Tiny garden

どうすれば返せるんだろう(5)

 十一月のうちに挨拶を済ませたおかげで、俺は藍子のご両親から、年末年始に彼女を連れ出す許可をいただけた。
 そしてその時期に、当初の予定通り俺の実家へ帰省することにした。

 年末の忙しさは藍子の可愛さと結婚への希望及び期待を糧に乗り切った。どうせ俺たちにはクリスマスはあってないようなものなので、その分は年末年始に楽しもうと誓い合っていた。ちなみに去年はキュートだがすっとぼけたサンタクロースに鮭フレークをプレゼントされていたが、今年は更に実用的に、美味しいお弁当を作ってきてもらった。どうやら俺にはこれからも毎年、可愛いサンタさんが来てくれるみたいです。
 愛と希望で慌しい十二月を乗り越え、仕事納めを無事に迎えた後、俺は藍子を車に乗せて再び実家へと向かった。
 何気に大晦日を実家で過ごすのは随分と久しぶりだ。去年は面倒で帰らなかったし、そもそも毎年この時期は仕事納めが済んでほっと一息ついて、ようやっと大掃除やら、買い出しやらと自分の身の回りを構う気分になってる頃だから、遠出をする気分にはなれなかった。
 そういう意識も来年辺りから、徐々に変わっていくのかもしれない。来年はほら、誠にありがたいことに俺にもお嫁さんがいるようになりますし。年末辺りの気忙しい時期も彼女に支えてもらえたならいくらか楽になりそうだ。そうして楽になれた分、二人で早めに年賀状を作ったり、一緒に大掃除をしたり、年末年始の買い出しに出かけたりして、余裕のある年越しを迎えられるようになるかもしれない。是非そうなりたいな。
 お互い助け合える夫婦にもなりたい。当たり前のことだろうが。

