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おうちで作る簡単パエリア(レシピ編)

 ある日、渋澤から電話があった。
『簡単だけど見栄えのいい、初心者向きのメニューってないか?』
 やぶからぼうの相談でも、用件は大体わかった。渋澤が俺にものを尋ねてくるのは大抵が奥さん絡みだ。今回も恐らくは奥さんの為に何か作ってあげたい、というような相談なんだろう。
『美味しい料理で妻に幸せそうな顔をさせたいって思ってさ。純粋に楽をさせたいのもあるけど』
 案の定だ。
『これを期に、僕ももう少し料理を学ぼうかと思ってるんだ』
「いい心がけじゃないか。料理は楽しいし、ストレス解消にもなる。美味しいものができればまさに一石三鳥だ」
『さすが播上。料理のこととなると語るな』
 何せこちらは生業にまでなった得意分野だ。俺としても料理のことなら力になれるし、なってやりたいと思う。渋澤の奥さんに喜んでもらう為には、とにかく美味しい料理を作ってもらわなければならない。
「渋澤ってどのくらい料理できたんだっけ」
『焼きそばくらいなら普通に作れる』
 電話越しだから表情は見えないが、なぜか自慢げだった。
 それならあまり手の込んだものは勧められなさそうだ。鍋一つで済むようなメニューがいいだろう。それでいて見栄えのいいものとなると――。
「パエリアはどうかな」
 俺が勧めると、短い沈黙の後で渋澤は言った。
『……知っての通り、こっちは初心者なんだけど』
「知ってるよ。でもこれはそんなに難しくない」
『本当か? 食べたことあるけど、めちゃくちゃ本格的な料理じゃないか』
「あとでレシピを送る、それで判断してみてくれ」
 パエリアは簡単だけど見栄えのいい、初心者向けのパーティメニューだ。
 きっと渋澤でも苦もなく作れるだろう。電話を切った後、俺は早速レシピをまとめることにした。

 パエリアを美味しく作るのに必要なのは、いいオリーブオイルでも高級食材でもない。
 ポイントは二つ。
 米をしっかり炒めることと、フライパンに合った蓋を用意することだ。
「パエリア作るの? わーい楽しみ!」
 真琴にも見てもらって、実際に作りながら、わかりやすいレシピを作成していこうと思っている。
 まずは材料の用意からだ。まずは米、そしてニンニクと玉ねぎ。それから鶏もも肉、パプリカ、トマト、お好みのシーフード。ムール貝やアサリ、エビなんかがあるとより華やかになる。
「あさりは砂吐かせる手間があるよ。大丈夫かな」
 早速、真琴が心配している。
 俺はパソコンでメモ帳を開きレシピを打ち込んでいたが、一旦手を止めて彼女の意見を求める。
「そんなに難しいもんじゃないと思うけど」
「難しいよ。あさりは海水使うでしょ」
「まあ、淡水と比べたら手間はかかるか」
 というわけでアサリは却下、具材例から外しておく。ムール貝も一般的なスーパーでは揃わない可能性もあるので、『もしあれば』という程度にしておく。
「面倒ならシーフードミックスを使えばよい、って書いとけば?」
 真琴の勧めに従い、俺はその一文をメモ帳に付け足した。
 あとは調味料。塩、胡椒、オリーブオイル。それとご家庭で作るならコンソメが楽だ。
 そして忘れちゃならないのがサフランだろう。
「サフランは微妙かも。わざわざ買うことになるだろうし」
 またしても真琴が意見して、俺も再び手を止める。
「一般的なご家庭にサフランはそうそうないよ」
「ないかな」
「ないね。ついでに言うと『買ったはいいけど一回しか使わないで眠らしとく調味料』第一位だと思う」
 サフランにそこまで使いでがないとは意外だ。真琴にそう言い切られるのがかわいそうに思えて、弁護したくなる。
「パエリア以外でもブイヤベースとか、カレーの時のサフランライスとかもあるだろ」
「カレーは白いご飯がマストだもん。なかなか出番ないよ」
 真琴の自論はさておき、サフランは少量でも発色のいい香辛料だ。買ったはいいが消費が追い着かない、というのも考えられなくはない、か。
 しかしサフランのないパエリアというのも微妙ではある。香りはサフランライスと比べるとそこまで強くはないが、色がないと見栄えがよくならない。
「なら、カレー粉で代用してもよしと書いとくか」
「カレー粉? パエリアなのに?」
「香りがつかない程度に使うんだよ。いい色がつく」
 材料は以上になる。
 あとは実際に作りながら、初心者に難しくなりそうなポイントを探っていくことにしよう。ちょうど今日は店が休みなので、夕飯をパエリアにする。

