Tiny garden

とろけるくらいあまく(1)

 健康診断の結果によれば、霧島くんが幸せ太りをしたそうです。

「新婚さんですからねー、そりゃしょうがないですよねー」
 退勤後の車の中。
 俺がげらっげら思い出し笑いをしてる隣で、藍子は不思議そうな声を立てる。
「そんなに増えたようには見えなかったですよね。三キロ、でしたっけ」
「まあな。あいつ見た目薄いし」
 奴がきれいで料理上手な奥さんを貰ってから、もうじき五ヶ月になろうとしている。折りしも先だっての健康診断の結果が出た日。奴の変化は数値に表れていた。
 元々『痩せてる』とか『細い』とかじゃなく、霧島は薄い。だから三キロ分くらいは太っちゃっていいんじゃねーのと他人事として思う。が、当人からすれば結構ショッキングな出来事だったらしく、おまけにその事実が判明した今朝方からこっち、営業課ほぼ全員にからかわれまくったものだから、大層憂鬱なんだそうだ。
 俺からすれば、幸せ太りで憂鬱だとか即刻有罪判決、まさに贅沢の極みだけどな。文句あんならもっかい一人暮らしに戻ればいいだろ。
「ゆきのさんのご飯は美味しいですから、幸せ太りだってしますよね。いいなあ」
 藍子の口調はどことなく羨ましげだ。
 仕事を終えた後のこの時間は、誰だって空きっ腹を抱えているもんだろうし、俺もそれはものすごく羨ましい。いいよなあ、家に帰れば飯が出てくる生活。俺なんて帰ってもまだ一人ぼっちですよ。藍子を今まさに家まで送り届けてやろうとしてるところで、本当は連れて帰りたいのに、寂しいったらありゃしない。
「俺も幸せ太りしたいなー」
 羨望半分、残りは隣にいる彼女へのアピールとして呟いてみる。
 俺の車の助手席がすっかり定位置になった彼女は、そこでしゃきっと答えた。
「あっ、ぜ、善処します!」
「善処と来ましたか。具体的には?」
「はい。隆宏さんにご満足いただけるようなご飯を、いつかお目に掛けますから!」
 藍子は気炎を上げている。料理の練習とかしてんのかな、なんていやでも期待が高まってしまう。この間の豚汁も大変美味しゅうございましたし、料理の腕においても案外当てにしててよさそうな気がする。いやあ楽しみだ。
 しかし、俺は結婚したところで幸せ太りはしないだろうな、とも思う。藍子の料理の腕がどうこう、ではなく。現に健康診断の結果、俺は体重落ちてたからな。
 恋すると痩せるという法則は、女の子だけじゃなく三十路の男にも通用するものだったらしい。いや自分でも気持ち悪いけど事実なんだからしょうがあるまい。霧島とか安井が言い出してたらドン引いてるところだ。マジでないわー。
「ところで、お前はどうだった? 健康診断」
 何気ないそぶりで聞いてみた。
 梅雨入り後とあって、フロントガラスにぽつぽつと水滴が落ちてくる夜。ワイパーがそれを拭き取る音と、まだ弱い雨音がエンジン音に紛れて聞こえる。
 藍子の返事はややあってから、
「えっと、特に異常はなかったです」
「いや異常はなさそうだけどな……元気だもんな、お前」
「でも鉄分は意識して採った方がいいって言われました」
「あーなるほどなー。で、他には?」
「ほ、他ですか? ええと……血圧は正常値でしたし、あと握力も!」
「そこじゃないだろ。わかってるくせに」
 泥縄の効果があったかって聞きたいんだよ。
 ちょうどよく信号で停まったので、視線を向けてみる。雨に滲む赤色の光を受け、藍子は硬い横顔を晒していた。話題の割には重々しく、その唇が動く。
「その……一応減ってはいました。二百グラム」
 それは誤差の範疇じゃないか、という言葉をぎりっぎりのところで呑み込み、
「あんまり痩せなくていいからな。俺は今のお前が好みだ」
「あ、ありがとうございます。優しいんですね、隆宏さん」
 優しさとかそういうのでもないんですけどね。むしろ実地で得た率直な感想と言いますか。お前の食べっぷりいいとこも結構好きだし。
「もう健康診断も済んじゃいましたし、今後はほどほどに、それなりに自制することにします」
 藍子は日本語のファジーさを活用した発言の後、
「そういえば、隆宏さんはバリウムを飲んだんですよね」
 逆にこちらへ水を向けてきた。
「飲んだけど。……何だよ、お前もそのネタで俺を突っつく気か」
「え? 誰かに何か言われたんですか?」
「霧島に。ほら俺、今年初バリウムだから」
 我が社の健康診断は満三十歳からバリウム検査が入る。俺と安井は今年度がバリウムデビューってわけで、それを霧島に、例の幸せ太りネタに対抗する逆襲のネタにされた。――それにしても先輩、三十歳になっちゃうって大変ですよね、検査項目増えるんですもんね、俺も再来年にはバリウムですけど正直憂鬱ですよ、とか何とか諸々言われた。覚えてろ、来年の霧島くん三十歳のバースデーはクラッカー鳴らして賑々しく祝ってやっからな!
