Tiny garden

痛みばかりが重なってく(3)

 飲み会が引けた後、俺たちは件のアミューズメント施設へと足を運んだ。
 ただしどういうわけか、
「バッセンで二次会なんて学生時代みたいですね。懐かしいな」
 霧島と、
「ですよねー! 久々なんで俺、ちゃんと打てるかなあ」
 春名まで一緒についてきた。
 俺としては小坂しか誘ってないし、デートのつもりでもあったので、飲み会後にこの二人が同行したがった際は『じゃあお前らツーショットで行けばいいじゃん、俺は小坂と行くから』という本音が喉元ギリギリまで出かかった。
 でも、
「お酒飲まないで過ごす二次会っていうのもいいですね」
 誰よりも小坂が楽しそうに、うきうきとついてきてくれたから、そういうことならまあいいかと俺も思い直しておく。いざとなったらあいつらはオフフォーカスして、小坂がバットを振る姿だけ鑑賞していればいいんだから。
「うちの課はいつも一次会でおしまいだから、気楽だけどちょっと寂しい時もあるなって思ってたんです」
「そうだな。仕事柄、内輪の飲み会ばかりは早く上がりたいって人も多いからな」
 彼女の言葉に俺は頷く。
 営業課は外で飲む機会がとかく多いから、課内の飲み会はいつでも簡素に、そしてスピーディに行われる。小坂の言う通り確かに気楽なんだが、俺は飲み足りなさを覚えることも多々あって、飲み会後に霧島や、安井がいた頃はあいつも誘って飲み直すことだって珍しくなかった。
 家庭を持てば、また違ってくるんだろうとは思う。職場の飲み会なんて適当に済ませて、さっさと帰って嫁の顔見よう、なんて考えるようになるのかもしれない。って言うか俺はなるな、確実に。営業課の飲み会に、小坂が参加しなくなるのもそう遠くない未来の話だから、そうなったら俺はもうたとえ強く誘われたって二次会なんて出ない。ハイパー愛妻家になる予定だからな。
 ところで、既に愛妻家であるはずの霧島くんは、早く帰らなくていいんでしょうか。
「霧島、奥さんにちゃんと連絡入れたか?」
 尋ねてみたら、霧島は当然という顔で答えた。
「『しっかり下見してきてくださいね』って言ってもらいました」
 つまりこいつは、夫婦でデートする時用の下見も兼ねて同行したんだそうです。それはそれで非常にけしからん。

 元百貨店ビルのうち、ツーフロアを使用しているゲームコーナーは、広さだけじゃなくゲーム筐体の品揃えも充実していた。
 バッティングセンターのスペースも思っていたより広く、七打席もある。オープンしたてだけあってピッチングマシンは最新式、流行のバーチャル選手映像も用意されていて、おまけにトスマシン、ストラックアウトまで完備の至れり尽くせりぶりだった。町中のバッセンと遜色ないレベルの設備に、俺たちのやる気も俄然高まる。
「球速って、七十キロより遅いのはないんでしょうか」
 案内掲示板を眺める小坂が、どこの打席に入るかで迷っている。各打席には性能の異なるピッチングマシンが設置されており、ちなみにここでの最高球速は百五十キロだそうだ。
 夜九時を過ぎているせいだろうか、ゲームコーナーのざわつきぶりとは打って変わって、どの打席にも他の客の姿はない。今なら自由に好きなブースを選べる。
「お前、打ったことはあるんだよな? 右打ちか?」
 アドバイスしてやろうと思って尋ねたら、小坂はいかにも慣れてない仕種で見えないバットを構え、控えめにスイングまでしてみせた。
「多分、こっちです……右打ちになりますか?」
 エア素振りでさえも可愛いのが彼女だ。ついつい身悶えそうになる内心の高ぶりを抑えつつ、俺は平静を装って告げる。
「右だな。持ち手が上下逆になってるが」
「あ、そうなんですか。私もバット持つの、高校のソフトボールの授業以来なんです」
 照れ笑いを浮かべる彼女は、大学時代はマラソンの愛好会に所属していたらしい。だから運動神経が悪いというわけではないはずだが、球技となると運動神経だけではカバーしきれない場合も多々ある。今も小坂はどことなく、自信なさそうにしていた。
「なので、お仕事と同じように、主任にいろいろ教えていただけたらすごく嬉しいです」
 でも人懐っこい笑顔でそんなことを言ってくるものだから、俺としても手取り足取り教えちゃう気満々と言うか、こういうシチュエーションにはいろんな情熱が否応なしに駆り立てられてしまう。俺は可愛い子に一から十までを教え込んじゃうのがそれはもう、大好きですから。
「何か石田主任の方が、めっちゃ嬉しそうな顔っすね」
「いつものことです。小坂さんが相手だとあのだらしない顔になるんです」
 春名と霧島が傍で何事か言っていたのも聞こえたような気がするが、あえてスルーしよう。
 あいつらには構ってられない。俺は小坂を構うのに忙しいんだ。
「よし、小坂。お前にバッティングの極意を教える前に、一つ言っておくことがある」
 俺がいかにも意味ありげに切り出したせいだろう、彼女は素早く姿勢を正した。
