Tiny garden

お前の為だよ(4)

 カラオケボックスを出た後、俺たちは軽いおやつ休憩を挟んでからゲーセンに向かった。
 以前飲み会帰りに立ち寄ったことがある、百貨店ビルを買い上げて作ったあのアミューズメント施設だ。さすがにあの時とは違い、休日の昼下がりとあっては店内も混み合っている。
 プリクラコーナーへ向かう途中、バッティングコーナーの前を通りかかったが、どのブースにももれなく客が入っていた。楽しげな親子連れから熱心な高校球児風の少年たちまで客層は様々だ。昼間は金属バットの使用も許可されているらしく、時々甲高い音を立ててボールが飛んでいくのが見ている分にも爽快だった。
「俺たちも後で寄るか」
 藍子に声をかけると、彼女は何か思い出したように恥ずかしがる。
「そ、そうですね。今回は筋肉痛にならない程度に」
 あれから彼女がバットを持つ機会はなかった。意図的にそうしたわけじゃなく、やはり暇がなかったからだ。
 ただ藍子は宣言通り、出勤時と退勤時にウォーキングを続けているそうで、そのおかげか彼女は去年よりかは少し細くなった。体重の減少は真っ先に顔に出るから、職場の連中にも『痩せたねー』『ダイエット頑張ってるねー』なんて言われているようだった。
 しかし彼女が一番気にしているらしい下半身、こと太腿だけは思いのほか痩せないようで、藍子はそのことをしきりに嘆いている。俺的にはちょうどいい具合に締まってきたと思っているくらいなのにな。時々、ありがたく撫でさせてもらってもいるし、膝枕も頻繁にしてもらってる。やっぱその辺はむちむちしてるくらいがいいって。
「あと五ヶ月もないんですもんね。せめてもうちょっと落とせたらいいんですけど」
 藍子が張り切っているようなので、俺はさりげなく聞いてみた。
「で、お前の収支決算はどうだったんだよ。年度末も過ぎたぞ、上司に報告しろ」
「……去年から数えて、マイナス五キロです」
 収支報告の際、藍子はちょっと悔しそうな顔をしていた。
「三キロまでは割と順調に減ったんですけど、そこからが停滞期なんです。それに言い訳じゃないんですけど年末年始もありましたし、近頃は一進一退という感じです」
「減らないってことはそこがベストのラインってとこなんじゃないのか」
 俺は言い、いかにも意味ありげに藍子の姿を見下ろしてみた。
「個人的にはもう十分ってとこだがな。俺は今のお前がいいよ」
 すると彼女は悔しげな表情のまま、ちらっと俺を見返してくる。
「でも隆宏さん、私を見る時いつも脚を見てるような気がするから」
「お、気づいてたのか」
「あんなに見られたら気づきます。だから私、脚だけでも痩せたいって思ってたんです」
 藍子もついにそこに気づくようになったか。さすがは二十五歳、入社当時の何にも知らないお嬢ちゃんの頃とは明らかに変わったな。
 謎の感慨を抱きつつ、俺は彼女の言い分に注釈を添える。
「しかし言っとくが、俺が見てるのは脚だけじゃない。いつもくまなく舐めるように見てる」
「それはそれで、何て言うか、リアクションに困るんですけど……」
 そこは喜ぶべきとこだろ。お前の全部が好きだって言ってんだぞ? 特に脚が大好物っていうのもまごうことなき事実だが、柔らかそうな頬っぺたも、きれいで長い髪も、いつでもきらきらしてる目も好きだ。あと慎ましい胸も、肉づきのいい腰も、柔らかくて意外とちっちゃい手も満遍なく愛してる。
 ただ、真っ先に目が行きがちなとこってあるじゃないですか。何かこう、惹きつけられちゃうと言いますか。
「見ないでください」
 並んで歩きながら、藍子が囁いてきた。しかし俺はその制止をあえて無視し、愛のこもった舐めるような視線を向けてやったので、根負けしたのか藍子が恥ずかしそうに俯いた。
「隆宏さんってば……!」
 いかに二十五歳になったと言えど、彼女はまだまだ恥ずかしがりやさんなようです。

