Tiny garden

ここは道のはじまり(3)

 東間さんは、婚活にめちゃくちゃ詳しかった。
「始めるんだったら明確なビジョンを持つようにした方がいいよ。結婚したら専業主婦希望なのか、共働きでも構わないのか。向こうの親と同居してもいいと思っているのかどうか。子供を産むつもりはあるのか、あるとすれば何人くらいを希望するのか……その辺りは結構突っ込んで聞かれたりするから、事前に考えておくといいかもね」
 私はパフェを食べながらその話に聞き入っていた。
 ストロベリーパフェはいちごが新鮮でとても美味しかったけど、東間さんの話も私にとっては新鮮だった。

 婚活では結婚後のビジョンを、相手もいないうちから考えなくちゃいけないらしい。
 私はこれまで、せいぜい『好きな人と結婚できたらいいなあ』と思う程度の想像力と計画性くらいしかなかったから、こうして一気に聞かされると軽く混乱してしまう。
 とりあえず専業主婦でも共働きでもいいけど、できれば今の仕事はもう何年か続けたいかな。異動したばかりだし、仕事教えてもらっているところだし。
 親との同居は微妙なライン。やっぱり夫婦水入らずに憧れる。
 子供は、相手が欲しいって言ったらそれはそれでいいかもしれない。私がお母さんになるって、結婚すること以上に想像つかないものの。

「五月の連休中に、ちょうど出ようと思ってたパーティがあるんだよね」
 必死になってビジョンを構築する私を見かねてか、東間さんがそう持ちかけてくれた。
「園田ちゃんさえよかったら、試しに一度行ってみない? 予定空いてたらでいいんだけど」
「予定は空いてます」
 どうせ他に予定があるわけでもない、趣味に費やす予定だった連休だ。
 それに一人じゃ気後れして、行きにくいなと思っていたところだったから。
「東間さんが一緒なら心強いです。どういうものかって一度見てみたかったんで」
「じゃあ一緒に行こ。一度行ってみて、それからいろいろ考えてみてもいいかもね」
「はい!」
 頼りになる先輩ってありがたい。仕事だけじゃなく、結婚についてもこんなに詳しく教えてもらえるなんて思わなかった。
 そんな頼れる先輩のビジョンは、一体どんなものなんだろう。
「東間さんはどんな結婚がしたいって思ってるんですか?」
 聞いてみたくて尋ねると、東間さんは柄の長いスプーンでパフェの下層を掘り起こしながら言った。
「私は……子供はいなくてもいいから、夫婦で働けるうちに働いて、家を建てたいかな」
「マイホームですか。うわ、すごいですね!」
 それはなかなか格好いい夢だ。
 何も考えてない自分が恥ずかしくなる。やっぱりそのくらいは考えないといけないのかもしれない。
「うん。そこを終の棲家にして、二人でのんびり余生を送って、どちらかがどちらかを看取るまで暮らしていけたらって思うんだ。そういう静かな生活に付き合ってくれる人がいい」
 東間さんはそこまで語ると、少し寂しそうに微笑んだ。
「実は私、二十代の頃に婚約してたんだよね」
 私が思わず手を止めると、東間さんは尚もパフェを食べつつ語った。
「学生時代から長く付き合ってた人がいて、でもなかなか結婚って話にならなくてね。こっちからせっついてようやく婚約まで漕ぎつけたんだけど、それがいけなかったのかな。直後に喧嘩して、拗れて、別れることになっちゃった」
 口調は湿っぽさもなく、きっと吹っ切れているんだろうと思わせる明るさもあった。それでも後悔の色ははっきりと伝わってきて、私まで胸が痛くなる。
 婚約までしたのに別れてしまうこともあるんだ。
 何だか、聞いただけなのにすごくショックだ。
「テンカウントの、エイト、ナインくらいまで行ってたんじゃないかな」
 細い指を九つまで数え折り曲げて、東間さんは溜息をつく。
「そこまで行っても駄目になる時はなるもんだって、勉強になった。そのせいで二十代を棒に振っちゃったけどね」
「……切ない話ですね」
 私も一緒になって深く息をついた。
 私の場合はカウントナインどころか、二つ三つ数えたかなってところで別れたからいいようなものだ。もし婚約まで行った上で別れてたら、立ち直れなかったかもしれない。
「だから極論を言えば、一緒に年取ってくれる人ならいいってことなんだけどね」
 東間さんは私より早くパフェの器を空にすると、スプーンを置いて微笑む。
「その上で、どうせなら幸せな結婚がしたいじゃない。だから努力してるの」
 幸せな結婚は、私だってしたい。そりゃ何だって幸せな方がいいに決まっている。
 やっぱりその為には努力が必要ってことなんだろうな。

