Tiny garden

痛みばかりが重なってく(1)

 プロポーズを無事に終え、俺と藍子はいよいよ結婚に向けて具体的に動き始めた。
 さて、そんな俺たちが次に取った行動は何か。
 職場への報告はさすがにまだ早いだろう。互いの親への報告はこの段階なら早いって程でもないが、小坂家はともかく俺の実家に行くには日帰りじゃきつい。両家とも単に結婚しますって挨拶をするだけじゃなく、それが済んだら一杯付き合わなきゃならんだろうし、それを踏まえると日程には余裕が必要だ。というわけでこちらも後回し。
 霧島と安井は、後日五人で飲み直そうと誘ってくれた。おかげさまで繁忙期も過ぎたし、これから集まる機会は何度かあるだろう。だからそっちはあえて今から計画しておくことでもない。それに、次にあいつらへその話を出す時は、矢継ぎ早の質問にも完璧に答えられるくらい進展させておきたいって思うしな。と言うか、ハワイとか行きませんから。行けるほど休み取れませんから!
 そんなこんなで俺たちが、結婚への新たな一歩を踏み出す為に取った行動は――ずばり、雑誌を買うことだった。

 雑誌と言っても例の有名なやつだ。
 ウェディングドレスを着た女の子がウェディングマーチを口ずさんでいるCMの、あの結婚情報誌だ。
 当たり前だが俺も、藍子も初めて買う類の本だった。おかげで一緒に書店で買い物をした際は、お互い大いに照れた。買った雑誌を休日は肩を並べて読んで、平日は回し読みって形でそれぞれに読み込んだ。
 それにしてもこういう雑誌を読むのだって初めてだったが、意外と真面目に書いてあるもんなんだな。別にふざけた本だと思ってたわけじゃないものの、結婚という人生の一大イベントを夢やロマンという観点からだけではなく、かかる費用やスケジューリングといったリアルな調査結果をしっかり載せている。これを読んだら『結婚なんて愛さえあればどうにかなる』なんて甘っちょろいことは言えなくなる。むしろ、未来を見据えて計画的に事を進めてこそ真実の愛、と言うべきか。勉強になります。
 俺もこれまで数多くの結婚式に招待されてきたが、そこで見かけた数々のイベントごとやアイテムにはきちんと名前があり、流行もあるらしいこともわかった。例えば霧島の結婚式で会場の入り口に立てられていた花飾りの看板はウェルカムボードというそうだし、姉ちゃんが結婚式でうちの親に渡していた出生体重と同じ重さというクマのぬいぐるみはウェイトベアというらしい。あのクマは現在、実家で姪や甥の遊び相手になっているが、貰った当初は『年寄り夫婦の家の、一体どこに飾ればいいのやら』と多少うちの親を悩ませたらしい。そういうわけだから、俺はクマを贈るのはやめておこうと思う。
 ともかくも、俺と藍子は結婚に当たって必要そうな情報をその雑誌からたっぷりと摂取した。そして休日に会う度、お互いの感想や意見を交換し合った。
「あんまり派手じゃなくていいので、皆さんに胸を張ってご報告できる式にしたいですね」
「そうだな。礼を失しない程度にやりたいよな」
 まだ先の話って思ってるせいかもしれないが、俺は自分でする結婚式のビジョンが湧いてないと言うか、何をやるにせよこっ恥ずかしいと感じている。ケーキカットとかキャンドルサービスとか、素面でできるだろうか……あ、その為に先に三々九度とかやるのか、もしかしたら。
