Tiny garden

現実家と夢想家(7)

 帰宅後、私は取るものもとりあえずメールを打つことにした。
 今回はビジネスマナーはなし。あのマナー本にも頼らない。自分の言葉で、遅くまで残業をされるであろう主任の励みになるメールを送らなければならない。
 人を励ますのはすごく難しいと思う。何が相手の励みになるかわからない。例えば『頑張れ』という言葉が、かえって重荷に感じる人もいると聞いたことがある。かと言って当たり障りのない言葉ばかり選んでいても相手に伝わるものではないはず。相手を励ますということは、その相手が何に励みを見出すか理解していなければ出来ないことだ。
 翻って私の場合、そこまで石田主任について理解しているだろうか。一方的に片想いしている相手ではあるものの、あまり多くを知っている訳ではない。霧島さんや安井課長のように付き合いが長いということもなく、たった半年ほどの知識では理解したと言えるはずがない。
 考えてみる。主任はどんな言葉を喜ぶだろう。――今まで私が主任に喜んでもらった時、うれしそうにしてもらった時、どんな言葉を告げていただろう。思い出して、それから、その言葉を口にした時の気持ちも思い出してみた。
 記憶を頼りに、励みになりそうなメールを打った。

 ――お仕事お疲れ様です、主任。
 今日は社員食堂までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。あの時は上手く言えませんでしたけど、私もすごく楽しかったです。と言うよりいつも、何もかも上手く言えてない気がしますけど、私はいつも石田主任のことを尊敬していますし、ルーキーを卒業した後は是非主任のような人になれたらなあと思っています。
 以前、私は主任から、ジンクスのお話をうかがいました。その件については、もしかするとこのメールを霧島さんがご覧になるかもしれないので詳しくは書きません。でもなるべくなら見せないでいてください。恥ずかしいからです。
 あのお話をうかがった時、私もジンクスが欲しいなと思いました。でも私の場合、ちょっとしたことで一喜一憂してしまう性格なので、そのうちに何かの失敗をジンクスのせいにしてしまうんじゃないかなとも思ったんです。ご利益がなかったら、馬鹿みたいにへこんでしまうかもしれないな、とも。だから私の場合、ジンクスの対象は生身の人ではありません。動きもしないし喋りもしない、だけどすごく格好良くて素敵なものです。主任ならきっと、それが何かご存知かと思います。
 主任があまりよく思っていらっしゃらないのもわかります。私も、本当に大切にすべきなのは何か、もうわかっているつもりです。これは私の方からお送りした二度目のメールになりますが、最後のメールにはしません。だからしばらくの間、あのパスケースのことを許していただけたらうれしいです。主任ならきっと許してくださるだろうなと思っています。
 私はすごく主任のことを尊敬していますし、そしてそのお仕事ぶりを、こっそり励みにもしています。本当にありがとうございます。
 私も少しでも、主任の励みになれたならうれしいです。


 メールを打ち終え、送信したのは日付が変わる直前だった。
 送ってしまった後で、何だかものすごく恥ずかしい文面だったような気がしてきた。俗に言う真夜中のラブレター現象。実際ラブレターそのものだったのかもしれない。気がつけば、励ましの言葉よりも、私が伝えたいと思うことばかり連ねてしまった。
 だけど、振り返ればいつも――主任が喜んでくださったのは、私が素直な気持ちを伝えた言葉だったと思う。
 私の気持ちはもうばれている。だったら、素直に告げてしまう方がいい。もちろん迷惑にはならないように。なるべくなら主任にお気を遣わせないように。


