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トライアンドエラー(1)

 社内報の特集記事の評判は上々だった。
 やはり一緒に働く同僚、あるいは上司の昔の姿というのは一定の関心を集めるものらしい。かなりの人が目を通してくれたと見えて、面白かった、興味深かったという声がちらほら聞こえてきた。
 もともと読む人は読む、そうでもない人もいるという立ち位置の社内報だけに、感想を貰える機会はそう多くないらしい。私も特集記事についての感想はほとんど人づてに聞いたもので、直接感想を貰うことはまずなかった。多くの人は誰が社内報を製作したかということさえ関心を払わないだろう。
 だからこそ、たとえ人づてにでも感想や評判を聞けるのがとても嬉しかった。

 もちろん、直接感想を言ってくれた人もいなくはない。
 当の石田さんからは感想を貰う機会に恵まれた。
「石田さん、この間は広報にご協力ありがとうございます」
 社内で行き会った時に呼び止めて、写真を提供してくれたことにお礼を告げた。そうしたら石田さんも機嫌よく応じてくれた。
「こちらこそ。社内報見たけど面白く記事にしてもらえて、むしろ美味しかった」
 ありがたいお言葉だ。私は内心で深く感謝した。
「私、石田さんが恥ずかしがるんじゃないかって心配してたんだけど」
「まあ最初聞いた時は本気かよって思った。でも安井がどんどん話進めてくるからしょうがなくな」
 石田さんは首を竦めた後、妙に楽しげに言った。
「でも何でもやってみるもんだな。あの記事載ってからというもの社内の注目も話題も俺が攫っちゃったからな」
 そんなに話題になってるんだろうか。私が目を瞠るのを、石田さんは随分得意げに見下ろす。
「すごいぜ。営業課内はおろか他部署の人間にまで『社内報見ましたよ』って声かけられまくり誉められまくり感動されまくり」
「へえ」
 石田さん、そんなことになってたんだ。じゃあ安井さんも、小野口課長辺りもそうなのかな。
 驚きながら相槌を打つ私に、石田さんは尚も続ける。
「可愛い女子社員からは『昔の主任も素敵ですね!』って言われたし、上の人間は俺の見事な成長ぶりに称賛の嵐、後輩達は俺の成長を見習って後に続く気でいるらしいし、まさに我が社の模範的社員となりつつある」
 さすがにそれは話盛りすぎじゃないでしょうか。
「今の話、どこまでが真実?」
 私が尋ねると、石田さんがツッコミ待ってましたと言わんばかりに笑んだ。
「可愛い女子社員に素敵ですねって言われたのは本当」
「石田さん、嘘をつくと鼻が伸びるんだからやめなよ」
「嘘じゃねーよ。これはマジで本当だって」
 むきになって言い張る石田さんの鼻は、今のところ伸びてはいない。
「どうかな。それほど社内報に影響力あるっていうなら嬉しいけどね」
 協力者を貶すことになるのは悪いし、私はあえて追及をやめた。
「でも協力してもらえて助かったよ。写真の集まりが悪くて困ってたとこだったんだ」
「このくらいならいつでも協力するって。次は『社内一の男前』って特集で紹介してくれって広報課長に伝えろよ」
 とことん石田さんらしいコメントだ。私は笑いながら頷く。
「一応、話はしておくよ。実は今回の社内報、私が初めて製作に関わってて」
「園田が? そりゃ知らなかった。てっきり小野口課長のセンスだとばかり」
 石田さんが大げさなほど驚いたので、慌てて訂正した。
「あ、違うよ。特集のタイトルは課長の発案! 私じゃないよ!」
「だよな。園田お前いくつだよって思っちゃったよ」
「でもページのレイアウトとかキャプションは私の担当だったんだ。だからご協力には本当に感謝してます」
 そう告げて頭を下げる。
 それから面を上げると、石田さんは先程とはまた別の驚きを表情に浮かべていた。
「ああ……だからか。あんなに必死になってたのは」
 更に腑に落ちた様子で呟かれて、私はそこまで必死になってたかと気恥ずかしくなる。
 ほとんど広報課にこもって仕事してたから誰にも見られてないと思ってたけど、意外と筒抜けなのかもしれない。
「そ、そうだった? 本格的に社内報作ったの初めてだったからかも」
 私が慌てると、石田さんはちょっと笑って、
「いや、こっちの話だから気にすんな。初めてとは思えない出来だったぞ」
「そう? それならよかった」
「ああ。ただ俺は顔貸しただけだけど、写真持ってきたのは安井だからな」
 あの写真に写っていたのとは違う、大人びた顔つきで言い聞かせてくる。
「言うまでもないことだろうけどな、あいつにはちゃんと礼しとけよ。あいつが頑張んなかったら俺だって協力できたかわからないんだからな」
 すっかり営業課主任としての役職が板についたような助言だった。
 確かにその通りだ。安井さんが話を通してくれたからこそ石田さんも快く引き受けてくれたのだろうし、私が持ちかけたところでこう上手くはいかなかったかもしれない。
 何よりあの素晴らしい写真は、安井さんが見つけてきてくれなければ、こうして社内報に載せることすらできなかった。
「うん、わかってる。ちゃんとするよ」
 私も神妙に答えた。
 一応お礼は言ってあるけど、何かした方がいいのかもしれないなと思っている。

