Tiny garden

世界は優しいとわらったひと(1)

 今年、営業課に新人が来る。
 大卒だから年齢は二十二、三歳ってとこか。数字だけで目が眩むほど若い。リクルートスーツさえまだおろしたてみたいな、ぴっかぴかのルーキーちゃんだ。その子がこっちに配属された後、俺が指導を受け持つことになっている。
 しかし――これは二重下線を引いときたいくらいの特記事項だが、その新人というのが、女の子である。
 重要なことだから強調しておこう。男ではない、女の子、だ。
 そして大卒ルーキーなんだから、つまるところこの間まで女子大生だった、ということでもある。
「女子大生だぞ、おい……」
 その彼女が新人研修を受けてる頃、俺は毎日のように、霧島に自慢していた。
「しかもなかなか可愛いと来てる。これはあれだな、仕事を真面目にやってる奴を神様は見放さないってことか。ご褒美だご褒美」
「釘を刺すのもなんですけど、元、女子大生ですよ」
 霧島は半笑いで突っ込んでくる。
「元だろうと現だろうとそう変わらんだろ、まだ四月だし」
「せっかく社会人デビューしたのに学生扱いのまんまじゃかわいそうでしょう」
 この件に関して、霧島はやたら冷静だった。彼女持ちの余裕か。くたばれ。
「安井先輩が気にしてましたよ。石田先輩がついに訴訟を起こされるんじゃないかって」
「ついにって何だよ、俺みたいな品行方正な社員はそういない」
「そうでしたっけ……。俺も課内でセクハラのトラブルなんてごめんですからね」
「しないよ馬鹿。七つ下じゃ手ぇ出す気にもならん」
 俺は二十代最後の四月を迎えているところで、しかも独身彼女なしという実にからっからに干からびた私生活を送っている。夢と希望に溢れた新人ちゃんなんてのはことさら目に染みる今日この頃。
「ただ俺の生活にだって潤いが必要なんだよ、わかるか?」
 切々と語ってみる。
「女の子に手取り足取り仕事教えたり、女の子の仕事ぶりを至近距離から鑑賞したり、女の子の書くあのいかにもって感じの丸っこい字で埋め尽くされた報告書を熟読したりできる新人指導の素晴らしさったらないだろ」
「ええー……もう既にセクハラの気配ぷんぷんじゃないですか」
「わかってないな、これは合法的に女の子の匂いを嗅げる仕事だ」
「先輩って変態ですね。知ってましたけど」
 いいじゃねーか匂いくらい減るもんでもなし。
 とにかく先にも言った通り、手を出すつもりなんざ毛頭ない。そもそも若い子との接点なんてもんが薄れてきたぎりぎり二十代の俺が、仕事で貴き二十代前半の女の子と交流させていただけるというボーナスステージである。法に触れない程度に、しかし全身全霊で楽しむつもりでいるというだけだ。
「ぶっちゃけお前だって羨ましいだろ?」
 霧島の答えはわかっていたが、俺はそう水を向けずにいられなかった。
 そして霧島は、
「まあ、羨ましくないとは言いませんけど」
 予想通りの煮え切らない答えの後で、何となく微妙な顔つきになる。
「でも七つも年下ですよ。そんなに離れてたら話合わせるのも一苦労じゃないですか? 先輩、大丈夫ですか?」
「どうだろうな。自慢じゃないが最近の若い子なんて全くもってわからん」
「俺だってつい五年前は二十二だったのに、もう遠い昔のような気がします」
 こいつがそれなら俺は一体どうすればいいのか。
 歳を取るのはやむを得ないこととは言え、通ってきたはずの道なのに最近の若い子って奴がわからなくなるのは本当に困った仕様だ。若さの基準点がどこら辺かはともかく――しつこいようだが俺だってまだ二十代だ、でも『最近の若い子』で括られるような歳では残念ながらない。その基準点から遠ざかるにつけ経験してきたはずの記憶は薄れ、代わりにどっかで拾ったような情報が印象を乗っ取り出す。俺が知ってる『今時の子』像は成人式で暴れたりするテレビの画像、それから経済誌を賑わす困った新入社員のモデルケースだ。今年の新人は何々タイプ、なんて分析を見る度に、よくネタが続くなと笑いながらもその印象があやふやなまま刷り込まれていく。
 そんな今の俺が、やってくる新人に対して全く色眼鏡をかけてないとは言い切れない。女子大生女子大生とはしゃいでいられるのも今のうちだけで、いざ仕事に入ったら思いのほか手を焼く羽目になるかもしれない。 
「いい子だといいな。せめて素直に話聞いてくれるような子ならやりやすい」
「ですね。若さ可愛さよりもまずそこですよ、仕事なんですから」
「いやわかってるよ、わかってるって」
「本当ですかね……さっきから思いっきりガワしか見てないように聞こえますけど、気のせいかな」
 何だその目は。霧島の眼鏡も俺を見る時は色がついてる気がするな。
「先輩はポジティブ思考で本当に羨ましいです」
 おまけに、生意気にも溜息つきながら言われた。
「責任重大だと思うんですけどね、新人指導。それを役得だと思って楽しみにしてられるんですから」
「俺だってその辺は真剣に考えてるよ。ただ顔に出さないだけだ、大人だからな」
「出てますよ。むしろだだ漏れですよ下心は」
 だからそれは大人らしい虚勢の張り方ってやつ。
 本当は俺、真面目なんだから。いやマジで。