 まず、米を洗う。
 普通に炊飯する場合と同じように研いで、水には浸さずザルに上げておく。
 ニンニクと玉ねぎはみじん切り。パプリカは粗みじん切り。鶏肉は角切りにして塩と胡椒を振っておき、トマトも同じように角切りにする。今回はそれにイカとエビを用意した。イカはワタを取ってから輪切り、エビも胴体部分だけ殻を剥いてから背ワタを取り、頭は残しておく。
「シーフードミックスでよいです」
 俺の作業を見守りながら、真琴が説明を添える。彼女には調理中の気づいたことをメモする役割をお願いしている。
 フライパンにオリーブオイルを入れたら、まずはニンニクを炒める。低温でじっくり、香りが立つまで炒めたら玉ねぎを投入。焦がさないよう、透き通るくらいまで炒める。
「火が強すぎると焦がすから、弱火でって書いとかないとね」
 とは、真琴のお言葉である。
 お次は塩胡椒を振った鶏もも肉だ。こちらも火が通るまで炒める。
 その後はパプリカを軽く炒めて、その次は米。
 ここが重要なポイントなので真琴にメモを取ってもらう。
「米を入れる前にオリーブオイルを少し足して……」
「ふむふむ」
「米に油を馴染ませる。そしてしっかり炒めることがパエリア成功の鍵だ」
 炊飯器ではなく、フライパンで作る理由はここにある。オリーブオイルが米に馴染めば美味しいパエリアになる。
 だから具材を一旦フライパンの端に寄せ、追加のオリーブオイルを投入。そこに洗っておいた米を入れて炒める。米と油が馴染んだら、他の具材と混ぜ合わせる。
 ここでようやく水が入る。米一合につき一カップの水を入れ、コンソメで味を調える。
「サフランもこのタイミングだ」
「今回はカレー粉だけどね」
 水に溶いたカレー粉、小さじ半量程度を入れて軽く混ぜ、シーフードを並べて煮立つまでしばらく強火で加熱。
「ほんとだ、カレーの匂いしないね」
 フライパンの上で扇ぐようにして、真琴が匂いを嗅いでいる。その後でメモを取っていたのでちらっと覗いてみたら『カレーの匂いは全然しません。大丈夫!』なんて書いてあった。
 そしてフライパンがぐつぐつ言い出したら、トマトを並べて蓋をする。中火にして十分程度加熱する。
 俺はいつもこの隙に洗い物をする。
「作りながら片づける。料理の基本だね!」
「そんなことまでメモしなくていいよ」
「そう? 大事なことだと思うけどなあ」
 真琴はそう言いながら、結局しっかり書き添えた。ちょっとはしゃいでいるんだろうか、さっきから何でも楽しげだ。
 やがてフライパンの中からぱちぱちと音がし始める。水気をしっかり飛ばす必要があるが、焦がさないようにする必要もあるので中火で十分が最もいいタイミングだ。
 ただし、火を止めても蓋を取ってはいけない。ここから十五分ほど蒸らす。
「赤子泣いても蓋取るな、っていうもんね!」
「そういうこと」
 十五分が経ったら蓋を開ける。するとそこには美味しいパエリアができあがっているはずだ。
「わあ……!」
 目の前で蓋を取ってみせると、真琴が嬉しそうに歓声を上げた。
 もうもうと立ち上る湯気の向こうにパエリアがある。つやつや光る、鮮やかな黄色の米の上に炊き上がって赤くなったエビや柔らかくなったトマト、美味しそうな焦げ目のついた鶏肉などが並んでいる。彩りもばっちりのパエリアの完成だ。
「じゃあ、早速食べようか」
 俺は皿とフライ返しを手に取った。
 だけど真琴は俺とフライパンの間に割って入ると、
「ちょっと待って! 写真撮るから!」
「写真? 何の為に?」
「できあがりを見たら、渋澤くんの参考になるかなと思って」
 そう言うと真琴は携帯電話で写真を撮った。何枚か角度を変えて撮影した後、満足のいくものが取れたんだろう。大きく頷いてから俺に見せてくれた。
「これもレシピと一緒に送ったげようよ。きっと食欲も湧くよ!」
「食欲が湧くと、どんないいことがあるんだ」
「やる気に繋がると思うよ。こんなに美味しそうなの、自分でも作ってみたいって」
 携帯電話の画面の中には、美味しそうなパエリアの画像がある。
 その横には真琴の、何やら随分楽しげな笑顔がある。
 俺はその二つをしばらく、じっくり見比べて、どちらがより美味しいかなどと場違いなことを考えた。

