Tiny garden

左手と右手(5)

 並べられた漆器をじっくり見て回った後、私たちは売り場を後にした。

「大体の目星はついた。あとは霧島に確認取って、大きさとか用途を聞いてみる」
 品物を購入していないのに、石田主任は大変満足そうにしていた。話しかけてくる口調にも機嫌のよさが滲み出ている。
「せっかくくれてやったのに使い道がないんじゃ、食器だって浮かばれない。使い勝手のいい奴を選んでやろう」
「そうですね」
 私も一緒になって笑ってしまう。主任がうれしそうにしているのが、すごくうれしい。
 結婚祝いの品物って、人間関係において重要かつデリケートなものだなと実感している。でも石田主任と霧島さんの間柄なら、どういう食器が欲しいかを直接聞いても失礼にはならないだろうし、むしろお互いに納得のいくプレゼントに出来るからいいことだと思う。そんな関係も素敵だ、ちょっと羨ましい。
 羨望の眼差しを向ける私に気づいてか、主任もこちらを見て、口元を緩めた。
「この次に来る時は、ちゃんと買い物をするからな。また付き合ってくれるか」
「はい、私でよろしければ!」
 私は力一杯頷く。だけどその後でふと気になって、苦笑しながら言い添えておく。
「でも、今回はあまりお役に立てずすみません。もうちょっとお手伝い出来ることがあるかなって思っていたんですけど、大したことが出来なくて……」
「いや。十分役に立ってる」
 かぶりを振ってくれる主任。優しい方だ。更に続けて、
「お前のお蔭で買うべきものが決まった。感謝してるよ、ありがとう」
 そんな言葉まで掛けてくれたから、何と言うか照れる以前に恐縮してしまう。畏れ多い。
「いえ、そんなことは」
 思わず否定しかけた私に、主任は笑顔を向けてくる。
「ちゃんと霧島たちにも言っておく。俺と小坂と、二人で選んだんだって」
 二人で選んだなんて、それはさすがに言い過ぎだ。でもお気持ちはすごくうれしかった。
 実際、役に立ててはいなかったと思う。アドバイスらしいことは大して言っていないし、むしろ品物を選ぶ主任の邪魔をしないよう、黙っている時間の方が長かった。でも、その事実を主張するのはかえって失礼なようにも思えた。せっかく主任が言ってくださったんだから、素直に受け取るべきだ。その方が絶対に喜んで貰える。
「こ、光栄です。お役に立ててよかったです」
 だから、お気持ちを酌んだつもりで応じた。
 そうしたら主任はもっと笑ってくれた。
「次も頼むぞ、小坂」
「はいっ」
 頼むぞ、だって。うれしい。
 気を遣ってくれたんだってわかっているけど、それでもうれしい。私、主任に頼まれたいし、頼りにされたい。もっとお役に立てたらいいのにな、いろんなことで。
「よしよし」
 満足げに頷いた主任が、そこで話題を変えた。
「……ところで、これからどうするかだが」
 エスカレーター乗り場まで歩いてきてから、ちらと腕時計を見る仕種をする。主任は左の手首に時計をしている為、私の手まで操り人形みたいに一緒に持ち上がった。
 まだ手を繋いでいた。
 まだ、慣れない。どきどきしている。
「さすがの小坂でも、まだ夕飯には早いよな」
 私の胸中を知ってか知らずでか、主任はからかうような言葉を掛けてくるけど。
「……さすがの、ってどういう意味ですか」
 問いには答えず、主任は私にも時計を見せてくれた。時刻は午後四時少し前、確かに夕飯には早過ぎる。
 それにしても『さすがの』って一言は若干引っ掛かった。別に食いしん坊だからと言って早めにご飯を食べたがる訳じゃないと思う。主任に食いしん坊と思われていること自体は、もう否定しないと言うより、諦めました。到底払拭出来そうにないから。
「散々歩かせたし、腹減ってないかと思ってな」
 そう言いつつ、主任はにやにやしている。どうしてかわからないけど、ものすごくうれしそうだ。
 私も言いたいことはいくつかあった。あったけど、あえて拗ねたくなる気持ちを追いやることにした。そういうのは子どもっぽい。
 その上で答える。
「お腹は空いてないです。主任のご用件はこれでお済みなんですか?」
「一応な、建前上は」
 肩を竦める主任。建前って何のことだろう。
「それより、お前はここで見たいものとかないのか?」
「私ですか?」
「ああ。もし買い物があるなら付き合うぞ。俺も付き合ってもらったんだし」
 水を向けられて、ひとまず考えてみる。でも私の場合、百貨店で買い物をすることがあまりない。新入社員のお給料では、こういうところの買い物は敷居が高かったりする。
 それに、私の愚にもつかない買い物に主任を付き合わせるというのも悪い気がする。いつも『藍子の買い物は、何も買わない時でも随分長いな』なんてお父さんにも言われているし……私としては、ウインドウショッピングを楽しむのにせかせかするのもどうかと思うんだけど。
 そんな訳で、主任にはこう答えることにした。
「私は特にないです。主任こそ、他に何かご用はないんですか」
「いや、俺も特には」
 かぶりを振ってから、主任は私の顔を見た。間を置かずに告げてくる。
「それじゃ、適当に散歩でもするか。疲れてないよな?」
「はい、大丈夫です」
 私としては、主任と一緒にいられたらそれでよかった。きっとのんびり歩くだけでも幸せに違いない。それに――。
 手を繋いでいるから、歩いているだけでも十分どきどきするに違いない。これ以上の活動的なことはきっと、出来ない。散歩という穏やかな選択がとてもありがたかった。
 他にも出来ることがあったらいいのに、とも思うけど。手を繋いでもらっているだけじゃなくて、もっと他にもお役に立てるような、喜んでもらえるようなことが出来たらいいのに。
 とりあえずは聞き返してみた。
「主任は、お疲れではありませんか?」
「ちっとも。満喫させてもらってるよ」
 実際、疲労のかけらも見せない表情で主任が笑う。
「お前といると面白くて疲れてる暇もない。心配してくれてありがとな」
 それはとても大人っぽい感謝だと感じた。向けられた笑顔の素敵さにもどぎまぎしつつ、私もこんな風になれたらなと思わざるを得ない。
 もっと大人になりたいな。そしたら、主任の為に出来ることも、主任の為に告げられる言葉も、もっとたくさん増えるんじゃないだろうか。
 現実にはしたくても出来ない、言いたくても言えないことばかりだから、余計に思う。

