Tiny garden

比翼の鳥(4)

 時間が経つのは早いもので、披露宴のプログラムもいつの間にか折り返し地点を過ぎていた。
 朝からスケジュールに追われていたし、着慣れない格好をしているのもあって、披露宴の途中でバテてしまうんじゃないかという懸念もあった。しかし今のところ、思っていたよりも疲労感はない。気分が高揚しているせいだろうか。
 高砂にいてくたびれた顔なんてしてられない、ってのもある。今のこの瞬間だって、どこから撮られているかわからん。こういうめでたい場では至るところにカメラと、素人ながらもシャッターチャンスに敏感なカメラマンたちがいるのが常だ。少しでも油断しようものなら速攻すっぱ抜かれるだろう。

「……お前、疲れてないか?」
 別にそれらのカメラを意識してというわけではないが、俺は隣に座る藍子をたびたび気遣うようにしていた。
 着慣れない格好というなら彼女の方がより重装備だし、いくら藍子でもずっとにこにこしているのは疲れることだろう。せっかくのごちそうを目の前にしても、さすがに今日ばかりは食が進まないようだし――さっきこっそり教えてくれた。ドレスだとお腹の締めつけがそこそこきついのだそうだ。
 藍子は俺の心配を吹っ飛ばすように明るく答える。
「平気です、あと十時間はいけます」
「さすがは二十代。若さに溢れてるな」
「隆宏さんは疲れてませんか?」
 小声で聞き返されたので、俺も一応かぶりを振っておいた。披露宴が跳ねて着替えが済んだ頃合いにどっと疲れが来そうだが。
「私、浮かれてるんだと思います。お腹も全然空いてないんです」
 ドレスの上からお腹を押さえて藍子は言った。ただし、
「だから全部済んだら、何か軽く食べましょうね」
 約束するように付け加えてきたので、食欲が全くないわけではないらしい。
 そして、式の前に抱えていた緊張感はすっかり雲散してしまったようだ。いろんな意味で、ほっとした。藍子はよそゆきの顔もいいけど、ドレスを着ていてもいつもみたいに笑っていてくれた方が可愛い。
『――それではここで、お祝いのお歌をちょうだいしたいと存じます』
 司会の方が余興の開始を宣言する。
 そこで藍子がぱっと顔を輝かせた。すかさず俺に囁きかけてくる。
「安井課長の番ですよ」
 同時に、自分の席で一礼した安井が椅子から立ち上がった。
 遠目に表情までは窺えなかったが、奴のことだ。このくらいじゃ緊張も気負いもないだろう。昔から本番に強い男だったから。
 安井も霧島の時と同様に、司会者から紹介を受けながらスタンドマイクの前まで進んでいく。新郎と同じ勤め先でプライベートでもご友人でいらっしゃいます、と紹介があった時、どういうわけか俺の脳裏には入社して以来の安井との数々の思い出がエンドロールのように次々と再生されて、何とも言えないしみじみした気分になった。
 こいつとはいろんなことがあったよな。同期入社で、一緒に営業課に配属されて、初めのうちはお互い若さに任せてあれこれ馬鹿やったりして――あの頃は、所詮同じ職場だからこその間柄だと思っていたし、そう長くつるむこともあるまいと予感していた。お互い家庭を持って落ち着く頃には、せいぜいたまに飲みに行く程度の関係になるだろうと思い込んでいた。
 しかしまあ、若いうちの予感なんて当たらないものだ。安井とは何だかんだで長い付き合いになったし、霧島という生意気な後輩まで加わってつるむようになってしまったし、そして俺たちはこの歳になってもあんまり落ち着いていない。霧島に続いて俺も所帯持ちになるが、可愛い嫁を貰ったって俺自身は未だにこんなもんである。だから安井とも霧島とも、この先もまず間違いなく長い付き合いになるだろう。
 そういう間柄を第三者に『ご友人』と表されると、何かこう、むずむずするけどな。傍から見るとそうなのか。俺としてはそういうのとは違うって、ずっと思っていたのに。
『石田、それに藍子さん。ご結婚おめでとう』
 安井の挨拶は歌の前だからというのもあるんだろうが、霧島よりフランクだった。
 こっちに向かって軽く笑んだ後、会場の皆様に向けて語り出す。
『先程、飲み仲間の霧島からも話がありましたが、結婚前の新郎は大変な惚気癖の持ち主でした。我々は新郎が、いかに藍子さんを愛しているか、いかに藍子さんが素晴らしい女性かをずっと聞かされ続けてきました』
 会場からは笑いが起こる。酒が入ってきたせいなのか、それともめでたい席だからなのか、皆して笑いの沸点が低い。営業課の連中なんて手を叩いて笑っている。
『これからはその惚気が奥様自慢となるのだろうと思うと、楽しみでしょうがありません』
 安井がそう言ったので俺は、だったらこれからは遠慮せず一層自慢しまくってやろうと心に決めた。
 楽しみって言ったもんな。それなら今後も一切自重はしませんので!
『そんな石田と藍子さんを祝しまして、この曲を贈ります』
 場数という点では霧島を軽く上回る安井は、いつも通りの自然体で歌い始めた。まるで本業の歌手みたいに姿勢よく、歌声も伸びていて緊張感はかけらも感じられない。かつて霧島の結婚式ではこの度胸と歌声で数人の女性の心を射抜き、連絡先の交換にまで漕ぎつけたという噂があったのだが、それらが事実だったのかどうか確かめる機会もないまま今日に至る。
 まあ、今となってはそれもどうでもいい話だ。歌を歌う安井も、実に幸せそうに見える。
 曲目は事前に聞かされていた。『好きにならずにいられない』――結婚式でももう何千何万組のカップルが使用してきたかわからないほどのスタンダードナンバーだ。
 なぜこの曲にするのか尋ねたら、安井は笑っていた。曲を選んでいる時に、ふと思い出したんだよ、と言っていた。
 ――昔、小坂さんがお前に聞いたって言ってたろ、『主任は好きな人いますか』って。その話を思い出して、当時と今を比べてみたらさ。もうこの曲しかないって思ったんだよ。

