Tiny garden

まだ見ぬ君を、(4)

 明日も営業日ということで、飲み会自体は十時過ぎに引けた。
 主要交通機関がまだ生きてる時間帯とあって、バス通の春名とは店の前で別れることになった。携帯でバスの時刻表を確かめて、よかったーまだありました、なんて笑う顔には酔っ払ってる感は全く窺えず、帰り際の挨拶も実に爽やかだった。
「今日は本当にごちそうさまでした! 楽しかったです!」
 結局、言われていた惚気話なんかはあまりしなかったし、仕事の話なんか更にしなかったものの、とりあえず楽しんでもらえたことにはほっとしていた。考えてみれば、八つも年下の子と飲み会なんて初めてだ。今までの最高記録は七つだったからな。会話内容に多少の世代格差を感じることはあったが、わかりあえないほどでもないな、というのが率直な感想だ。そう思ってるのは年上の方だけ、ってのもよくある話だが。
「気をつけて帰れよ」
 俺が声をかけると、はい! と元気よく返事をする。それから小坂や安井にもちゃんと挨拶をして、しっかりした足取りで一人、歩いていく。
「春名くん、頼もしいですね。いい子だし」
 奴を見送った後で小坂が言うと、俺より先に安井が吹き出した。小坂はすぐに目を瞬かせる。
「どうして笑うんですか、課長」
「いや、ごめんごめん。小坂さんが『いい子』って言うと、何かさ」
 言いたいことは少しわかる。にやにやする俺を横目に、安井は感慨深げな口調で続けた。
「そうか、小坂さんにも後輩ができたんだよな。月日が経つのは早いな……」
「ですよね。私も最近、歳を取ったなあってしみじみ思うんです」
「お前がそれを言うな。俺たちの立場がなくなるだろ」
 頷き合う俺と安井に挟まれて、小坂本人はきょとんとしている。彼女なりに去年と比較して、ルーキーは卒業したし後輩はできたしで思うところでもあるのかもしれないが、こっちにしてみれば二十四で歳を感じたがる神経がわからん。しみじみするのはもう少し後にしろ、お前の人生はこの先まだまだいろいろあるってもう決まっちゃってるんだから。
 俺としては、お前が三十になったら何て言ってるか、今から非常に楽しみだ。

 その後は、電車通勤の小坂を駅まで送っていく――という建前の下、どうにか誘拐して帰れないものかとこっそり目論んでいたわけだが。
「……何で、お前もついてくるんだよ」
 駅までの道を歩き出しても尚、安井がくっついてくる。俺と小坂が肩を並べているところにわざわざ歩幅をぴたりと合わせて、意に反して三人で一緒に帰る羽目となっている。しかも小坂が真ん中だ。蒸し暑いのに三人並んで歩くとかどうかしてる。
「だって俺、石田とは帰り道一緒だし」
 安井の答えは残念ながら事実で、奴がまだ営業にいた頃はよく飲み会の後で一緒に歩いて帰ったりもしたし、霧島の家に寄った後なんかも潰れかけた安井を部屋まで送ってやったことが何度かあった。仕事で飲む時は割と最後までしゃきっとしているのに、身内での飲み会だとどうも箍が外れるらしい。五割くらいの確率でべろべろに酔っ払ってしまうので、面倒を見る側はそれはもうものすっごく大変だ。奴が接待でカラオケを多用するのも酔いが回るのを防ぐ為の苦肉の策だったのではないかと、今なら思う。
 だとしてもだ。今日の安井はいつもよりは酔っ払ってる風でもない。全然ない。むしろ歩いて帰るのに何ら不都合があるようにも見えないので、わざわざ付きまとったりしないで一人で帰りゃいいじゃねーか。ついてくんな空気読め。
「普通、こういう時は気を遣うだろ?」
 俺が言外に、いやどっちかって言うと大層あからさまに邪魔だと伝えてやってもまるで気にする様子もない。俺ではなく、小坂に向かって尋ねる。
「たまには三人で話すってのも悪くないよな、小坂さん?」
 小坂も小坂であっさり頷いてしまう。
「私も、お二人がお話ししているのを聞くのは楽しいです」
「ほら」
 どや顔で俺を見る安井。安井の内心のどす黒さも知らずににこにこしている小坂。俺はわざとらしく大きな溜息をついて、今日の誘拐を断念しかける。
 まだちょっと諦めきれないところもあって――俺は自分で言うのもなんだがまあとにかく往生際が悪いから、駅まで三人で歩きながらも小坂にそっと確かめておく。
「お前、写真のことであいつを邪険にできないとか思ってるなら考えすぎだぞ」
 そうしたら小坂は、肩を揺らして女の子らしい笑い方をした。