 ともあれ、そんな与太話を交わした翌月には、件の新人が営業課に配属されていた。
 今はがちがちの棒立ちになり、引きつった顔でデジカメのモニターに納まっている。
「小坂、もうちょい笑えー。そんな面で写ろうもんならお前が後で悔やむぞ」
「は、はいっ」
 俺が声をかけると彼女はどうにか笑おうと懸命な努力を始めた。しかしながら緊張のせいで上手くいかず、唇の両端をぴくぴくさせている。瞬きもやたら多い。
 今日の初仕事は写真撮影。と言っても撮られる方で、撮っているのは俺だ。名札や名刺に使う用なのであんまりくだけた表情は駄目だが、だからと言ってあんまり硬いのも困る。だから笑って欲しいのに、どうも上手くいかなかった。
 営業課の片隅、何も貼ってない壁の前で気をつけの姿勢を取るルーキー。緊張しているのはまだ職場の空気に慣れてないせいでもあるだろうし、周りにギャラリーが多いせいでもあるはずだ。
「小坂さーん、頑張ってー」
「ほら笑顔笑顔。表情硬いよ!」
「大丈夫、主任がちゃんと可愛く撮ってくれるから!」
 男だらけの営業課内は揃いも揃ってルーキーちゃんに夢中だ。今も仕事をほっぽらかして写真撮影を見守っている。ほら見ろ、若い女の子でテンション上がるのは俺に限った話じゃない。
 何せ実際、小坂は可愛い。それもおっさんに受けそうなタイプの可愛さだ。髪はさらさらのストレート。それを日によっておだんごにしたりポニテにしたりとおしゃれに余念がない。童顔ってほど子供っぽくはないがまだ大学生でもおかしくない顔立ちで、朴訥と言うか、素直そうと言うか、とにかく人のよさが表情から滲み出ている。きっとナンパされるよりキャッチに捕まる方が頻度高いに違いない。美人というにはちょっと物足りない、でも愛嬌があるからその分は得をしそうな子。
 もっとも、ご自慢の愛嬌は緊張ですっかり目減りしているわけだが……可愛く撮れって、地味にむずい。
「どうも萎縮しちゃってますね」
 俺の背後からモニターを覗き込んで、霧島が笑う。こいつも何だかんだで新人に気を取られているらしく、さっきから俺の周りをうろちょろしている。
「まあこんだけ皆に見られてりゃな……」
「とりあえず一枚撮ってみるのはどうですか? 小坂さんも立ちっ放しじゃくたびれちゃうでしょうし」
「だな」
 頷いた俺は早速、小坂に向かって片手を振り、
「小坂、今から霧島が面白いこと言うから、上手く笑えよー」
「ええ!? ちょっと待ってくださいよ何ですかその無茶振り!」
「何だよ、お前だって言えるだろギャグの一つくらい」
「無理ですよ急に言われても! 自分で言ってくださいよ!」
 霧島の慌てようがよかったのか、箸が転がってもおかしい年頃なのか、ともかくそれだけで小坂はまんまと笑った。と言ってもこういう写真向きじゃない、肩を揺らした屈託のない笑い方だった。
 ギャラリーが一斉に目を細め、霧島までもが懐柔されたような顔つきでモニターを見やる。
「笑顔がいいですね」
「まあな。この顔で名刺作った方がよさげだよな」
 無理に写真向けの笑顔作らせるよりよっぽど可愛いんじゃないか、と俺は思うわけだが、名刺の写真が可愛い必要はさほどない。残念ながら。
 というわけでせっかく笑った小坂にもう一回控えめな表情を取らせて、妥協の上で撮影を済ませた。さっきの笑いで緊張は多少ほぐれたようだったが、モニターに写る静止画像はやっぱり硬さが残る、愛嬌ももったいなくも目減りしている、ある意味とても証明写真らしい笑顔になっていた。
「もっと可愛く撮れたんじゃないですかね」
 霧島が、今後この写真を見る大勢の人間に言われそうなことを真っ先に言った。むかついた。
「お、お手数かけてすみません……」
 小坂はすっかり恐縮していた。デジカメのモニターで写りを確認した後も、迷うことなく『これでいいです』と言った。
 俺としてもここまで引っ張っといて撮り直しするのもなとは思っていたが、満足のいく出来でなかったのも事実だ。
「来年はもっと可愛く撮ってやるから」
 慰めのつもりで鬼が笑うようなことを言ってやると、小坂は一瞬怪訝な顔をしてから、女の子らしいはにかみ笑いを浮かべた。
「ありがとうございます。えっと……頑張ります!」
「おー頑張れ。めいっぱい可愛く写れよ」
 まあ、いい子だよな。素直だし、フレッシュだし、可愛いし。
 最初のうちは彼女に対して、そんな印象を抱いていた。
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