Tiny garden

熱帯夜(4)

 藍子たちが『デザート第三部』に突入したのを見計らい、俺もケーキをいただいた。
 注文したのは藍子が、
「これお勧めですよすっごく美味しかったです!」
 と力一杯薦めてくれたズコット。運ばれて来た時には生地が程よく冷えてて、酒飲んだ後の気分にちょうどよかった。クリームがアイスケーキみたいにしんなりしてて、胃に染み入るような美味しさでした。さすが三部構成で食べまくっただけある、納得のご推薦だ。
「美味いな、これ」
 素直に誉めたら、彼女も嬉しそうにしていた。
「私のリサーチが功を奏したようで、光栄です」
「え? 何お前、俺の為に三つも四つもデザート食ったとか言う気か?」
「……えへへ。そういうことにしといてください」
 ベリーベリーキュートな酔っ払いの戯言を、俺もケーキに免じて受け入れてやった。
 ところで、当然のことながらケーキに誕生日のろうそくは立ててもらわなかったが、藍子はそのことを残念がり、何を思ったか、それなら代わりに歌でも歌いましょうかなどと言い出した。
「いいよ、そういう歳でもないし」
 ろうそく同様、誕生日祝いっぽいことには抵抗のある俺がやんわり拒めば、どう取り違えたのか藍子の方がくすぐったそうな顔をする。
「私、そんなに上手くないから恥ずかしいんですけど……」
「いや上手いとか関係なくな、恥ずかしいの俺だからいいって」
「じゃあ隆宏さんが恥ずかしくないよう、精一杯心を込めて歌います!」
「そういう問題じゃないから! お祝いとか改まんなくていいんだって!」
 酒のせいか元からか、時々話が噛み合わない俺と藍子のやり取りに、なぜか安井や霧島の奥さんまで乗り気になってしまうから困った。
「よし、そういうことなら俺も歌おう。いっそ皆で歌おう」
「おまっ、安井、乗り気になってんじゃねーよ!」
「でもせっかくですからお祝いっぽいこと、締めにしときたいですよね」
「奥さんまで言う!? おい霧島、お前の奥さん珍しく酔っ払ってないか?」
「俺は乗り切れないんで、辞退してもいいですか」
「お前はむしろ奥さん止めろよ!」
 そんなこんなで断っても三対一では分が悪く、結局ノリノリの三人プラス、酒が入ってようがこういう空気には乗り切れない一人とにお誕生日の歌を歌われた。その間の空気と言ったら、正座してじっと頭を垂れていたくなるような居た堪れなさだった。
「先輩、もっとありがたがってくださいよ。歌う方も恥ずかしいんですよ」
 その後で霧島がもっともらしい口調で言う。むかついた。
「じゃあ歌うなよ! てか止めろよ!」
「止められる流れじゃなかったでしょう、三人揃って超乗り気で」
 当の乗り気の皆さんは歌い終えた後の満足感と高揚感に溢れていて、実に機嫌よくグラスに残った飲み物を飲み干している。そんなに楽しかったのか。歌われた方は結構、穴があったら入りたい感じだったんですがね。
 俺は温くなる前にとズコットをやっつけつつ、予定より騒がしい日になったなとつくづく思う。三十一にもなって、こんな誕生日の祝われ方をするとは思わなかった。歌を歌ってもらってケーキ食べて、お揃いのストラップ買っちゃって。年甲斐のなさに自分でも呆れる。
 けど、年甲斐云々を言うなら去年だってそうか。今年ほど騒がしくはなかったが、可愛い女の子の飲みっぷり食いっぷりを眺めつつ、過去のデート失敗談を聞きつつ、それはもう近年なかった感じに楽しいお祝いをしてもらった。
 こんな調子で毎年過ごせるんなら、誕生日が来るってのも悪いもんじゃない。
 来年はどんな風に祝われてるのやら――とりあえず、祝ってくれる相手がいることは確かだ。そう信じたい。

 五人で店を出たのは午後八時前のことだった。
