Tiny garden

意識と無意識(5)

 オーブントースターをガラス戸越しに覗き込む。
 真っ赤な光の中に置かれたお餅を眺めていれば、だんだんと変化が現れる。表面にひびが入り、少しずつ少しずつ膨らんでくるのがわかる。
 そういえば我が家ではお餅を焼いて食べることがない。うちのお父さんは柔らかいお餅が好きだから、いつも茹でたところにきな粉や砂糖醤油を掛けている。うどんの具とは言え、焼いて食べるのは何だか新鮮。これって長谷さんのおうちの風習なんだろうか、それとも霧島さんの好みなんだろうか。――ふとそんな疑問が湧き起こる。

 密かによそ見をしてみれば、私のすぐ背後には長谷さんの背中がある。エプロンを着けた長谷さんは流し台のところでかまぼこを切っている。ガス台ではお鍋が二つ、普通のお湯とめんつゆの二種類がふつふつ煮立っている。もうもうと立ち込める湯気のお蔭で、台所は夏みたいな暑さだった。
 長谷さんの包丁裁きは危なげなかった。一定のスピードで、かまぼこを均等な幅に切り分けていく。工場の機械みたいに手早くて、正確に見えた。料理が上手だと聞いていたけど、確かにこうして眺めてみても上手そうだなあと思う。きっとうどんも美味しいだろうなあ。楽しみ!
 ――あ、そうだ。お餅。
 ちょっとよそ見をしている間に、角餅は風船みたいに次々膨れ上がっていた。慌ててタイマーをゼロまで押し進める。それからガラス戸を開けるとお餅が萎んでいくところで、それこそ空気の抜けた風船によく似た格好をしていた。
「お餅、出来ました?」
 私が声を掛けるより早く、長谷さんがこちらに気付いた。すぐさま食器棚から割り箸とお皿を取り出し、手渡してくれる。
「じゃあ一旦、お皿に載せておいてもらえますか? これから麺を茹でますから」
「はい!」
 お箸とお皿を受け取って、トースターからお餅を移す。焼き過ぎていないのが幸いしてか、計五個のお餅は苦もなく移動を終えた。互いにくっつかないよう少し離して並べておく。
 私がお餅の移動作業を終えた頃、長谷さんは煮立ったお湯に乾麺を入れていた。乾麺なんだ、とその時思った。
 ぱらぱらと白い麺がお湯の中へ飛び込んでいく。菜箸でそれを大きく掻き混ぜた後、長谷さんは腕時計を見た。手首を上げるようにして見た。
「すごく、てきぱきしていらっしゃるんですね」
 感嘆の思いで私が言うと、いかにもくすぐったそうにされてしまった。
「ありがとうございます、小坂さん」
「長谷さんはとってもお料理が上手だってうかがいました。うどん、楽しみです」
「上手と胸を張って言えるほどではないんですよ」
 そこで長谷さんは微笑み、
「一人暮らしが長いから、慣れちゃったんです。昔はもっとものぐさで、自炊が面倒だと思うことも多くて、夏じゅうそうめんと冷麦だけで過ごしたこともあったんですけどね」
 愛嬌ある顔に似合わず、なかなか豪胆なことをおっしゃる。
 思わずぽかんとしていれば、直にいたずらっぽい面差しが覗いた。
「その時はさすがに体調を崩しました。それで反省して、ご飯を作るようになったんです。ちょうど私が新人だった頃の話です」
「へえ……!」
 ちょっとびっくりだ。大人っぽい長谷さんにもそういう頃があったんだなあ。全然イメージと違うけど、それはそれで可愛いと思ってしまうのは人徳のなせる業なのかも。
 そういう経緯もあって、今は普段からちゃんとご飯を作っているんだろうな。素敵な成長ぶりだ。私も見習わないとと思いはするものの、実家暮らしだとどうしても気が緩んでしまうからいけない。
「まさに『人に歴史あり』という感じですね」
 私が率直な感想を述べると、長谷さんにはおかしそうにされた。鍋を掻き混ぜながらくすっと笑って、
「小坂さん、可愛いこと言いますね」
「――え!? あ、の、ええと」
 年上の女の人に言われても、やっぱりどきっとしてしまう言葉。お餅の皿を持ったまま慌てふためきそうになる。
 長谷さんは目の端でこちらを見て、僅かに含んだような表情を浮かべる。
「前に、石田さんも言ってましたよ。小坂さんが時々大げさな、あまり使わないような物言いをしたり、そうかと思えば意外なことを知らなくて、知らないことには目をきらきらさせて聞き入ったりするのがすごく、可愛いんだって」
 それから優しく添えてきた。
「今、その気持ちがちょっとわかりました」
 一層どんな反応をしていいのかわからなくなる。
 どうして主任は、長谷さんにまでそんなことを話しているんだろう。可愛いだなんてそんな、しかも私からすれば微妙と言うかあんまり可愛さを感じない点を挙げられているのもむずがゆい。物言いが可愛いって。大体、そんなに大げさな物言いしてるかなあ。普通だと思うんだけどな。
 恨めしさと恥ずかしさから、リビングの方をうかがってみる。