「邪険にしたいとも思ってないです」
「思えよ。この状況であいつは確実に邪魔だろ」
「主任こそ、そんな風に思ってるんですか?」
 夜の街に不似合いなきらきらした目で問い返され、俺は微妙に詰まる。思ってる、けど、そうと正直に言えない空気だ。小坂のそういう真っ直ぐさはルーキーを卒業して二十四になって、後輩ができたくらいではちっとも変わらない。他のところでは大人になったようなのに、考え方がいい意味でも悪い意味でもちっともすれてないのが、いつもは可愛いし、時々困る。
 次の言葉を考えてる俺と、成り行きを不思議そうに見守ってる安井の顔を見比べるようにしてから、小坂は上機嫌で続ける。
「私、知ってるんです。主任も安井課長も、お互いがとっても大好きなんですよね」
「ない。断じてありえない」
「気色悪いよ普通に」
 俺と安井はほぼ同着のタイミングで抗議の声を上げ、すぐにお互い、うんざりした視線をぶつけ合う羽目にもなった。小坂はそんなのもお構いなしに可愛らしく笑っていたものの。
「いつも思ってます。男の友情って、素敵なんだなあって」
 だが彼女の想像する男の友情とやらは恐らくただの誤解か、もしくは漫画かドラマの影響を受けたものでしかないだろう。例えば貧乏な家で暮らすチームメイトを部活に呼び戻す為にバイトを手伝いに行くとか、誰かを庇って喧嘩して停学処分になった生徒について校長に直談判に行ってやるとか、はたまた夕日差す河原で殴り合ったり夢を語り合ったりするとか、せいぜいがそういうものなんじゃないだろうか。青春時代ならばまだそんな友情もしぶとく生き残っているのかもしれないが、大人になってから結ぶにはいささか密度が濃すぎるし、そもそも部活とか停学とかもはや関係ない。この歳で殴り合いなんてして顔に痣でも作ってみろ、すわ警察沙汰か痴話喧嘩かとよからぬ憶測を呼んで仕事に支障をきたすぞ。
 大体、友情と定義するのさえ微妙なラインだと思ってる。安井や、それから霧島なんかを『友達』と呼ぶのは微妙に気が引ける。そこに小坂がいつも指摘するような照れが存在しないとは言い切れないが、それ以上に論拠は漠然としてるけど確かな違和感があって、考えてみてもやっぱ違うよなって結論に至ってしまう。それが何か不都合あるかって言われたら別段何もないし、そんなもんでいいんだって俺は思うけど。
「お二人に質問がありますっ」
 小坂は呆れる俺たちをよそに数歩先へ駆け出して、くるりと後ろに向き直った。春名と同様に足取りに不安はないが、ずっと笑ってばっかの表情とか落ち着きなく弾んでる声とかから、明らかにはしゃいでるそぶりは散見できた。宣言通り、あんまり飲んでなかったはずなのに――あの杏仁豆腐に実は酒が入ってた、ってオチなら納得はいくがな。結局三杯食べてたし。
「あの写真、どうして同じポーズで写ってたんですか?」
 彼女の質問はなかなかの今更感だった。お前もそこ突っ込むのか、と苦笑いしながら答えておく。
「酔っ払ってたんだよ、あの時は」
 酒が入ってなかったらあんなにノリノリでギャルみたいなことやってない。しかも、それを八年も後に社内報なんぞで晒されるとは予想だにしなかった。次に誰かから写真を撮られる機会があったら、なるべく真面目に写っておこう。
「でも、お二人とも息ぴったりの写り具合だったんですよ。ちゃんと右手左手の高さが合ってて、まるで線対称みたいで」
 こんな感じ、と彼女もぶきっちょに両手を挙げて、あの写真の俺たちと同じようなポーズを取ってる。時代遅れのギャルポーズでも彼女はちゃんと可愛いし、ギャルっぽさなんて微塵もない。むしろぎこちない感じ、不恰好さがかえって愛くるしくてぶっちゃけその胸に飛び込みたい。安井さえいなければ。
 何よりも、あの写真の頃の俺たちより年上なのに、ちっともそんな風には見えない。頼りないとか子供っぽいって意味じゃなくて、ひたすら素直なんだと思う。男の友情とか自分で体験する機会のないものでも、話に聞いただけですんなり信じてしまえるくらいに。
「だからお二人は当時からずっと仲良しなんだなあって思ったんです。間違ってないですよね?」
 小坂がこっち向いたままムーンウォークを始めたので、大して酔ってもいないはずなのに危なっかしいなと、俺は彼女の足元ばかり見てた。彼女の言葉には安井が答えた。
