Tiny garden

出逢った事に感謝した(1)

 せっかくの休みにケチをつける気はないが、『夏休み』と『お盆休み』を並べてみたら、前者の方が断然開放的で自由な感じがする。
 お盆休みってのは何だか、世間的にはお盆だから休ませないと格好つかないし体面を保つ為にもしょうがなく休みにしてあげますよ的な、上から目線な印象がなくもない。本当はすっげー忙しい時期だし働けよって言いたいとこだけど、ご先祖様持ってこられちゃ強く出られないしねえ、みたいな。その分しっかりご先祖様を敬ってくるんだぞ、と会社に釘を刺されてるようで落ち着かない。
 そこ行くと夏休みの開放感うきうき感は半端ない。言葉からして『夏』プラス『休み』だ。ポジティブ足すポジティブだ。ハンバーグにエビフライにプリンといった、子供の好きなものばっか出てくるお子様ランチみたいなサービスっぷりがこの単語には秘められてる。当然、中身だってうきうきわくわくのオンパレード、いいことばかりありそうな予感に溢れてる。ひと夏の恋とか、アバンチュールとか、いつもよりちょっと開放的になっちゃってる彼女とか――次々と浮かんでくるイメージはどれもこれも素晴らしいの一言に尽きる。俺の想像力品質はいつだってそっちの方向に充実している。
 しかしながら、今回の休みはどうしたって『お盆休み』の方、なのである。
 夏の太陽と水しぶきのイメージから一転、お線香の匂いがしそうな単語ではあるが、それでも会社勤めの今じゃ貴重な長期休暇には違いないし――長期、でもないか。たったの一週間だから単なるまとまった休み、という方が正しい。とにもかくにも仕事がないのはありがたいし、それでいてその間中ずっと藍子と一緒にいられるんだから、お題目が上から目線だろうと何だろうとありがたいことには違いない。
 そして俺は、今年ばかりはご先祖様に大いに顔向けできるネタを持って、めでたく帰省できるってわけだ。

