Tiny garden

カメラマンとその恋人(1)

「お前が緊張してどうすんだ」
 石田主任に額をつつかれ、
「小坂さん、緊張してるのか? どうして?」
 安井課長にも突っ込まれた。
 そうは言われても何となく緊張してしまうんだからしょうがない。社会人生活も十ヶ月目が終わろうとしているけど、今日みたいな晴れがましい式典にはまだ慣れていない。タクシーに乗り込んだ時点でもうがちがちだった。
「だ、だって、こういう日ってどきどきしませんか?」
 私は両隣にいる主任と課長に尋ねた。
 タクシーの後部座席は大人三人で乗るとなかなかみっちりとしている。両隣のお二人にぶつからないよう、あまり身動ぎしないようにと思っていたけど、それがかえって緊張している印象を醸し出していたのかもしれない。
 右隣から主任が言う。
「どこに緊張する要素があるんだよ」
 もっともなご意見。よくよく考えてみれば、お二人はともかく私が緊張する必要なんてどこにもない。別に何かしなければならないことがある訳でもなし、新郎新婦へちゃんとご挨拶が出来たらそれだけでいいのだと思う。
 でもやっぱり、どうしたってどきどきする。
「気持ちはわからなくもない」
 左隣の課長が言って、私のコートの襟から覗く、薄手のショールをちらと見やった。
「今日は小坂さんもおめかししてるしな。可愛い子が傍にいれば、俺だってどきどきするよ」
 そして私の顔を眺めながら、軽く微笑む。
「そのコートを脱いでもきっと可愛いんだろうな。後でじっくり見せてくれる?」
「い、いえ、そんな大したものでは――」
「おい安井、俺の彼女を口説くな」
 課長のお言葉にびっくりしていれば、主任が更にすごい発言で割り入ってきた。
 今、彼女って。
 言われた。
 瞬間、私は呆気なく声も出なくなって、それでもうろたえたのがばれないよう、とっさに俯いた。以前からそうだけど、主任はこういうことを実にさらっと言ってしまうから困る。ここ最近は特に。
「へえ、『俺の彼女』だって」
 課長が笑いを隠していない声で呟く。
「随分とうれしそうな顔するじゃないか、目の毒だ」
 そう呟かれた時の主任の表情を、私はもちろん見ていなかった。とてもじゃないけど見る余裕はなかったし、見たところで普通にしていられる余裕だってないはずだった。でも課長が言うからには、本当にうれしそうにしていてくれたのかもしれない。
 もちろん、彼女だっていうのも本当。
 まだあんまり実感が湧いていないけど。

 そもそもどうして私と石田主任と安井課長がタクシーに乗っているのかと言えば、今日が霧島さんと長谷さんの結婚式だからだ。
 結婚式はいわゆるレストランウェディングという形式らしい。レストランと言ってもご飯だけを食べるようなところではなくて、ウェディング専用のお店らしい。式を挙げられるチャペルを併設しているとか、いっぺんに大人数のお客さんが収容出来るらしいという話を霧島さんご本人から聞いていた。所在地は海岸通り沿いにあって、海が一望出来るとても落ち着いたロケーションだとか。本日は薄曇り、時折雪のちらつく冬らしい天気。晴れの日の結婚式もいいけど、ホワイトウェディングになってもそれはそれで素敵だろうなと思っていたので、ロマンチックの二乗できっといい式になるはず。
 当然のようにお酒の出る席だし、海岸通りまでは電車も行かないので、会場への移動にはバスかタクシーを使うしかない。私がお父さんにおねだりしようかなと企てていた折、石田主任がいいタイミングで声を掛けてくれた。主任は安井課長と相乗りをして会場入りするのだそうで、よかったら一緒に乗っていかないかとの提案に感謝感謝で飛びついた。私たちは最寄り駅で待ち合わせをして、駅前からタクシーを拾い、今はこうして結婚式場へ向かっている真っ最中という訳。