 あの時安井に話した通り、俺はずっと、『好きな人』のいる恋愛なんてしてこなかった。
 何か劇的な事件があったってわけでもなく、単に俺自身が自覚していなかったにすぎないのかもしれないが、それでも長い間忘れていた。手の届く相手だからとか、上手くいきそうだからって理由でばかり相手を好きになってた。必死になって追い駆けようとか、振り向かせよう、捕まえておこうなんて気概を、情熱を、大人になったふりをしてずっと馬鹿にし続けていた。
 でもめでたいことに、それこそ何年、十何年ってくらい久々に、俺には好きな子ができた。
 それもすごく可愛い子だ。おまけに真面目でひたむきで、俺のことをものすごく想ってくれている。気立てもよくて優しいし、愛想だっていい。ちょっとばかし天然気味なのと、未だに色気より食い気が勝ることがあるのが厄介だが、それだって惚れてしまえばあばたもえくぼというのか、とにかく可愛く思えてくるから困る。
 昔の俺が今の俺を見たら、それこそ愚かだって言うのかもしれない。『好きな人』のいる恋愛なんて年甲斐もないし、おまけにそのやり方はちっともスマートじゃないと言われそうだ。実際今日に到達するまでの俺にスマートさはこれっぽっちもなかったが、でもその分、楽しくて幸せでちょっと気恥ずかしい恋愛ができたと思う。
 だから俺にはやっぱり、こっちの方が性に合ってたってことなんだろう。