 もう一軒行くか、という気は誰にもなく、そのまま解散と相成った。バスで帰るという霧島夫妻とは店の前で別れ、手を繋いで帰る新婚さんの背を見送った後、俺たちは駅へと歩き出す。
 店の中にいた時も、冷房ちゃんと入ってんのか疑いたくなるほど蒸し暑かったが、外はそれ以上にむわっとしていた。お店の皆さん、疑ってすみませんでした。熱帯のジャングルってこんな感じかと思えてしまう、息が詰まるような暑い夜。飲んできたばかりなのにもうビールが恋しくなってくる。これ以上は飲まない方がいいだろうけど。
「暑いな」
 歩きながら安井がぼやく。その隣で藍子が頷いたのが見えた。
「暑いですね、駅に着くまでに汗だくになっちゃいそうです」
「それは困るな。また水分補給したくなる」
 安井は一つ息をついてから、藍子に向かっていやに優しげな口調で言った。
「いっそ俺たちだけでもう一軒行こうか、干からびる前に」
「おい、自然な流れで人の彼女口説いてんじゃねえ」
 二人の会話に割り込む俺。――実際に、安井と藍子の間に割り込んで、遠ざけてやった。きょとんとする藍子、対照的に笑い出す安井。
「どうせ了承が貰えるとは思ってないよ」
「つかお前、何でいるの?」
「俺も電車で帰るからに決まってるだろ」
 そりゃわかってるけど。飲み会引けてあとは二人きり、みたいな流れを想定してたのにまだおまけがついてくんのか、的ながっかり感は多少あります。ただでさえ長い長い『待て』を食らってる真っ最中だっていうのに。
「そういや、前もこの組み合わせだったよなあ」
 一月くらい昔の記憶を思い出し、俺はぼやく。
 安井は目を瞬かせてから聞き返してきた。
「前?」
「ほら、春名くんが一緒だった時ですよ。ですよね?」
 藍子が助け舟を出せば酩酊した頭もどうにか繋がったらしく、安井が腑に落ちたような顔をする。
「ああ、そういえばそうだったな。ご縁があるのかな、俺たち」
 可愛い女の子とのご縁なら大歓迎ですが、そこに他の男も加わってくるのは本気でノーセンキューです。
 大体あの時だって、結果的に藍子には逃げられちゃって安井と二人きり、馬鹿話しながら帰るという世にも情けない顛末を迎えてた。同じ轍は踏みたくない俺、安井にさりげなく水を向けておく。
「いや普通はご縁とかじゃなく、違う風に考えるだろ……気を遣えって」
 間髪入れずに奴は聞き返してきた。
「二人きりにしろってことか」
「そうだよ。例えばお前が十メートルくらい後からついてくるとかさ」
「嫌だ。むしろコバンザメみたいに張りついてやる」
「やれるもんならやってみろ、思いっきり振り落としてやるよ」
「じゃあ俺、小坂さんに張りつくから。小坂さんは絶対俺を振り落としたりしないもんな?」
「藍子が何にもしなくても俺が引き剥がす。藍子にひっついていいのは俺だけだからな!」
 俺たちの小学生レベルの口論の傍ら、藍子が吹き出すのを一生懸命堪えている。横目に見る彼女の肩が、歩いて揺れるのとはまた違う震え方をしている。
「気を遣ってもらうべきはむしろ俺の方だろ? お前らはカップル、俺は独り身なんだから」
 と、唐突によくわからん論理を持ち出す安井。
 実際、五人中カップルが二組で残る一人がフリーとか、場合によっちゃいづらいものだとは思う。もし俺が今の安井と同じ状況だったらどんな気分でいるか、ちょっと想像つかない。疎外感はあってしかるべきだろうし、目の前でいちゃつかれたら、程度によっちゃ殺意さえ芽生えるんじゃなかろうか。安井自身が普段は気にするそぶりもないようだし、今日みたいに奴の方から誘ってきたりもするから、きっと平気なんだろうと放っといてるが、本当のところはどうなんだろう。霧島が結婚して、俺には藍子がいて、そんな状況下で安井には、いづらさとかないんだろうか。
