Tiny garden

意識と無意識(6)

 出来上がった力うどんの見栄えは素晴らしかった。
 湯気さえ立っていなければ、このまま食品サンプルとして置いておけるくらいの――っていう表現は適当ではないかな。でも本当にきれいに出来ていた。程よい加減に焼けたお餅の他、十字に切り目を入れたしいたけ、星型に抜いたにんじん、鮮やかな緑のほうれんそう。彩りも栄養バランスもばっちりだ。
 もちろん味だっていいに決まっている。実はつゆをちょっとだけ味見させてもらっていたので、知っていた。この分だと絶対うどん自体も美味しいはず。だってまず匂いからして美味しい。

「いただきまーす!」
 五人で手を合わせて食前の挨拶。
 うどんの丼はもうめいめいに行き渡っている。ローテーブルを上座から時計回りに霧島さん、長谷さん、安井課長、石田主任、そして私でぐるりと囲んでいる。皆さんとても姿勢がいいので私も背筋を伸ばしておいた。
 挨拶の後は一斉に、食べ始める。
 食事会と言うから食べながら和やかに歓談でもするのかと思っていたけど、そんなことはなかった。皆、黙々と食べている。唯一口を利いたのは、私が美味しいですと言った時だけで、それに反応したのは長谷さんだけだった。
「ありがとうございます。お口に合ってよかった」
 それ以降は誰も余計なおしゃべりはしないし、食べることだけに集中していた。むしろ黙々と食べたくなる衝動に駆られているのかもしれない。だってうどんは美味しい。そして熱い。
 かく言う私も、室内の賑やかな沈黙を気にしていられたのは序盤だけ。すぐにうどんに夢中になってしまった。用心しないとすぐに舌を火傷しそうになる。食べているうちに汗が滲んでくる。呼吸と湯気が同じ温度みたいに感じられる。時々、コップの水でクールダウンをする。真冬だって言うのに冷たい水が欲しくなって堪らない。熱い。暑い。でも美味しい。
 お正月っぽい空気だな、と思う。皆が黙っているのに騒々しいところと言い、お餅を食べている点と言い。この時ばかりは言い合いもしないし、むしろ五つの心が一つになったような気さえした。BGMは今こそ『春の海』であるべきだ。和琴のように穏やかに、だけど畳み掛けるようにうどんを食べる。何となく、しっくり来る。
 私は初めてだから知らなかったけど、いつもこんな感じで食事会をしているんだろうか。まず食べるのが先、と言うような。それともお酒が入ればまた違うのかな。お酒が入ると、お三方は長谷さんが入っていけなくなるくらい盛り上がるそうだけど――。
 不意に、調理中に長谷さんから聞いた話を思い出す。
 すると暑さが一層込み上げてきて、私は一旦箸を置き、ハンカチで鼻の頭の汗を拭く。拭くついでにすぐ隣にいる、石田主任の様子をうかがう。途端に目が合う。
 汗を拭いている最中のところをばっちり見られる。
「わ、わあ」
 思わず声を上げた私へ、主任はうれしげな顔をしてくる。
「どうした小坂、そんなにびっくりして」
「あの、目が合うと思わなくって……」
「そりゃ合うよ。ずっと見てたからな」
 さらっと答えた主任の手元、丼は既に空っぽだった。麺つゆまできれいさっぱり消えている。
 対して私の手元。丼にはまだうどんの半分と、しいたけとにんじんが残っている。好きなものから食べてしまう癖は本日も健在だった。最終的には全部食べるつもりだけど。
「見ないでください」
 私は即座に訴えた。今まで見られていた分はいい。本当はよくないけど、この際どうしようもないので気恥ずかしさすら置いておく。ただ私が食べ終わるまでにはもう少し掛かりそうだ。その間ずっと主任に観察されっ放しだなんて、いろいろ、食べにくい。
 もっとも、どんな返事が来るのかは概ね察しがついていた。
「いいだろ見てたって。減るもんじゃなし」
 主任は頬杖をつき、にこにこと笑ってこっちを見ている。どこか安らいだようにも見える表情に、何だか文句も言いにくい。だけど食べにくいのも事実。
「石田の奴、さっきから締まらない顔して小坂さんを見てたんだよ」
