Tiny garden

ここは道のはじまり(2)

 四月と言えば、歓迎会シーズンでもある。
 異動してきた私にとって、広報課の皆さんは全員が初対面というわけではない。総務部合同の飲み会で同席したこともある。でも何事も初めが肝心、自己紹介はしっかりしておかなければならない。
 ということで、居酒屋に設けられた歓迎会の席で、私は高らかに持ちネタを繰り出した。
「園田伊都です。入社九年目です。誕生日が一月十日なので『伊都』って名前をつけられました。ちなみに姉の名前は『実摘』です。よろしくお願いします!」
 この自己紹介で七割程度のウケは取れる。両親には感謝してもし足りない。

「園田さんのご両親は、なかなか面白い名づけをしたんだね」
 広報の小野口課長に感心されて、私はビールを飲みながら笑った。
「本当ですね。でも名前のつけにくい日に生まれてたらどうしたのかなとは思います」
「そうだね。イイニクの日とかだったら、ちょっと名前つけづらいもんなあ」
 課長はうんうんと頷いている。
 その辺りはまあ、私も姉も運がよかったと思っておくべきだろう。
 安井さんとも話した通り、小野口課長はとてもいい人だ。年齢は四十代だと聞いているけど、顔つきはしゅっと引き締まっていてなかなか男前だった。笑うと目じりに皺ができて、そのせいでぱっと見の年齢が判断しづらい。
 ただこの人もお酒に強くはないらしく、歓迎会が始まって一時間もしないうちにすっかり赤い顔になっていた。
 そして隣に座る私に、酔っ払いらしい口調で尋ねてきた。
「ところで園田さんはあれかな、彼氏とかいないの?」
 異性の上司からのこういった質問に、無神経だと即座に腹を立ててはいけない。向こうだってこっちが何年働けるか、戦力になりうるかを見極めようとしているのだ。もちろん興味本位で聞かれて本当に無神経なことをああだこうだ言われた場合にはスルーしてよし。
 私は出方を見るつもりで正直に答える。
「いないんですよー。誰かいい人いないかなあって思ってるとこなんですけどね」
 すると課長はおお、と声を上げ、
「ってことは園田さん、募集中ってとこか」
「そうなんです。やっぱりそろそろ結婚もしたいかなって」
「じゃあお見合いなんてする気はないかな?」
 と続けたので、私はその瞬間、愛想笑いも忘れておうむ返しをした。
「おみ……お見合い?」
「そうそう。いい人探してるんなら、紹介するよ」
 小野口課長は赤ら顔に温厚そうな微笑みを浮かべている。決して冗談のつもりではなさそうだ。
 しかし話を振られた私は、呆気に取られていた。

 そりゃ確かに結婚しようかな、したいなと考えていた。
 二月に安井さんと飲んだ時も思ったけど、ずっと一人じゃ寂しいだろうし、今はよくても後で悔やむかもしれない。それなら若いうちにどうにかすべきかも、みたいなことは思っていた。とは言えあれから仕事が忙しかったり休日は趣味に費やしたりするばかりで、特に何か行動に出たりはしていなかった。
 そういうノープランな私が、出会い探しやら何やらをすっとばして、いきなりお見合い。
 お見合いってドラマでしか見たことないけど、ししおどしの音が響く高級料亭に着物で行って、お互い向き合いながら『ご趣味は?』とかやるようなイメージしかない。着物なんて成人式で着て以来だし、それ着てずっと正座なんて私には耐えられない。後は若い二人で、とか言われて庭を散歩するような展開になったが最後、足が痺れてまともに歩けず畳の上でのた打ち回る自分の姿しか想像できない。もちろんその後はお断りコース一直線だろう。

