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熱視線(1)

「長谷さんって、営業の安井さんと仲いいよね?」
 秘書課の同僚から、あるいは同期の子から、何度か尋ねられたことがある。
 用件は大体同じだ。
「もしできたら今度、紹介してもらうってできない?」
 人によって軽いノリだったり、切実だったりといった違いこそあれ、頼み方もほとんど同じだった。
 安井さんを紹介して欲しい。間に立って、話をする機会を設けて欲しい。そういう頼みだった。
 女の子達がそう持ちかけたくなるのもわからなくはない。安井さんは確かに素敵な人だ。清潔感のある短髪と整った顔立ち、すらりとしたスタイルのよさ。それに加えて仕事もできて、人当たりもよくて、歌も上手くてスマートで――となれば好きになる子が大勢いてもおかしくはない。社内でもいつも熱い視線を送られているのが安井さんという人だった。
 でも、
「私が個人的に仲いいってわけじゃないから……ごめんなさい」
 彼女達からの頼みを、私はいつもやんわりと断ってきた。
 安井さんと私はあくまで映さん――この頃はまだ『霧島さん』と呼んでいたけど――を介しての付き合いであり、個人的に親しいというわけじゃない。一対一で話す機会はほとんどないし、あっても挨拶と世間話程度だ。職場では先輩だし、部署も違うしで本来なら接点もなかったような人。そんな人にこの手の仲立ちをするのは出すぎた振る舞いに違いない。
 安井さんだって『後輩の彼女からの紹介』となればきっと扱いに困るだろう。
 何より、霧島さんに迷惑がかかるとその時は思った。
「なら、長谷さんから営業の霧島さんに頼んでもらえないかな。付き合ってるんでしょ?」
 時々、そういうふうに頼まれることもある。
 だけど彼にそんなことは頼めない。困惑しつつも『何とかします』と言い出しかねない、優しい表情が目に浮かぶようだった。だからやっぱり断った。
「霧島さんは仕事も忙しいし、面倒をかけたくないんです。本当にごめんなさい」
「そうなんだ、残念」
 私の答えを聞くと皆は目に見えてがっかりする。でも嘘ではないとわかるからか、それ以上しつこく食い下がられることはなかった。
 私も話はそこで終わったものとして、安井さん本人には話を伝えなかった。

 ただそういうのも一度や二度ではない。
 安井さんが営業から人事へ移り、更に人事課長になってからも続いた。私に仲立ちを頼む人が半年に一度くらいのペースで現れた。そこまで行くと私も、さすがにどうしようかと考えるようになった。
 恋愛絡みで知人に別の知人を紹介する、なんてことを安易にやってはいけない。その考えは変わっていなかったけど、見たところ安井さんには長らくお付き合いしている人もいないようだったし、そうなると私も次第に気がかりになってきた。
 もしかしたら貴重なのかもしれない出会いのチャンスを、私の独断で潰してしまっていいんだろうか。一度くらいは話を一旦預かって、ご本人の意思も確認すべきなのかもしれない。でもそれで女の子に期待させて、やっぱり駄目でしたとなると気まずい。安井さんだって気を遣うのは間違いない。
 考えに考えた末、私はまず映さんに相談してみることにした。

