Tiny garden

夜のボーイズトーク(1)

 十一月最初の週末、俺は伊都と共にまたブライダルショップを訪ねていた。

 今回は俺の衣裳合わせということで、二人で新郎が着るタキシードを見て回った。
 来る前は、タキシードなんてドレスに比べて型がかっちり決まっているものだし、迷うとしたらせいぜい色の違いだけだろうと高をくくっていた。ところが店に来てみれば、タキシード一つとっても案外と種類豊富ですっかり目移りさせられた。
「近年は上下でお色を変えるご新郎様も多いんですよ」
 とは、いつもにこやかなスタイリストさんのお言葉だ。
「あるいはジャケットの下のベストをカラフルなものにしてみたり、ネクタイのお色をご新婦様のブーケのお色と合わせてみたり……そういうコーディネイトも人気なんです」
 俺は白いタキシードの上下を着るつもりで、ある程度覚悟を決めていた。
 覚悟を決めなくてはいけないくらいには、白タキシードは俺にとってハードルの高い代物だった。何だかいかにもという感じがするし、白タキシードが似合う男はそうそういないものだからだ。
 だが結婚式で最も美しい花嫁の隣に立つこと、そして招待客のうち男性は大抵がスーツであることを想定すると、その他大勢として埋もれない為にも白を着た方がいいというのは一理ある。そこで白一色ではなく差し色を効かせるなら、ハードルは多少低くなる。
 何より、
「ブーケの色と合わせるのってお揃いっぽくて素敵じゃない?」
 伊都が楽しそうに食いついてきたので腹が決まった。

 ブーケについては、プランナーさんと相談してデザイン画を起こしたところだ。
 ドレスがアイボリーなので、ブーケには華やかな色を使ってもいいと言われた。俺と伊都の好きな色はオレンジと決まっていたから、結婚式の季節に合わせてオレンジ色の春の花を探した。
 そこで行き当たったのがラナンキュラスだった。
 花弁がバラみたいに重なりあった、ころんと丸いなきれいな花だ。ブーケ素材としても人気があるらしく、様々な色があるがそのどれもが発色がいいのも特徴らしい。オレンジ色にしてもジュースみたいな鮮やかなオレンジもあれば、橙色に近いものも、柔らかいピーチオレンジのものもある。
 プランナーさんとも話し合い、オレンジや黄色、白のラナンキュラスでラウンドブーケを作ってもらうことにした。式を挙げるのは春だから、生花でも問題なく作れると言われた。
 実物を見るのは当日までお預けだ。だがデザイン画を見ただけでも十分期待できる出来映えだったし、伊都も可愛い可愛いと大喜びだった。そんな伊都もめちゃくちゃ可愛かった。

 俺は携帯電話で撮影しておいたブーケのデザイン画を参考に、近い色合いの品を探した。
 伊都も一生懸命に探してくれて、結果、彼女の方が先に目当てのものを見つけてきた。
「巡くん、こんな感じの色じゃなかった?」
 丈が長めの白タキシード上下に、オレンジ色のベストとネクタイという組み合わせだ。このオレンジが春らしいパステルオレンジだったので、俺はちょっとおののいた。
「こんな可愛い色だったか?」
「そうだよ、ほら」
 俺が手にした携帯電話の画面を指差し、伊都は確信したように微笑む。
 その中には確かに、パステルオレンジに塗られたラナンキュラスが描かれていた。
「しかし、パステルはさすがにハードル高すぎだろ……」
 俺の手持ち服にパステル系の色のものは一つもない。これまでワードローブに加えたこともない。自分に似合うかどうか以前に、身に着けたいと思ったことがない色合いだった。
 だが伊都は俺の懸念を笑い飛ばした。
「何言ってんの、巡くんなら何だって似合うよ!」
「いや、でも、パステルはないだろ」
「いいからちゃちゃっと試しといでよ、試せばわかる!」
 伊都は彼女らしい潔さで俺を促し、俺は流されるようにフィッティングルームへと足を向ける。ドレスに比べたら着るのもはるかに楽だし手伝いも要らないということで、壁一面が鏡になっているやたら広いフィッティングルームに一人で放り込まれた。鏡に服を脱ぐ俺が映り込んでいるのが何となく、間抜けに見える。
 カーテン一枚を隔てた向こう側からは、スタイリストさんと伊都の会話が聞こえてくる。
「ご新郎様はすらっとしていらっしゃるので、白タキシードもきっとお似合いですよ」
「そうですね、彼なら着こなしてくれると思います!」
 どうやら彼女も俺については謙遜をしないスタイルらしい。この辺りは似た者同士だなと思いつつ、嬉しくて口元が緩んでくるのが困る。

 そんなにやついた野郎は鏡の中で花婿衣裳を一枚一枚身にまとっていく。
 ドレスシャツの上からパステルオレンジのネクタイを締め、同色のベストを羽織る。
 更に白いジャケットに袖を通し、一度鏡で姿を検めてからカーテンを開ける。