 藍子がもじもじしているうちに、俺たちはいよいよプリクラコーナーに辿り着いた。
 大型筐体だけあってそれほど数が置けないせいか、プリクラ機の前には長蛇の列ができていた。俺たちもその列の最後尾につく。すぐに後ろに別のカップルが並んできて、最後尾ではなくなった。
 コーナーの入り口には『女性同士、またはカップルの方のみご利用いただけます』などと注意書きが貼られている。この手のルールができたのはここ数年の話のようで、昔来た時は確かになかったよな、としみじみ思う。つまり俺は、藍子がいなけりゃこの列に並ぶ資格すらいただけなかったわけだ。
「お前に誘われなかったら、生涯来なかったかもしれないな」
 俺は正直に言い、隣で前髪を気にしている藍子に礼を言う。
「おかげでいい思い出ができそうだよ」
「誘ってみてよかったです」
 藍子が嬉しそうに笑いかけてきた。衒いのないそういう笑顔も可愛いなと思うし、この顔を撮影して残しておけるんだったら、それもまた幸せなことだ。
 ただし今回はその隣に俺が並んじゃうんだよな。いや、俺は自分の顔が嫌いなわけじゃないし、まあ人様にはそうそう言いませんがぶっちゃけそこそこ男前じゃね? って思ってますし、藍子と並んで見劣りするような顔じゃないはずだ。藍子もよく格好いいと誉めてくれるしな、もちろん満更じゃないですとも。
 でもプリクラのきゃぴきゃぴしたフレーム内に、たとえ男前だろうと既に三十路の俺が、何の違和感もなく収まれるだろうか。そこが気になる。
 そうこうしているうちに列は進み、俺たちもついにプリクラの筐体の中へと立ち入った。藍子は慣れているのかパネル操作も悩むことなくてきぱき進める。
「ポーズ取りましょうか隆宏さん!」
 そして何だかすごく楽しそうだ。もしかしたら、ずっと俺と撮りたいと思っててくれたとかなんだろうか。態度で示されるとこっちだって悪い気はしない。
「おお、いいぞ。どんなのにする?」
 聞き返せば、彼女は屈託なく言った。
「隆宏さんの入社当時の写真みたいなのはどうですか? 安井課長と写ってた……」
「いやあれはいいよ。って言うか忘れろよあの写真は!」
 しかし最近のプリクラは一度に複数枚撮れてしまうシステムらしく、直立不動の写真ばかり何枚も撮るんじゃ芸がない。藍子ならあのポーズも可愛いことだろう。それは見たい。むしろ欲しい。だが俺も同じポーズをするっていうのは……。
「あの写真だって楽しそうで素敵でしたよ。私、まだあの写真取ってあるんです」
「そう言ったってあれはなあ……」
「隆宏さんならああいうポーズも決まると思います。格好いいですもん」
 また藍子ちゃんは誉め上手と言うか、俺をその気にさせるのが上手い。
 つまり、結果的に、俺は藍子とギャルポーズを決める羽目になった。
 更にその後、ギャルポーズの仕返しとばかり後ろからがばっと抱きついて写ってやったし、頬っぺたをくっつけて写るのも試した。二人でハートマークを作りましょう、と提案してきたのは藍子で、そのくせいざやる局面になったら彼女の方がよほど照れていた。俺はこう見えてもやるときゃやる男なので、いざとなったら割と開き直れたし、それどころか意外に楽しめてしまった
 何せプリクラの筐体内は人目がなく、ある意味公然といちゃつける場所だ。いやこれハマるわマジで。