 石田主任からの返信はなく、その代わり電話が掛かってきた。
 翌日、土曜日の夕方のことだ。お休みだったから、私は自分の部屋でのんびりしていた。そこへ携帯電話が鳴って、
『――小坂』
 出るや否や低い声で呼びかけられ、どきっとする。あまり機嫌のよさそうな声ではなかった。昨夜のメールのことだろうととっさに察した。
「は、はい。あの主任、昨日は……」
 私が尋ねるよりも先に、主任が言った。
『弄ばれてるのは、確実に俺の方だ』
「え?」
 一瞬、何の話かわからなかった。
 少し長めの沈黙があり、その間にやっと思い当たる。むしろそこからが混乱した。主任が弄ばれてるって、私に?
「あ――の、ど、どういうことでしょう?」
『昨日のメール』
 短い答えに背筋が震える。相当お怒りなのかもしれない。
「はい……。あの、やっぱり問題でしたか」
『問題はない。でも』
 電話越しには振り絞るような溜息が聞こえた。そして、
『かなり、動揺させられた』
 そんなことを、言われた。
 私はぽかんとした。口が自然と軽く開き、だけど声が出なかった。主任が何と言ったのか、飲み込むまでにやや掛かった。
『夜にラブレターなんて読むもんじゃないな。昨日はちっとも眠れなかった』
「す、すみませんっ」
 ばれていた。ラブレターだと、主任には完璧にばれた。やっぱりそういう文面になってしまっていたみたいだ。それで主任の睡眠を妨げてしまったと言うなら本末転倒だ。
「あの私、励みになるようなメールにしたいと思っていたんですけど、書き方が悪かったですね。何と言うか私も、気分が高揚しちゃってて」
『別に悪くない』
 ぶすっとした声が応じ、更に同じ調子で続いた。
『ただ、ものすごく食らった』
「食らった、んですか」
『確かに霧島にも見せられないメールだったな。恥ずかしいを通り越してた』
「あ! あの、霧島さんには……!」
『だから見せてない。見せられないっての』
「本当ですか? よかった……」
 心底ほっとする。
『ちっともよくない。お前のメール、ちょうど帰り際に受信したんだけどな。読み終わったところを霧島に見られて、もう少しで怪しまれるところだったんだぞ。あんなメール貰って平然としてられるか』
 まくし立てる物言いからは険しさを感じ取った。やっぱり悪いことをしてしまったんだろうか。失礼な文面だったかもしれない、そう思って謝った。
「すみません、ご迷惑をお掛けして」
『迷惑じゃないよ馬鹿』
 そう言った後、主任はようやく少し笑った。
『でも、食らいっ放しは悔しいからな。――三倍にして返す』
「さ、三倍ですか?」
『覚えてろ。次の機会にはお前を、昨日の俺の三倍分は動揺させてやる』
 挑戦的な言葉を叩きつけられ、私もどうにか理解し出した。
 昨日のメール、石田主任をどきどきさせられたみたいだ。多分そう。私のメールでも、私でも、主任をどきどきさせることは出来るんだ。そのことがうれしい。主任には申し訳ないけど、やっぱりうれしい。にやにやしたくなる。
 好きな人をラブレターで動揺させられたなんて、すごくいいことだと思う。
「あの、昨日のメール、励みにはなりましたか?」
 私としてはそこも気になり、尋ねてみた。
『なったなった』
 苦笑いの表情が浮かんできそうな口調で、主任が答える。
『あまりにもベタな趣味で正直どうかと思うけどな。お前があの名刺を励みにしてるって言うなら、好きにすりゃいい。俺だってまあ、悪い気はしない』
「ありがとうございます!」
 すぐに私はお礼を述べた。ご本人からお許しが出たのはうれしい。これで心置きなく、肌身離さず持ち歩ける。他の人にはなるべくばれないようにしたいものの。
『ところで小坂、今は何してた』
「私ですか? 今日はずっとのんびりしてました」
『お前らしいな』
 主任は短く笑ってから、語を継いだ。
『俺はこれから、霧島の部屋に行くところだ』
「あ、そうでしたね。今日はお食事会ですよね?」
 昨日の昼休みにうかがっていた。主任と安井課長と霧島さん、それからきっと長谷さんもだろう。皆でお食事会の予定だと聞いていた。想像するだけで和気藹々としていて、賑やかそうで、とっても羨ましくなってくる。
「ものすごく楽しそうで、いいですね」
 私がそう告げれば、
『お前も連れて行きたいな』
 と主任が言う。たちまち慌てたくなる。
「い、いえ、その、そういうつもりでは!」
 図々しくねだったように聞こえたんだろうか。そんなつもりではなかったのに。それはもちろん、羨ましい気持ちは当然あるけど――。
『俺は、そういうのもいいなと思った』
 気のせいか、勤務中よりも柔らかな声をしている主任。
『お前を連れて行って、もっともらしく紹介してやりたいなと思った。お前みたいな彼女がいたら、さぞかし自慢になるだろうしな』
「――い、いえ、そんなものでは」
 自慢になるようなものでは決してない。私はそう思うけど、主任はもしかすると私を買い被っているんだろうか。
 柔らかな言葉が更に続いた。
『やっぱり、他人事じゃない方が面白いな』
 独り言によく似た言い方だった。
『もっともお前が相手なら、面白いなんて余裕もそのうち、言ってられなくなりそうだ』
 意味を把握出来ていない、私は目を瞬かせ、
『月曜を楽しみにしてろよ、小坂』
 主任はそんな言葉を残して通話を打ち切った。

 月曜日を楽しみにしているべきなのかどうか、私にはよくわからない。
 主任に早く会いたいなと思う反面、あんなラブレターを送りつけておいて、どんな顔をして会えばいいのかとも思う。真夜中じゃないうちは読み帰す気にさえなれない昨夜のメール。
 でも、主任を動揺させる為にはあのくらいの勢いが必要なのかもしれない。
 石田主任がどんな顔をして私のメールを読んだのか、見てみたかったな、とも思う。
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