「いや私、着物とか全然着慣れてないですし!」
 慌てて断ろうとすると、課長はきょとんとしてからすぐに破顔した。
「そういう堅苦しい席じゃないよ。実はうちの妻が趣味が高じて、ハーブティーの店を始めてね」
「はい、同期の子から伺ってます」
「そうか。これがなかなか、手前味噌だが美味しい茶を入れてくれるんだよ」
 課長は惚気のように――実際惚気なんだろうけど、でれでれした口調だった。
「その店に園田さんと、それからもう一人をお招きして、まずはお茶会からっていうのはどうかな」
「お茶会でお見合いってことですか?」
 私が聞き返すと、そう、と課長が頷く。
「肩の力抜いて、気軽にできるお見合いってのもいいと思うよ」
 つまりそれは高級料亭がハーブティーのお店に置き換わるということなのだろう。着物を着ていく必要もなく、畳の上で正座をする必要もなく、椅子に座ってテーブルでお茶を飲みながら『ご趣味は?』なんて言い合うお見合い――。
 だからと言って課長の仰るように気軽に、とはいかない。
 だってお見合いって直接顔を合わせるから、断りにくいイメージがある。上司の紹介ともなれば合わないと思っても尚更断りづらいだろうし、そもそも漠然と『結婚しようかなあ』と思ってるだけの私には荷が重すぎる。
「そ、そうですね……。ちょっとまだ、いいかな、早いかなって」
 私は一歩引いた返事をした。
 ところがそれを、課長は押せばどうにかなる態度と踏んだらしい。すかさずにこにこしながら追撃してきた。
「こういうのは早いうちがいいんだよ。参考までに、園田さんはどういうタイプが好みかな」
「え? いや、まあ、強いて言うなら優しい人、ですかね」
「へえ、意外だな。もっと強気な男が好きな子かと思ってたよ。俺についてこい! 的な」
 課長の中で私はどんなイメージなんだろう。まだ異動してから一ヶ月経ってないのに、既にずれた印象を持たれているような気がする。
「あとは、私のわがままを聞いてくれるような、包容力のある人がいいかなって」
 と言うか。私も何をぺらぺら正直に答えちゃってるのか。ほんの少し興味があるのも事実なんだけど、ここはもう少し引いておかないと、本当にお見合いの席を用意されてしまいそうだ。
「でもお見合いはまだハードル高いかなと――」
 私がやんわりと断りの文句を口にしかけ、それに課長も何か言いかけた時だった。
「――課長。園田ちゃんはまだ二十代なんですから、お見合いしなくてもいい出会いは見つけられますよ」
 私と小野口課長の間に割り入るようにして、澄んだ声が響いた。

 それは、私達の向かいで緑茶割りを飲んでいた、東間さんの声だった。
 髪をいつもアップスタイルにした、切れ長の瞳の東間さんは、眼鏡越しに私達を眺めて微笑む。そして、その容姿に違わぬ落ち着いた口調で言った。
「二十代の子は婚活では売り手市場、引く手数多なんです。お見合いはまだ早いですよ」
 正直、かけられた言葉自体は少々意外だったけど。
 どういうことだろうと首を捻る私に、小野口課長が説明してくれた。
「東間さんは婚活のプロなんだよ。聞いた話じゃかなり場数を踏んでるらしくてね」
「そうなんですか」
 もっとも、課長のその紹介は東間さんを思いきり苦笑させていた。
「プロって。誉めてないですよね、課長」
「いやいや、いつもその手の話題には詳しいなとは思ってるよ」
 課長は慌てて弁解し、ビールを啜る。
 その隙を突くように、東間さんは私に笑いかけてきた。
「まあでも、詳しくなっちゃったのは本当かな。あいにくこの歳まで売れ残っちゃって、今になって必死に婚活してるところ」
 謙遜とも自虐ともつかない、それでいて穏やかな語り口だった。
 東間さんはいい人だし、頼れる先輩だし、とびきりの美人でもあるのに、こんな人でもすぐには結婚できないのか。実は結婚までの道って相当な茨道なんじゃないだろうか。
 そういえば婚活ってよく聞く言葉だけど、どんなことするのかは漠然としか知らない。パーティに出て相手を探したり、街コンとか開いたり――そういうのってどうなんだろう。東間さんは出たことあるんだろうか。
 私はいくらか興味を持って尋ねた。
「そんなに難しいんですか、婚活って」
「そうだね。三十代から始めたら大変かもしれない。でも二十代だったら……」
 と言いかけて、東間さんはちらっと私を見る。
「もしかして園田ちゃん、興味ある?」
「あ、はい。実はあります!」
 私が食いつくと、東間さんは嬉しそうに笑った。
「それなら私、園田ちゃんの力になれるかもしれない」

 歓迎会が終わり、酔っ払ってしまった小野口課長をタクシーに乗せてあげた後、私は東間さんから二次会への誘いを受けた。
「よかったら場所移して話さない?」
「お供しまーす!」
 私は嬉々としてついていくことに決めた。婚活について聞いてみたいのもあったし、東間さんともっと話してみたかったからだ。