「君たちほどじゃないよ。君はまだ一年と少しくらいしか石田とつるんでないのに、随分と仲がいい」
 言われた内容をじっくり反芻するように、小坂は足を止めて瞬きをする。直に、そうかな、なんて顔をしたもんだからなぜ頷いとかない、と俺はこっそり思う。そこはいつもみたいに『そうですね!』って言っとくべきところだろ。
「意外と、しっかり手綱握れてるみたいだし」
「……たづな、ですか?」
 安井の言葉に小坂は一層怪訝な顔になり、すかさず俺は口を挟む。
「馬鹿言うな、将来は亭主関白に決まってんだろ」
「ないな。それこそありえない」
 何の根拠があるのか、腹立つくらいあっさり一笑に付された。
 そんなはずがない、手綱ならぬリードをがっちり握ってるのはどう見たって俺の方だし、そりゃあいつは若くてやたら元気だからたまに、ごくたまに明後日の方角へ引きずられてったりはするけど、概ね牽制できてると思う。絶対思う。
「どうせあと五年もすれば、ものの見事に小坂さんに頭上がらないようになってるよ」
 予言めいた口調で安井は言うが、そういう俺を、俺自身が割と想像できてしまうから困る。今のところはまだしてないけどそのうちに喧嘩だってするだろうし、そうなったら先に頭下げるのは俺の方なんだろうなと予想もつく。あれ、やっぱ尻に敷かれ始めてるのか。
「そんな、そんなことないですよ」
 小坂はそこで慌てふためき、
「年功序列という言葉もありますし、私は常に隆宏さんを立てていきたいと考えています。手綱を握るとか、そういうこともなくてですね――」
「『隆宏さん』?」
 安井は、彼女の言わんとしてるところとは全く別の箇所に触れた。意味深なにやにや笑いを浮かべて曰く、
「いつも、そう呼んでるんだ?」
 急に黙る小坂。不承不承といった様子で頷いたものの、気まずそうにしている。隠しておきたかったんだろうか、俺なんかはむしろ、安井は知らなかったんだっけとびっくりしたくらいだが。
「思ったより早かったな。君のことだからもっと掛かるんじゃないかと踏んでたのに」
 そうやってからかわれると、彼女は夜の町並みの中でもわかるほどに真っ赤になった。鼻の頭に汗が浮かんでいるのは蒸し暑さだけのせいではあるまい。
 ムーンウォークのままじりじりと、遠慮がちに後ずさりを始める。
「あ、あの……駅まであとちょっとなので……」
「どうせなら最後まで送るよ。今の話も詳しく聞きたいし」
「いえ、全然結構です! 大丈夫です! 失礼します!」
 面白がる安井の引き留めも意に介さず、小坂は脱兎の如く逃げ出した。確かに道の向こう、煌々と光る駅舎は見えていたから心配は要らなさそうだが、それにしたって逃げるこたねーだろと思う。俺に声をかける暇くらいくれ。
 しょうがないのでぶんぶん揺れる尻尾めがけて叫んでやった。
「帰ったらメール!」
 彼女は走りながら危なっかしく振り向く。
「わかりました! おやすみなさーい!」
 最後の一言が可愛かったので許す。
 が、その可愛い子を困らせる奴は許せん。
「あんまりあいつをいじめんな。仕返しするぞ」
 小坂の姿が見えなくなってしまってから、俺は思いっきり釘を刺した。安井は尚もにやにやと嬉しそうにしながら、
「だって小坂さん可愛いんだもん」
「当たり前だ。でも可愛がっていいのは俺だけ」
 既に霧島とか霧島の奥さんとか春名とか、それにこいつとか、小坂のことを可愛いって言う連中は大勢いるが、それでも俺だけは彼女を一番可愛がれる特別な存在だと思いたい。と言うか、思わせてください。名前書いとけないんだからせめてそのくらいは。
「大体、今日だってお前がいなけりゃ連れて帰ったとこなのに」
 ついでに恨み節をぶつけると、逆に安井から恨みがましい目で見られた。
「一日くらい我慢しろよ。しょっちゅう連れ込んでるんだろ」
「ちっともだよ! もうかれこれ三週間は来てもらってない」
 先月の健康診断直前くらいに連行して、それ以来だ。その間彼女の家には行ったが当然ながらちゅーまでしかしてないし、それ以降はまともにデートもしてません。ましてもうじき七月、今年も来るぜ地獄の夏がお盆進行が。そうなったらもうお互い忙しくて会う暇もなくなりそうだしどうする俺。いよいよ半同棲のしどきか。
「溜まってんだ?」
 安井が非常にダイレクトな表現をなさったので、つい睨みつけてやった。
「下ネタで煽られると倍むかつくな」
「自分で言うのは楽しいのにな」