 歓迎会から数日後、私は来月のパーティの予定にそわそわしながら日々を過ごしていた。
 ちょうど四月下旬に入ったばかりで、連休で何をしようかあれこれ考え始める頃合いだ。そのうちで何か、いいことがあったら――と言うか、手ごたえになるものが掴めたらいいなと思っている。もちろんいいことが起きるのだって大歓迎だけど。

 そんなことを考えながら、本日も勤務終了。午後八時過ぎに退勤して、自転車に乗って帰ろうとロッカールームへ向かっていた時だった。
「園田」
 急に背後から足音が近づいてきたかと思うと、安井さんに呼び止められた。
「あ、安井さん。お疲れ様です」
 私は振り返って応じ、安井さんもやや急き気味に、おざなりな会釈を返してくる。
「お疲れ。今帰りだろ? 疲れてるとこ悪いんだけど、ちょっと話できるか?」
 すぐに本題に入ったから、何か重要な用事なのかもしれないと察した。
「いいよ。どんな話?」
 間髪入れずに答えると、安井さんは周囲を見回してから声を落とす。
「ここじゃちょっと。場所移していいか」
 廊下じゃできない話みたいだ。
 私は安井さんに連れられて、人気も疎らになりつつある社内を歩く。

 そうして連れてこられたのは第三会議室だった。
 第一、第二、第三とだんだんグレードが落ちていく会議室の一番小さい部屋だ。安井さんが鍵を開け、室内の照明を点けると、折り畳めるテーブルやパイプ椅子が並んだ部屋が見えた。カーテン開けっ放しの窓の外は真っ暗で、室内の蛍光灯の光が白く跳ね返っている。
 安井さんは私を室内へ連れ込むと、慎重にドアを閉めた。
 それから私に、いやに真面目な顔で向き直る。
 もしかするとこれが、この間言ってた例のヒアリングだろうか。それにしてはまだ月末というほどでもないし、椅子も勧めてくれないのが妙だ。

 私が不思議に思っていれば、安井さんはやがて抑えた声で切り出した。
「園田」
「な……何?」
 静まり返った部屋に二人きり。そこで涼しげな目元から向けられた真剣な眼差しに、なぜか私の声がかすれた。
 それを笑いもせずに彼は続ける。
「お前、小野口課長にお見合いがしたいって言ったのか?」
「えっ、何で知ってるの?」
 厳密にはしたいなんて言ってないけど。むしろやんわりとながらもお断りしたはずだけど。
 それよりもそんなことをなぜ、あの場に居合わせなかった安井さんが知ってるのか。
 その答えを、もったいつけずに安井さんは口にした。
「俺も、見合いしないかって言われたんだよ。あの人に」
「そうなの? へえ……」
 課長、いろんな人に声かけてるんだ。東間さんも経験あるって言ってたし、仲人が好きなのかな。趣味とか。
 私が驚いているのを、安井さんはどこかうろんげに見ている。
「お前、俺が何を言いたいか、本当にわかってるんだろうな」
「わかってるよ、安井さんもお見合いを打診されたんでしょ?」
「察しが悪いな。お前と見合いをしないかって言われたんだよ」
「ふうん……え? えええ!」
 私は思わず声を上げた。そりゃ大声だって出る。
 だって、お見合い! しかも安井さんと!
「ななな、何でっ。どういうこと!」
 慌てふためく私の肩を、安井さんが宥めるように叩く。
「はいはい、いいから落ち着け。大声出すな」
「で、でもっ、こんなのうろたえるなっていう方が無理だよ!」
「考えてみれば順当なとこだろ。同期入社の売れ残り組だしな」
 安井さんは私の肩に手を置いたまま、首だけ竦めた。
「前々から『結婚しないのか』とは聞かれてたから、そういう話もそのうち来るだろうと思ってた。まさか相手が園田だとは考えもしなかったけどな」
 私だって考えもしなかった。

 と言うより、そもそもお見合いの相手を社内で見つけてくるとは想像もしなかった。
 何だってこんな手近なところでどうにかしようとするんだ。だからこんなあってはならない組み合わせになったりするんだ!
 いや、でも、よく考えれば、一つ思い当たる節がある。
 東間さんがお見合いに出た後で断った際、『気まずかった』と言っていたはずだ。あの気まずさっていうのは上司の紹介だからという意味だと私は捉えていたけど――よくよく考えたらそれだけでお見合い自体が気まずくなるのもおかしい。
 恐らく東間さんも、社内の誰かとお見合いをしたんだろう。
 それでやっぱりないなってことに落ち着いて、お互い示し合わせて課長に断りを入れたんだろう。
 にしても、小野口課長。声をかける相手がピンポイントにも程がある!