 ローテーブルを囲んだ主任と課長と霧島さんは、賑々しく何かを論じ合っているようだった。
 耳を澄ませば微かに聞こえる会話内容。
「長谷さんなら内掛けの方が似合うな」
 もっともらしい口調で主任が言い、
「いや。絶対ウェディングドレスの方が似合うに決まってる」
 頑として課長が言い返し、
「どっちも似合います。何たって長谷さんですから」
 霧島さんが自分のことみたいに誇らしげに宣言する。
 どうやら結婚式の衣装について話しているらしい。でも霧島さん、そんなこと言ったら絶対突っ込まれるんじゃないかなと思っていれば、本当にすかさず突っ込まれていた。
「そりゃ長谷さんは可愛いだろうがな。新郎がこんなもんだしなあ」
「いかに花嫁がきれいでも、隣に立つお前が七五三並みなら結婚式は中止だな」
「勝手に決めないでくださいよ!」
 声を上げる霧島さん。主任と課長はげらげら笑い、キッチンまでもが揺れたように感じた。
 今更だけど、仲が良いんだなあ、お三方。

「――楽しそうですよね、三人とも」
 長谷さんも小声でそう言った。
 私は視線と意識をキッチンへ戻す。
「そうですね。皆さん、何だかんだですごく仲良しですよね」
「ね。男の人同士の会話って、憧れるものがあります」
 湯気の立ちこめる中、長谷さんは麺を茹でていた方の火を止めて、まだぐらぐらしている鍋を持ち上げる。流しに置いてあったざるへと中身を空け、手早くお湯を切った。
「あ、何かお手伝いすることはありますでしょうか?」
 まだお餅を持ったままの私。そう尋ねると、またくすっとされた。
「じゃあ盛り付けをお願いしますね。もう少しで出来上がりますから」
 台の上はいつの間にか包丁とまな板が片付いていて、代わりにいくつかの具材と重ねた丼とが用意されていた。具はかまぼこと茹でたしいたけ、にんじん、ほうれんそう。その横にお餅の皿を置く。
 キッチン内に鰹だしのいい匂いが充満してくる。
 麺つゆの中に茹でたてのうどんを投入。長谷さんはざる捌きも決まっている。
「霧島さんたち、三人でいるといつもああなんですよ。私が入っていけないくらいに盛り上がって、楽しそうで、羨ましくなっちゃうこともありました」
 そんな打ち明け話の間も、リビングからは笑い声や噛み付くような応酬が聞こえる。今は何の話をしているんだろう、気になったけど、私は長谷さんの言葉に集中していることにした。
「お酒が入った時なんかは更に、です。相槌を打つ暇もないほどです」
 また、目の端でこちらを見る長谷さん。尚も続ける。
「特に最近は、石田さんが小坂さんの話ばかりするようになりましたから。もう、すごいんです。小坂さんが可愛い、構い倒したいってそういう話ばっかりで」
 うひ、と変な声が喉から出た。
 私のいないところで何を言っているんですか主任。
 それで長谷さんが小さく吹き出した。でもまだ続けた。
「霧島さんや安井さんは、小坂さんのことを知っているから、その話を楽しそうに聞いているんですよ。時々ツッコミを入れたり、むきになる石田さんをからかったりして」
 むきになる主任はあまり想像がつかない。誰かにからかわれる主任なんてもっと想像出来ない。からかう専門だと思っていたのに。私の思いは顔に出ていたのか、そこで長谷さんが囁くように、
