Tiny garden

カメラマンとその恋人(4)

 式次第によれば、まず隣接するチャペルにて挙式をしてから、建物内へ戻って披露宴をするのだそうだ。
 元々結婚式を専門に執り行うチャペルとあって、大勢いる招待客の全員が参列出来るらしい。まず営業課と秘書課の、花婿さんと花嫁さんを除く皆が招待されているとのことだったし、他の課からも何人かお呼ばれしていて、もちろんご親族の方も、ご友人の方も――と相当の招待客がいるようだったけど、その中でも参列させてもらえるのがうれしい。
 せっかくの霧島さんたちの結婚式、私だってこの目で見てみたかったし、一緒にお祝いもしたかったから。

 冬場だからか、それとも大勢が参列しているからか、チャペル内はほわんと暖かかった。
 席順はおおよそ決まっていて、私たち同僚は後ろの方へ並んで座った。主任は予定通りに撮影をすることになっていたから、席には着かず、会場の隅で片膝をついて待機している。私のすぐ隣には、人事課からたった一人だけ招待されている安井課長が座っていて、じっと真正面にあるステンドグラスを見据えていた。
 課長の姿勢の良さを見習い、私もきちんと姿勢を正す。
 祭壇の正面にある大きなステンドグラスには、穏和な顔つきの天使が描かれていた。昼間ならその向こうから陽を透かして、青や緑や黄色の光がチャペル内に射し込んでいるのだろうけど、夜のステンドグラスは逆に、内側からぼんやりと照らされている。淡い光を受けたガラスの表面は細波立って映り、壁に水面が広がっているように見えた。
「そこの明かり、キャンドルだ」
 ふと、安井課長が私に囁く。
 私が瞬きを返すと、課長は視線だけでバージンロードの方を示した。参列者に挟まれたチャペル中央を走る通路に、ゆらゆら揺れる小さな明かりがいくつも寄り添っている。丸い形の、少し変わったキャンドルだった。
 チャペルの中が暖かだったのもこの灯火のお蔭なんだろうか。少なくとも、ここで揺れている光はとても柔らかく感じられた。
「きれいですね」
 思わずうっとりすると、課長も軽く笑んだ。潜めた声で語を継いでくる。
「そうだな。とびきり可愛い花嫁さんをお迎えするのは、きれいな式場じゃなくちゃいけない」
 それは何となく安井課長らしい物言いだ。
 もしもこれが石田主任だったら、違う表現の仕方をしていたようにも思う。――なぜそう感じたのかは自分でもわからなかった。

 やがて、チャペルの照明が落ちる。
 建物内は一度だけどよめいて、それから潮の引くように静かになった。キャンドルの明かりが揺れると、ステンドグラスの天使はたゆたい、祭壇には牧師さんが現れた。日本人の、小柄な牧師さんだった。
 脇ではオルガンの演奏が始まる。曲目はメンデルスゾーンのウェディングマーチ。私でも知っている、有名な結婚式のメロディ。
 チャペルのドアが開いた瞬間は、息を呑むしかなかった。
 柔らかい光が差し、夜風が滑り込んでくる中に、花婿さんと花嫁さんが並んで立っている。白いタキシードとドレスが少し眩しい、濁りのない新雪の色をしている。透き通ったベールがふわり、風に舞った時、粉雪も少しだけ吹き込んできてチャペルの入り口辺りに散った。
 ――目の覚めるような一瞬だった。
 花婿さんはいつも以上に優しい面差しで、ほんのちょっとだけ照れているようでもあった。花嫁さんは伏し目がちにしている。横顔に浮かんだ静かな微笑みは、先日うどんを作りながら見ていたものと同じだった。
 お二人の背後でドアが閉まると、涼しい夜風も止んで、キャンドルの火がしゃきっと整列する。
 前に見た外国映画では花婿さんが先に入っていて、花嫁さんがお父さんと一緒に歩いてくるシーンがあったけど、この結婚式では違った。
 新郎新婦は入場時から既に腕を組み、隙間の見えないくらいに寄り添って、幸せそうな視線を交わし合いながらバージンロードをゆっくりと歩いてくる。同じ道を並んで一緒に、踏み締めるようにして一歩一歩、辿っている。その仲睦まじさも、気取っていない様子も、本当にお二人らしいなと思う。
 入場の時は拍手はしないものらしく、参列者は皆、眼差しで祝福を贈っている。私もそうしようと張り切って、花婿さんと花嫁さんが席の横を通り過ぎる瞬間、精一杯の祝福の気持ちを念じた。
 お二人が、ずっと幸せでありますように。

 誓いの言葉が、映画で見たのとほぼ同じだった。
 全く同じだったと言い切れないのは、その時点で私がすっかり上せてしまって、牧師さんのお言葉を上手く聞き取れなくなっていたからだ。無性に高鳴る鼓動と共に、花婿さんと花嫁さんそれぞれの、誓います、と答える声を聴いていた。お二人とも一片のためらいも迷いも澱みもなく答えていた。
 指輪の交換は、息を止めて見守ってしまった。
 花嫁さんが手袋を外し、そのほっそりした手を花婿さんが優しく取って、静かに指輪を通していく。それが終わると今度は花嫁さんが、花婿さんの大きな手を支えて指輪をはめる。同じ手元を見つめている横顔が揃って真摯でひたむきだった。ごく小さな銀色の指輪は、明かりを受けてきらりと光り、後ろの方に座っていた私にもちゃんと見えた。どきどきした。
 指輪の交換ですらどきどきしたくらいだから、誓いのキスは、それはもうもじもじしてしまった。
 でも目を逸らしちゃいけないと思って――お二人に失礼だし、お二人の幸せな門出を見守って、お祝いする為に招いていただいたのだから、しっかりしていなくてはと姿勢を正して、拝見することにした。
 どんな様子だったかと誰かに聞かれても、多分言えない。言葉にしては説明出来ない。
 見ているだけで甘いと感じたのは確かだった。