「初バリウム、どうでした? 安井課長は美味しかったって仰ってましたけど」
 彼女が語った内容を、俺も確かに聞いていた。一緒に検査だったし。
「言ってたな……あいつ、お前にも自慢しに来てたの?」
「はい。看護師さんに『飲みっぷりいい』って誉められたって」
 何やってんだ人事課長。そんなことまで他人の彼女に自慢しに来るなよなあ。
「バニラシェイクみたいな味するって本当ですか?」
 藍子は安井の飲みっぷりより、むしろそっちが気になるようだが。美味かったら飲みたいんだろうか。いややめとけって。
「似て、なくはない。むしろ劣化したバニラシェイクって感じ」
「劣化……?」
「買ってきたのをうっかり忘れて何時間か放ったらかしにしたらこうなる、みたいな」
「……美味しくないんですね」
 一気にがっかりする藍子。なぜそんなに期待してたんだ。
 甘さで言えば確かに甘い。匂いも一応、バニラだった。とろけるような質感だった。でもいかんせん重くてどっしりしてて、俺的にはあんまり好きな甘さでもなく、そして極めつけは飲んだ後のげっぷ禁止である。しようものなら即座にお替わりを出されるらしい。それだけは何としても避けたかったのと、あと安井には負けたくねーってのもあって、俺も必死に頑張った。そうして看護師さんには誉めてもらえたが、後には若干の空しさと胃もたれが残った。三十にもなって何やってんだ俺ら。
 しかしまあ、検査結果は特に問題なしってことでよかった。
「俺も異常はなかったし、これで胸張ってお前の家に挨拶に行けるな」
 健康だってことがとりあえずは一番のセールスポイントだ。親御さんだって不健康な男に娘をやりたいとは思わないだろう。
 小坂家訪問は今週末の予定だった。別に健康診断の結果を待っていたわけではなく、仕事の立て込んでない時期と先方のご予定と、あとできれば俺の給料日以降になるようにと考えてセッティングしただけだ。行くならば、やっぱ手ぶらってのはいかんでしょう。
 信号が変わる。車が再び走り出したせいか、藍子の声も弾んだ。
「父が、一緒にお酒を飲むって張り切ってました」
「お父さん、結構飲むんだっけ」
「そこそこです。ウイスキーの水割りが好きなんですよ」
「お前とは好みが違うんだな」
 藍子が『水割りの似合う女』を目指して挫折したのも昨年度の話だった。そこはあくまで好みの問題だろうし、酒自体が飲めれば仕事上の付き合いにも差し障りはないはずだ。逆に口に合ってすいすい飲まされた結果、うっかりよそで潰れてしまって……なんてことになるよりはいい。大体こんな若い子に水割り作ってさりげなく飲ませるとか、何かこう、胡散臭いものを感じるよな。取引先の相手だろうと男は男、全くもって油断ならん。
 さておき、藍子のお父さんの好みは把握した。
「お前のお母さんは?」
「母はあんまり飲めないんですよ。乾杯の時にちょっと飲む程度で」
「じゃあ、甘い物とかは? ケーキとか好きか」
「甘い物は大好きです。よく一緒に食べたりします」
 と、そこまで言ったところでさしもの藍子も感づいたらしく、次の瞬間、
「あ、も、もしかして、何か買ってこようとかお考えじゃないですよね!?」
 すっごく慌てた調子で問われた。俺もつい、吹いた。
「お考えでしたよ。だってお前、空手でなんて行けないだろ」
「いいですってば! もう本当にお気遣いなく!」
「そうは言ったって、逆の立場だったらお前どうする? 手ぶらで行けるか?」
「……いいえ」
 途端にトーンダウンする彼女。わかってらっしゃる。
 そもそも藍子からして、俺の部屋に初めて来た時は手土産持ってきたからな。大島まんじゅう。しかも親御さんが是非持って行きなさいと言ってたそうじゃないか。そんなご家庭に伺うとあっては、俺も無作法なことはできまい。
「でも、本当に気は遣わないでくださいね。うちでもお酒とかお料理とか、お菓子も用意する予定ですから」