 東間さんは私を、駅のすぐ近くにあるカフェバーへと連れて行ってくれた。
 天井が吹き抜けになった広々としたお店で、カップルや女性客ばかりが来店していた。
「ここはパフェがお薦めなんだよ。園田ちゃんは飲んだ後に甘い物って平気?」
 三日月形をしたカウンター席に並んで座り、東間さんが私に尋ねる。
 私も何か冷たいものが食べたかったから、お薦めということだし、一緒にパフェをいただくことにした。東間さんが抹茶を、私がストロベリーのパフェを頼んで、食べながら話をした。
「失礼なこと聞いちゃうけど、園田ちゃんってどのくらい彼氏いないの?」
「失礼じゃないっす。もうかれこれ数年はいないですよ」
「そうなんだ。まあ、普通に働いてたら出会いなんてないよねー」
「ないですよねー」
「社内で見つけるって手もあるんだろうけど、拗れた時が怖そうだしねー」
「で、ですよねー……上手くいけば楽しいんでしょうけどね」
 上手くはいかなかったけど拗れなかっただけ、私はまだいい方だ。
 ましてや長谷さんみたいに順調に事が進むケースはなかなかないのかもしれない。どちらにしても私は、社内恋愛はもういいかな。
「実は私も、小野口課長からお見合いを勧められて、伺ったことがあるんだけど」
 東間さんが思い出し笑いみたいな表情を浮かべた。
 小野口課長は仲人みたいなことをして回っている人なんだろうか。私も他人事ではないし、また話を持ちかけられた時の為にと突っ込んで聞いてみた。
「そうなんですか。どんな感じでした?」
「うん、その当時はまだ課長の奥様もお店を開く前でね。お宅に呼ばれてお茶会をしたの」
「じゃあハーブティーをご馳走になったんですね。美味しかったですか?」
「美味しかったよ。手作りのケーキもあってね、それがまたすごく美味しくて」
 うっとりと語った東間さんは、だけどその後で苦笑する。
「ただ、お見合い自体は気まずかったかな。課長の前だし、上司の紹介となると断るのも悪くてね」
 そうだろうな、と私も思った。
 お見合いするにしても、変なしがらみはない方がよさそう。
「結局断っちゃったけどね。相手の方と示し合わせて、一緒にお断りの話を持っていったの」
「あれ、東間さん。それって意気投合しちゃってません?」
「そうなんだけど。結婚となるとまた別の話でしょ?」
 きっぱり言って微笑む東間さんが、逆に私へ尋ねてきた。
「ところで園田ちゃんは、結婚するんだったらどんな人がいいと思ってるの?」
 同じような質問、課長にもされてたなあと思いつつ、私は柄にもなく照れて答えた。
「そ、それはやっぱり、優しくてわがままを聞いてくれる、包容力のある人が――」
「ううん、そういうことじゃなくて」
 私の非常に恥ずかしい回答を、東間さんは笑顔で否定した。
 ではどういうことかと思いきや、
「例えば年齢。結婚生活を営むに当たって、年の差って重要なファクターだしね」
「そうですね、私はどっちかって言うと、近い方がいいですけど」
 あんまり歳が離れてると話合わないかもしれないし、プラマイ三歳くらいが理想かな。
「二十代の子なら、妥協ができるっていうならいくらでも相手は見つかると思うんだよね」
 東間さんは真面目な口調になって語る。
「三十代、四十代の男性でも、できれば若い子がいいって人がほとんどだからね」
「逆に言えば、同世代を探すのってものすごく難しいってことですか?」
「そうだよ」
 断言されてしまった。
 しかし三十代――安井さんがちょうど三十歳だけど、あの人より更に年上の男の人と、対等になんて話せるかな。
 ましてや四十代なんて小野口課長と同じくらいだ。うちの課長は確かに男前だけど、あのくらいの歳の人とお付き合いするイメージなんて全然浮かばない。
「それから職業。公務員希望とか、その中でも制服系がいいとか、逆に制服系はパスとか、もし自営だったら、とか……そういうのある?」
「あ、いえ、そこまで具体的には考えたことないですけど」
 そもそも職業から相手を選ぶって概念すらなかった。好きになった人が何やってても、定職にさえ就いてればまず気にならないし。
 言われてみれば、制服系公務員ってちょっと格好いい。でも激務だって言うし、あんまり連絡取れないような人は寂しいかもしれない。正直、男の人はスーツを着てれば誰でも格好いいよね。魔力がある。ということでこれも、こだわりはなし。
「あとは、年収ね。これは具体的に考えておいた方いいと思うけど」
 東間さんが続けた言葉に私はぎょっとした。
「ね、年収? そういうのも希望出すものなんですか?」
「そうだよ。パーティなんかに出ると、エントリーシートに必ず書かされるの」
「へええ……。ってことは男性も女性も、ですよね」
「もちろん。園田ちゃんも婚活始めたら聞かれるようになるよ」
 マジですか。
 年収聞かれるのって、体重聞かれるのと同じくらい恥ずかしい気がするけどな……。
 あ、それは言いすぎか。体重の方が恥ずかしい。
「でも初対面の相手と、お金の話なんてできるかなあ」
 私が思わず苦笑すると、東間さんは諭すみたいに首を振った。
「園田ちゃん。彼氏を作るのと結婚相手を見つけるのとは似て非なるものなんだから」
「そ、そうなんですか? 一緒かと思ってました」
「結婚すれば生涯一緒なんだよ。生活を、人生を共にする相手なんだよ。むしろお金の話で揉めないよう、そこはオープンにしていかないと」
 そういうと東間さんは私をじっと見て、
「『好き』から始まる恋愛とは違うんだから。堅実に、誠実に情報を受け渡すところから始まるのが婚活なんだよ」
 と言った。

 好きって気持ちだけじゃどうにもならないこともある。
 恋愛だって結局、相手を好きになるだけでは続けられなかった。
 そういう私に、東間さんの言うような堅実、誠実な出会いは向いているだろうか。俄然、興味が湧いてきた。
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