 と、安井課長が顎で指し示す。
 たちまち主任は片眉を上げて、
「締まらない顔って何だ。俺はいつでもいい男だろ、なあ小坂?」
「は、はい。もちろんです!」
 つい全力で答えてから、こんなことを言ってしまってよかったんだろうかとはっとする。事実だけど、普段なら口に出来そうにない内容だったし、皆さんの前でもあるのに。
 恐らく赤くなっているだろう私をよそに、主任と課長がテーブル越しの言い合いを始めていた。
「ほら見ろ! 小坂は俺がこの世で一番いい男だって言ったぞ」
「そこまでは言ってないだろ。部下の発言を捏造するんじゃない」
「今日の小坂は部下じゃない。俺の彼女だ」
「お預け中のくせによく言う。お前がおとなしく待ってる性質とは思わなかったよ」
「――待ってるんじゃない。隙をうかがってんだよ」
 間違いなく他人事じゃない話題に、どう反応すべきか、むしろ反応しない方がいいのか考えあぐねていれば、別の方向から霧島さんが声を掛けてくる。
「小坂さん、踏み止まるなら今のうちですよ。小坂さんみたいな女性なら引く手数多のはずですから」
 二十三年の生涯でも一度として引く手数多だったことはないんだけど、それはそれとして、私は答えに迷いながら振り向いて。
 直後、あれ、と思った。
 霧島さんが眼鏡を、掛けていない。
 うどんを食べたから曇ったんだろうか。外した眼鏡を手元で、ハンカチで拭っている。眼鏡を外した霧島さんはいつものように優しげだったけど、睫毛が長いことには初めて気付かされた。
「どうしました?」
 動きを止めた私が不審だったのか、霧島さんが怪訝そうにしている。おずおずと、でも得した気分で答えてみる。
「あの、眼鏡を外されたところは初めて拝見しましたから」
「あ、そうでしたか」
 はにかんで、霧島さんは眼鏡を掛け直す。
 隣に座る長谷さんが小さく笑って、
「眼鏡を外しても印象変わらないんですよね、霧島さんは」
「そうですね! いつも優しそうな雰囲気で素敵だと思います」
「小坂さんもそう思います?」
 それはもう思います。全力で思います。
「二人とも止めてください、照れますから」
 言葉以上に照れた様子の霧島さん。私と長谷さんは顔を見合わせて笑い、そこへ主任の声が戻ってくる。
「小坂、俺より霧島の方がいい男だって言うのか!」
「ええ!? そんな、そもそも比べてなんかないですよ!」
「気にすることないよ小坂さん。石田にはずばっと言ってやった方が」
「先輩方、一体何の話してるんですか?」
「黙れ霧島、俺の小坂を誑かしやがって!」
「ちょ、え、しゅ、主任!?」
「そうだぞ霧島、長谷さんがいるのに小坂さんにまで手を出すか」
「何言ってんですか! って言うか引っ掻き回さないでくださいよ安井先輩!」
 誰が誰に何を言っているのか怪しくなってきたところで、ふと、コップの水みたいに涼しい声がした。
「――あ。霧島さん、あれを見てもらいませんか、皆さんに」
 長谷さんの声だ。
 それで私を含めた全員が一斉にそちらを向き、我が社の受付を守る素敵な笑顔を目に留める。
「ええと、あれ、ですか」
 少しためらうようなそぶりの霧島さん。だけど長谷さんは気にした風もなく、尚も促す。
「どうせもうじき本物をお見せするんですから。せっかくですし、霧島さんの着飾った姿を見てもらいましょう」
 もうじき本物を見られる、着飾った姿、ということは――もしかして。
「結婚式の衣装、か?」
 主任の言葉に長谷さんが頷く。
「はい。先日、衣装合わせを済ませてきたんです。写真も撮ってきたんですけど、よかったらご覧になりませんか」
「長谷さんも写ってるなら見る」
 実に主任らしい答えには、安井課長も全力で頷いていた。私も、長谷さんのドレス姿は見たいなと思う。あ、もちろん霧島さんのだって。
「じゃあ皆さんが食べ終わったらにしましょう」
 微笑む長谷さんがそう言った時、食べ終えていないのは私だけだった。だから急いだ。相変わらず主任にはしげしげと観察されていたから、恥ずかしさも覚えつつ、それでも写真の為に急いだ。

