Tiny garden

忘れられない記憶(2)

 誰を呼ぶかという話の前に、園田にも大方の説明はしておかなければならなかった。
 今回はただの飲み会じゃない。その理由から話す必要がある。
「この話はお前で止めといて欲しいんだけど」
 俺は釘を刺してから、怪訝そうな園田に事情を打ち明けた。
「実は石田が先月、彼女に振られた」
「えっ」
 園田が驚きの声を上げる。
「石田さん、失恋しちゃったの?」
「ああ。結構長く付き合ってた相手だから、一時期は酷いへこみようだった」
「それでかあ……こないだ、妙に暗い顔してたの見かけたよ」
「多分それだ。つい一ヶ月前の話だからな」
 他の社員にも見つかるほどの落ち込みようか。全く、石田らしくもない。
「何か、気の毒だね。長く付き合ってたっていうなら結婚も考えてただろうし」
 園田は心配そうに眉尻を下げた。

 俺もそうだが石田も二十代後半、元彼女との結婚を全く考えていなかったというわけではないらしかった。だがタイミングが合わなかった。奴自身が言った通り、しょうがないのかもしれない。
 そうは言ってもぐずぐずしているとあっという間に三十になってしまう。俺も石田も既に、楽しい男女交際だけを追い求める年齢ではないはずだった。次に付き合う相手とは結婚も考えなくてはならない。
 そういう意味でも、社内で面子を集めての合コンは最適だ。

「じゃあ飲み会っていうのは、石田さんを励ます会ってこと?」
 ちょうど園田が本題に切り込んできたので、俺は軽く笑って答える。
「まあ、そうだな。俺は石田を慰め、励ましてやりたいんだ」
 そしてさらりと続けた。
「だから園田には石田を励ます為に、可愛い女子社員を呼んできて欲しい」
「可愛い……女子社員? なんで?」
「もちろんこっちも石田を筆頭に精鋭を揃える。期待していいよ、園田」
「飲み会って言うか、普通に合コンじゃないの、それ」
 たちまち園田が脱力して、がっくりと肩を落とす。
 俺はわざと憤慨したように言い返した。
「何を言う。失恋した石田にとって一番の特効薬は新しい恋ってやつだろ」
「どうだろ。石田さんはそっとしといてって思ってるかもしれないよ」
「それなら全く問題ない、本人は既にめちゃくちゃ乗り気になってる」
「乗り気なの? なーんだ、心配することなかったかも」
 園田は本当に石田を案じていたらしい。はは、と乾いた笑い声を立てていた。
 実際、一ヶ月前はそれどころではなかったようだったから、意外と早い回復だと思う。まあ悪いことじゃない。そっちの方が俺の知ってる石田らしい。
「園田も協力してくれるよな? 石田の為に」
 しつこく下りてくる前髪をかき上げながら俺は尋ねた。
「石田さんの為になるって言うなら、いいけど」
 そこはかとなく、全面的賛成ではない態度を園田は見せた。ただの飲み会ならともかく、合コンでは気乗りしないということだろうか。
「お前は嫌なのか? ずっと彼氏もいないって言ってたろ」
 突っ込んで聞いてみれば、園田は一瞬表情を曇らせた後で苦笑を浮かべた。
「嫌ってわけじゃないよ。そういうので相手探す年齢でもないかなって思っただけ」
「年齢なんて気にするなよ。案外、新しい出会いが見つかるかもしれない」
「そもそも今は出会いとか、あんまり求めてないんだけどな」
「何だよ。園田なんて俺や石田よりも若いんだから、諦めるのが早すぎるだろ」
 俺はわざとからかうように言ってやった。
 すると園田は薄く唇を開け、曖昧な表情で俺を見上げる。
「……そうかも」
 らしくもなく投げやりで、途方もない距離をなす術なく見つめているような、諦めの眼差しだった。