 他に直接感想をくれた人は、広報課員を除けば安井さんくらいのものだった。
 安井さんは社内報を見た時にまずその出来映えを誉めてくれて、その後で他の社員が面白がってたとか、楽しく読んでたという話を私に伝えてくれた。つまり私が今回賜った人づての感想は、ほとんどが安井さんを介して聞いたものだった。
 安井さんも、石田さんが得意げに語ったほどではないにせよ、いろんな人からあの記事と昔の写真について声をかけられることがあるらしい。それで社内報自体への感想も聞くことが多いのだと言っていた。
「あの特集記事が呼び水になったのかもな。今回初めて社内報にじっくり目を通した、って人もいたよ」
「そうなんだ! ああでも、私も広報に来る前は読んだり読まなかったりしてたかも」
 なるべく読むようにはしていたつもりだったけど、繁忙期にはつい目を通し忘れて、後からバックナンバーを漁ったりということもあった。社内報の情報は新聞ほどではなくても鮮度があるから、早いうちに読んだ方がいいのは間違いない。
 呼び水、という表現はまさに的確だと思う。あんまり羽目を外すこともできないけど、何か皆が読んでくれるような、読みたがるような記事がやっぱり必要なんだろう。
「それと口コミ力が意外に侮れないと思ったな。評判聞いてから読んだという人も多かった」
 勤務中と何ら変わらない生真面目な口調で安井さんが分析をする。
「社内報を読んで、例えば休憩中や飲み会の席で話題にする場合も多いみたいだ。より大勢に読ませたいなら社員共通の話題になるもので、なおかつ明るいネタがあるといいのかもな」
 私はその分析をメモに取り、次回更新への参考にするつもりでいた。
 何せ社内報は毎月更新、これから毎月のように製作に携わることになるのだ。感想はどんなものであれ喉から手が出るほど欲しかったし、こうして事あるごとに教えてくれる安井さんには頭が上がらない。
「ありがとう、いろいろ聞かせてくれて」
 情報を聞かせてもらう度に、私はお礼を言った。
 そして安井さんはいつも優しい笑顔で応じてくれた。
「役に立てて嬉しいよ。また何か聞いたら教えるからな」

 社内で行き会った時、社員食堂で一緒になった時、自転車じゃない日の帰りに偶然顔を合わせた時。あるいは帰宅後のメールなんかでも、私と安井さんはこんなふうにやり取りをしていた。
 今まで通り、同期らしい関係を保ったままで。
 でも仕事の話ばかりしている、という状況がかえって不自然だと思っているのは、きっと私だけじゃないだろう。

「何か、お礼がしたいと思ってるんだけど」
 だからその言葉は、ためらいながら切り出した。
 安井さんには怪訝そうにされた。
「お礼? 写真のってことか?」
「そう。安井さんが見つけてくれたから記事にできたんだし、実際に手伝ってももらったし」
 石田さんにも、安井さんが頑張ってくれたんだと念を押されているし。
 私が説明すると、思案するような間の後でちらりと私に視線を走らせる。
「何でもいいのか」
「何でもとは言わないけど。私に用意できるものなら」
「例えば?」
「そうだなあ、図書カードとか、商品券とか?」
 無難なところを答えたら、思いっきり溜息をつかれた。
「お前の答えと俺の希望に温度差がありすぎる」
「じゃあ安井さんは何がいいの?」
 逆に聞き返すと安井さんの目が、私の口元へ向けられる。さすがにこっちも察して、先手を打つつもりで睨んでおいた。
「こないだみたいなこと言うのは駄目だよ」
「わかってる。そういうのはお礼って形じゃなくて、自発的にしてもらいたい」
 反応に困るようなことをあっさり言って、安井さんはしばらく考え込んでいた。
 でも結局思いつかなかったようだ。
「思いつくまで取っておく、ってのは駄目かな」
 最終的にはそう尋ねられて、私は釘を刺しておく。
「いいよ。でも、変なこととかなしだからね」
「その、変なことっていうのは具体的にどの辺まで?」
「聞かないで! 察して! と言うかそういうのは安井さんの方が詳しいでしょ!」
「詳しくないよ俺なんて。セクハラとかしたこともないし」
 安井さんは爽やかに嘘をついた。
 全く、これが過去に付き合い別れた男女の交わす会話なのか。何と言うかいろいろ、おかしい。

