Tiny garden

カメラマンとその恋人(5)

 披露宴の会場は大きな窓のあるホールだった。窓の向こうには夜の海を臨むパノラマの眺めが広がっていたけど、夜色の窓ガラスに映り込む花嫁さんの方が美しくて、注目を集めていたのは致し方ない。真っ赤なカクテルドレスにお色直しを済ませて、一番奥に座っている。
 会場の中央にはパーティ用のビュッフェテーブルが一つあって、それを囲むように丸テーブルがいくつも配置されている。これは着席ビュッフェという形式らしくて、一応席順は決まっているものの、料理を取りに行く際、あるいは歓談の際など自由に席を立つことが出来るらしい。席次表によればご親族席やご友人席、それに職場の同僚席と分かれている。
 我が営業課は三つのテーブルに分かれて座り、そのうちの一つが私と主任と、それから安井課長の席があるテーブルだった。
「何だか俺だけ外様って感じがして、寂しいな」
 営業課員で固められたテーブルにて、元営業課のはずの課長がぼやく。
「外様なんてこと、ちっともないですよ。それにほら、石田主任もご飯を食べに戻ってくるって言ってましたし」
 私がフォローのつもりで言葉を選ぶと、課長は片目を瞑って、
「どうせなら秘書課の女の子たちと一緒の席がよかったなってことだよ」
 居合わせた営業課の皆には、それが目的だろうと一斉に突っ込まれていた。そろそろ見慣れてきた顔の見慣れないやり取りが、ちょっとおかしかった。

 私は安井課長が営業課にいた頃のことを知らない。まだ人事課長になる前の課長も、営業課主任になる前の石田主任も、ちょっとだけ大変なルーキー時代を過ごしていた霧島さんも知らない。私の入社前のお三方がどんな風にあのオフィスで過ごしていたのかをほとんど何も知らない。
 三人にとって、或いは他の営業課の皆にとって、長谷さんがどれほどの存在だったのかも詳しくは知らない。
 知っているのは入社してからのことだけだ。安井課長はもう人事課にいて、霧島さんはとても頼りになる先輩で、長谷さんは既に霧島さんの彼女だった。そして石田主任は、お会いした時からずっと『優しくて立派な主任さん』だった。
 ルーキーの私には誰もが仕事の出来る人に見えたし、誰もがすごく大人だ。そうじゃなかった頃の皆さんも、ほんの少しでいいから見てみたかった。主任のあのデジカムに映っていたらいいのにな。
 私の目に映っているのは今の光景だけ。でもこれはこれで素晴らしい光景だから、十分かなと思っておくことにする。
 営業課員に戻ったみたいに、同じテーブルの皆と笑い合っている安井課長。一番奥のテーブルに座っている優しい顔の花婿さんと、その隣に寄り添うとびきり素敵な花嫁さん。私の隣の席は空っぽだけど、お預かりしたミニ三脚は静かに出番を待っている。丸テーブルに掛けられたクロスは結婚式らしい白。その上には赤いバラが、小さなバスケットに飾られている。
 会場はさざめく笑い声といい匂いに満ちて、映るものの全てが幸せに感じられた。

 チャペルでの式と同じように、披露宴もごく和やかに行われた。
 ご親族とご友人の代表の方々が、それぞれ挨拶を兼ねて新郎新婦を紹介する。お話を伺ったところによると、霧島さんは中学時代から既に大変真面目な方だったそうで、長谷さんは幼稚園時代から男の子に人気があったのだとか。そしてお二人の人柄が表れているのか、挨拶に立つ方もそれを聞く方々の反応も、実に温かで優しかった。挨拶自体もユーモアに溢れていたし、何よりごく手短にまとめられていたのがよかった。
 うちの営業課長も負けじと、ごく手短な祝辞を読み、そのまま乾杯の音頭を取る。それからは順次お食事とご歓談の時間となる。
 お料理は和洋折衷のメニューをビュッフェから好きなだけ持ってきて、自分の席でいただく形式。びっくりしたのは新郎新婦も一緒になって席を立っていたことだった。食べ物をお皿に取りがてら招待客と話をしているのをお見かけしたし、席に戻ってからも入れ替わり立ち代わりお話しをしに行く方々が大勢いて、その度に花婿さんと花嫁さんご自慢の笑顔で応じていた。いいなあ、と遠目に見ていた。
 私もご挨拶に行きたかったけど、安井課長が言うにはこういうのにもちゃんと順番があって、まずはご親族やご友人の方が優先らしい。だから今は食べる方に専念することにする。
 レストランウェディングと聞いていただけあって、お料理はどれも出来たてでとても美味しかったし、肩肘張らずに食べられるのがありがたい。ナイフとフォークの他にお箸も用意されていたから、遠慮なくお箸で食べた。
「小坂さんは美味しそうに食べるなあ」
 安井課長に言われて、私は恥じ入りながらも答える。
「とっても美味しいです」
 せっかくお呼ばれしたんだから、後で、どのお料理が美味しかったかを霧島さんたちにお伝え出来たらなと思っている。
 それと、食べる時間の少ない主任の為に、どれが特にお薦めかを教えてあげられたらいいなと――なんていうのはただのお節介かもしれないけど、それでもついつい魚料理ばかり選んでしまう。
「石田が言ってたよ。小坂さんは食べさせ甲斐のあるタイプだって」
 ……主任はどうして、私が後で困ってしまうようなことばかりを、課長や霧島さんに話してしまうんだろう。
「すみません、私、すごく食いしん坊って感じですよね」
 正直にそう告げると、課長は全く否定せず応じた。
「悪いことじゃないよ。君に食べさせたいって張り切ってる奴もいるようだから、存分に食いしん坊でいるといい」
 それから肩を竦めて言い添えてくる。
「ただ、俺の歌は聴いていてくれるとうれしいな。女の子に聴いてもらうと歌い甲斐があるから」
「わかりました。ばっちり拝聴しています」
 営業課にいた頃は契約を取ってきたことさえあるという歌声だ。すごく楽しみ。さっき司会のお姉さんが、もうじき余興を始めるとアナウンスしていた。安井課長の出番はどの辺りなんだろう。他にはどんな余興があるのかな。わくわくしてきた。
 と、そこで私は質問してみたくなって、
「ところで、どんな歌を歌われるんですか?」
 課長は間を置かずに答える。
「ユア・ソング。ベタだけどな」
「エルトン・ジョン、ですよね?」
「そう。小坂さんも知ってるんだな」
「CMで聴いたことがあります。とってもいい曲ですよね、ラブソングらしくて」
 お正月にお会いした時はわざと縁起の悪い歌にする、なんて言っていたけど――やっぱりこういう時にはそれらしい選曲をするんだ。私が得心したのを察してか、課長はそこでわかりやすい照れ笑いを浮かべた。
「ま、今日くらいはな。あれでも一応は可愛い後輩だ」
 相手が石田主任なら突っ込んでるところだったけど、さすがに止めて、にやにやするだけに留めておく。
 それにしても本当に仲が良いんだなあ、お三方。
「何で笑うの、小坂さん」
「いえ、男の友情ってこんな感じなのかなって思って……」
「変なこと言わない。それほど大したもんじゃないんだから」
 照れとたしなめる口調を見事に両立させた課長が、その後でふと言った。
「ところで、石田を迎えに行ってもいい頃じゃないか」
「あ、そうですね」
 余興の始まる頃と言われていたから、そろそろいいかな。私はお箸を置いてから、預かってきたミニ三脚を片手に立ち上がる。
 宴たけなわの披露宴会場を、目立たないように中腰の姿勢で、うろうろと主任を探し始めた。

