Tiny garden

決して絶えず、限りあるもの(1)

 お見合いをした以上は、誰に知られても構わないと思っていた。
 初めからそのつもりだったかと言えば嘘になるけど、今となっては安井さんがいいなら私もそれでいい。仲の良さを見咎められて誰かに聞かれたら、正直に答える心構えもできている。昔みたいに隠す必要だってもうない。
 でも、聞かれてもいいと思っていると案外聞かれないものだ。
 小野口課長にはお礼も言ったし、『その後どう?』なんてぼかした調子で尋ねられたけどそれだけで、他の人からはお見合いを嗅ぎつけられるどころか、何か勘繰られるということさえなかった。
 まあ私と安井さんはお見合い前からそれなりに話をする間柄だったわけだし、それでも一緒にいて目立った噂になったことなんてなかったくらいだから、明らかに不審な態度でも取らない限り、疑われることもないのかもしれない。

 だから私は、お見合い以降しばらくの間、平常心を保つことを心がけながら彼と接した。
 彼は彼で社内で遭遇する度にさりげなく目配せしてきたり、意味ありげな笑みを浮かべてみせたりした。私がさりげなく目を逸らそうとすると、彼の方もさりげなく視界に入ってこようとする。だけど私はあくまでも、そんなの気にしてないよって態度を貫いた。
 安井さんの意図はわかっている。私にあの日の、お見合いの後の出来事を思い出させようとしている。はっきり言われたわけじゃないけど、お見合いをしたことじゃなくてその後のことなんだと思う。絶対。
 こういうのは子供のちょっかいと一緒で、反応すればするだけ喜ばれるに決まっているから、スルーしてやるのが一番いい。次からはもうしないよって言ってやる方が効果はあるのかもしれないけど、そうすると安井さんが拗ねるだろうから言わない。はっきり言ってスルーで済ませようとする私はすっごく優しいお見合い相手じゃないだろうか。
 私がスルーを決め込んでも、彼はわざわざ近づいてきて囁きかけたりする。
「園田、顔が真っ赤だ」
「いちいち指摘しなくたっていいのに!」
「もしかしたら気づいてないかもしれないと思って」
「わかるよ! そっとしといて!」
 安井さんの馬鹿、って言いたくなるけどそれを言ったら彼はなぜかすごく喜ぶので、私は歯軋りするのが精一杯だ。全く、顔が赤くなるのは誰のせいだと思ってるんだろう。
 それに、私は人に知られても構わないとは思っているけど、別におおっぴらにやりたいわけではない。安井さんも社内でくらいはそ知らぬふりをしててくれてもいいのに、なぜわざわざちょっかいをかけに来るんだろう。
 まさかあえて見つかりたい、なんて考えてるわけじゃあるまいな。
 プライベートの方はそんな調子で、悩みがないわけじゃないけど概ね幸せといったところだ。年末進行で忙しくなる前にまた二人で会って、先のことを話そうと安井さんには言われている。ちょうど来月、十一月には彼の誕生日もあるし、じっくり話し合うにはいい機会かもしれない。

 一方で、広報の仕事は相も変わらず毎月忙しい。
 広報誌も社内報も定期的に作るものだから通年忙しくても仕方がないんだけど、これが年末進行と重なるとえらいことになる、とは東間さんの弁だ。
「年が明けたらすぐに社内報の更新、広報誌の入稿があるからね。つまりこれらの準備を年内のうちに済ませなくちゃいけないってことだよ」
 頼もしい先輩からの脅かすような言葉に、私は一瞬気が遠くなりかけた。
「じゃあ広報の十二月ってめちゃくちゃ忙しいってことですよね」
「その通りです。納会の後になんて仕事したくないし、頑張ろうね園田ちゃん!」
「頑張りましょうね、東間さん!」
 私達は熱く励まし合い、共闘を誓い合った。
 しかしひとまずはまだ十月、広報課一同も社内報十一月号の内容を詰めているところだ。
 そしてこの十一月号において、私達はちょっとした壁にぶち当たっていた。
「コラムの書き手がまだいないんだ」
 小野口課長が難しい表情で切り出すと、広報課には珍しく沈鬱な溜息がいくつも落ちた。
「イントラと社内掲示板で募集かけたんですけどね。立候補者ゼロです」
 東間さんが残念そうに眉尻を下げ、隣で私も肩を竦める。
「まだ二回しか連載してませんしね。浸透してないのも仕方ないんでしょうけど」