 これからはもう夫婦なわけだし、そうなると今までみたいに浮かれたりはしゃいだりときめいたりする暇はなくなるのかもしれない。俺の気持ちも彼女の気持ちも徐々に落ち着いていって、年相応に穏やかな愛を抱くようになるのだろう。それはそれで幸せなことだ。
 でも俺はいくつになっても、愚かなまでに彼女を愛し続ける男でありたい。
 藍子が相手ならいつまでもスマートなやり方は通用しない気がするし、何十年たっても彼女の一挙一動にときめいてそうな気もするし、彼女が隣にいるだけで、この先ずっとはしゃいでいられそうだ、とも思う。
 当の彼女は安井の歌に聞き惚れていたようで、ぼんやりした顔つきのまま流れるメロディに浸っていた。それが何となく妬ましくもあり、黙って視線を送り続けていたら、やがてこちらに気づいて、はにかみながらにこっと笑いかけてきてくれた。
 あー……可愛いな本当にもう!
 俺の嫁は世界一可愛い。他の連中にはそう思ってもらわなくても結構だが、と言うか他の奴までそう思ってたら困るが、とりあえずはいくつになっても嫁を自慢し続けること、思う存分惚気続けることをここに誓います。今後はもうスピーチやら何やらで暴露される心配もないしな。語りまくってやるともだ。
 安井、そして霧島。覚悟していたまえ。

 披露宴が全部終わってしまってから、俺は霧島と安井に礼を言った。
 あんまり長く引き止めても悪いし、この後親戚を交えての軽い二次会があったので、時間は少ししかなかった。でも一言くらい、ちゃんと言っておきたいと思った。
「ありがとう。お前らのおかげでいい式になったよ」
 そう告げると、霧島は謙遜することもなく応じた。
「ですよね。俺も我ながら上手くまとめたと思ったんです」
「……かなり昔の話を蒸し返された感はあるがな」
「あの時の先輩の言葉、俺には印象深かったんです。いい言葉ですよね」
 そう語った時の霧島はやり切ったと言わんばかりの顔をしていたので、それがお世辞なのか嫌味なのかはたまた本音なのか、俺には皆目見当もつかなかった。
 安井はもっと不遜な態度で、
「俺も我ながらナイス選曲だと思ってるんだ。石田に捧げる歌なんて、これしかないだろうと」
 満足げにしみじみしていたから、俺はもうあらゆるツッコミを諦めて言わせておくことにする。
「それにお前の奥さんとは約束もあったしな。果たせてよかったよ」
 そう言うと安井は視線を藍子へ向けた。
 まだウェディングドレス姿の彼女は披露宴後もさほどくたびれた様子はなく、霧島夫人ときゃあきゃあ言いながら写真を撮り合ったり、何事か語り合ったりしている。むしろ霧島の奥さんといるから疲れたように見えないだけかもしれない。何にせよ、女の子同士で楽しそうなのが羨ましい。
「結婚後の惚気も楽しみにしてるよ」
 俺が宣言するよりも先に、安井が言った。
 霧島も思いきり頷く。
「ええ。惚気てない石田先輩は石田先輩じゃないですからね。いくらでもどうぞ」
「言ったなお前ら……覚悟しろよ。そうなったら俺は自重も遠慮もしないぞ」
「俺たちが真面目に聞くかどうかはまた別の話だがな。うんざりしてきたら聞き流す」
 楽しみにしてるんじゃなかったのか!
 つくづくこいつら、いい奴なんだか薄情なんだかわからんな。

 ともあれそんな霧島と安井、それに霧島夫人もやがて帰宅の途についた。
 会場に残った俺と藍子に、同じく残っていたうちの父さんがこう言った。
「今日の式はよかったなあ。会社の皆さんにスピーチしてもらったり、歌を歌ってもらったり、随分よくしてもらったじゃないか」
「だろ? 俺の会社での人望の厚さがよくわかったろ」
 俺が、霧島たちが帰ってしまったのをいいことにそう語ると、うちの母さんはどこか冷やかすような目つきになる。
「そうねえ……人望があるかどうかは正直、よくわかんなかったけど」
「何でだよ!」
「でも、隆宏にいいお友達ができたってことだけは、よーくわかったわ」
 その言葉の子供扱いぶりはさておき、それが事実かどうかは――。
「そうなんですよ。隆宏さんには、とっても素敵なお友達がいるんです!」
 俺の代わりに俺の可愛い新妻が、胸を張って答えてくれたので、つまりはそういうことらしいです。
 さすがに俺も今日ばかりは、素直に認めておこうと思った。
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