 俺の気遣い未満の考え事をよそに、奴はいかにも軽く笑う。
「ま、好きで当てられに来てるんだけどな。霧島夫妻もお前らも、見てて面白いから」
「見世物じゃないっての。見物料取るぞ」
「その分、今日は仕事しただろ? 幹事だぞ、俺」
 それには異論ないですが。
 今日の店は美味くてお値段もそこそこだし、何より女の子評価が非常に高い、なかなかいいところだった。次は二人で行こう。
「何にせよ、忙しくなる前に皆で集まれてよかったよ」
 しみじみと語った安井の表情は明るい。
 いづらさなんてものは微塵も窺えない。俺が気を遣う必要なんて全くないんじゃないか、と思える。いや、今更気を遣うつもりもないけどな。もう長い付き合いだから。
 本当に、付き合いだけなら無駄に長い。安井とは八年以上、霧島とだって六年以上だ。よくもまあ飽きもせずにつるんでられるよな、我が事ながら思う。安井にとってはその付き合いが『面白いから』なんだろうけど、それなら俺はどうなんだ。
 ――面白い、とこもなくはないな。確かに。
「また皆さんで集まれたらいいですね」
 藍子も弾む声を上げる。
 彼女がとりあえず、俺の長い付き合いに肯定的で、一緒になってつるんでくれてるのがありがたい。霧島の奥さんとは仲いいし、霧島や安井とも結構上手くやってるみたいだし、そこにやきもきさせられることもたまにはあるが、総合して見ればいいことだと思う。と言うか、いい子だ。
「いつか、六人で集まれたらいいよな」
 安井が酔った勢いでかそんなことを言い出したので、すぐに言葉尻を捉えてやった。
「そう言うってことは、当てでもあるのか」
 返ってきたのは読みきれない微妙な笑顔。
「どうだろうな。あっても黙ってるよ、俺は」
「言えよそこは! ぶっちゃけろよ! 何なら俺が相談に乗っちゃるぜー」
「お前の経験なんて参考にならない。その歳でそこまで女にベタ惚れしてるの、石田くらいものだ」
 何て言い種だ。思わず俺は額の汗を拭う。
 年甲斐ないのはちょっと自覚済みですが、でも俺だけってことはないって。むしろ皆がそこまでのめり込める可愛い子とで会えてないだけだろ。藍子が可愛すぎるのがいけない、俺がめろめろになるのもしょうがない。うん。
 それより、今でこそ気取ってクールぶってる安井が、可愛くてどうしようもなく奴を振り回すような女の子にとっ捕まってるところを是非見てみたいもんだ。
 その時が来たら霧島と二人、大いにからかってやろう。
「ただ、俺の方が先に結婚するって可能性はあるんじゃないかな」
 安井はその言葉もさらりと口にした。
 驚く俺と藍子の表情を見比べるようにして、にやっとする。
「もたもたしてると、先越しちゃうよ」
 それで俺は藍子と顔を見合わせ、彼女が思い出したようにもじもじし始めるのをどうしたもんかと眺めていた。この件に関しては前向きに考えていただけるとのことですが、さてどうでしょう。安井の先は越せそうでしょうか。
 でも正直なとこ、安井に負けたくないとか先越されたくないって気持ちは、全くもってないんだよな。そりゃ藍子を嫁にできるなら早い方がいいって思うけど、でもそのことと他人の事情とを比べるつもりはない。藍子が本当に前向きに考えてくれてるのももうわかってるから、俺も信じてる。ただそれだけのことだ。
「安井課長のお嫁さんがどんな人か、楽しみです」
 藍子は少し恥ずかしそうに、でも若干、仕返しみたいなニュアンスも滲ませながらそう言った。
 それに安井が肩を竦める。
「どんな人だろうな……。ひとまずどんな美人を捕まえても、君の彼氏みたいに浮かれっ放しにはならないつもりだ」
 浮かれっ放しってなんだよ。しょうがないだろ、藍子が可愛いんだから!