「隆宏さんは教会式と神前式だったらどっちがいいですか?」
「うーん……それは、どっちもいいな」
「そうですよね。どっちも魅力的ですよね」
 俺たちは宗教観もよく似ていて、初詣には神社へ行くし、先祖代々のお墓は寺にある。教会にはあんまり縁がなかったが、抵抗があるってこともない。つまり信仰を理由に式を選ぶ必要はなかった。
 となると、まずは好みで選んでみるのもいいかもな。教会式なら藍子はウェディングドレス、神前式なら白無垢か、もしくは打ち掛けになる。
 雑誌に載ってた写真を参考に、想像してみたら……うん、藍子だったらどれも間違いなくいいな。いっそ全部見てみたい。
「でも私は、神前式の方が合ってるような気がします」
 いくつかページをめくってから、彼女はそう結論づけたようだ。
「お、もう決断したのか。決め手は何だ?」
 俺が尋ねると、藍子はちょっと恥ずかしそうにしながらも俺の目を見て語る。
「厳かな場で式を挙げたら、かえって緊張しないで済むかなって思ったんです。結婚式でまで落ち着きないのも格好つかないですし、気持ちを切り替えて、新たな生活への心構えも、そこでしっかり持ちたいなと」
 いかにも彼女らしい物言いに、俺は少し感心する。
 藍子にとって結婚式は人生の節目の一つだと捉えられているようだ。いや、誰だってそうなんだろうが、俺にはまだそこまでの気持ちはなかった。何となく、彼女とする思い出深いであろうイベントの一つ、くらいの捉え方でいたから、これは気が引き締まる。俺ももっと真面目に考えなければ。
「あと……」
 決意を新たにした俺の隣で、ふと藍子が俯いた。
 もじもじしながら続けて曰く、
「ひ、人前で誓いのキスとか……ロマンチックですけど、私にはハードル高いかなあって……」
「……ああ」
 わかるわ。藍子ちゃんには無理そう。
「つかお前、霧島の結婚式では食い入るように見てたんだってな」
 思い出して指摘したら、彼女の柔らかそうな頬っぺたがたちまち上気した。
「え!? な、なな、何でそんな話を……! 隆宏さん、あの時デジカム撮ってましたよね!?」
「安井から聞いた」
「き……っ、聞かないでくださいよそんなこと!」
「もう聞いちゃいました。別にいいだろ、後学の為の観察だもんな?」
 じっくり見て、その上で『自分には無理だ』って思ったんだったら、それは意味のある行動だったはずだ。別に恥じることじゃない。
 と言っても、藍子はその後しばらく恥ずかしさに俯いたまま、まるで彫像のように身じろぎ一つしなかった。あんまりじっとしてるからくすぐってやったら、可愛く悲鳴を上げながら笑い転げていた。
「もうっ、やめてください! くすぐったいの苦手なんですから!」
 口調だけは拗ねたそぶりで、でも顔はすっかり笑ってしまっている藍子が本当に可愛くて可愛くてしょうがない。
 この子と結婚できるなんて、俺、幸せ者だな。つくづく噛み締めちゃうな。
 彼女の為なら何だってやり遂げられる気がする。ケーキカットもキャンドルサービスも必要とあらば新郎として立派に務め上げてみせよう。何ならゴンドラ乗ったっていいぜ。