 今年の九月から、私達は社内報に新しいコーナーを設けた。社員によるコラムの執筆だ。
 一月に一人、好きなように文章を書き綴ってもらってそれを掲載する。テーマは自由だけど、あえて仕事には触れず個人的な趣味や特技、思い出などを書いてもらうものだ。
 以前『あの時君は若かった』が反響を呼んだ際、私が貰った社内報への感想――正確には安井さんが集めてくれたものだけど、それらを会議の席で発表したところ、我が社の社内報に対するニーズをより追及していくことに決まったのだ。
 例えば休憩中や飲み会の席などで話題にできるような、それでいて普段は社内報に関心のない層に対する呼び水にもなる内容と言えば、やはり一緒に働く上司や同僚の話になる。以前の企画では皆、意外と上司や同僚について興味を持ち、知りたがっているのだということもわかったし、より理解を深める為には個人的な話を書いて、読んでもらうのが一番いいという案が出た。
 繁忙期を過ぎた九月からのスタートで、栄えある第一回の執筆は総務部長にお願いした。第二回は私の元上司にしてお隣の秘書課長に頼み、コラム自体は割と反響もあってよかったんだけど――。

「どうも役つきの面々に頼んだのがいけなかったみたいでね」
 小野口課長は腕組みをして語る。
「総務部長に秘書課長と来ると、やっぱり次の書き手もそれなりの役つきじゃないといけないんじゃないか、って思う人がちらほらいたようなんだ。何人か声をかけてみたんだけど見事に尻込みされちゃってね」
 確かに、私だって部長課長と来てその後に『広報の園田です』ってコラム載せる勇気はない。
「かと言って次も部長課長クラスに頼んだら、この先ずっとそういう面々だけで回すことになりそうだろう?」
 眉間に皺を寄せ、小野口課長が唸った。
 私もこういう時にまず浮かぶのは安井さんの顔だけど、今回は彼に頼むわけにはいかないようだ。
 となると、
「もし書き手がどなたもいらっしゃらないのでしたら、私が書きましょうか?」
 私は挙手をして申し出た。
 第一回第二回とそうそうたる顔ぶれが並んだ後に名乗りを上げるのは気後れしたけど、候補者が見つからないんじゃ背に腹は変えられない。私が書いたら、ヒラでもできるんだって思ってもらえるかもしれないし。
 だけど小野口課長は私に対し、気まずそうに苦笑した。
「気持ちは嬉しいんだけどね、園田さん。広報から執筆者を出すと、今後の記事も『人に頼むくらいなら毎回広報で出せばいいじゃないか』と言い出す人が現われるかもしれない」
「言われてみれば……もっともですね。すみません」
 コラムの執筆はあくまでご厚意でということになっている。
 四百字程度の記事でも普段文章を書き慣れない人にはたやすいことではないだろうし、長さがどうであれ貴重なお時間と労力をいただくことには変わりない。快く協力してもらう為にも、『広報の人間がやれば済む話なのに』という不満が生じないよう取り計らう必要がある。
「立候補者がいないなら、あとは片っ端から声をかけていくしかない」
 小野口課長の言葉に東間さんが頷く。
「そうですね。引き受けてくれそうな、今回は部長課長クラスではない方で……」
「ある程度書き慣れてそうな人がいいね。こちらもお出しできるサンプルが少ない」
「それでいてユーモアセンスのある方がいいですね。軽妙洒脱というか」
「何かこうして話し合ってるだけで、どんどんハードル上がってくねえ」

 お二人の会話に耳を傾けつつ、私も改めて考える。
 部長課長クラスではない、文章を書き慣れていそうな、軽妙洒脱なユーモアセンスの持ち主――何だか本当にハードル高くなっちゃってるけど、適任者は果たして見つかるだろうか。
 少し考えて、ふとひらめいた。

「――営業の、石田主任はどうでしょうか」
 再び私が口を開くと、小野口課長が目を丸くした。
「石田主任? 確かに明るくて面白い方だけど、引き受けてくださるかな?」
「私から話をしてみます。同期なのでいくらか面識があるんです」
 多分、あの人なら頼めばやってくれると思う。そういうところはすごく頼りになる人だ。仕事が忙しくなければ、だけど。
 それに何より、
「ユーモアセンスという点では、社内でも五本の指に入る方かと思うんです」
 私の推薦理由には、小野口課長も東間さんも、他の誰もが異を唱えなかった。

 そうと決まれば善は急げだ。私は営業課に内線をかけ、石田さんとのコンタクトを試みた。
 すると幸か不幸か、彼は休憩に入ったという話だった。
『主任は席を外しております。社員食堂に行くとのことで、あと一時間以内に戻るはずですが、伝言等はございますか?』
 内線に出てくれた、はきはきした話し方の女子社員がそう言う。
 私はちょっと迷い、そういえば私もお昼がまだだったことを思い出して答えた。
「いえ、食堂へ直接伺います。行き違いになった場合の為に、一応『広報の園田から連絡があった』旨をお伝えいただけますでしょうか」
『承知いたしました!』
 女子社員は昼下がりとは思えぬ元気のいい返事をくれ、内線を切ってしまってから私はようやく気づく。
 ああ、そうだ。今のお嬢さんがあの小坂さんじゃないだろうか。石田さんの彼女だと評判の――声だけでわかる、みなぎる若さフレッシュさがちょっと羨ましい。きっと勤務中はいつもあんな感じなんだろうな。若いっていいなあ。
 いやいや私だってまだ二十代、疲れた声なんてしてられない。彼女を見習い、はきはきと原稿を依頼してやろうではないか。
 早速席を立ち、お弁当片手に休憩に入る。