 彼女がそういう目をするようになったのはもう何年も前からだ。
 いつからかは覚えていない。それに気づいたところでしてやれることもなく、園田の方が何も言ってこない以上は知らないふりをしているつもりだった。
 異性に好意を持たれること自体は悪い気がしない。そのせいで面倒事に巻き込まれた記憶もいくらかあるが、基本的に女の子から向けられる憧憬の眼差しは心地よかったし、少しいい雰囲気になって『告白されるかもしれない』と直感する、あの期待感と高揚感は何度味わっても楽しいものだった。こんなことを人前で口にしたら勘違い男のレッテルを貼られるだろうが、俺の勘は現実によく当たった。
 ただ園田は俺の好みからは外れていたし、何より同期の友人として接する方が居心地がよかった。ことこういう頼み事をする時、俺は園田の好意を利用しているようで気が引けていたから、いっそ園田に彼氏でもできれば気楽でいいのにとさえ思うほどだった。
 もし彼女が何か言ってきたらなるべく優しく断って、友情の継続を求めるつもりでいたのだが、園田は園田で勝機のなさを悟っているのか、何も言ってくる様子はなかった。

「まあ、私のことはともかく」
 園田は俺から目を逸らし、仕切り直すように口を開いた。
「幹事は引き受けてもいいよ。石田さんが来るって言ったら来たがる子は大勢いるしね」
 ようやくいい返事が聞けた。断られないとは思っていたが、ほっとした。
「そうか。ありがとう、園田。助かるよ」
 俺が礼を言うと、園田も明るく顔をほころばせた。
「どういたしまして。石田さんの為だもんね、頑張らないとね」
 一つ肩の荷が下りたところで、もう一つの相談事も持ちかけてみる。
「ところで園田。今回、是非呼んで欲しい相手がいるんだ」
「え、誰? 私が声をかけられるような人?」
 彼女が目を丸くしたので、俺は頷いた。
「もちろん。長谷ゆきのさんを呼んできて欲しい」
 そして俺が対象の名前を口にすると、園田は一層驚いたようだった。
「長谷さん? うちの課の? いやいいけど、なんで?」
 よほど意外な名前だったんだろうか、理由を聞かれた。
 確かに長谷さんは俺達とは同期でもないし、残念ながらまだ親しい間柄でもない。受付勤務で社内の人間とは満遍なく接点があるとは言え、顔も覚えられていない俺達がいきなりそういう席に誘えるとも思えない。園田が秘書課でなければ他に頼む伝手もないし、いっそ当たって砕ける以外に実現させようもなかっただろう。ありがたい話だ。
「彼女、美人だろ。気立てもいいし。営業じゃ結構人気あるんだよ」
「そうなんだ。確かにきれいな人だよね、性格もいいし」
 園田は納得したように顎を引く。
「だろ? 長谷さんを連れてきてくれたら、石田もきっと喜ぶ」
 俺が石田の要望を強調すると、園田は逡巡するようなそぶりを見せた。何となく踏み切れない、といった様子だった。
「うん……長谷さんが来たら皆は喜ぶだろうね」
「ああ。是非頼むよ」
「……わかった。いいよ」
 もっと難色を示されるかと思ったが、園田は少ししてから頷いた。
「でも必ず誘える保証はないかな。長谷さんとはよく話すけど、彼氏がいるのか聞いたことないし、飲み会でもそういう話はしないみたいだし」
 首を竦め、自信なさげに言い添える。
「努力はするけど駄目だったらごめん。一応、格好いい人達が来るよって言ってみる」
「なるべくでいい。来てもらえたら嬉しいってだけだからな」
 口では控えめなことを言ったが、できることなら是非来て欲しいと思っていた。
 何せあの長谷ゆきのだ。俺も付き合うんだったらああいう子がいい。石田にも園田にも悪いが、あわよくばという期待はあった。

 そういう、友人達をダシにする俺の所業を天はお見通しだったのかもしれない。
 結果として合コンは流れた。何人かに声をかけ、店も選んでいたのに中止になった。
 それも最悪の形でだ。

 件の合コンは秋くらいに予定していたが、その直前の八月、市内では毎年恒例の花火大会が開かれていた。当時、営業課の窓からは夜空に打ち上がる花火がよく見えるということで――長谷さんが営業課に花火を見に来た。
 彼女を誘い、招き入れたのは、営業課の後輩の霧島だった。
 霧島本人から『長谷さんを誘ってみたんです』と打ち明けられた時、俺も石田も端から信じなかった。何かの間違いだろうと思った。だが霧島の言葉通りに長谷さんが夜の営業課に現れ、そして霧島と視線を交わし合うのを見た時、さすがに悟らずにはいられなかった。
 その少し前、合コンに向けて人員を確保しつつある園田からも連絡があって、長谷さんからは一度断られた、でも諦めず誘ってみると言っていた。俺も大いに園田を応援していたが、なぜ断られたのかがわかって一気に気落ちしてしまった。

