Tiny garden

新婚旅行の為の定食(2)

 その日は、からりとした五月晴れになった。
 ゴールデンウィークにおあつらえ向きな行楽日和。お蔭で道は混んでいるらしく、渋澤たちの到着は正午を過ぎるかもしれないと電話を受けている。
 それでも俺と真琴は少し余裕を持って店に入った。さっさと着替えを済ませ、まずは開店の支度をする。と言ってものれんは出さず、入り口の鍵を開けておくだけだ。もう少し修行を積んで腕を上げたら『本日昼過ぎまで貸切営業中』なんて張り出しておくんだが、あいにくとそこまで言い切るだけの実力はまだない。今日のところはお客様ではなく、あくまでも友人として迎え、もてなすつもりだった。
 名目と心構えはともかくとして、俺たちは揃ってそわそわしている。ハンバーグはもう下ごしらえを終えて冷蔵庫の中で休ませているし、それ以外の食材も押し並べてスタンバイが出来ている。店内の掃除も済んでいるから手持ち無沙汰で、俺はカウンター内でぼんやり突っ立っているだけだし、真琴は動物園の小熊みたいにちょこちょこうろうろしていた。時々、入り口の戸を引いては表の通りを覗いてもいた。
「まだかなまだかなー、渋澤くんの車はまだかなー」
 懐かしのCMソングをもじる彼女。可愛い。
 割烹着の小さな背中はたった一ヶ月と少しで馴染んでしまって、今ではスーツよりも余程似合っているように感じる。一年以上着ていてもまだ甚平の似合わない俺とは大違いだ。
 彼女が馴染んだのは服装だけではなかった。当たり前だが女将よりもずっと若くて、その上とびきり愛嬌のある女の子の存在は、お客さんの気分を盛り上げるのに一役買っているようだ。真琴が店に出るようになってからというもの、店の売り上げは徐々に右肩上がり。常連さんの中には『真琴ちゃんがいるなら毎日通うよ』と公言している人までいるから、俺としては喜ばしくもあり、正直ほんのちょっと複雑でもある。
 美味しい料理や酒ですら、時に敵わないのがいい女という奴だ。太刀打ちは出来まい、いろんな意味で。
「どうかした?」
 いつの間にか戸を閉めていた真琴が、怪訝な顔で振り向いていた。俺の視線に気付いていたんだろうか、そう思うと少し面映くて、早口気味に応えておく。
「割烹着、似合うなと思って」
 途端にびくりとした彼女は、次いでもじもじと俯いた。
「や、何言ってんの。それほどでもないよ」
 長かったメシ友期間のうちでは決して見られなかった恥らうそぶり。
 新鮮だった。すごく、いいなと思う。
「それほどでもある。まだ一ヶ月と少ししか経ってないのに、前から着てたみたいだ」
 俺が続けると、真琴はくすぐったげな、だけどやはりうれしそうな表情で応じてくる。
「ありがと。播上も、前よりは着慣れてきた感じだよね。格好いいよ」
「……渋澤には笑われそうだけどな」
 こっちは往生際悪く、照れ隠しの答え方になった。
 もちろん彼女にしてみればお見通しだったようだ。ちらっと笑んで戸口を離れ、軽い足取りで駆け寄ってくる。そのままカウンターの中に二人でいた。少しの間、身を寄せ合っていた。
「格好いいよ、本当に」
 すぐ近くで繰り返されると、隠しようもなくなるから困る。
 もっとも、俺の甚平姿を誉めてくれるのは真琴くらいのものだ。お客さんに似合うと言われたことはないし、何度か『着られてる感じだねえ』と声を掛けられた。そういう時は父さんも母さんも笑って決して否定はしないし、俺も毎日鏡を見ているので自覚していたりもするから、やっぱりそうだよな、と思う。