「着替え、終わったよ」
 声をかけたのとほぼ同時に、伊都がフィッティングルーム前まで駆け込んできた。
 そして俺を一目見るなり、奥二重の瞳を精一杯大きく瞠った。かと思うと次の瞬間にはその瞳をきらきら輝かせ、子供みたいに頬を紅潮させながら口を開く。
「巡くん、すごく似合う!」
「ありがとう。俺もまあ、悪くないと思ってるよ」
 実はカーテンを開ける前から自覚していたが、俺には白タキシードが割と似合う。言われている通り線が細いから見映えがするのだろう。
 むしろ黒やグレーを着るよりフォーマル感が高く、それでいて普段の俺より爽やかな花婿に見える。オレンジのネクタイとベストも白いジャケットの下ではそれほど違和感もなく、むしろワンポイントの差し色として映えており、春らしい配色になっていると思う。我ながら見事に着こなしているものだと自画自賛したくなった。
「悪くないどころか……びっくりしたよ、こんなに似合うなんて!」
 伊都はすっかり興奮していて、さっきから視線が俺の全身を眺めようと忙しなく上下していた。
「ええ、よくお似合いです。やっぱりご新郎様のスタイルがいいからですね」
 スタイリストさんの誉め言葉にも伊都の方がうんうんと頷いている。
「素敵だよ、巡くん! こんな花婿さんいたら間違いなく結婚しちゃうよ!」
「してもらえなきゃ困るんだけどな」
「あ、そっか! でも本当に格好いいなあ……写真撮っていい?」
「むしろお願いするよ、俺も後で見たいし」
 そこで伊都はあのデジカメを構えて俺の写真を撮ってくれた。ただ随分とはしゃいでいる様子で、途中から要求がどこかおかしくなってきた。
「巡くん、キメ顔して! ちょっと笑って! 『もうしょうがないな』って顔して!」
「それ、今必要な表情か?」
 さすがに人前で気恥ずかしくなるようなお願いはスルーしたが、考えてみれば俺もドレスを着た伊都の写真を撮りまくった経緯がある。ここは彼女が満足するまで付き合ってやることにしよう。
 もしかしたら伊都も俺の画像データを持ち歩く気でいるのかもしれない。それなら尚のこと格好よく写ってやらなければなるまい。
 そう心がけて撮影に付き合ってやると、伊都はやがて満足したのか溜息をつく。
「巡くんはやっぱ白タキシードがいいと思うなあ……」
 そこまで言われては俺も迷っていられない。
 俺だって他の誰よりも、花嫁さんにこそ素敵だと言われたいからだ。

 衣裳合わせを終えた後、俺達は家で夕飯を食べた。
 今晩の献立は朝のうちに煮込んでいた伊都特製のおでんだった。いつの間にやらおでんが美味しい季節が到来していた。鍋から立ち上る湯気が、留守の間に冷え切っていた部屋を暖めていくのが心地いい。
「やっぱりおでんにも豆腐だよね!」
 伊都がにこにこして言うように、彼女が作るおでんにも豆腐が入っている。
 絹ごし豆腐は煮込むともっちりした食感になってとても美味い。二日目になると味が染みて美味さが倍増しになるのも嬉しい。
「厚揚げや魚河岸揚げもいいけど、豆腐には豆腐にしか出せない味があるよな」
「巡くん、さすがわかってるね。おでんの豆腐もこれはこれでいいんだよね」
 ちなみに伊都は、二日目のおでんの豆腐をご飯に載せて崩しながら食べるのも好きだと言う。俺も一度やってみたら予想外の美味さだったのだが、豆腐を二日目まで残しておくのも難しいもので、滅多にありつけないのだった。
「にしても、今日の巡くんのタキシード、素敵だったなあ……」
 熱々のおでんにふうふう息を吹きかけながら、伊都が呟く。
「巡くんは何着ても似合う人だって思ってたけど、本当にそうだったね。写真撮りまくっちゃった」
「可愛い花嫁さんにそう言ってもらえて光栄だな」
 俺が応じると、伊都ははっとしたように瞬きをした。
「あっ、今の会話ってちょっとバカップルっぽい?」
「ちょっとじゃないかもな。お互い誉め合いすぎだろ、俺達」
「確かに! でも誉めずにはいられないよ、格好よかったんだもん!」
 相変わらず彼女は屈託がない。この明るさも、俺には心地よくてたまらなかった。

 気がつけば秋が終わろうとしていた。
 もうじき冬が来る。まずやってくるのは毎年恒例、憂鬱極まりない年末進行だが、合間に一応クリスマスがある。その後にやってくるのは楽しい楽しい正月休みで、それが明けたら伊都の誕生日だ。
 そしてその日、来年の一月十日こそが、俺達が決めた結婚記念日となる予定だった。
 決めた時は随分先の話だと思っていたのにな。いつの間にやら入籍までもう二ヶ月となっていた。結婚式はもっと先の話だが、それもこうして支度に追われて気がつけば目前に迫ってきた、なんてことになりそうだ。
 それも伊都となら全部楽しみに変わる。辛い年末進行も彼女となら乗り越えていけるだろうし、忙しい最中のクリスマスもひとときながら心安らぐ過ごし方ができるだろう。入籍する日には伊都の誕生日も兼ねて、盛大なお祝いでもしようかと思っている。そういう計画もまた楽しみで仕方がなかった。
 あと、誕生日と言えば――。