 もちろん、落ち込んだのは石田もそうだ。
「もうしばらくはこういうの止めとこう。何つうか、時期が悪い……」
 彼女に振られた直後の暗さこそなかったものの、遠い目をして呟く姿を見てしまったら、心の中で手を合わせずにはいられなかった。
 済まなかった石田。多分俺のせいだ。他人を踏み台にしようとする性根に罰が当たったんだろう。
 まあ、そういうオカルトじみた発想でも持たないとやってられなかったというのもある。狙ってた子を赤の他人ならまだしも、よりにもよって同じ課の後輩に掻っ攫われるなんて悲劇を通り越して喜劇だ。つくづく惜しいと俺は心底悔しがった。
「ちくしょう。霧島の奴め、上手いことやりやがって」
 同じように石田も悔しがっていたが、同時におかしそうに笑ってもいた。それを見た時、こいつはもう大丈夫だろうと思った。
 大丈夫じゃないのはむしろ俺の方だった。

 花火大会から日を空けないうちに、俺は園田の元へ出向いた。
 既に誘った相手もいるそうだし、店だって決まっていた。なるべく早くに伝えなければならない。そう思って園田に話がしたい旨を告げると、彼女はいつものように快く『いつでも時間作るよ』と言ってくれた。
 そこで俺はまた彼女と時間を合わせ、退勤後、駅まで歩く道すがら話をすることにした。
「悪い。長谷さんが来てくれそうにないから、今回の合コンは中止にしよう」
 そう切り出した時、園田はまるで知らない言語で話しかけられた人みたいにきょとんとした。
「え? 何? どういうこと?」
 軽く混乱したように聞き返されたので、俺は説明を重ねた。
「だから言った通りだよ。長谷さんには好きな男がいるって判明した」
「え……で、でも、だからって……」
「だったらやる意味ないなって石田とも話がついた。園田にも手間かけさせて悪かったと思ってる」
 この時点で俺は園田に多少の償いをするつもりではいた。散々頼み込んでおいて一方的に中止だというのも酷い話だし、飯くらいは奢らないと割に合わないだろう。
 もっとも二人でとなると誤解されそうだから、石田辺りを巻き込んでやろうか。三人で適当に飲んで食って盛り上がれば今回の骨折り損もあっさり忘れてしまえるだろう、そんなふうに軽く考えていた。
 だから俺は、園田が道の途中で足を止めるまで、彼女の怒りに気づけなかった。
「……悪かったって、そんな」
 思いつめたような呟きが背後で聞こえたかと思うと、隣を歩いていたはずの園田の姿が見えなくなった。
 振り返ると、数歩後ろで立ち止まった園田が俺を真っ直ぐに睨んでいた。
 普段はあっけらかんと笑う愛想のいい丸顔が、この時は涙を浮かべ怒りに歪んでいた。
「そんな簡単に言わないでよ! もう何人か誘っちゃったし、なんて説明しろって言うの!?」
 園田はいきなり声を張り上げた。
 この件の落ち度はもちろん俺の側にある。
 だがそこまで怒るようなことだとは思わなかった。

 いや、正確に言えば『怒るにしても、このタイミングで怒るとは思わなかった』だろう。
 園田にはもっと前から俺を睨み、怒るべき機会があったはずだ。俺は園田の気持ちを知っていたにもかかわらず彼女に合コンの手伝いをさせていたわけで、本来ならそこで怒られてしかるべきだ。それを彼女は渋々ながらも引き受けたのだから、今更、中止になったくらいで腹を立てなくてもいいのにと思った。
 後になって考えてみれば園田の怒りももっともなのだが、この時の俺は霧島に長谷さんを取られたことで頭がいっぱいになっていて、園田の胸中まで推し量る余裕はなかった。
 だから怒鳴りつけられた時、いきなり頬を張られたような衝撃を受けた。