 やり直したいと言われて、私はまだ返事をしていなかった。
 安井さんもそのことには全くと言っていいほど触れてこなかった。恐らく彼が言ったように、今はまだ私が考えているだけでいいと思っているのだろう。
 だけど近いうちに返事を求められるだろうし、私も答えなくてはならない。
 迷ってはいない。なのに、どう答えていいのかまるでわからなかった。

 安井さんを傷つけずに、やり直す気はないと告げる方法はない。
 はっきり言ってしまったら確実に傷つける。そして私はあの人を、二度も振ってしまうことになる。
 かと言ってやり直すなんて無理だ。私じゃ安井さんを幸せにできない。また振り回して、仕事で忙しいあの人を一層くたびれさせてしまうとわかっている。
 大体、安井さんもあんな目に遭っておいて『気にしてない』なんて言えるのは変だ。あの夜、私の誕生日の夜に見せた、酷く疲れきった顔に浮かべた精一杯の笑顔をまだ覚えている。思い出せば胸がきりきり痛むあの笑顔――あんな顔はもうさせたくない。
 それにしても、私は安井さんのことを随分と克明に覚えているみたいだ。
 身体も心も全て、私は、なかったことにはできていなかった。

 社内報の件が一段落しても、広報にはまだ別の業務がある。
 七月に入ってから任されるようになったのが広報誌の製作だった。社内報が社内向けの発信業務だとすれば、広報誌は社外向けの情報発信。つまり社内報よりも更に堅く真面目な作りでなくてはならないし、デザインレイアウトもより凝った、それでいて見やすいものにしなくてはならない。
 他社では広報誌のデザインを外注するというところも多いらしいのだけど、我が社はそれも含めて広報の仕事ということになっている。だから広報課員には社内情報の収集や整理の他にDTPの能力なども求められる。
 私は学生時代にDTP三種を取得していた。今年度の異動にそれがどれほど考慮されたかはわからないものの、他の課員は皆、一通りの資格を取っているらしい。
 実務自体は無資格でもできるものではあるけど、いい機会だから勉強し直して、知識が身についたことへの確認の意味でも二種一種と取得しておこうかなと考えている。

「二種なら今から勉強すれば、来月の検定に間に合うかもしれない」
 この件においても、東間さんは頼もしい先輩だった。資格を取りたいと私が相談を持ちかけたら親身になってくれた。
「よかったら過去問見せようか。取ってあるから」
「本当ですか! 是非お願いします!」
 私は拝み倒す勢いで飛びついた。近いうちにテキストも揃えて、勉強を始めよう。
「資格は持ってて損はないもんね。負担にならない程度に挑戦したらいいよ」
「そうします。東間さんはもう一種持ってるんですよね?」
「うん。全部ばらばらの時期に取っちゃったせいで、更新のお知らせが来るのが煩わしいかな」
 東間さんはそう言って小首を傾げる。
「資格って、努力の証明だよね。もっと言うと、自分の価値の証明みたいな」
 穏やかな口調で、聞き入る私に向かって続けた。
「もちろん過信していいものじゃないけどね。ただ働き続けていく上で、生きていく上で、自分の価値をできる限り高めていけたらいいなって思うの」
 相変わらず東間さんは、先のことをよく考えている。
 私はそこまで考えていなくて、当面の問題だけで精一杯だ。
「価値を高めるか……。私もできることから、頑張ってみようかな」
 今の自分の価値さえ把握しきれていないけど、私が決意を口にすると、東間さんが言った。
「園田ちゃんも料理教室通い始めたんでしょ? それだって価値を高めることではあるんじゃない?」
「そうだといいんですけどね。何だかんだ、まだ三回しか通えてなくて」
「そっかあ。レパートリー、いくつか増えた?」
「お、お察しください……」
 豆腐料理を教えてくれる回が来ないかなあ、と思いながら通っているところです。本末転倒にも程がある。

 それにしても、異動が決まってから半年。あっという間に時が過ぎていた。
 引継ぎの準備をして、引継ぎをして、異動先で新しい仕事を覚えて、人間関係の基礎を築いて、いつの間にやら仕事が本格的になって、これからの為に資格も取ろうって話になって――本当に忙しくて慌しいものだ。

 あの頃の安井さんの気持ちが、今になってようやくわかった気がする。
 こんなに忙しいんじゃ、できたばかりの彼女を構っている暇はなかっただろう。
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