 映さんは真摯に私の話を聞いてくれた後、こう言った。
「……確かにそれは、少々難しい話ですね」
「そうでしょう。私の紹介ということで、気を遣わせるでしょうし」
「ましてや同じ職場ですもんね。拗れたら気まずいだろうしなあ……」
 もちろん私と映さんは社内恋愛の末に結婚した身だし、身近なところでは今年結婚を控えている石田さんと藍子ちゃんという例もある。そもそも我が社では社内恋愛その後結婚というケースがそこそこ多かったから、私に紹介を頼む人も後を絶たないのだろう。でも多いからといって、当然ながら誰もがそれを望むわけじゃない。
「安井先輩も、ずっと彼女はいないらしいんですけど」
 映さんが首を竦めた。
「あの人の場合、単に暇がないだけかもしれないです」
「お忙しいですもんね、人事課長」
「ええ。あの人なら、彼女が欲しいとなったらとっとと作ってますって」
 それは理解できる。私達の結婚式で歌を歌っていただいた時も、女の子達から写真を次々に撮られて大変な人気者ぶりだった。高砂席からもその模様はよく見えた。
 となるとやっぱり、私が余計なお節介を焼く必要はないのかもしれない。
「じゃあ、これまで通りの対応でいいみたいですね」
 私の言葉に映さんは頷いた。
「先輩なら、ご多忙な中でも社内にいる好みの女性は既にチェック済みでしょう。ゆきのさんが気を遣うことはないですよ」
 チェック済みかどうかはわからないけど、安井さんは今や人事課長だ。社内では私よりもはるかに顔が広いだろうし、映さんの言う通り気遣いは無用だろう。
 それでも一応、念の為に聞いておくことにする。
「ところで、安井さんはどんな女性が好みなんでしょうか」
 もし好みにぴったりと合致する人から紹介を頼まれたら、その時こそ考えるべきかもしれない。そう思ったからだ。
 映さんは私の問いに、一秒と置かずに答えた。
「脚のきれいな女性です」
 あまりの迅速さに、私の方が呆気に取られた。
「そ、即答ですね、映さん」
「安井先輩の趣味は熟知してます、不本意ながら」
 そういえば私も、お酒の席で安井さんが女性の脚のラインについて熱く語るのを聞いたことがあったような――そういう話題は女性の私が口を差し挟むものでもないと、いつも笑って聞き流すようにしていた。映さんも同じくらい女性の二の腕について語っていたようだったけど、それはいつも聞き耳だけ立てていた。
「それも、脚は細いというだけでは駄目らしいんですよ」
 映さんが息をつきながら語るには、
「程よく鍛えて筋肉のついた、引き締まった脚がいいんだそうです」
「へえ……アスリートの脚、みたいな感じですか」
「ええ。先輩のこだわりには、俺も時々引いてます」
 引くというほどではないけど、私も失礼ながらコメントは差し控えたい次第です。
「見た目以外の要素はないんですか? 性格とか」
 安井さんへの印象が変わらないうちにと、私は質問の方向を変えた。
 ところが映さんはそれに難しげな顔をする。
「それ以外の好み……聞いたことあったかな……」
 ないんですか。
 いや、まさか脚以外に何も求めるものがないなんてことは。
「ああ、そういえば」
 と、そこで思い出したように、
「前にちょっとだけ語ってたのは、どんな失敗も笑って許してくれる人がいいそうです」
 映さんは付け加えてきた。
 最初は少し意外に思った。私は安井さんのことを映さんほどには熟知していないから、そもそも何か失敗をするような人には見えなかった。何に関してもスマートで完璧にやり遂げるような、そんなイメージがあった。
 そんな人にも、許されたい失敗があるんだろうか。
 しかも傍にいる人に笑い飛ばしてもらいたくなるような。
「じゃあ、明るい女性がいいってことなんでしょうね」
 私が相槌を打つと、映さんも頷いた。
「かもしれないですね。寛容で、おおらかな人がいいんでしょう」
 脚がきれいで、明るい女性。わずかな条件に思えるけど、その裏側にはもっと複雑な気持ちがあるのかもしれない。安井さんに長らく彼女がいないというのもそのせいなのかも――なんて、詮索するつもりはないけど。
 もしかしたら誰か、特定の誰かを思い浮かべた上での条件なのかも。
 ――なんて、私はその時密かに思っていた。