「そこは正直に、ってのはまずいか。俺の仕事が忙しくなったとか、適当に言っといてくれ」
 彼女の剣幕に戸惑いつつ、俺はそう返した。
 途端、園田は怒りで紅潮した顔を一転して凍りつかせた。そしてしばらくの間、今まで俺には向けたこともないような眼差しで俺を見たかと思うと、やがて唇を噛み締めた。
「……わかった。こっちは何とかするから、その代わり二度と私を呼ばないで」
 長く細い息をつきながら、園田は慎重に言い放つ。
「二度とって……え?」
 今度は俺がきょとんとする番だった。
 その隙を突くように、急に早口になってまくし立ててきた。
「もう二度と合コンなんて手伝わないし普通の飲み会だって企画しない。安井さんにはもう一切関わりたくないから幹事だってやらない。これからは私に仕事以外では声をかけないで。じゃあね」
 俺が二十数年の人生で女性からいただいた絶縁告知の中でも、一、二を争う苛烈な台詞だった。
 予想外の反応に呆然とする俺の脇を、園田は早足ですり抜けていく。通勤時にはスニーカーを履く彼女の乱暴な足音がどんどん遠ざかっていくから、我に返った俺は急いで追いかけた。

 園田の足は速かった。
 時間に余裕がある日は自転車通勤をしているだけあり、よく鍛えられていたようだった。
 俺は駆け足になって彼女に追いつき、隣に並んでからは歩調を合わせた。
「悪かった。誘った子のとこ行くなら俺もついてく。一緒に謝るから」
 この期に及んで俺は、彼女が腹を立てた理由を読み誤っていた。
 園田は俺を見ることもなく真正面を向いたまま答えた。
「要らない。安井さんが来たらかえって拗れるから来ないで」
 冷たく切り捨てられても俺は食い下がった。
「なあ頼むよ園田、何でもするから許してくれ」
 そんな言葉が自分の口から出てきたことに、自分でも驚いていた。
 社内の人間と揉め事なんて歓迎される事態じゃない。まして園田とは入社して以来、ずっと友人のような関係を築いてきた。同期の集まりの度に彼女が幹事を引き受けてくれて助かったし、期日を守って連絡をくれるところも頼もしかった。園田の伝手がなくなるのは単純に痛手だった。
 だが、それだけだっただろうか。
「許さないし何もしなくていい」
 園田は俺を振り切ろうと、歩くスピードを一層速めた。
 俺はそれに食らいつきながら謝罪の言葉を繰り返した。
「じゃあ飯奢る。高い店でもいいよ、お前が許してくれるなら何だっていい」
「しつこいよ。話しかけないで」
 いつもなら俺の頼みを快く引き受け、俺の話を真剣に聞いてくれる園田が、この時は聞く耳を持つそぶりさえ見せなかった。

 俺は半ば信じがたい思いで彼女に追い縋っていた。
 園田はずっといい奴だった。こんなふうに怒ったのを今まで一度も見たことがなかったし、俺や石田が下品でくだらない冗談を言っても笑って聞き流してくれた。相談事を持っていけば親身になって聞いてくれたし、飲み会で一緒に幹事をやったりすると、仕事の後で疲れているはずなのにいつも笑顔を向けてくれた。
 そういう相手に、まるで長年の仇敵のように睨まれ、二度と話しかけるなと言われたのが信じられなかった。
 何かの間違いじゃないかと思った。園田は俺の仕打ちに腹を立てて、すんなり許してやるのは嫌だからとわざと怒ったふりをしているんじゃないか。もう少し粘ったらいつものように笑って、呆れつつも許してくれるんじゃないか――そんな甘い考えは叶うことなく、俺は空虚な謝罪の言葉をしつこくしつこく繰り返し、園田は俺を無視したまま駅舎の中へと駆け込んだ。

 俺と園田は帰る方向が正反対で、園田が改札を抜けてホームへ上がってしまえばもう詫びることもできない。こういうことは日を跨ぐとより悪くなる一方だ。
 改札へ向かう園田の腕を掴もうか、俺が迷った時だった。
 手前で足を止めた彼女が、ようやくこちらを振り返った。
 だが俺の方は見ていなかった。あからさまに目を背けた彼女に罵倒でもされるかと思ったがそうではなく、一転しておずおずと、頼りなげな声で言った。
「前から行きたかったところがあるんだけど」
 唐突な発言に、俺は呼吸を整えながらぽかんとしていた。
 園田は呼吸も乱さずに続ける。
「そこに連れてってくれて、全部奢ってくれたら、安井さんのこと許してあげてもいい」
 なぜ急に彼女が意見を翻したのか、その時の俺にはわからなかった。
 でもようやく落としどころが見えたようで、救われたような気分になって、当然即答した。
「いいよ。何でもするって約束したからな」
PREV← →NEXT 目次
▲top