 後片付けは、お皿拭きのお手伝いをした。
 それから五人分のお茶を入れて、皆がテーブルの周りに再集結してから、長谷さんが携帯電話を取り出した。
「こちらです。あまり画質、よくないですけど」
 まず安井課長がそれを受け取り、へえ、という顔で眺めていた。その後でじわじわと楽しそうな笑みを浮かべ、霧島さんに対して言った。
「何だお前、緊張してたのか」
「しましたよ。いけませんか」
 ぶすっとした表情の霧島さん。その肩を、長谷さんが宥めるように叩く。一方の安井課長はもう笑い出しているところだ。
「衣装合わせで緊張してるんじゃ、本番も推して知るべしだな。――でも長谷さんはさすが、堂に入ったものだ。それにすごくきれいに写ってる」
「ありがとうございます、安井さん。お店の人の腕がよかったみたいです」
 長谷さんがにっこりお礼を言う。
 私はもう、その写真が早く見たくて見たくて堪らなかった。その気持ちがどこかに出ていたのか、課長から携帯電話を受け取った主任は、それを傾けるようにして私にも見せてくれた。ご厚意にあずかり、一緒に覗かせてもらう。
 小さな画面の中に写り込んでいるのは一組の花婿さんと花嫁さんだ。
 花婿さんは聞いていた通りにいささか緊張気味で、眼鏡を掛けた優しい顔立ちが少し強張っている。だけど笑もうとしている意思はしっかり伝わってきた。白いタキシードを着た立ち姿はすらっとしている。素敵だった。
 花嫁さんの方は、聞いていた通りにきれいだった。真っ白なドレスは肩を出すデザイン。スカートは幾重にもレースを重ねて、実に優雅に広がっている。縮小された画像でもわかるスパンコールのちかちかするきらめき。髪型はまだ本番のものではないようだったけど、それでもさりげなくまとめられていて、穏やかな微笑とあいまって本当に、きれいだった。
「……素敵です」
 こういう時に気の利いた言葉が出てこないのが辛い。私が溜息と同時に拙い感想を述べると、霧島さんと長谷さんは揃って笑顔になる。
「長谷さんは文句なしにきれいだ」
 石田主任はそう言った後で、いかにも照れ隠しみたいに付け足した。
「霧島も、まあ七五三は免れた感じだな」
「素直に誉めてくださいよ、先輩」
 拗ねている霧島さん。その様子がおかしくてこっそり笑ってしまったら、すぐ隣で主任も笑っていた。
 視線を上げれば思いのほか近くに主任の横顔があった。二人で小さな画面を覗き込んでいたんだから、当たり前かもしれない。直に目が合ってどきっとしたけど、こんなに近くにいるのがいつの間にか、当たり前になってしまったようにも思う。
「いいものが見られてよかったな」
 主任が私に言う。
 私は、無性に幸せな気分で答える。
「はい。今日は、とってもいい日です」

 携帯電話の画面の中、プレ花婿さんと花嫁さんも笑っている。
 本物も早く見てみたい、そう思っているのは私だけではないはず。
PREV← →NEXT 目次
▲top