「……全くだ」
 もちろんそれだけではないんだが、でも逃がした魚は大きいって言うか去り際の彼女も結構可愛かったので、取り残された後は無性に寂しい気分になった。

 それからはただただ空しく、三十路男二人で肩を並べてぶらぶらと帰った。
 俺も安井もさほど酔っ払ってないくせに、よくわからないテンションで会話を続ける。
「若い子と飲むと、いろいろ考えさせられるよ」
 安井は妙にしみじみしている。その物言いが若干じじむさい。
「春名くんとかもう、ぴっちぴちだよな。若さが羨ましいよ」
「まあな。あんだけ若かったら怖いものなしだろ」
「石田は元々怖いものなんかないだろ? 七つも下の子に手を出して」
「だから、俺から出したんじゃなくて向こうからアプローチされたんだって」
 その話はずっと前から散々してるだろうに。彼女が俺を好きだって態度で示さなかったら、こっちも観賞用としてしか接触しなかったはずだ。七歳差というのはある意味で微妙な歳の差だと思う。犯罪にもなりかねん。
「最近、思うんだよな」
 歩きながら安井が溜息をつく。次の瞬間、芝居がかった仕種で視線を、雲で濁った空へと向けて、
「もし人事に行ったのが俺じゃなくて、お前だったらどうなってたのかって」
 俺も即座に答える。
「あんまり想像できねーなあ」
 率直に言って、俺にそっちの仕事が向いてるとも思えん。営業の方がずっと性に合ってる。もっとも、それを言うなら安井はどうなのかって話になるが、どうなんだろう。一年目から人事に行く奴はいないように、あの部署はある程度勤めた後で適性なんかを見た上で――建前上は一応、見た後に、適当な人物を放り込んでみるところだ。
「俺があのまま営業にいたら、主任になれてたかな、とかさ」
 安井は目の端で俺を見て、ちょっと笑った。聞き間違いでなければ少し寂しげにも響いた。
 俺は心ならずも複雑な気分になり、茶化す気にもならず、とりあえず首を捻っておく。
「なれてたんじゃないか。俺だってなってんだし」
「まあ、なれてなくても新人指導を任せてもらえればいいんだけどな」
「そんなにやりたいもんかね。楽じゃないんだぞ、あれで」
 今年こそ二回目だからいくらか気楽でいられるものの、去年なんていろんなことで気を揉んでた。小坂の初営業の日なんかは……マジでいろんな意味できつかった。
 真面目に昨年度を振り返る俺を尻目に、
「小坂さんを指導できるならやりたい」
 いたって真顔で、しかし安井はそんなふざけたことをのたまった。
「駄目に決まってんだろふざけんな」
 そもそも無理な話でもあるんだが、俺はむかついた。奴の発言そのものについてもだが、ちょっとこいつに同情しかけた後だけに余計胃がむかむかした。金輪際『安井も寂しいのかな』なんて考えたりしねー!
「たらればの話だよ」
 宥めるように安井は前置きして、
「もしも俺が営業課主任で、小坂さんを指導できてたら……」
「できてたら?」
「小坂さんは俺を好きになってくれてたかもしれない」
「絶対ない!」
 たらればの話だろうが何だろうがとにかく即刻否定した。
「あいつは俺が人事にいたって、俺を好きになってくれたはずだ!」
 いよいよむきになった俺の反応がツボだったらしく、安井は喉を鳴らすように少しの間笑った。それから面白そうに尋ねてくる。
「何でそう言い切れる? 根拠は?」
「そりゃあ、えっと……あ、愛の力だよ!」
「そんな無理やりな解決法があるか」
「知るか。たらればの話なんてする奴が悪い!」
 大体俺が人事にいたとしたら、営業課に配属されてしまうあいつとの接点はがくんと減ってしまう。全くゼロってことはないだろうが、少なくとも個人的に話をする機会なんてほとんどないだろうし、何のツテもなしに飲みに誘うこともできないだろう。当然、俺の誕生日の話なんてすることもないだろうし、そうなるとお祝いだってしてもらえなかっただろうし。
 それ以上のことを想像するのは生理的に受け付けなかった。無理。仮定の話だって考えたくない。俺の代わりに主任になったのが安井でもあるいは別の誰かでも、あいつの指導に当たったのが全く別の人間だとしても、そいつのことを小坂が好きになるとは思いたくない。あくまで俺だから、って思いたい。と言うかもういいじゃん、現に付き合ってるのは俺なんだから! 暗い想像で鬱屈としたくないですよ飲んで帰ってきた後は!