 きっと、渋澤もこの為に料理を作りたいと思ったんだろう。
「美味しい! これならばっちりだね!」
 一緒に食卓を囲む真琴が、パエリアを満足そうに頬張っている。
「何か得しちゃったなあ。渋澤くんのお蔭で、私まで美味しいご飯が食べられて!」
 にこにこと、すごく幸せそうだ。
 美味しい料理は人を幸せにする。家庭料理はその基本の一歩であり、このパエリアもまた然りだ。
 今回は簡単なレシピで作ったが、ここからより手の込んだものにすることもたやすい。例えば本当にサフランを使ってみてもいいし、パプリカをくし切りにして貝類も使って、もっと見映えにこだわってもいい。トマトの皮が苦手なら湯剥きを覚えるなり、缶詰を使うなりすればいい。味にこだわるならブイヨン、白ワイン、ローリエ――そんなものを使ったっていい。
 このレシピはあくまでも最初の一歩だ。
 渋澤がここからどんな道を歩むのかはわからないが、楽しく幸せな家庭料理の一助になれば幸いだと思う。
「今度は私も作ってみようかなあ。結構簡単だったよね?」
「そういうレシピだからな」
 俺もパエリアを口に運ぶ。フライパンの底に張りついていたおこげはかりっとしていて、味も染みていてとても美味しかった。トマトの酸味もいいアクセントだ。
「じゃあ今度は私が。思い切ってアレンジしちゃおうっかな」
 真琴は顔をほころばせながら、あっという間に一皿食べ終えた。
「お替わり!」
 そう言って空になった皿を差し出してきたので、俺も頷いてそれを受け取る。こちらまで幸せな気持ちだった。
「でも、渋澤には悪い気がするな……」
「え? 何が? どうして?」
「俺が一足先に、自分の妻の幸せそうな顔を見てたらさ」
 それはもちろん、先に作った方が得られる特権なのかもしれない。
 だけど渋澤の申し出がなければ本日のメニューはパエリアではなかったし、そうなると今、目の前にある真琴の笑顔ももう少し違うものだったかもしれない。出し抜いたみたいでちょっとだけ申し訳ない気がする。
「……そうかな。播上は、毎日ご飯作ってるじゃない」
 真琴はもじもじしながら俺に異を唱えた。
「だから……私の幸せそうな顔なんて、毎日見てるでしょ?」
 確かにそうだ。
 俺は料理で真琴を幸せにしている。今日に限った話じゃなく、毎日のように。それこそが家庭料理のあるべき姿なんだろう。
「やっぱり料理はいいな。大切な人を幸せにできる」
 しみじみと呟く俺に、真琴は真っ赤になってこう言った。
「播上が渋澤くんみたいなこと言ってる!」
「その言い方、ちょっと傷つくからやめて欲しいな……」
「だってそう言わないと何か、私がくらっといきそうなんだもん!」
 いけばいいのに。
 ――と言うと酔っ払ったみたいな顔の真琴が本当に倒れそうなので、食事が終わるまでは我慢しよう。
 俺は幸せな気持ちのまま、黙ってお替わりのパエリアをよそってあげた。

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