 大晦日の晩、うちの両親はお約束のちらし寿司と刺身その他で俺たちを出迎えた。
「ごめんなさいね。年寄り夫婦の家ともなると、献立がいつも同じものになっちゃって」
 母さんは自らのワンパターンぶりを自覚しているらしい。むしろそれを明るく打ち明けることで免罪符にしようというこずるい手腕を見せた。その腕は料理で振るえばいいものを。
「いえ、前回お邪魔した時もとっても美味しくいただきましたし、また作ってくださってありがとうございます」
 当然だが藍子は心優しいお嬢さんなので、うちの母さんにだって厳しいことは言わない。にこにことお礼さえ述べている。実際、石田家の定番ちらし寿司を随分と気に入っているようで、本日もいつもながらの食欲旺盛さを見せていた。
「よかったわあ、藍子さんのお口に合って。どんどん食べてね」
 胸を撫で下ろす母さんは、やはりすっかり藍子の可愛さにやられているようだ。彼女を見る目が孫たちを見る目と同じようにでれでれしている。
「ほら、酢飯とかって、よそのお宅のだとちょっと口に合わなかったりするじゃない。でもこうしてたくさん食べてくれてるってことは、もしかして藍子さんのお母さんもこういう味つけだったりするの?」
「そういえば味の濃さとか、お砂糖の加減は似てるかもしれないです」
 少し考えてから藍子が答えると、母さんは目を細めてうんうんと頷く。
「そうなのー。これからはいつでも食べに来てちょうだいね。何なら藍子さん一人でもいいから」
 何だそれ。柄にもなくいい姑を目指してるつもりなのか。
 母さんの言葉に藍子は笑っていたが、そんなこと言われても困るだろうと俺は口を挟む。
「仲良くすんのはいいけど、あんまり藍子を困らせるなよな」
 すると母さんは驚いたような顔をして、その後で俺に向かって眉を顰める。
「何で藍子さんが困るのよ。いつでも来ていいって言っただけでしょう」
「藍子は見ての通り真面目なんだから、一人でも来いって言ったら本気で来ようとするだろ。女の子一人で運転させられる距離じゃねえし、危ないから駄目だ」
 彼女は仕事でも車乗ってるし、運転技術の安定感にかけてはなかなかのものだった。だが遠出ともなれば話は別だ。そういう時はなるべく公共交通機関を利用して欲しいものだと思う。
 と言うか、そもそも一人でここへ来る必要なんてないだろ。何でわざわざ俺と別行動を取らなきゃいけないんだ。ましてこれから俺たちは結婚していい夫婦になろうっていうんだから、むしろ何をするにも二人一緒くらいの生活がしたいって思ってるんだよ俺は。
「隆宏はいつからそんなに心配性になったんでしょうね」
 そう言って、母さんは藍子にだけ微笑みかける。
「ま、こんなに可愛い彼女ができちゃったら、何かとやきもきするのもしょうがないでしょうけど」
「そんな、心配してくれるのは嬉しいですけど大丈夫ですよ、隆宏さん」
 藍子は母さんの言葉にはにかみ、ほんのり頬を赤くして俺を見上げる。俺がまだ口にしていない本音を呑み込むつもりで唇を結べば、まるで安心させようとするみたいに服の袖をきゅっと引いてくれる。
 実際そういう仕種も含めて可愛いのは事実なんだが、その可愛さゆえにいろんな意味でやきもきしてきたのもまた事実である。結婚したら少しは心配事も減るだろうと思っていたが、それならそれでまた違う不安の種が生じるのかもしれない。家に一人で置いておいたら心配だとか、外出歩いて危ない目に遭ってないか心配だとか、俺の帰りが遅くなって寂しがってないか心配だとか、そんなふうに。
「そうやって藍子さんを気にかけてるってことは、ある意味、隆宏も落ち着いてきたってことだろう」
 父さんがビール片手にどや顔で語る。
「ちょうどいいじゃないか。藍子さんみたいに、可愛くて可愛くてしょうがない奥さんを貰えば、自然と家庭を顧みるようになる。隆宏は二言目には仕事が忙しいと言って、なかなか里帰りもしないような奴だから、心配になるくらい可愛い奥さんを貰うのがいいとずっと思ってたんだ」
「そんなもんかね」
 俺は気のないそぶりで答えてみたものの、父さんの言い分には納得できる部分も多少あった。
 貰うんだったらそりゃあ、進んで家に帰りたくなるような嫁の方がいいに決まっているだろう。常に一緒にいたいと思えて、あちこち連れ歩くのもまた楽しくて、実家にだって連れ帰って見せびらかしたくなるような、そういう子が一番望ましい。その点でも藍子は俺の嫁に最適だ。
「結婚については、俺も母さんも大賛成だからな。隆宏も是非このご縁を大切にするといい」
 父さんは妙に頼もしげににやりとする。
「あとは……次は何だ、藍子さんのご両親へのご挨拶か。その辺はもう任せとけ、逆パターンは既に体験済みだ」
「そうねえ。結納なんかもお姉ちゃんの時に一通り済ませてるものね。もうばっちりよ」
 そこで母さんまでもが自慢げに胸を張った。張るだけじゃなく手のひらでドラミングするみたいにばんばん叩いて、
「だから隆宏も藍子さんも大船に乗ったつもりでいてちょうだいね。どーんと任せてくれてもいいのよ、どーんと!」
「……すぐ調子乗るんだよなあ、この人らは」
 思わず俺はぼやいた。
 この大口叩きっぷり、調子乗りっぷりも全部、間違いようもなく確実に俺の親だってつくづく実感するわ。こんなとこ似たくはなかったがな。
 藍子は石田家の血統、見事な遺伝っぷりををどんなふうに思っているんだろう。とりあえず今はくすくす笑ってくれている。そして笑いが収まってから、うちの両親に向かって深々と頭を下げた。
「あの、私はまだ未熟者ですけど、これから隆宏さんを支えていけたらって思っております。どうぞよろしくお願いいたします」
 適当でいい、と前もって言っておいたからか、彼女の挨拶は手短だった。
 それに対してうちの両親は、揃いも揃ってでれでれしてやがった。
「いや、本当に可愛いなあ。いいのかな、こんな可愛い子をうちの息子の嫁にして」
「お父さんったら。こんな可愛い子だからこそ、家族で囲い込むように捕まえとかなくちゃでしょう」
 反対されるよりはよっぽどいいが、にしてもうちの親たちは思考回路が俺に似すぎていて嫌だ。