 俺はむかっとしたけど反論の言葉が浮かんでこなかったので、とりあえず遠めに駅の明かりが見えたのを幸いと、話題から逃げるように携帯電話で時刻を確かめてみた。二十時十三分。
 と、そこへ。
「随分可愛いストラップつけてるな」
 安井の少しびっくりしたような声がして、俺の方が驚く。
 目ざとい。本当こいつ目ざといわ。
「何それ、とんぼ玉? お前そういうの好きだっけ」
「見るな! 触んな!」
「彼女の趣味ってとこ? へえ、すっかり染められちゃってるな」
 俺の抗議も聞く耳持たず、安井はしげしげと今日買ってもらったばかりのストラップを観察し、それからわざとらしく感心したように語を継いだ。
「藍色に、なんだろうな。お前の場合」
 なんて気障な言い回しだ……と俺は戦慄したが、事実その通りだから始末が悪い。灰色がかってた俺の人生に藍という差し色をくれたのはまさに彼女だった。――うわ、自分で思っといて何だが軽く引くわ。口にはできねーな、一生。
 でもそういうようなこと、たまに思ったりはするわけだ。
 藍子は安井の言葉をどう思ったんだろう。どことなくそわそわしてたのは、俺のストラップが実はお揃いで持ってるものだから、それが安井に知れたら面倒だと考えて、なのかもしれん。彼女は黙ったまま、笑みを堪えるみたいにぐっと唇を結んで、困ったように俺を見ていた。

 安井とも駅で別れ、電車に乗り込んだ後でようやく、俺たちは二人きりになれた。
 いや、他の乗客はもちろんいるけど。土曜の夜、駅前を発つ路線は適度に空いていて、二人並んで座れるくらいだった。俺と藍子は長い座席の端っこの方に座りつつ、自然と手を繋いだ。
「私の手、汗ばんでてすみません」
 繋いでしまった後で、彼女はそっと詫びてきた。そんなの気にしなくていいのに。気になるくらいならそもそも握ったりしないのにな。
「俺もそうだよ。気になるか?」
「い、いいえ。ちっともです」
 手のひらどころか、腕にだって汗をかいてる。今夜は本当に蒸し暑くて、駅まで歩いてくるだけで結構な運動になってしまった。部屋に帰ったら水分補給しよう、酒以外で。
 電車の中は冷房が聞いている。ドアが閉まるとかなり涼しくてちょうどいい。動き出した電車の慣性に従い、彼女もがたんと少し揺れる。剥き出しの二の腕や肩がぶつかってくる。汗のせいか少し冷たく感じた。
「今日、楽しかったですね」
 手は繋いだまま、藍子が笑いかけてくる。
「まあな。何だかんだで誕生日祝いっぽいことしてもらったし」
「そうですね。いいパーティだったって思います」
 うん。いい飲み会だったし、いい日だった。土曜日はあと四時間で終わってしまうけど、まだ日曜日がある。ほろ酔い加減も手伝って、今はすごくいい気分だった。
「何か俺、誕生日好きになってきたかも」
 正直に打ち明けると、藍子は見るからに幸せそうに口元を綻ばせる。
「いいですよね、お誕生日。私も好きなんです」
 いい笑顔だ。誕生日は祝福されるべき日だって信じて疑わない表情。皆に愛される幸せな人生を送ってきたんだろうなと、その笑い方だけでわかってしまう。
 別に俺が、愛に飢えた寂しい人生を送ってきたってわけじゃないが――忙しくて、気持ちに余裕がなくて、忘れてただけだ。誕生日の過ごし方。祝ってくれる人がいる幸せ、みたいなものを。
 今だって、誕生日そのものが好きになったわけじゃない。何にもない、誰もいない誕生日なんて三百六十五分の一、単なる日付の一つに過ぎない。祝ってくれる人がいるから好きにもなれるし、幸せだって思う。
「来年も祝ってくれ」
 俺が言うと、藍子はにっこり即答してくれた。
「はい。もちろんです」
 それもいい返事だったし、望んだ答えでもあったんだけど、俺は贅沢にも少々の物足りなさを覚えてしまった。
 だってほら、前向きに考えてくれる約束だっただろ。不束者ですがってお前は言ったけど、俺はそんな風にはちっとも思ってない。来年もお前が俺の傍にいるって信じてるけど、それをもうちょい確実な約束にしたい。
 だから、次は別の言い方にしてみた。
「一生、俺の誕生日を祝ってくれ」
 言ってしまってから、あれ、これってプロポーズっぽくないかと思った。しかもこの上なくベタな類の。でも俺の望んでることって要はそういうことだし、プロポーズだっていつでもする気でいるし、別に間違ってないからいいよなと思い直す。
「はい」
 藍子はやっぱりすぐに頷いてから、ふと真剣な顔になる。
 不安の色はないが、やや硬い口調でもう一つ続けた。
「……一生、いいお誕生日にしますから」
 ちゃんとわかってくれたらしいところは、去年と比べても格段の進歩だ。
 俺はいい気分で、彼女の手を更に強く握り締めた。本当は抱きしめたいと思ったけど、電車の中じゃ無理だ。部屋に着くまで我慢しよう。

 プレゼントはお前でいいって言っといた。お前が一緒にいてくれればいいって。
 それも一生。この先ずっと、同じでいい。
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