 どちらかと言うと藍子の方が気遣わしげに言ってくる。心配しすぎだよ。
「まあ、ほどほどにな」
 俺は肩を竦める。助手席側からの藍子の視線を感じつつ、話を続ける。
「その日は俺、電車で行くからな。道はわかってるが、一応近くなったら電話する」
 家の前までは何度となく行ってるし、今日ももうじき着く。道なんてすっかり覚えてしまった。だから迷うこともないだろう。
 ないはずだが、
「それでしたら、駅まで迎えに行きますよ」
 彼女はそう言う。
「大丈夫だよ。お前だって準備あるんじゃないのか?」
「いいんです、多分隆宏さんがいらっしゃる頃にはほとんど済んでるはずですし」
 思いのほか頑なな調子で申し出られたので、どうすっかなと俺は迷う。迎えに来てもらうのに不都合はないが、道知ってるのにわざわざ手間かけるのもな。答えあぐねていれば更に言われた。
「あの……何て言うか、心の準備が必要そうなので」
 言いにくそうな口調だった。
「心の準備って、俺のか?」
「いいえ、私のです」
「何でお前の準備が要るんだよ。自分ちだろ」
 俺が声を立てて笑っても、彼女は笑わない。どことなく恥ずかしそうにしている。
「そうなんですけど……こういうの初めてで、緊張しちゃうんです」
「そっか」
 緊張か。考えてみりゃそういうもんかもな。
 藍子なら彼氏を家に連れて行くのも初めてだろうし、親に合わせるとなるとどきどきものなのかもしれない。実に初々しくて可愛いじゃないか。いつも可愛いけど。
 それに、たとえ少しの間でも、二人でいられる時間があるのは嬉しい。
 今回のは普通のデートじゃないもんな。
「なら、迎えに来てくれ」
「は、はいっ。ありがとうございます!」
 俺が頼むと、藍子はいい声で返事をしてくれた。どうやらほっとしてたみたいだ。そういう素直さも実に可愛い。
 そんな可愛い彼女を家まで送っていくのは拷問にも等しい苦痛だったが、それを解消する為の最初の関門が、この度のご挨拶というわけだ。ならば見事にやってのけよう。
 目指すは、幸せで太れちゃうかもしれない新婚生活。

 約束の土曜日は、やはりあいにくの空模様だった。
 電車に乗り込んだ午後三時頃はぽつぽつ雨が降っていたが、駅に着いた頃には止んでいた。しかしいつでも降り出せるぞと身構えているみたいなどんより空は、はるか遠くまで延々と続いている。空気は生温く、じっとりしていた。
 今日は天気くらいで気分を左右されるわけにも行かない。俺は畳んだ傘とケーキの箱と、それからビニール袋に入った一番重い長方形の箱――中身はもちろんウイスキー、それらを提げて早足で駅舎の外へ出る。
 すぐに、出入り口の傍にいた人影が動いた。
「あっ、お待ちしてました!」
 声を聞くより早く彼女に気づけたのは、もちろん見慣れた顔だからというのもあるが、事前にどんな格好で来るかを聞いていたせいでもある。
 教えてもらっていたとおり、彼女は水色のストライプのブラウスに、ベージュのプリーツスカートという、割とかっちりしたいでたちで立っていた。それでもブラウスの襟が丸いところや、同じくふっくら丸い半袖や、パンプスのベルト部分にきらきらした石がついてる辺りはいかにもオフっぽい。髪も低い位置にまとめてて、デートの時とはまた趣の違う服装だ。
 彼女がそういう格好をすると言っていたので、俺も素直にスーツを着てきた。ラフな格好をするのはもうちょっと訪問回数が増えてから。初めの一回は隙のないくらいがいいはずだ。まして俺は藍子の彼氏である以前に、上司でもあるわけだし、だらしのないところは見せられない。部下に手を出したという時点で既にだらしないと思われてそうな気もするがそれは置いといてだ。
「今日も可愛いな、その格好」
 開口一番に誉めてやったら、藍子はわかりやすく照れた。
「あの、ありがとうございます。……隆宏さんも素敵です」
「これはいつも着てるだろ」