 一週間のまとまった休みを一日たりとも無駄にする気はなく、俺は初日の朝も早いうちから藍子を連れ出し、しばらくぶりの実家へと車を走らせた。
 あいにく道はどこもそれなりに混んでいたが、それを見越しての早い出発だったし、そもそも彼女と二人だったら渋滞だって辛くない。二人でだらだら喋ってたら退屈もしない。彼女も案の定と言うか何と言うか、旅行となるとそれはもう張り切るタイプのようで、ドライブ用BGMを独自に編集してきたり、眠気覚まし用のガムをやたら種類豊富に取り揃えてきたりとそれはもう準備がよかった。
「お前だったら旅のしおりも作ってくるかと思ったのに」
 冗談半分、内心なくもないなという気持ちでそう言ってみたら、助手席の藍子も少し本気の口調で答える。
「作ってもよかったかもですね。次があったら作りましょうか、パワポで」
「パワポで? そこはワードでじゃないのか」
「何か、そっちの方が営業課っぽくて格好いいかなって……」
「いちいちパソコン開いて見るしおりってのもなあ。面倒だろ」
 思わず声を立てて俺が笑うと、彼女も軽く笑った。でも旅行前の準備っぷり、張り切りようからするとその笑い方は控えめで、心なしかぎこちない。
 緊張してんだろうな、と聞いてみなくてもわかる。
 俺からすれば今回の旅行はただの帰省、かつて住んでた実家に帰って顔出してちょっと滞在するだけのどうってことない日程だ。
 しかし彼女にとっては違う。付き合ってる相手の実家という以外に縁もゆかりもない他人の家へ、何日間か泊まらなければならないわけだ。まして藍子のあの性格じゃ、失礼のないようにしよう、挨拶はきちんとしよう、隆宏さんの交際相手として相応しい言動を心がけよう、などと真面目に真面目に考えているのは間違いない。俺が何を言ったって、気楽に過ごしてもらうことはできそうにないのかもしれない。
 もっとも、藍子は根っからああいう性格なだけあって『真面目に考えつつも状況をめいっぱい楽しむ』という一見矛盾してそうな芸当をこなせる素質の持ち主でもある。俺は彼女とはまるっきり逆の性格だから、そんなに考え込まなくていいんじゃねーのって思うこともしょっちゅうだが、彼女からすればそうやって息をするように考えることが自然なんだろうといい加減わかってきた。
 そして彼女は愛想もいい。俺が時々心配になるくらい人懐っこい。だからうちの親や姉ちゃん辺りとも案外あっさり打ち解けてくれるんじゃないか、とも思う。俺の両親も、三十過ぎの息子が連れてく彼女をもはや逃してなるものかと大歓迎してくれるようだし、姉ちゃんは姉ちゃんで藍子と直に会うのをすごく楽しみにしてるらしい。俺が心配する必要もないのかもな。
 とりあえず緊張は今のうちに解しといてやろう。
 渋滞を抜けて少しスムーズに進み始めた辺りで、俺は切り出す。
「それならお前、パワポでうちの親への挨拶でもするか?」
 今度は全力の冗談のつもりだった。
「え、それだとプレゼンみたいですね」
 藍子は今度こそ吹き出してくれたけど、少し間を置いてからふと、
「そっか、そういうのもありだったかも……」
 本気にし始めたので慌てて止める。
「いや冗談だから。挨拶とか、適当でいいからな」
「そうは言っても第一印象って大事ですから。ちゃんとしないとって思ってます」
「お前ならいつもちゃんとしてるし、いつも通りで十分だよ」
「いえ、今日は並みの『ちゃんと』じゃ足りないくらいですから! 頑張ります!」
 言い切る彼女は本日、迎えに行った俺の前に紙袋を三つ提げて現れていた。
 三つ全部がうちの実家への手土産だそうで、彼女が自らデパートで購入してきたものの他に、彼女のご両親がそれぞれ一個ずつ用意して持たせてくれたのだそうだ。さすがにそこまでしなくても……と言いかけた俺を、彼女はいい笑顔で遮った。
 ――隆宏さんだって、うちにいらした時はお土産持ってきてくれましたよね?
 もちろん、反論できなかった。以前の訪問の時には全く逆のやり取りもしていたし、返す言葉もなかった。
 その件も踏まえると彼女の緊張、及び『ちゃんとしないと』って心意気もわからなくはない。俺だって小坂家訪問の際にはちょっとばかり緊張したし、失礼のないようにしようと心がけもした。ただそれは彼女が大事に育てられたまだ二十四歳のお嬢さんだからであって。
 うちの親は前述のとおりこの度の帰省には諸手を挙げての大歓迎で、どうやら今回を逃したらもう息子の結婚は望めないだろうだと本気で思っているらしく――それはそれでちょっと息子を過小評価してんじゃねえかって思いますがね。いや、今回で最後にするけど。最後に決まってるけど、俺が何か、全くもてないみたいに思われてんのも癪だ。違うんだよ、俺は三十一歳の今まで結婚したいのにできなかったんじゃなくて、藍子という真面目で頑張り屋でその上可愛くて可愛くて可愛い彼女に出会えるまで必然的に待ってただけなんだ。そういう運命だったんだ。ってことにしといて欲しい。間違いでもないし。
 とにかく、可愛い彼女を連れて帰れるのが、ただそれだけで俺にはものすごく嬉しい。
 だから藍子も気負わずにいてくれたらいい、って思うんだがそれは難しそうなので、せめて彼女なりに楽しめるお盆休みになればいい。
「心配すんな。いざとなったら俺がフォローしてやるから」
 俺もここぞとばかりに張り切っておく。
 どうせならいいとこ見せたい。親にもそうだが、何よりも藍子には。
 帰省だの挨拶だの以前に、今回は俺たちにとって初めての旅行でもあるからだ。旅先で相手の頼れる一面を知ってますます惚れ直すとか、ベタだがむしろあってしかるべきな定番パターンだろ。藍子にも、是非とも惚れ直していただきたい。
 だから挨拶とか、たとえ藍子が言葉に詰まっても全然オッケーってつもりでいるんだけど。そう言ってもばりばりに緊張してる彼女にはどこまで伝わるかってとこだから、今は冗談で混ぜ返しとく。
「お前が言葉に詰まったらすかさずカンペ出してやるよ」
 そして藍子は、冗談を本気に受け取って嬉しそうにする。
「あ、ありがとうございます。その時はせめて噛まないよう気をつけます」
 いや、お前なら噛む。賭けてもいいよ、脈絡なくカンペなんて出された日にゃそれだけでテンパるだろうな。
「それかアテレコでもするか? 俺、めっちゃ裏声出すからお前は上手く口動かせよ」
「そんなのばれちゃいますよ!」
 カンペの時点で普通にばれるだろと思いつつも、藍子がそこでお腹を抱えて笑ってくれたのにはほっとする。シートベルトごと身体を揺らして笑う彼女が可愛い。いかにもオフの日らしく髪を下ろしてるのも、普段のデートよりもかっちりした上品なワンピースも全部可愛い。連れ帰るのも鼻が高い、実に最高品質の素晴らしいお嬢さんだ。
 彼女と言わず、今日の時点で嫁にしても、俺は一向に差し支えないくらいだ。