「本当です」
 それから麺つゆの火を止める。並べた丼にうどんを、菜箸で器用に、均等に入れる。これもてきぱきしている。
「でも、私は小坂さんと、今まであまり話したことがありませんでしたから」
 言いながら、長谷さんは麺つゆをおたまで注いでいく。
「石田さんが小坂さんの話をしてもわからなくて、ひたすら想像だけしていました。小坂さんはきっとこういう子なんだろうなってイメージで補っていましたけど、やっぱり、話をわかっている霧島さんたちがちょっと羨ましくて」
 静かな微笑み。
 それにリビングの、話題はわからないけどすごく楽しげな笑い声が重なる。
「話を聞いているだけの時に、それでもこっそり思ったんです。――私と石田さんは、多分、好みが似てるんだろうなって」
「長谷さんと主任が……ですか?」
「はい。可愛い人が好きなんです」
 微笑に絵の具を溶くように、照れの色が混ざった。
 リビングはまだ賑やかだ。霧島さんがまた何か突っ込まれそうなことを言ったらしく、主任が飛びつかんばかりにからかいの声を上げているのが、漠然とわかった。
 可愛い人。
 その言葉の意味も、漠然とながら掴めた。これは惚気話だ。長谷さんはそれを私に対してごく控えめに、抑えた感じで語り、主任は恐らくおおっぴらに、霧島さんや安井課長へと話している。
「だから小坂さんとお会い出来て、こうしてお話も出来て、とってもうれしいです」
 麺つゆの鍋が、上手い具合に空になる。
 五人前の、まずは素うどんが台の上に並ぶ。
「石田さんが小坂さんを好きになった理由、すごくよくわかりました」
 そう言った時の長谷さんは、現在のところのベストスマイルを浮かべていて、それがもう大人っぽいのに可愛くてとびきり素敵だったので、私はついどぎまぎした。
 言われた内容自体にも、例によってどぎまぎした。
 だけど私は私で、今日ここへ連れてきてもらった経緯もわかっていたし、受け止めなければとも思っていたから、ひとまずは何の否定もせずに、頷いた。
「私も、長谷さんとお話出来て本当によかったです。うれしいです!」

 それから私たちは肩を並べて、うどんの上に具材を並べていった。
 なぜかお互いに笑いが止まらなくって、しばらくの間笑い合ってばかりいた。何がおかしいのかはよくわからなかったけど、うれしかったせいかもしれないし、お互いにまだ箸が転がってもおかしい年頃だったせいかもしれない。とにかく顔を見合わせても、肩がぶつかっても笑っていたら、そのうちにリビングにも聞こえたらしくて、三人ともわざわざキッチンまで覗きに来ていた。
「お二人とも、楽しそうですね」
 霧島さんの言葉に、うきうきと長谷さんが答える。
「楽しいですよ。ね、小坂さん」
「はい、とっても!」
 私が答えると、石田主任が好奇心で一杯の面持ちをして聞いてくる。
「何話してたんだ、小坂」
 でも、私も長谷さんも顔を見合わせて笑った後、内緒、と言うだけにしておいた。
 安井課長を含めた三人は怪訝そうにしていたけど、やっぱり内緒。楽しいのは男の人同士だけじゃない、ってことだ。
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