 俺のスーツ姿なんて週に五日は見てるのに。しかも遠目に見たらわからない程度の色違い柄違いしか着てないのに、誉めようがないだろ。そう思ったが、彼女はやっぱりもじもじしながら答える。
「じゃあ、いつも素敵です」
「……馬鹿。惚れ直すにはまだ早いよ」
 サービス過剰な誉め言葉にはこっちまで照れた。
 そういうのは今日、俺がこれから彼女のご両親の前でとりあえずの挨拶を済ませて、それで和やかに酒でも飲んで、多少なりとも『娘の彼氏』として認められてからにしてもらいたい。それが全て滞りなく済んでから、改めて俺に惚れ直せばいい。
「悪い、これだけ持ってくれ」
 俺は手荷物のうちからケーキの箱だけを藍子に手渡す。外観だけで中身の察しがついたらしく、藍子は実に恭しくそれを受け取った。
「転ばないよう気をつけます」
「当たり前だ。お前の分も入ってんだぞ」
「本当ですか? 嬉しいです!」
 まず無邪気に喜んでから、ほんのちょっとだけ申し訳なさそうにしてみせる。
「でも結局お気を遣わせちゃって、すみません」
「いいっていいって。大した出費じゃない」
 この先、俺が手に入れるものと比べたら――藍子の可愛さ、まさにプライスレス。
「うちでもご馳走、たくさん用意しましたから。もうお腹一杯召し上がってください!」
 価値あるかわいこちゃんは胸を張り、そしてケーキの箱を両手に持って、俺の隣に並んでくれる。そして俺と一緒のタイミングで、とことこ歩き始める。
 空こそ今にも降り出しかねないような曇天模様だったが、彼女と二人で歩く道は文句なしに平和で、穏やかだった。駅から小坂家までの道程はほぼ閑静な住宅街が続いていて、そこにぽつぽつと昔ながらの商店や、はたまたコンビニやらが建っている程度。あまり背の高い建物はなく、夕方近くでも車通りは至って少ない。歩道のない、濡れたアスファルトの道をのんびり進んだ。
 辺りには、むっとするような雨の匂いが漂っている。帰りにはまた降っているんだろうな、とぼんやり思う。
「隆宏さんはちっとも緊張してないんですね」
 歩きながら、藍子がそんなことを言ってきた。
「いや普通にしてるよ」
 そりゃいつぞやのお前みたいにわかりやすく、右手右足一緒に出して歩いたりはしてないだろうけどな。俺だって緊張はする。
 だってこんなに年下、しかも部下とお付き合いしたのは初めてだしな。藍子の親御さんも、まさか七つも上の三十路の男を、二十三、四の娘が連れてくるなんて思ってもみなかっただろう。彼女の話を聞く限りでは面と向かって反対される気配はないようだが、懸念材料がないわけでもなく。
「『うちの娘に手を出しやがってこの野郎』とか言われたらどうしようかと」
「そういう風には言わないと思いますよ。大丈夫です」
「そしたら俺はもう『お宅の娘さんが可愛すぎるからいけないんだ!』としか言えないしな」
「……そんなこともないと思いますけど」
 たちまち耳まで真っ赤になっちゃう藍子が本当に可愛い。初心で照れ屋なところは今でも一向に変わらなくて、この慣れてない感じに非常にそそられます。そりゃ手も出ますって。年下とか部下とか関係ないですって。
「うちの両親には、前から隆宏さんのこと、ちゃんと話してありますから」
 顔を赤らめたままで彼女は続けた。
「それでうちの親も、隆宏さんをすごく評価してるって言うか……」
「評価? おい大丈夫か、あんまりハードル上げすぎてもあれだぞ」
「あ、えっと、そういう意味じゃなくってですね、何と言いますか」
 どう説明していいのかわからない様子で、藍子はまごついている。ケーキの箱だけはがっちり抱えているものの、思案に暮れながらの足取りは鈍く、次第にスピードも落ち始めている。
「その……」
 そうして遂には一旦足を止め、俯き加減で訴えてくる。
「前に、ずっと前ですけどお話ししましたよね。私、好きな人ができると態度でわかっちゃうタイプなんです」