 その時、主任は新郎新婦のテーブルの傍にいた。
 お食事中のお二人を撮っているみたいだ。片手にデジカムを持ち、もう片方の手をひらひらさせながらお二人に話しかけている。何を言っているのかは聞こえなかったけど、花嫁さんが肩を揺すって笑うのに対して、花婿さんは慌てふためきながら言い返しているみたいだ。どんな会話なのか、何となく読めてしまう。
 早足で近づくと、まず花嫁さんが私に気付いてくれた。それから主任と、花婿さんが振り返る。私は一度お辞儀をしてから、主任に向かって三脚を差し出す。
「お、いいタイミングだ。ありがとうな、小坂」
 笑顔で受け取った主任は、代わりに録画中のデジカムを渡してきた。
「ついでで悪い。これ組み立てる間、ちょっと持っててくれ。何か適当に写してくれればいいから」
「適当に……やってみます」
 小さな液晶モニターを覗くのは二度目。最初よりは手慣れたように思うのはさすがにうぬぼれかなあ。でもちゃんと新郎新婦の並んでいる姿を写せたし、花嫁さんには小さく手まで振ってもらっちゃった。片手が空いているのをいいことに振り返してみたりもして。
 その間にも主任は三脚の用意をしている。手早くジョイント部を伸ばし、床の上に立てた。新郎新婦のテーブルの脇に寄せた後、私からデジカムを受け取り、慎重に固定する。モニターを覗いて写り方を検め、何度か位置をずらした。そうして落ち着いたのは、新郎新婦の肩越しに、余興を行うステージが見える配置。
「肩をなめてステージを写せば、余興と一緒に、新郎新婦の反応も撮れる」
 主任は私にそう説明してから、霧島さんへ声を掛ける。
「奥さんに見とれて拍手を忘れたりしたら一発でわかるぞ、気をつけろよ」
「監視カメラですか」
 花婿さんがしかめっつらを作る。数秒も持たずに苦笑いへと変わってしまったけど。
 そういえば今、お二人のテーブルの傍には私と主任しかいない。これは挨拶をするチャンスだと思って、すかさず口を開いた。
「本日はおめでとうございます。あの、とってもいい結婚式で、お招きいただいてうれしかったです!」
 言いたいことはたくさんあるのに、口を開けば出てくるのは何だか型通りの文章ばかり。少しのもどかしさを覚える私に、だけどお二人は優しい。とびきりの笑顔になって答えてくれる。
「こちらこそ。祝っていただけてうれしいです」
「これからもよろしくお願いしますね、小坂さん」
「はいっ」
 盛装して、並んで座るお二人を見ていたら、既に一杯だったはずの胸が更に一杯になった。赤いカクテルドレスはバラの花より更にきれいで、目の前にいる人と、先日うどんを作って食べたことがまるで夢みたいに思えてくる。
 でも夢じゃない、本当のこと。
 私はお二人の晴れの舞台に居合わせているんだって、しみじみ思う。

 順番がつかえるといけないので、私の挨拶も手短に終えた。
 その後、主任と二人で席に戻った。揃って中腰になっての移動中、ぼそっと言われた。
「小坂って、祝い事に向いてる性格だよな」
「え、そうでしょうか」
「人を笑わせるのが上手いよ、今日はいい意味でな」
 今日は、という辺りがちょっと気になったけど、褒めてもらえたのはうれしかった。にやにやしてしまった。

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