Tiny garden

自覚とプライド(4)

 お部屋に招いていただいた以上は、失礼のないようにしたいと思っていた。
 たとえ一人暮らしの男の人の部屋に上がるのが初めてでも、それが好きな人の住む部屋だとしても、あまりじろじろ見ないようにしようと肝に銘じていた。興味はあるけど、好奇心が疼くけど、観察するのは失礼。だからこっそり眺めるだけにしておく、つもりだった。
 玄関を抜けて、通してもらったリビングで、銘じておいた肝がどこかへ行ってしまった。声こそ上げなかったものの、びっくりした。

 まず目を引くのは、奥の壁を背にした位置に立つ、業務用みたいに大きなメタルラック。無機質な棚にはテレビやら、DVDプレーヤーやら、コンポやらがやはり無機質に置かれている。コンポはなぜか二つあって、どちらも左右のスピーカー付きだった。型が違うから何か別の役割があるのかもしれない。ラックの端の方には雑誌類が詰め込まれていて、その雑然とした感じがかえって非日常的に見えた。
 メタルラックから右手側の壁にはパソコンラックと机とが並び、会社で使っているラップトップなんかよりはるかに小型のノートパソコンも二台、置いてあった。プリンタを始めとする周辺機器もいくつか揃えられている。ぱっと見、何に使うのかわからない機械もあった。パソコンの横にある机の上には書類とファイルケースが積み上げられていて、この部屋に来た目的を否応なしに思い出す。
 それで我に返った私は、遠慮しようと思いながらも、好奇心には打ち勝てずに視線を動かした。リビングの中央には木目のローテーブルがあり、その上には見覚えのあるラップトップパソコンが。これをノーカウントとしても、この部屋にはびっくりするほどたくさんの電子機器がある。テーブルの他はクリーム色のカーテンとソファーだけが日常的で、あとはまるで仕事部屋みたいな、無機質な様相を呈している。