「ああ。聞いてた」
 聞いてたし実際に目の当たりにもした。藍子のそういう時のわかりやすさったら、隠す気ないんじゃないのかって突っ込みたくなるレベルだったが、当人にはその自覚がないらしいのが厄介だ。まあ、悪い気はちっともしなかったがな。
 むしろそこまで思わせぶりにしといて、いざって時に及び腰なのが本当に厄介だった――今となっては懐かしくもある、ひたすら悶々とさせられたお預け期間。いやマジで長かった。よだれで干からびるんじゃないかってくらい長かった。しみじみと今の幸せを噛み締めている今日この頃。
 と、思い出に浸る間もさほどないまま、藍子が語を継いだ。
「それでその、そういうのって、うちの両親にもそうだったらしくて」
「はあ」
「私が……『石田主任』の話をする度に、すごくわかりやすかったみたいで」
「どこでもばればれなんだなー、お前」
 いつもそんなんだったら秘密とか作っとけないんじゃないか。でもそうやってばれるくらいに俺の――というか、恐らくは仕事の話をしてたってことは、それだけ親子仲がいいってことでもあるんだろうな。
「そうなんです。だからつまり、本当にばればれで――」
 藍子は大きく息をつく。
「私が、えと、隆宏さんのことをどのくらい好きかってことを、すごくよく知ってるんです」
「……親御さんがか?」
「はい……。あの、それはもう、ものすごく」
 そして困り果てたような声でぽつりと、言い添えてくる。
「だから心配はないです。……いろいろ恥ずかしいこと言われそうって、別の心配はありますけど」
 俺はその告白を聞いて、面食らわずにはいられなかった。
 だって、これはつまりそういうことだろ。筒抜けって意味だろ! 藍子は例のばればれな調子で親御さんに俺の話をしまくってたんだろう。そしてその話を聞いた親御さんは、藍子のちょっとずれてる、でもひたすら一途な恋愛ぶりを今日まで見守ってきたわけだ。あの子ったら定期入れに名刺なんて入れちゃって、とか、クリスマスプレゼントに鮭なんか買ってきちゃって、とか、こっそり主任さんの名前を呼ぶ練習してるみたいね、とか何とかそういう今までの過程の諸々をもしかすると全部ご存知だったりして――うわ何だこれ! 俺のしたことじゃないのに俺が恥ずかしい! あまつさえ枕でちゅーの練習とか目撃されたら、話を聞いただけで俺が恥ずかしさに顔を覆いたくなるレベル。駄目だ駄目だ絶対駄目だ。
 でも、そこまで好きでいてくれたってことでもあるんだよな。う、嬉しいような、めっちゃくちゃ照れるような。それを彼女の親御さんから言われたりするのは何とも身の置き所がなくなりそうな。俺を見て、この人の為にあの時はあんなことを……とかいちいち思われるんだろうか。やばいって。営業課の連中にからかわれるのとは訳が違う。
 そして俺が恥ずかしさに打ちのめされるほどだから、藍子の恥ダメージなんてもう比べものにならないだろう。俺も自分の親にそういうの知られてたら、まず家出するわ。
「俺のこと、どんな風に話してたんだよ」
 気恥ずかしさもありつつ、でも心の準備的な意味で聞いておこうと、俺は尋ねた。
 藍子は答えない。黙って視線を逸らしている。
「何を、どう話してたって?」
 今度は真横にぴとっとくっついて、顔を覗き込むようにして追及した。
 彼女のさくらんぼみたいな色をした柔らかそうな頬っぺたが、わずかにだけ緩んだ。
「内緒です」
「言えよ。俺だって親御さんにいきなり言われたら居た堪れなくなる」
「だったら……その時は一緒に、話を逸らすの手伝ってください」
 そして意外なくらい深刻そうに、哀願された。
「今日、すごくテンション高いんです。うちの両親」
 ああもう、これはやばい。超やばい。
 別の意味で緊張する一席が、幕を開けようとしている。
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