「も、もちろん断ってくれたよね?」
 私は恐る恐る聞いた。
 すると安井さんはようやく私から手を離し、こちらの反応を面白がるみたいに笑う。
「まだだ。園田に確かめてから返事しようと思ってた」
「そっか……。じゃあ断っておいてよ、私も聞かれたらちゃんと言っておくから」
「でも興味ないか? お見合いって俺もしたことないし、いい機会だからしてみたい」
 いやいやいや、何言ってんのこの人は。
 お見合いってそんな、スカイダイビングかバンジージャンプかってノリでするもんじゃないでしょう。
「してみたいとかそんな軽い気持ちで受けちゃ駄目だよ! ちゃんと断ろうよ!」
 私が訴えても安井さんは笑うばかりだ。
「園田だって興味はあるだろ? ハーブティーの店でお見合い、しかも小野口課長の奥様が入れるお茶だぞ」
「……それは確かに、ちょっとだけ興味あるけど……」
「だろ? 俺も園田となら気負わなくていいし、気楽にお見合いできそうだ」
 安井さんのあっけらかんとした言葉を聞いてると、そもそもお見合いとは何ぞや、という疑問に行き着きそうで怖い。
 そんなもの、駄目に決まっている。
「あのね。私達がお見合いしたら詐欺になっちゃうでしょ」
「詐欺? 随分穏やかじゃない物言いだな」
「結婚詐欺ならぬ、お見合い詐欺だよ。課長がご厚意で設けてくださる席を冷やかしに行くなんて失礼だよ!」
 こんなに真面目に説得してるのに、安井さんはまるでのれんに腕押しだ。
「小野口課長も趣味みたいなもんで、絶対楽しんでやってるって。あの人、仲人やるのが大好きらしいからな」
 まあぶっちゃけ、そうじゃないかとは思ってたけど。
「私はお見合いなんてしないからね。安井さん、行ってみたいなら他の人にしてって課長に頼んでよ」
 きっぱりと拒むと、安井さんは残念そうに肩を落とした。
「そうか。なら仕方ないな、俺も断ろう」
 断るんかい。何なんだ本当に、この人は。
 私達がお見合いしたって何にも成立しないことはわかっているはずなのに、まさかそういうものさえ『なかったこと』にしているんだろうか。 
「園田は、他の奴とならお見合いするのか?」
 安井さんの問いに、私は疲労感を覚えながらかぶりを振った。
「しない。と言うか私、聞かれた時に一応断ったんだよ」
「小野口課長は、お前が結婚したがってるって言ってたけど」
「それは言ったけど。お見合いはまだいいです、早いですって言ったつもりだったのに」
 あの時の課長、結構酔っ払ってたからな。あんまりよく覚えてなくて、酔いが醒めてから『お見合いさせるって約束したかも』なんて慌てたのかもしれない。
「俺も話が来た時は驚いたよ。園田が見合いしたがってるって言うから」
 安井さんは意外そうに言ってから、ふと思い出したように付け加える。
「けどお前、まだ『優しい人がタイプ』って言ってるんだな」
 何の話か、すぐにはぴんと来なかった。
 でも、そういえば飲み会で、課長に好みのタイプを聞かれてたなと思って――だから小野口課長は、優しさで言えば折り紙つきの安井さんに声をかけたのか。
 納得半分、迂闊なこと言えないなという焦り半分で私は顔を顰める。
「おかしい? 誰だって優しい人の方がいいじゃない。暴力振るう人なんてやだよ」
「お前には合わないよ。優しい人ってだけじゃ無理だ」
 安井さんは妙に確信的に断言した。
「……どういう意味?」
 私は怪訝に思ったけど、その問いに彼は答えなかった。
 代わりに明るい表情になって、
「ところで園田、連休中は暇か?」
「え? ああ、うん、一日くらいなら空いてると思う」
「じゃあそのまま空けといて。約束通り、飲みに行こう。また連絡する」
 そう言うと、会議室のドアを開けて、私に出るよう促した。
 おかげで返事もし忘れた。断るつもりはなかったけど。

 けど、釈然としない。
 優しい人が好きで何が悪いのか。そもそも安井さんのことだって、口は悪いけど優しい人だと思ったから好きになったのに。
 それが間違っているみたいな言い方を、それも今更言われたて、どうしろというんだろう。
 それとも次は自分みたいなのは止めとけという、安井さんなりのアドバイスなんだろうか。
 でも次に好きになる人も、結婚相手を見つけるにしても、絶対に優しい人がいいけどなあ。怖い人も乱暴な人も嫌だ。
 考えてみたものの、いまいちいい答えが出てこなかった。お見合い騒動の衝撃もあって、私はすっかりくたびれた気分でロッカールームへと足を向ける。

 何かもう訳わからないけど、一つだけ言えることがある。
 小野口課長から二度とお見合いを打診されないよう、私は婚活を頑張るべきだ。
 よし、始めよう。
 私も少しは努力して、誰かに世話を焼かれる前に、自力で幸せを掴んでしまおう。
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