「巡くんもご機嫌だね。いい衣裳が見つかってよかったね」
 俺の表情を見た伊都が、そんなふうに声をかけてくる。
 ちょうど俺は絹ごし豆腐を口に運んでいたところだったので、それを食べ終えてから答えた。
「それもあるけどな、今考えてたのは別のことだ」
「そうなの?」
「ああ、誕生日が楽しみだと思ってな」
「そっか、今月だもんね」
 伊都はまるで自分のことのように声を弾ませた。
 それから、ちらりとカレンダーに目を走らせる。
「ね、今月は金曜日だよ」
「そうなんだよな、残念ながら平日だ」
 これが土日なら、二人でゆっくり過ごすなり、デートするなりできたのだが。
 惜しがる俺に、しかし伊都は目を瞬かせる。
「でも、仕事の後でもお祝いできるでしょ? 一緒に住んでるんだし」
 さも当たり前のように言われて、俺は一瞬うろたえた。

 思えば去年の誕生日は、初めて俺の部屋に来てもらったにもかかわらず水入りとなった。
 それ以前は、何年も独り身の誕生日を過ごしてきた。
 この歳になって誕生日を祝われたいなどと駄々を捏ねるつもりはないが、祝ってくれる相手がいるならば欲も出る。俺の誕生日にかこつけて、伊都と二人で甘い時間を過ごしたい。
 それに来年、伊都の誕生日が来れば俺達は夫婦になる。
 恋人同士として祝う記念日はもういくつもないのだ。大切に過ごさなければ。

「祝ってくれるのか?」
 思わず聞き返すと、逆に訝しそうにされてしまった。
「祝うに決まってるじゃない、どうして?」
「当日はさすがに無理だろうと思ってた。でも、そうか。一緒に住んでるんだもんな」
「そうだよ! できれば早く上がってごちそう作りたいけど、無理ならケーキだけでも買ってくるからね」
 伊都はおでんの豆腐を頬張り、幸せそうに飲み込んでから言った。
「それに次の日はお休みでしょ。ちょっとくらい夜更かししてもいいよね」
 これはまた期待値が上がるようなことを言ってくれる。
 俺は胸ときめかせながら彼女に尋ねた。
「もしかして『その夜は寝かさないよ』的なことを言ってもらえるのかな」
「言われたいの!?」
「言われたい。いや、俺が言う側の方がいいかな……」
「そんなの真剣に考えなくていいから!」
 伊都が慌てふためく姿が可愛くて、胸の奥がまた締めつけられるような感覚が走った。
 いいな、こういうの。誕生日を当たり前に祝ってくれようとする相手がいて、その相手が一緒の部屋で暮らしていて、たとえ仕事で帰りが遅くなっても誕生日を祝うと言ってくれて――これが幸福でなくて何だろう。
 ただ彼女がいると言うだけではなく、同じところに暮らしているということだけで誕生日の楽しみが何倍にもふくらんでしまう。
 同棲中でこうなのだから、結婚したらどうなってしまうのか、今の俺には想像もつかなかった。
「楽しみにしてるよ」
 俺は冗談をやめて、少し真面目に彼女へ告げた。
 すると伊都は照れながら、花がほころぶみたいに笑う。
「うん、私も。今年こそはいいお誕生日にしたいよね」
「去年も悪くはなかったんだけどな。とんだ邪魔さえ入らなければ」
「そうだったね。今年はこの時期、出張なんてないといいんだけど」
 去年のことを思い出すと、伊都は恥ずかしそうだった。
 それでも思い出を振り返る様子は幸せそうで、俺も改めて二人でいる幸せを噛み締めた。

 そのやり取りから数日後、伊都の出張が決まった。
「巡くん、私、金曜に出張入っちゃって……」
 しゅんとする伊都を前にして、俺は気落ちもしていられないとわざと明るく振る舞うことにした。
「気にするなよ。俺は『仕事と俺とどっちが大事なんだ』なんて言わないから」
「うん……でも、泊まりなんだよ。土曜の昼頃帰ることになると思う」
「なら、待ってるよ。帰ってきてから二人でお祝いしよう」
「巡くん……。土曜日、必ずお誕生日パーティしようね」
 俺達は手を取りあい、誕生日を祝う約束をした。

 ただ正直、寂しくなかったとは言わない。
 と言うか寂しい。今はそうでもないが伊都のいない夜を過ごして一人でベッドに寝るのは絶対寒いし寂しい。それが誕生日だなんて何の悲劇だ。
 今年も誕生日を邪魔された不満、鬱屈は、一体どこへぶつければいいのだろう。
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