「は、はい。何でしょうか主任」
「今から俺は主任じゃない。コーチと呼べ!」
 急なネタ振りだったにもかかわらず、小坂は一瞬だけきょとんとしてから、満面の笑みで答えた。
「はいっ、コーチ!」
 飲み会後のテンションだというのを加味しても、彼女も上手い具合に乗ってきてくれた。こういう、くだらないことに付き合ってくれる子っていいよなあ。彼女については普段の真面目さも好きだが、愛想がよくて明るい性格だってところもすごくいい。
「実際いますよねーこういうカップル。ノリがよすぎて羨ましいくらいの」
「春名くん、この場合はただのカップルじゃなくて、バカップルと呼ぶべきです」
「い、いいんですか呼んじゃって。上司っすよ?」
「いいんです。まごうことなき事実ですから」
 春名と霧島がまたごちゃごちゃ言ってるが、これもスルーを決め込んだ。
 いや、こんなに可愛い彼女ができたら普通、馬鹿にもなりますって。ならない方がおかしい。
 さておき、外野の野次をよそに小坂はヘルメットを被り、とうとう打席に入った。選んだのはやはり球速を七十キロまで落とせる軟式専用打席だ。始める前から若干腰が引けていて、コインボックスに硬貨を投入するのさえおっかなびっくりやっている。
「そこはびびるとこじゃないぞ小坂!」
 打席後方、フェンスで仕切られた通路側から俺が声をかけると、小坂はコインボックスに向き合いながらもはにかんだ。
「ほ、本当ですね……何かちょっと、どきどきしてます」
 広々としたバッターボックスに、やっとの思いでパネル操作を終えた小坂が立つ。
 上着を脱ぎ、眩しい白い半袖ブラウスと夏物素材のスラックス姿で、ヘルメットの後ろから束ねた髪が尻尾のようにはみ出ている。この、いかにも仕事帰りのOLさんっぽい姿がこの場には新鮮だった。仕事帰りのリーマンが一心不乱にバット振ってる姿は珍しくも何ともないだろうが、女の子、しかも可愛いとなればレアである。俺はもう、彼女の全打席を心のフィルムに焼きつけるつもりだった。記録には残らなくても俺の記憶には残る選手になるであろう。
「えっと、しゅに……じゃなくて、コーチ! バットの持ち方これでいいですか?」
 小坂がピッチングマシンの方を見据えながら、早口で尋ねてくる。
 さっき指摘されたのを覚えていたのか、バットの持ち方はちゃんと直っていた。相変わらず腰は引けているが、その辺は習うより慣れろだ。
「まず一、二球打ってみろ。それから口挟んでやるから」
「わかりました!」
 打席から彼女が答える。
 間もないうちに、ピッチングマシンからは時速七十キロ前後のボールが放たれた。小坂はバットを構えていたが、手を出すのが遅れたようだ。俺の目の前にあるフェンスにボールが音を立ててぶつかった瞬間、小坂のバットが大振りでスイングされた。
「わあ!」
 球速に驚いた様子ではなかったようだが、小坂は声を上げ、それからちょっと笑う。バットを構え直しながら言う。
「今の、ものすごい空振りでしたね」
「気にすんな。最初は誰だってそんなもんだよ」
 俺は励ましの声をかける。そして、その後で思いついて更に言ってやった。
「それに、今日の本来の目的は食べた分のカロリー消費だろ。空振りだろうと運動には変わりないって」
「確かにそうですね!」
 小坂が明るく応じた直後、二球目が投げられる。今度はタイミングを合わせてバットを振っていたが、ヘッドが上がりすぎていたせいで上手く捉えられなかった。またしても空振りだ。
「うーん……かすりもしないなあ」
 彼女が首を傾げ出したので、俺もすかさずアドバイスを始めた。
「まずちょっと身体の力抜け。力みすぎてる」
「はい」
「それから足の開きは肩幅より広めに」
「こうですか?」
「そうそう。で、膝をちょい曲げる」
「こ……んな感じでしょうか」
 言われるがまま、ちょこちょことフォームを調節する小坂が可愛い。こんな時でもフォームの正しさどうこうより可愛さの方が目についてしまうのはまずいな。罪な女だ。
 ――という戯言はひとまず置いといて。
「あとはとにかくボールをよく見て、ギリギリまで引きつけてから打つ。打つ瞬間に脇を締めて、ボールをバットで前に押し出すイメージで……」
 アドバイスと言ってもフェンス越しだからどこまで伝わったかわからないが、小坂はうんうんとこまめに頷き、そして三球目は教わった通りのフォームで身構える。
 ボールが飛んできた瞬間、今度はいい角度でバットがスイングした。さすがに芯で捉えるとまではいかなかったが、確実にバットに当たっていた。目の前でばちんと音を立てたボールはやや低めに飛んでからブース内を真っ直ぐ転がり、現実の試合ならピッチャーゴロか、という当たりを見せた。
「やったあ!」
 小坂がバッターボックスでぴょんと飛び跳ねる。すぐに俺の方を振り向き、
「やりました! 主任のおかげで当たりましたよ! さすがは名コーチです!」