 こんな調子で俺たちは、貴重な土日の時間を過ごすようになった。
 二人で未来の話をする。未来に向けて、具体的だったりそうでもなかったりな想像をめぐらせる。時々そういった話題から逸れて、他愛ないお喋りもする。そういう時間が嬉しくて、楽しくて、心底幸せだった。
「それにしても、重たい雑誌ですね」
 一緒に本を覗き込んでいたら、ある時藍子がそう言った。
 初めは二人で半分こして持っていたが、この雑誌、びっしりと書き込まれた情報量に比例して重量も半端ない。途中で藍子の可愛い腕がぷるぷるし始めたので、並んで座った膝の上で半分こすることにした。
「確かに読むもんにしちゃ重いよな。もうちょい軽量化できなかったのか」
「いっぱい書いてありますもんね。きっと、定期購読するタイプの雑誌じゃないでしょうし」
「よし、どのくらいあるか調べようぜ」
 俺のくだらない提案に、藍子も『いいですね!』とノリノリでついてきた。きっと気になっていたんだろう。
 洗面所に置いてあった体重計に雑誌を載せてみたら、表示された重量はなんと四キログラムを超えていた。そりゃ重いはずだ。表示窓を見下ろした俺と藍子は、思わず感嘆の溜息をつく。
「もはやちょっとした凶器ですね」
 藍子が真面目な口調で言うから、俺はついからかいたくなる。
「夫婦喧嘩の時にこれ投げるとか止めろよ。間違いなく流血の大惨事だぞ」
「し、しませんよ、そんなこと」
 にやにやする俺とは対照的に、彼女は真顔で否定してきた。そして体重計の上に置かれたままの雑誌を両手で持ち上げ、軽く上げ下げしてみせる。
「例えばですけど、ダンベルの代わりに、体操に使えるかも」
「使う気か?」
 俺は思わず突っ込んだ。そこまでして有効活用する必要があるのか。
 が、藍子はあくまで本気のようだ。
「私、ちょっとダイエットしようかなって思ってるんです」
「ああ、式に備えてとかか?」
「はい。雑誌にも載ってましたよね、式前にエステに行く人が多いって話が」
 雑誌内には結婚式前の準備事項として、両家顔合わせや式場選びのノウハウなどが記されていたが、そのうちの一項目としてブライダルエステなるものがあった。読んで字の如く、結婚前により美しくなっておこうという花嫁さんの為のエステだそうで、内容は店によってピンキリのようだが、挙式に間に合うようスケジュールを組んで通うものらしい。
 何だかんだ言ったって結婚式は晴れの舞台だし、やたらと写真を撮られたりビデオを撮られたりして、他人の記憶のみならず記録にもばっちり残ってしまうイベントでもある。どうせならベストな状態で臨みたいという女心は、まあわからなくもない。
「これから衣裳の試着なんかもありますし、なるべく整えておきたいと思うんです」
 藍子が気勢を上げたので、俺は未来の夫として彼女の今の姿を検分した。
 嘘をつくつもりはないから、そりゃモデルのようにスレンダーだとは言わない。ぴしっと姿勢を正しても慎ましやかな胸の割に、腰から脚にかけては肉づきがよくて女らしい曲線を描いている。俺は太腿に関して言えばむちむちしている方がいいと常日頃から主張している人間なので、下手に痩せて彼女の脚がむちむちしなくなるのは残念だ、惜しいと言わざるを得ない。そもそもこの辺はドレスでも着たら上手い具合に隠れちゃう部分じゃないのか。気になるんならいつものデート服のように、ふわっと広がるスカートの裾で誤魔化しちゃうわけにはいかないのか。
 でも彼女もやはり人並みの女心の持ち主だ。どうせなら今以上にきれいでありたい、という心境は理解できる。どうしてもって言うなら、程々になら、ダイエットに励んでもいいんだが。
「……そんなに、見ないでください」
 俺の視線を受けて、藍子がまた恥ずかしそうにする。
 手にした雑誌で胸元を隠すようにする仕種がまた可愛い。抱き締めたい。四キロオーバーの例の雑誌ごと抱き上げてベッドにでも連行したい。こんな時に四キロの重さはさしたる障害にもならないだろう。抱き上げた拍子、足の上に落とされたらのた打ち回ることになりそうだが。
「あんまり過度にするんじゃないぞ。俺は今のお前でも十分可愛い」
 率直に、俺は意見を述べた。
 すると藍子はぎくしゃく頷いてみせた。
「も、もちろんです。身体を壊さないようにします」
「それは当たり前だろ。ダイエットで健康害しちゃ本末転倒だ」
「はい。それに今回は、長期的視野で敢行するダイエットですから!」
 そしてぐっと両手の拳を握ると、俺に向かって宣言する。
「頑張ります、私! 今回こそは泥縄にならないように!」

 そういえば以前、そんなことも言ったなと思い出す。
 もしかしてあの時言われたことを気にしてんのかな……。俺としてはその泥縄っぷりも可愛いって思ってたんだが、やっぱ言わなきゃ伝わらないな。
 さて、どんなふうに教えてやろうか。目の前で瞳をきらきらさせてる藍子を、俺は充実した、幸せな思いで見下ろしている。
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