 大晦日の晩はナイターもないので、俺と藍子とうちの両親とでずっと紅白を見ていた。
 テレビ画面の中に次々と現われるアーティストは、俺の知らない連中ばかりだった。特に初出場組は名前も聞いたことあるような、ないようなという顔ぶればかりで、それが大人数のアイドルグループだったりするともう駄目だ。今日一日じゃ到底覚え切れん。
 一方、藍子はそういうアーティストにも詳しくて、今流れてる曲がどんなCMで流れてたとか、メンバーがドラマや映画に出てたとか、時にはバンド名の由来まで俺に細々と教えてくれた。そうやって俺に説明してくれてる時の藍子はいきいきしてて、すごく楽しげだ。聞いてるこっちまで楽しくなってしまう。
「あ、この人たちのアルバム、この間買ったんですけどすごくよかったんです」
「へえ。確かにいい曲だな」
「ですよね! よかったら今度聴きますか? CD貸しますから」
「いいのか? じゃあ聴いてみるかな、ちょっとは若者文化にも触れとかないと」
 俺の答えを傍で聞き、母さんが『あんたまだ若いでしょうが』と呆れている。
 でも去年の俺は、特に誕生日を迎える前後辺りは、いよいよ三十代になるってんで結構暗澹たる気分になったりしてたんだ。去年の紅白は番組表だけ確かめて、いつの間にか知らないアーティストばかりが席巻してる状況にへこんで、結局見なかった。帰省もせずに一人の部屋で大晦日を過ごしながら、こうやって歳を取っていくばかりなんだろうかとアンニュイな気分で溜息をついていた。
 今年の大晦日は、去年とは大違いだ。一人じゃないし、隣には藍子がいる。紅白に出場するアーティストが知らない連中ばかりでもへこむ必要はなく、知らない部分は藍子が丁寧に教えてくれる。おかげでチャンネルを回し続けることもないまま、思ったより楽しんで紅白を見ていられた。
「そういえば去年は、年が変わった直後に電話してくれましたよね」
 ちょうど彼女も同じことを思い出していたらしい。不意にそう言って、懐かしむように目を伏せた。
「今年は一緒に過ごせましたね」
 本当だ。去年――いや実質今年の話だが、俺は年明け直後に彼女へ電話をかけて、寂しいだのお前の顔を見てないからだるくて調子が出ないだの、果ては初夢でお前の夢を見るだのとまるでこっぱずかしいことを臆面もなく打ち明けていた。だって事実寂しかったんだからしょうがあるまい。現に初夢では見たしな、あんまり楽しくない夢だったが。
 そしてその電話の際、来年は一緒に過ごせるといいな、とも告げていたはずだった。
 どうやら藍子も俺の言葉を覚えていてくれたらしい。
「去年はお前、おばあちゃん家にいたんだっけ」
 確かそう聞いていた。藍子はすぐに頷く。
「そうです。うちはいつも、年末年始はおばあちゃん家で過ごすことになってましたから」
 だが今年は違う。俺の実家に一緒に来てくれて、俺の隣にいてくれた。
「だから、初めてなんです。家族以外の人と年越しするのって」
 しかも今は俺を見ている。少しだけ酒を飲んだ後だからか潤んだ瞳をしていて、綻んだ唇は普段よりも赤い。頬も上気させた彼女が、俺を見てすごく楽しそうに笑んだ。
「何だか、これから、変わっていくんだなって感じがします」
 彼女の表情も口調も、本当に、純粋にわくわくしているみたいだった。
 俺だってわくわくしてる。大晦日の過ごし方が去年とは見違えるように変わった。だけど来年以降も同じように大晦日を過ごすとは限らない。
 きっと来年はもっと楽しいことだろう。
 再来年は更に更に楽しくなっているかもしれない。
「けど来年は、『家族』と過ごすことになるだろ」
 俺が含んだように言ったからか、藍子はその意味合いに気づいたようだった。照れたように睫毛を伏せて、微笑みながら言った。
「そうですね。家族に、なるんですよね」
 今回は電話越しじゃなく、直にこっぱずかしい会話を交わした。
 そのせいで傍で聞いてたうちの両親からは冷やかしの視線を頂戴したが、それはそれでいいものだと受け止めておくことにした。
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