 喜びのあまりはしゃぎ始めたのでこっちが照れた。
「まだ大して教えてないだろ。ほら、まだボール来るぞ。こうなったら狙ってけ」
「そうですね! 気持ちだけはホームラン狙いで!」
 目標をやたら高く持つのは彼女らしい。でも、それで苦しんでるならともかく、こうして楽しそうにやってる分にはいいよな。いくらでも高い目標掲げとくといい。
「それで、ダイエットの方の目標はどのくらいなんだ?」
 ついでなので、野次るみたいに聞いてやった。
 すると彼女は若干動揺したみたいで、四球目のボールには上手く手を出せずに見送った。それを気まずそうに振り返ってから、言った。
「できるなら、痩せられる分だけって思ってます。目標、二桁です」
「二桁!? それ、単位はキログラムか!?」
「ちょっ、声大きいです主任!」
 思わず全力で聞き返してしまった俺を、小坂は笑いながら咎めてくる。五球目を空振りしてからちらっと、視線をバッティングセンターの奥に走らせた。
 幸い霧島も春名も各自打席に入っていて、小坂のよりも上の球速に挑戦していたから、こっちの会話はまるで聞こえなかったようだ。ちょうど春名が硬球を打ち損じて、それでも楽しそうにげらげら笑っているところだった。
「そんなに減らすことないんじゃないのか」
 俺は言おうか言うまいか迷っていたことを、恐る恐る口にしてみる。
 本当の本心としてはだ、もっと踏み込んだ内容を言いたくもあったわけだが――そもそもダイエットなんて必要ないんじゃないか、と。
 もちろん、これはただのダイエットじゃないこともわかってる。彼女にとっても俺にとっても人生の節目、新たなる門出に向けての努力なわけだ。彼女が頑張りたがる気持ちが理解できるからこそ、水を差すようなことは言うべきじゃない。
 でも、そうやって頑張らせてるのが他でもない俺なんだって思うと。
 彼女はすぐには返事をしなかった。六球目に備えてバットを持ち、そしてピッチングマシンから空気を噴き出すような音と共に放られたボールに向かって大きくスイングした。少しはコツを掴んできたんだろうか、バットはまたしてもボールを捉え、今度は宙に浮き上がるようにしてブースの奥へ、より遠くへと吹っ飛ばした。
「ナイスヒット! ……って言うんでしたっけ」
 いい当たりを出しても自信なさそうな小坂が、でも俺に対して振り向き微笑む。険しさなんてひとかけらも見当たらない、穏やかで柔らかくて幸せそうな様子の、いい表情だった。
「私、ちょっとでもきれいになっておきたい、って思ったんです」
 そう言った時の笑顔は、既に十分きれいだった。
 結局、女の子をきれいにする最大の要素とは、そうありたいと願う心がけと実践する努力に尽きるのだろう。何もしなくても可愛いというのも真理ではあるが、誰かの為にきれいになりたいという気持ちは素材に磨きをかけてくれる。
 現に彼女は、小坂藍子は、初めて出会った頃よりも一層可愛く、きれいになっているじゃないか。
「……なんて、ちょっと照れちゃいますね」
 自分で言っておいて恥ずかしがる彼女は、七球目に備えて打席に入る。おかげで俺が見とれたその表情は見えなくなってしまったが、それだってこの先、珍しいものじゃなくなるだろう。
 ダイエットの是非はともかくとして、自分の為に努力する女の子が可愛くないはずがない。ってことで俺ももうしばらくはどーんと構えて、彼女の頑張りを見守るとしますかね。無茶をするようだったら止める、でもそうでない場合はなるべく好きなようにさせておく。最終的に上手くいってもいかなくても、ちゃんと誉めてやることだって忘れずに。

 二十球ちょうどを投げ終えた後、ピッチングマシンはその動きを止めた。
「ふう、いい運動になりました」
 小坂は息を弾ませながらブースを出てくると、フェンス裏で見守っていた俺に水を向けてきた。
「次は主任、いかがですか?」
「俺か? いいけど、お前はもういいのか」
「一休みしたらもう一回やります。でもほら、霧島さんたちも楽しそうですし」
 奥で打ち込んでる霧島たちを遠目に見やってから、小坂は声を落とす。
「それに私、主任のバッティングフォームも見てみたいなって……」
 ちょっとときめくことを言われてしまったので、これはもう打席に入るしかないでしょう。
 俺は上着を脱いで彼女に預けると、意気揚々とブースに入る。
「よし、格好いいとこ見せてやるから傍にいろよ、小坂」
「はいっ」
 そしてヘルメットを被りながら、ここぞとばかりに予告しておいた。
「俺の打席を見たら、きっと惚れ直すぞ」
 するとフェンス裏の彼女は一瞬きょとんとしてから、わかりやすく頬を赤らめた。
「えっと……そ、そうですね」
 そこはさっきみたいに、ノリよく返してくれてもいいところだろうに。
 ダイエットのついでにそちらも是非鍛えていただきたい。
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