 お二人の退場は拍手で見送った。また腕を組み、同じ道を一緒に辿っていくのを見ていた。
 折からの雪はまださらさら降り続いていて、チャペルのドアが再び開け放たれた時には、ライスシャワーみたいにぱっと広がった。きれいだった。
 ゆきのさんって、今日の日に相応しいお名前だ。
 だから一月の式にしたのかな、と取り留めなく考えを巡らせてみる。


 式と披露宴の合間にはほんの少しだけ時間があって、そこで私は、デジカムを手にした石田主任と顔を合わせた。
 見るや否や言われた。
「お前、新郎新婦より赤い顔してるな」
「あの、何て言うか、すみません」
 私は項垂れる。神聖なる結婚式に出席して、こんなにもどきどきしている私はいっそ不謹慎なのではないかと思ってしまう。でも本当に心臓がうるさかった。結婚式がこんなに甘くて幸せなものだとは初めて知った。
「小坂さん、誓いのキスの時にすごくもじもじしてたよな」
 とは、居合わせた安井課長の弁。課長は私の隣に座っていたから、その時の様子もご存知らしい。おかしそうに続けた。
「あんまり真っ赤になってるから、そのうち倒れちゃうんじゃないかと思っちゃったよ。何事もなくてよかった」
「本当にすみません……」
 私、最早返す言葉もなし。恥ずかしい。
「誓いのキスなら、ベストアングルでばっちり録画したからな」
 胸を張った主任が、直後声を落として、
「後日、新婚さんの新居で上映会してやろう。肝心のシーンだけ延々とリピートさせてな」
「いいなそれ。キスシーンだけエンドレス再生しても面白そうだ」
 こういうことに関してはやたら意気投合する主任と課長が、少し恨めしい。
 私の立場的に面と向かって駄目ですよとも言いにくいし、どうしていいのかもわからなかったから、この件についてはノーコメントでいることにした。いざとなったら新婚のお二人のご意向に従おう。お二人が駄目と言ったら駄目です。
 さておき、話題を変えてみることにする。
「主任は、披露宴の間もずっと撮影ですか?」
「ああ」
 頷いた主任が、何気ない口ぶりで問い返してきた。
「俺がいないと寂しいか?」
「えっ? ……も、もちろんです」
 一瞬どきっとさせられたけど、考えてみれば当然のこと。だからあたふた肯定しておく。安井課長がにやつきながら顔を背けたのが視界の端に見えて、一層居た堪れなくなる。
「どっかで食事しに席戻るから心配するな。せっかくごちそうが出るってのに、全く手も付けないんじゃもったいない」
 宥めるようにして主任は言ったけど、その答えにかえって気がかりなことが出来てしまう。
 じゃあ、ごちそうを食べる時間以外は、ずっと撮影しているってことなんだろうか。それってすごく大変そうに思えるけど、主任にとってはそうじゃないのかな。
 おずおず尋ねてみる。
「何か私に、お手伝い出来ることって、ありませんか」
 ごちそうもそうだけど、せっかくの結婚式だ。主任だって少しゆっくりする時間があったっていいはず。私の手でよければお貸ししたかった。
 でもそこで、困ったように笑われてしまった。
「いや、特にない。気を遣うなよ」
「気を遣ったという訳では……その、私も何か出来たらなって思っただけで」
「一緒だろ」
 切り返してきた主任は、だけど結局溜息をつく。
「わかった。そこまで言うなら、これを頼む」
 略礼服のポケットに手を突っ込み、取り出したのは金属のパイプのような、小型の、関節のある三本足の何か。
「これは三脚だ。ちっちゃいだろ?」
 三脚。そう言われると確かに、そういう形をしていた。足はジョイントの部分から伸ばせるようになっていたし、カメラを固定する為の金具もついている。三脚にしてはかなり小さめだったけど、そういえばカメラだって小さいんだから、ちょうどいいのかもしれない。
「小さいから落っことすと困る。だから披露宴の間、お前が預かっててくれるか」
 主任の大きな手の上、その三脚は余計に小さく見えた。私の手で受け取っても小さかったけど、見た目よりはずしっと重みがあった。
「披露宴が進んで、余興が始まる頃になったら、それ持って俺を迎えに来てくれ。俺はそれでカメラを固定して、余興の間に食事を済ませる。その時にちょっと手を貸してもらえるとありがたい。頼めるか?」
「かしこまりました」
 預かった三脚を握り締め、私は力一杯頷く。ほんの些細なことではあるけど、お役に立てるのならうれしかった。
「ありがとう。頼りにしてるからな、小坂」
「はいっ」
 お礼を言われたのも、頼りにされたのも、すごくうれしかった。頑張ろうって気持ちになる。それはもう、むちゃくちゃ張り切りたくなる。
「何でそんなに喜んでんだよ。面白い奴だな」
 そう言った主任も喜んでいるみたいに笑っていたから、私もつられて、にやけてしまう。
「頼りにしていただけてうれしかったんです、すごく」
 頬っぺたの緩みを自覚する。けどどうしたって誤魔化せそうにもなくて、そのまま放っておいていた。
 そうしたら、
「お前らのその会話も、誓いのキスにひけを取らない甘さだよ」
 傍で聞いていた安井課長には呆れたように突っ込まれた。
 返す言葉もありません。恥ずかしい。
PREV← →NEXT 目次
▲top