 ――ふとその時、こんがらがってきた思考を断ち切るように、思い出した。
 彼女が言ってた、俺を好きになった理由。
「あいつが言ってたんだけど」
 このまま安井に笑われたままで引き下がるのも悔しいから、思い出したことを言ってみた。
「小坂さん?」
「ああ。あいつ、未来の話ができる奴が好きなんだって」
 正確には違うけどな。もっと恥ずかしいことを言われた。――自分だけじゃなくて、他の人の未来まで考えられる人って、そうそういないと思うんです、などと。俺はそういうのも割としっかり忘れられずに覚えてる方だけど、だからってそれを洗いざらい打ち明けるのは、たとえ単なる惚気でも、たとえ安井が相手でも気が引けた。自分でもさすがに誉められすぎじゃないかって今でも思う。
「だから俺がどこの人間でも、やっぱあいつには俺しかいないんじゃねーのって思うんですが」
 誉めすぎの過大評価でも、彼女がちょっと見間違ってるだけだとしても、そういう理由で俺が好きになってもらえたのは事実だ。だったら俺は彼女といる未来を考える。彼女にとって、優しい人間になる。それだけ。
「……かも、しれないな」
 安井は腑に落ちたような顔で俺の話を聞いていた。意外だった。
「そう言われるとわかる気がする、愛の力だな」
「そこはわかんなくていいよ、明らかに苦し紛れだろ」
「いや、気に入ったからしばらくは言う。愛の力は偉大だな、石田」
「やめろってマジで!」
 俺はまだいいけど彼女の前でそれ言ったらえらいことになるぞ。めっちゃ慌てるぞ。今日以上の超高速で後ずさってるのが見られるかもしれん。
「じゃあ家に着くまで、お前に未来の話でもしてもらおうか」
 やたらうきうきと楽しそうに、安井が話を振ってくる。別にしたくない、って俺が顔をしかめるのにも構わず、芸能レポーターばりの鬱陶しい質問を次々ぶつけてくる。
「ずばり、結婚はいつ頃?」
「あ? 近いうちがいいけど……いつとまでは決めてない」
「彼女にはドレスと内掛け、どっち着てもらう?」
「決めかねるんでできれば両方」
「じゃあ、子供は何人欲しい?」
「何人だろうな。三人くらいいてもいいかもな」
 そこまで具体的なビジョンがあったわけではないが、考えてみると楽しそうだ。藍子は絶対いいお母さんにもなると思うし、可愛いお母さんにもなると思う。
 明るい想像は思いっきりはかどってしまって、俺は自分でも気持ち悪いくらいでれでれしながら言い添えた。
「できれば、藍子似の女の子がいい」
 途端、そっちから話を振ってきたくせに安井はいかにもどん引きましたみたいな顔をした。急に低い声になって、早口の呪文みたいにぼそぼそっと言われた。
「三人とも男になる呪いをかけてやる」
「はあ? 勘弁しろよ、女の子がいいって言ってんだろ」
「三人揃ってお前似の男ばっかり生まれてくる呪いをかけてやる!」
「だからやめろって。俺みたいなの他に三人いたら藍子が困るだろ!」
「エンゲル係数が半端ないことになるぞ! 覚悟しろ石田!」
「訳わかんねー呪いかけんな!」
 三十歳の男が二人、こんなくだらないことで盛り上がりながら夜道を歩いて帰るのは、傍から見たらきっと空しい光景だろう。あの写真を撮った頃から八年経ってるって言うのに、あの頃とまるで変わらない話をしてるんだからつくづく手に負えない。昔から安井とは下ネタとか、女の子の話でばかり盛り上がってて、でもさすがに三十になってもこんな調子が続いてるとは想像もしてなかった。
 だったら俺たちはじじいになっても相変わらずこんな話ばっかしてるのかもしれない。それで俺たちが下ネタとか、女の子の話なんかで盛り上がって、時々口喧嘩なんかもしてる傍に、可愛いおばあちゃんになった藍子がいてくれたらいいなあ、などと思います。
 あの頃と違うのは、未来についての想像図に、当たり前みたいに彼女がいることだ。
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