 映さんと話をしてからいくらも経たないうちに、私はまた同僚から声をかけられた。
 用件はもちろん安井さんについて。ただしその内容は、今までとちょっと違っていた。
「長谷さん、安井課長にお付き合いしてる人がいるって本当?」
 その質問は私にとっても寝耳に水だった。
「いえ、私は聞いたことないですけど……」
「そうなの? 本当に?」
「はい。お話伺って、驚いてるくらいです」
 本当に何も知らなかった。
 ただ、そういう話があったなら私はともかく、映さんが何も知らないはずはないだろうと思っていた。安井さんだって映さん、それに石田さんには黙っておかないだろう。さすがに石田さんのように惚気たっぷりの彼女自慢をするとは思えなかったけど、でも隠しておくようなことはないはずだ。
 そして万が一隠す気でいるなら、こんなふうに社内で悟らせないよう振る舞うだろう。
「人事の子から聞いたの」
 と、質問を振ってきた彼女は暗い表情で言う。
「最近の安井課長、何だか上機嫌で幸せそうなんだって」
「それが、彼女ができたせいだって言われてるんですか?」
「うん。それに残業が減って、早く帰ることが増えたらしいし。思い出し笑いも時々してるらしいし」
 話を聞く限り、彼女ができたと断定するにはどれも弱い根拠だ。機嫌がいいのも早く帰るのも、思い出し笑いだって恋愛絡みとは限らない。女の子に人気のある安井さんだから一挙一動が事細かに注目されているのであって、他の社員なら気にも留められない些細な変化に思えた。
 その時は私も半信半疑で、ただ正直に『何も知らない』と答えた。 
 だけどその話を聞いてから、言われてみればと思うことがいくつか見つかるようになった。確かに安井さんは何か変わったような気がする。以前とそこはかとなく雰囲気が違うように感じる。
 例えば廊下ですれ違う時。
 秘書課勤務の私と人事課勤務の安井さんとは同じ総務なので、廊下で出会うことがたまにある。朝礼を終え、持ち場である受付へ向かおうと廊下へ出ると、同じように朝礼を終えた後らしい安井さんを見かける。
 私がドアを開けて廊下へ出た途端、先にいた安井さんがはっと面を上げてみせた。その一瞬、驚くほど真剣な顔をしていた。
「……長谷さん、お疲れ様。これから受付?」
 こちらに気づくと表情を解き、落ち着き払って微笑んでみせる。
 私の知る限り、安井さんはこういう人だ。いつでも落ち着いているし、隙がなく、取り乱した姿を見た記憶はない。映さんや石田さんと一緒にいる時でさえスマートで、からかわれて狼狽したり、やり込められて言葉に詰まるなんていうことは一度もなかったように思う。
「はい。行って参ります」
 私が頭を下げると、向こうも優雅に会釈を返してくれた。
「行ってらっしゃい」
 勤務中なのでそう長話もせずに、挨拶だけで切り上げた。
 そして会話が終わると、安井さんは手にしていた資料に視線を戻す。
 私はすれ違いざまにその様子をちらりと窺い、安井さんがさりげなく辺りを見回していることに気づいた。あからさまにきょろきょろするのではなく、資料に目を通すそぶりをしつつも廊下に視線を巡らせている。
 まるで誰かを探しているみたいだ。
 そう思ったのは例の噂話があったからこそだけど、確かにそういうふうに見えた。この廊下を通る、あるいは通るかもしれない人を待ち構えているような態度に見えた。それが業務上の用件なのか、それとも別件なのかすらわからなかったものの――どちらにせよ探り当てたいとは思わなかった。
 気にならないとは言わないものの、私が知ろうとしなくても、それより先に映さんが知るだろう。だから探る必要はない。そう思って、噂のこともあまり気に留めないよう努めていた。

 もっとも、その噂が更に具体的なものとなった時、私もさすがに真相を知りたいと思ってしまった。
「安井課長が付き合ってる相手、広報の園田さんかもしれないって」
 なぜなら、挙がったその名前はかつて秘書課で私の先輩だった人であり、私の結婚式にも来てくださった方であり、そして何より――。
 明るく笑い飛ばしてくれそうな、おおらかで、脚のとてもきれいな女性だったからだ。
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