「大体、何で安井がこっちに座るんだよ」
 主任がやや不満げに助手席を指差してみせる。タクシーの運転手さんの隣、助手席はちゃんと空いていた。
「普通は俺たちに気を遣って前に乗るだろ。わざわざ後ろに詰めて乗ることもないのに。だよな、小坂?」
 同意を求められて、私は答えに詰まる。
「ええと――ど、どうなんでしょう」
「馬鹿を言うな。これから幸せ一杯の連中の顔見に行かなきゃならないのに、移動中でさえ目の前でいちゃいちゃされるなんて不愉快だ。誰が気を遣ってやるものか」
 課長は課長で真っ向から反論している。
 いちゃいちゃなんてしないのに、と一層俯きたくなる私の頭上、お二人のいつものようなやり取りが飛び交う。
「めでたく付き合ってんだからいちゃついたっていいだろ。文句あるなら相乗りなんかするな」
「文句言ってるのは石田の方だろうに。俺は不満なんてない、こうして三人で並んでる分にはな」
「小坂にちょっかい掛けるなよ」
「彼女は嫌がってないぞ。そうだよな、小坂さん?」
 水を向けられるとやっぱり、どう答えていいのか。
 正直、課長に気を遣っていただく必要はないと思っている。むしろお二人が後部座席に並んで、私が助手席に乗ってもよかったくらいなのに。でも乗る前にそう提案したら、主任にも課長にもやんわり反対されて、後部座席に三人で座ることになった。
 つまり助手席が空いている件についてはこの期に及んで揉めることでもないはずなんだけど、きっと積極的に揉めたいんだろうな。主任も課長もこういう他愛ない言い合いが好きみたいだから。
 あとは私を巻き込まないでくれたらいいんだけど。
 嫌だとか不快だということではなくて、単に、すごく反応に困る。
「小坂さんは本当にこんな奴が彼氏でよかったのか? 後悔してない?」
 与し易い相手と思われているのか、安井課長は盛んにこちらへ話を振ってくる。
 私は精一杯面を上げ、とりあえずは嘘をつかないようにする。
「あ、あの、後悔なんてしてないです、全然っ」
 冬場の結婚式だからと、ばっちり施してきた防寒対策が今は恨めしい。タクシーの車内が暑く感じる。
「そうだよな。小坂は俺のこと、大好きだって言ったもんな」
 しかも主任はものすごく得意げに言ってくるし、
「わあ、ば、ばらさないでください!」
「本当にそんなこと言ったのか?」
「あ! その、それは――」
 どうも私はうっかり墓穴を掘ってしまったようで、課長から驚きの眼差しを向けられるし、
「あの、ええと、何て言うか」
「駄目だな小坂さん。石田みたいな奴に、不用意に言質を与えると危険だ」
 その後、課長は訳知り顔になって一言、
「取って食われるぞ」
 告げられた言葉をどう受け止めていいのかもやっぱりわからず、私はぎくしゃくしながら右隣に座る主任に視線を投げた。
 主任はつり上がった目の端でこっちを見て、ぼそりと尋ねる。
「覚悟は出来てるよな?」
 嘘はつきたくない。
 だけど正直にも答えられなくて、私は膝に顔がくっつきそうになるくらい俯いた。私のしている覚悟なんて薄っぺらなもので、まだ自分でも実感出来ていないくらいだし、別の感情に負けそうにもなる。今はとにかく恥ずかしくて、居た堪れなくてしょうがなかった。
「可愛い彼女を作ったものだよな、お前も」
 安井課長は溜息交じりに言う。
「で、今日の結婚式、お二人さんは二次会に出るのか」
「まさか。式の後は二人で飲みに行こうかって話をしてた。だよな、小坂」
「……そう、うかがっていました」
 タクシーの件で誘ってもらった際、石田主任からはもう一つ、別のお誘いもいただいていた。
 曰く、『二次会には出ないで、その後は二人で飲みに行こう』と。
 結婚式の後は、それっぽい思い出話に付き合って欲しいとも言われていたけど――誘いを掛けてきた時の主任がちょっぴり寂しそうだったので、私は絶対、お付き合いしようと心に決めていた。
「何せ今月は忙しくて、まともにデートも出来なかったからな」
 今、そう話す主任の声も表情も、至ってからりとしているものの。
「デートもしてないって、お前らしくもなくのんびりしてるな」
「違う。一月は決算とかあるだろ、それでずっと暇がなくてだな」
「よっぽど手強い彼女なのか? 言質を取ってもまだ落とせないとは」
「何言ってんだ、もう落としたも同然なんだよ」
 お二人が何について話をしているかという辺りは、あえて深く考えないようにして。
 今日のお二人は、どことなくはしゃいでいるような気がする。これから起きる事柄について考えれば当然なんだろうけど、もしかしたら私以上に、石田主任と安井課長の方がどきどきしているんじゃないかな、なんて思ったりもする。

 私は、主任の彼女だ。
 一月三日に彼女にしてもらったばかりで、それ以降はさっき主任が言った通り忙しくて一度もデートをしていなかったりするけど、それでも間違いない。デートが出来なかった間もメールや電話は今まで通りにしていたし、仕事帰りに家まで送ってもらったことも何度かあった。そういう時間でさえ今日のことについてはちゃんと話せなかったけど――。
 もしも今日の主任が、いつもと違う気持ちでいるのなら、私はその気持ちに寄り添いたいと思う。恋人として、まずはそういう胸のうちを酌めるようになれたらいいなって、思う。

 頭上を飛び交うお二人のやり取りも、いつの間にか結婚式の話題へと移っていた。
「霧島の奴、昨日の晩からがちがちに上がってたぞ。大丈夫かな」
「そりゃいいな。カメラに納め甲斐もあるってもんだ」
「『何だったら新郎代わってやろうか』って言ったらさすがに噛み付かれたけどな」
「噛み付く元気があるなら大丈夫だな。あとは長谷さんが支えてくれる」
 課長と主任が霧島さんのことを、いつもよりも優しい口調で話している。
「いい奥さんをもらうよな、あいつも」
 しみじみと課長が言えば、
「全くだ」
 主任も深く同意を示す。
 そんな会話を私は黙って聞いている。こればっかりは全てにおいて、同感だった。
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