 かくして俺たちの愛の軌跡は、プリクラ特有のきゃぴきゃぴしたフレーム内に、克明に記録されていた。
「何か、こうして見るとちょっと照れちゃいますね」
 定番デートコースの最終目的地は居酒屋だった。二人で夕飯代わりに一杯やりながら、ゲーセンで撮ってきたプリクラを眺める。四百円払っただけあって仕上がりは素晴らしくよく、どの写真も藍子が可愛くて堪らなかった。そしてめっちゃラブラブに写ってました。
 いや、これ貼るのももったいないわー。台紙から剥がすのだって抵抗ある。でもこれを藍子の持ち物に貼っといたらいい虫除けにもなりそうだ。彼女とこんなプリクラを撮れちゃうのは、この世に俺しかいないだろう。
「いい記念になったよ。俺なんて、撮影終わった時『もっと撮りたい』って思ったくらいだ」
 そう打ち明けてみたら、藍子は驚いたように瞬きをする。
「わあ。隆宏さん、すっかり気に入っちゃったんですね」
「あんなに楽しいもんだと思わなかったからな。是非、また撮ろう」
「はい、もちろんです!」
 藍子は屈託なく答え、俺の下心を見抜いた様子はなかった。
 でも場数を踏んでいけばそのうち、こっちの魂胆にも気づくことだろう。そうなってもあえて、撮りましょうって言ってもらえるように仕向けたいものだ。
 プリクラを撮った後はゲーセンで一通り遊んだ。二人でバッティングもしたし、プライズもあれこれ覗いて回ったし、お約束みたいにワニも叩いた。こんなに遊んだのはいつ以来だろうってくらい遊び倒した。
「いっぱい遊びましたね」
「遊んだなー。こういうのもいいよな、童心に帰れて」
「そうですね。誕生日のデートらしいなって思います」
 藍子が、ほうと満足げな息をつく。それから俺に対してお辞儀をする。
「今日はありがとうございました。おかげですごく、いいお誕生日でした!」
「そうか。お前に楽しんでもらえたならよかった」
 俺も思わず息をつく。こっちは安堵の意味合いの方が大きかったが。
「ふと振り返ってみたら、今日は俺の方が楽しんでたようにも思えたからな。ちょっと気になった」
「楽しかったですか?」
「大変楽しかったです。ぶっちゃけ俺は、お前と一緒なら何だって楽しい」
 ありふれた内容のアクション映画でも。仕事でも行くようなカラオケでも。この歳になって撮るプリクラだって、全部そうだ。
 結婚したら、こんなふうに強行軍で一日回るようなデートはできなくなるかもしれない。でも何やったって楽しい藍子が一緒なんだから、これから生涯一緒なんだから、じっくり時間をかけてやればいい話だと改めて思う。
 とりあえず、結婚前にせよ結婚後にせよ、次のデートでは必ずデジカメを持参することにしよう。
 ――いや、次もあえて忘れて、またいちゃいちゃとプリクラ撮っちゃうのもいいかもな。
「隆宏さんのお誕生日も、こんなふうに楽しく過ごせたらいいですね」
 言いながら、彼女はプリクラを眺めている。少しだけ酔いが回ったらしく、うっとりと幸せそうな顔つきでいる。左手の薬指にはピンクダイヤモンドの指輪が、居酒屋のほんのり暗めの照明を受けて微かに光り輝いている。
 それらを眺めているだけで、俺はとても満ち足りた気分になる。定番デートスポットを巡っただけだが、特別な出来事なんて何も起こりはしなかったが、本当にいい一日だった。
 とは言え、
「お前の誕生日はまだ終わってないぞ」
 今日はまだ終わりじゃない。まだ大事な項目が残ってる。俺が切り出すと、藍子はきらきらした目を瞠って俺を見た。
「えっと……この後、まだどこか行きます?」
「まあな。誕生日と言えば、忘れちゃならないものがあるだろ」
「あっ、ケーキですか?」
 すごい反射速度で聞き返された。まあ、それも大事なものではあるが、それ以外にもあるだろ。しょうがねえな、ケーキならついでに買ってあげるから。
「プレゼントだよ。去年と同じやつだ」
 そこまで言っても藍子はまだぴんと来ていないようなので、更に告げてやった。
「お前が欲しいだけやるから、今日は帰るな。この後、俺の部屋に来いよ」
 ここでようやっと、彼女が凍りついた。ぎくしゃく目を逸らしながら、赤くなった頬を隠すみたいに俯く。その状態からかすれたような小声で言われた。
「あの、それでしたら私は本当、お気持ちだけで……」
「要らないって言うなっつっただろ。受け取り拒否とか泣くぞ俺、本気で」
「で、でも、それってあの、何て言うか」
 藍子はちらっと俺を見る。唇を尖らせて、拗ねたようにも抗議しているようにも取れる顔になった。
「貰う私より、隆宏さんの方が嬉しそうなプレゼントって、ちょっと納得いかないです」
 何言ってんだ。全部お前の為だよ、決まってんだろ?
 その上で俺も一緒に楽しめたら言うことなし。実に合理的なプレゼントじゃないか。

 二十五歳になった彼女は何にも知らないお嬢さんってわけじゃないし、全面的にではないにせよ俺の下心にも気づくようになった。
 その調子で場数を踏んで、俺の嫁になる頃には、もうちょい大胆になっててくれてもいいよななんて思います。
PREV← →NEXT 目次
▲top