 昼過ぎ頃、車は懐かしき俺の故郷へと入り、住宅多めの別段珍しくもない町並みを走り抜けていく。
 田舎というほどではなく、でも都会と呼べるほどでもなく、主にベッドタウンとして機能している故郷は、それでも俺にとっては輝かしい少年時代を送った思い出の地だ。当時から『しけた町だよな』って思ってたが、今でもさほど変わらず栄える気配もなく、ちょこちょこ潰れた店があってその周囲がぐっと寂れてたり、郊外にどでかいショッピングセンターができてたり、その近辺に真新しいマンションや建売住宅が乱立していたりする。
 観光目的で来るような町ではないから、居住地の近隣市町とは言っても藍子はこの辺に明るくないらしく、しきりと物珍しそうに窓の外を眺めている。
「ここが隆宏さんの生まれ故郷ですか……」
「そうです。何もないだろ?」
「そんなことないですよ。私の祖母もこういう風な町に住んでて、騒がしくなくて落ち着いてて好きなんです」
 掛け値なしにいい子のコメントを発した後、藍子は窓の外からこちらへ視線を移した。にこにこ笑いかけてくる。
「せっかくですから、隆宏さんの思い出話が聞けるんじゃないかってすごく楽しみにしてます」
「思い出なあ……。俺の可愛かった頃の写真なら残ってるかもな」
 自分の写真を持っていくような趣味はないから、そういうのは全部実家に残ってるんじゃないかと思う。親が処分してなければ。
 年齢一桁の頃の隆宏くんは、それはそれは可愛くて、よく女の子と間違われていたんだそうです。――って話を安井や霧島にしたら十五分は笑いが取れるな、きっと。
「あ、見たいです!」
 当時の俺より可愛い藍子が食いついてきたので、俺は折を見て写真を、彼女に見せて恥ずかしくない写真の選別作業を先に済ませておこうと決めた。入社当時の例の写真みたいなのは事前に除けとかないとだ。

 やがて前方に久しぶりの景色が近づいてくる。
 まだ未舗装の砂利道が断続的に現れるごみごみした住宅街の一角、ざらざらのブロック塀に囲まれたチャコールグレーの外壁の、庭つき一戸建て。その玄関先に突っ立っていた小柄な人影が、こっちに向かって手を振ってくる。そういえば会うのも久々だったと今更のように思い出す。今ではすっかり丸くなったうちの姉ちゃんだ。
 俺は気恥ずかしさは感じつつも車の中から手を振り返し、藍子はぺこりと頭を下げていた。
 笑顔の姉ちゃんの傍には、よく日焼けした姪っ子と甥っ子の姿もあった。
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