった。
 俺は写真を持っている。思い出の一瞬を閉じ込めた大切な写真だ。あれをまともに見返すことが出来るようになったのもつい最近の話だった。
 園田は見た目だけなら当時とほとんど変わっていない。だがあれから、写真に閉じ込めた一瞬よりも遥かに膨大な時間が流れてしまった。俺はその間の彼女の何もかもを見てこられたわけではない。もう付き合っていないのだから当然だが、そのことを少し切なく思う。
「一瞬以上を撮るなら、これじゃないとな」
 そう言って、石田は今日の撮影に使うデジカムのケースを鞄から覗かせる。
「可愛い子を撮るなら静止画じゃなく動画しかないってことか」
「そういうことだな。写真なんて後で一人で見ても寂しいだけだろ」
 全くだ。
 石田の真実を突くような言葉に、俺は苦笑するしかなかった。
「後で見ても寂しくならない、可愛い子の写真が撮れたらいいのにな」
 それは別に願望というほどのものでもなかったが、石田がたちまち勘繰る目を向けてくる。
「何だ、安井。誰か撮りたい『可愛い子』でもいるのか?」
「いないよ。まだ探してるとこ」
 俺はさらりと答えた。

 実際、俺は探していた。
 式場に入る前も入ってからも、石田と小坂さんに『新郎の様子を見てくる』と口実まで告げて、少しの間彼女を探してしまった。
 だが同僚達と相乗りで来ると言っていた園田の姿はなかなか見つからず、こちらも霧島夫妻に挨拶をしたり、余興の打ち合わせをしたりと慌しく、俺は結婚式が始まるまでじりじりと待たなければならなかった。
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