 百貨店を出た私たちは、駅前通りをぶらぶらと歩くことにした。
 だけど今は土曜日の夕暮れ時。駅前のアーケード街は買い物客で溢れていて、秋風を感じないくらいに混み合っている。手を引いてもらっていたからはぐれる心配こそなかったものの、流れに沿おうとすると早足気味になり、ゆっくり会話を楽しむのは難しかった。
 歩きながら、主任が私の方を見る。私が視線を返すと困ったように笑ってくる。
「思ったより混んでるな」
「はい。土曜日だけありますね」
 同意する。急ぎ気味に道を歩きながら。
「ちょっとばかし、落ち着かないな」
「そうですね……」
 それにも同意。今は明らかに、散歩という空気じゃない。
「場所を移すか。一旦車に戻った方がよさそうだ」
 主任が駐車場のある方向へと目をやる。それから声を落として続ける。
「何だかカップル率が高いな、小坂」
 つられるように辺りを見回せば、通りを歩いている人たちの姿が視界に入り込んでくる。そういえば気のせいか、カップルが多いように見受けられた。単に目についたと言うだけかもしれないけど、手を繋いでいる人たちもちらほら見かけた。皆、とても楽しそうにしている。
 あの人たちは皆、お付き合いしているんだろうか。それとももうご結婚されていて、既にご夫婦だったりするんだろうか。何にせよ、いいデートをしているんだろうな、だって表情が輝いてる。
「はい。幸せそうな方々ばかりに見えます」
 素直に私が答えると、主任はいつもの意味ありげな調子で、
「俺たちも確実にそう見えてるな」
 私の心臓を潰しにかかる。
「えっ。……そ、それはどうでしょうか」
 心臓が、おせんべいみたいにぺしゃんこになった。そういうことは思っても口にしないで欲しい。どう反応していいのかわからなくなる。
 まして今の私は、主任に『手質』を取られている状態。迂闊な発言は出来ない。
 と思っていたら、早速迂闊な態度になっていたらしい。軽く睨まれた。
「何だよ、否定するなよ小坂。またさっきみたいにくすぐるぞ」
「わあ、それだけは止めてください!」
 あのくすぐったさを思い出し、震え上がる私。主任はお説教でもするみたいにむっつりと言ってきた。
「お前はもうちょい男心を理解しろ。こういう時に俺がどう言って欲しいのか、そこを考えてからものを言え」
「は、はい。気をつけます」
 繋いだ手に掛かる重圧。私は慌てて主任の内心を考えてみる。どう言って欲しかったのかを推察してみる。
 主任は、見られたかったのかな。私と恋人同士みたいに。
 ――すごく畏れ多くておこがましい推察になってしまったけど、合ってるんだろうか。合っていても外れていても、それはそれでうろたえたくなる。どうしよう。恋人同士なんてそんな、恥ずかしい。誤解でもすごく畏れ多い。いいのかな。そんな風に見えていてもいいのかな。でも一生に一度くらいは、そういう誤解をされてみたいかも……。
「あと、一人であれこれ想像して身悶えるな」
「え! ど、どうしてわかったんですか!」
「見てりゃわかる。想像だけで満足されても困るんだがな」
 ぼやく主任は、私のことを恐ろしいくらいによくご存知だ。
 そんなに私、わかりやすいんだろうか。
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