 話に聞いていた通り、石田さんは社員食堂にいた。
 午後三時を過ぎるともう賄いの皆さんはとっくに帰ってしまっているし、食堂は大抵がらがらだ。にもかかわらず石田さんは食堂の隅っこにぽつんと座っていた。近づいていくと、彼がお弁当を広げているのが見えた。
 パステルブルーのストライプ柄をした、長方形のお弁当箱だった。
 石田さんのじゃなさそうだ、と直感的に思った。

 私が声をかけようとした時、石田さんもこちらに気づいたようだ。
 勢いよく振り向き、歩み寄る私を見つけて声を上げる。
「うわっ、何だ園田か。びっくりした」
 忍び足で近づいてったわけでもないのに、そんなに驚かれるとは思わなかった。私は慌てて詫びる。
「ごめん、驚かせちゃった?」
「いや、お前ならいいんだ。もし安井だったら危なかったけどな」
 安井さんの名前を聞くとなぜかどきっとして、その後で妙にそわそわしてくるのが困る。
 もちろんそ知らぬふりで聞き返した。
「何それ。安井さんに命でも狙われてるの?」
「命ってわけじゃないが、弁当は狙われてる」
「え、どういうこと……?」
 私は石田さんの手元に目をやる。
 広げたパステルブルーのお弁当箱には和風のおかずが詰め込まれている。メインは焼き魚で、多分だけど塩鯖かな。きれいな焼き色がついている。そして緑鮮やかないんげんのごま和えとふっくらした卵焼きが添えられ、シンプルながら彩り鮮やかなお弁当となっていた。二段組のうちもう一段は白いご飯に梅干という鉄板の組み合わせだ。
「もしかして、愛妻弁当?」
 冷やかしのつもりで聞いてみたら、石田さんは照れるどころか鼻高々で応じた。
「まあな。未来の愛妻が作る愛情弁当ってとこだ。美味そうだろ」
「そうだね、すごい上手にできてる」
 こうも堂々と惚気られると生半可な冷やかしじゃ太刀打ちできない。私は素直に誉め、石田さんはまるで我が事のように誇らしげに応じた。
「時々作ってもらってんだ。あいつも仕事忙しいのにな、俺にしっかり食べて頑張って欲しいって言って聞かないんだよ。俺は日本一、いや宇宙一の幸せ者だな全く」
 宇宙一とは大きく出たものだけど、そう言いたくなる気持ちもわかる。何とよくできた未来の奥様だろう。

 私は感心し、その後で少しだけ我が身を振り返ってみる。
 お弁当かあ。作ってみたら、安井さんは喜んでくれるだろうか。もう少ししたらそういうこともしてみようかな。
 昔付き合ってた頃は、そういうことさえしなかったから。

「だがそれをな、あの人事課長が妬んで酷いんだよ」
 石田さんはそこで大げさなくらい大きな溜息をつき、私に嘆いてみせる。
「俺が弁当食ってるところをわざわざ覗きにきては、写真に収めようとするんだからな」
「するだろうね、安井さんなら」
「おまけに顔が緩んでるだの、目の毒でとても見てられないだの言いやがる」
「言いそう。何か仕種まで思い浮かぶよ」
 彼女お手製のお弁当に相好を崩す石田さんの姿なんて、安井さんがみすみす逃すはずがない。私が納得のあまり頷いていると、石田さんはそこでにやりとした。
「あいつこそ、近頃妙に機嫌いいじゃねえかってな。秋なのに春みたいに浮かれてるっつうか」
 それからちらりと私を見て、意味深な口調で続ける。
「密かに最近、何かいいことでもあったんじゃねえの、って俺は思ってんだけどな」
 対照的に、私は慎重になって聞き返した。
「……安井さんが?」
「ああ。園田、安井から何か聞いてたりしないか?」
 そう問う石田さんの目は、目撃者への聞き込みと言うよりは、既に容疑者に当たりをつけている刑事のように鋭かった。

 私はぎくりとした。
 お見合いのことは、そりゃ聞かれたら言ってもいいとは思ってたけど――いざとなると言いにくい。安井さんなら真っ先に石田さんに報告してそうだと思ってたんだけど、違うんだろうか。もし意味があってまだ伏せてるんだとしたら、安井さんが入社以来の盟友にまだ話せていないようなことを、私の口からばらすというのもまずいかもしれない。
 それにしても安井さん、石田さんに感づかれるほど浮かれてるのか。実際、私に対しても社内で会う度にちょっかいかけてくるようになったし、言われてみれば機嫌もいいように見えるけど、石田さんの前でもそうなんだ。想像つかない。

 いろいろ逡巡した挙句、ここで打ち明けるのは早計だと、一旦話を逸らすことにした。
「相席していい? 仕事のことで話があるんだけど」
「広報のか? いいぜ、遠慮なく座れよ」
 石田さんは快く頷き、私は彼の真向かいの席に腰を下ろした。
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