 思わずしげしげ見入っていたら、部屋の主には笑われてしまった。
「入ってくるなり絶句って、正直な反応だな」
 そういうつもりでは決してないのに。慌てたくなる。
「すみません、その、変な意味ではなくって……」
「いいって、気にするな。結構散らかってるだろ」
 その言葉を、むしろ誇らしげに口にした主任。
 でも散らかっている訳ではないと思う。確かに、ちり一つ落ちていないくらい完璧に整頓されているというほどでもないけど、それは私の部屋だって似たようなものだ。むしろ私の部屋よりはずっと片付いている。
「ちっともです」
 私はかぶりを振ってから、改めて室内を、礼を失しない程度に見回した。
 びっくりしたのは部屋にある電子機器類の数の多さだ。コンポやパソコンは二台もあって、どちらも周辺機器が充実している。そのままお店やさんが開けるんじゃないかと、あまり明るくない私は思ってしまう。それでいて飾り気がまるでないのも新鮮だった。本当に、必要なものしか置いてない感じがする。
 こういう部屋に入ったことはないけど、見たことはあるような気がした。
 例えて言うなら、
「秘密基地みたいですね」
 映画に出てきそうな秘密の拠点。少年探偵団か、もしくはスパイの潜伏場所という感じがする。これでカーテンが閉まっていたらまさにそれっぽい。外からはごくごく普通の部屋にしか見えない場所で、国家天下を揺るがす大事件や大計画が話されているような、そんな印象を受ける部屋だった。
「秘密基地? それは初めて言われたな」
 主任がおかしそうに笑ってくれたので、私もつられて少し笑った。
「機械がたくさんあるところとか、いかにもアジトって感じがします」
「なるほどな。小坂の目にはそう見えるのか」
 納得したように顎を引いて、更に続ける。
「でも一人暮らしの部屋なんてそんなもんだろ。自分の好きなものしか置かないから、どうしても偏った品揃えになる」
 そうなんだろうなあ、と思う。私は一人暮らしをしたことがないからわからないけど、実家住まいだと家具に凝るのは難しい。自分の部屋に置くものはどうしても、他の部屋と雰囲気を合わせた品ばかりになる。学生時代、ピンク色のフリルのカーテンが欲しくなったことがあったけど、お母さんには合わないから絶対止めなさいと言われた。今になって思うと止めておいて正解だった。畳敷きの部屋には本当に合わない。
 そこを行くと一人暮らしってちょっと羨ましいな。私は主任に尋ねてみた。
「主任は、電化製品がお好きなんですか」
「ああ」
 頷いた後の顔に、照れ笑いが浮かんだ。
「電器屋の大きいとこ行ったら、一日潰せるくらい好きだ」
「へえ……! 楽しいご趣味ですね!」
 何だろう、可愛いなんて思ってしまった。私の知らない主任を教えてもらったことがうれしくて、ついつい口元が緩んでしまう。大きな電器屋さんで一日潰しちゃう主任、いいなあ。見たことないのに、うきうきと売り場を巡る主任の姿が想像出来てしまう。きっとCDの試聴をしたり、マッサージチェアに座ってみたり、冷蔵庫のドアが本当に両開きかどうか確かめてみたりするんだろう。可愛い。可愛いって声に出して言ったらさすがに失礼だろうから、心に秘めておくけど。
 是非ご一緒してみたい。私はこういうのに明るくないけど、主任が趣味に夢中になっているところを見てみたい。私の方からデートに誘うチャンスがあったら、行き先は電器屋さんにしてみようかな。連れて行ってくださいって言ったら、了承してもらえるかな。
 その為にも今日はまず、溜まっている仕事を頑張らないと。
「楽しいは楽しいが、面倒も多い趣味だぞ」
 言いながら、主任はソファーから大きなクッションを取り上げて、ローテーブルの前に置いてくれた。座るようにと促されたので、お礼を述べつつ従った。早速、ラップトップの電源を入れる。
 パソコンや表計算ソフトの使い方は、入社してからも一通り習った。教えてくれたのは他でもない石田主任で、懇切丁寧な教え方がありがたいなとその頃からしみじみ思っていた。好きなものなら尚のこと、誰かに教えるのだって上手になるだろう。素敵な趣味だと思うけどなあ。
「面倒事って、例えばどんなことですか?」
 パソコンが立ち上げるまでには時間が掛かる。その合間に質問をぶつけてみた。
 石田主任も私のすぐ隣に、胡坐を掻いて座った。オフらしい服装と合わせて、くだけた様子に見えている。心なしか表情も解けていた。
「例えばなあ、何かって言うとすぐに当てにされることとかだな」
 口元に、隠そうとしているらしいのに隠しきれてない笑みが浮かぶ。
「来年の一月に、霧島の結婚式があるだろ」
「はい」
 あと三ヶ月とちょっと。まだ先の話のようで、確実に近づいている日付。
「あれで俺、式の撮影を任されてるんだよ。デジカムで」
「そうなんですか!」
 主任が、霧島さんたちの結婚式の撮影を。
 そういうのもいいなあ、素敵だ。一緒になって式を作っているという感じがしてすごくいいと思う。
 だけど、主任はどこか不満げに続ける。
「でも撮影なんて裏方って言うか、地味な仕事だよな。俺はもっと前に出る仕事がやりたかったのに」
「地味じゃないですよ、素敵だと思います」
 私が率直に応じると、照れたように苦笑してみせた。
「そうか? 俺は余興の方に参加したかったんだがな」
 口ではそう言いつつも、そわそわと早口になってまくし立ててくる。
「霧島がしかつめらしくしてるところへ思いっきり馬鹿みたいなことやって、幸せ一杯の新郎を茶化してやりたかったのに。いや残念だ、全く」
 相変わらず、主任も霧島さんたちのことに関しては素直じゃない。もっとも本心がすごくわかりやすいんだから、ある意味すごく素直なのかもしれない。そういう一面もちょっと可愛い。
 私も自然と指摘したくなる。
「すごくうれしそうですね、主任」
 すると主任は、じろっとつり目がちな眼差しを向けてきた。口元は結び切れていなかったけど。
「お前も最近、生意気になってきたな」
「す、すみません」
 一応は頭を下げたものの、内心どぎまぎしつつ、それほど詫びる気分になっていない。むしろじわじわと喜びを感じている。そういうところは確かに生意気になってきたのかもしれない。よくないことかな。
 でも、石田主任にツッコミを入れたり、からかい返したり出来るのが幸せだったりもする。まだどきどきするけど、緊張もしているけど、以前よりもずっと近づけたような気がして。
「いいぞ、もっと生意気になっても」
 眼差しが少し和らいで、優しい口調で告げられた。
 視線を上げると目が合う。やっぱりまだ、どきどきする。眼差しもそうだけど、言葉もそう。私に対してはひたすら真っ直ぐで、時々熱いくらいの言葉に眩暈がする。
 主任はそこで穏やかに笑い、語を継いできた。
「小坂にそういう物言いをされるのも悪くない」
 はっとさせられる。
 もしかして、同じように思ってくれているんだろうか。ツッコミを入れたり、からかい返したりする生意気な私を、以前よりも近くに感じてくれているんだろうか。そうだといい。本当に思う。
「ありがとうございます、主任」
 私もなるべく穏やかに、感謝を告げた。
 これからは出来るだけ気負わず、緊張もせず、何でも話し合えるようになりたい。もちろん礼儀だって忘れたくないけど、それでも今よりは近くなりたい。こうしてお部屋にまで招いていただいたんだから、確実に近づいてもいるはずだった。
「ともかく任されたからには、いい画を撮ってやらないとな」
 先の件に関して、主任は自信たっぷりに笑っていた。
「ほらな、小坂。なまじ実用的な趣味を持つと大変だろ?」
 その口ぶりがちっとも大変そうではなかったので、私まで幸せな気分になってしまった。
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