 正午を少し過ぎた頃、店の前に見覚えのある車が停まった。
 俺と真琴が外へ出ると、運転席から降りてきた男がこっちを見、とっさに目を瞠る。それから何とも微妙な顔つきをした。吹き出すというほどではないにせよ、笑っちゃいけないとわかっていながらもつい笑ってしまったと言うような、緩んだ表情を。
「甚平か」
 渋澤の第一声はそれだった。
 だから俺も『久し振り』は後回しにしてやろうと心に決める。
「何だよ」
 文句あるのかと言外に問えば、奴はもう遠慮なくにやにやしながら、
「だってこっちは、スーツにネクタイの播上ばかり見てきたんだぞ。そんな格好して出てきたら、お、って思って当然じゃないか」
 顔を合わせるのは久し振りだったはずなのに、奴の物言いからはそういったブランクを感じない。顔つきもあんまり変わっていないように見えた。向こうも同じように思ってるのかもしれない――俺の服装以外では。
 笑われるだろうなと踏んでいたくせに、実際笑われるとむっとする。と言うか、気恥ずかしくなる。
「だからって笑うことないだろ。似合ってないのはわかってる」
「似合ってないとは言ってないよ、若く見えるだけだ」
 弁解みたいな口調の渋澤。その視線がふと横にずれ、真琴の方を見る。すると今度はわかりやすい、へえ、という顔をしてみせた。
「奥さんはすごく似合ってるな。大分長いこと働いてるみたいだ」
 何だこの違いは。
 誉められた真琴はえへへと笑う。そして、
「うれしいな。でも、播上だってそう悪くはないよね?」
 わざわざフォローをしてくるものだから、渋澤は冷やかすような視線をこっちに送ってくるし、俺は俺でむずむずするような居心地の悪さを覚える。別にそんな、人前で誉めなくてもいいのに。似合ってないのは自分でもわかってるんだって。
「君が言うなら間違いないだろうな」
 そういう物言いを渋澤にされたから余計に落ち着かなくなる。急いでやり返す。
「そっちこそ、奥さんの紹介はしてくれないのか」
 先程から渋澤の横に控えていた奥さんを、俺はなるべくじろじろ見ないようにしていた。見ないようにしていたというのはつまり、気になってしょうがなかったところをあえて堪えていたということだ。紹介されるまでは待っていようと思っていたが、待ち切れなかったのもあって、反撃のつもりで促してやる。
 もっとも相手は渋澤だ。俺の言葉を反撃としてどころか待ち構えていたように受け取った。ああ、と応じるや否や隣に立つ渋澤夫人の手を取り、恐ろしく自然な仕草で引き寄せた。
「うちの妻の一海。可愛いだろ?」
 むしろ自慢げに言われた。呆気に取られる俺の代わりに、真琴がうんうんと頷いている。
 次いで渋澤は一海さんに対して、
「一海、こっちが播上とその奥さん。話してた通り、二人とも僕の同期だ」
 紹介を受け、一海さんがお辞儀をしてくる。俺が慌てて頭を下げ返せば、隣で真琴も続いた。それから面を上げて、写真でしか見たことなかった人の姿をこっそり眺める。
 姿勢のいい子だった。表情は緊張のせいかほんの少しだけぎこちなく、だが浮かべた笑みには品の良さを感じる。それこそいいとこのお嬢さんか、そうでなければ華道とか茶道とか『道』のつく趣味でも持っていそうな子に見える。凛とした立ち姿とは対照的に、発する声は控えめで、遠慮がちだった。
「初めまして、渋澤一海です。お二人のことは瑞希さんからよく聞いていました。こうしてお会い出来てとてもうれしいです」
 丁寧な挨拶をする奥さんを、渋澤は幸せそうに見守っている。その面持ちにはこっちが照れた。
 更には、一海さんの初々しさ自体にも照れたくなった。そういえば俺、女の子と話すのはあまり得意じゃなかったんだよな。ここのところ付き合いの長い真琴とばかり一緒にいたから、ちょっと忘れかけていた。お蔭で返した挨拶も、ものすごく短く仕上がった。
「どうも、播上です」
 それですぐ隣からは、押し殺したような短い笑いがして、
「播上真琴です、よろしくお願いします。渋澤くんの昔話とか、ちょっと恥ずかしい話とか、播上と二人で喧嘩してた話とか、いいネタいっぱい入ってますから期待しててね!」
 真琴の挨拶は愛想よく繰り出された。
 くすっと笑った一海さんとは対照的に、俺と渋澤はぎょっとする。
「妙なこと言うなよ、真琴」
「ちょっと清水さん――いや、清水さんじゃないんだっけ。とにかく、ちょっと恥ずかしい話なんて僕にはなかっただろ?」
 二人がかりで咎めても、彼女は聞く耳持たず。にっこりしながら言い返してくる。
「そうだった? 二人が焼肉の焼き方で喧嘩したの、まだ覚えてるよ、私」
 ああこれは一生言われるな。間違いなく。
 顔を見合わせた俺と渋澤をよそに、一海さんは少し緊張のほぐれた顔を真琴へと向ける。そして言った。
「楽しみにしてます」
「任せて!」
 やっぱり、いろんな意味で女の子には敵わない。挨拶の段階から既に分の悪さがうかがえる流れだった。

 店内に通すと、渋澤も一海さんもどことなく物珍しげにしていた。こういう小料理屋は、俺や真琴はともかく、二十代のうちだとまだまだ縁遠いのかもしれない。カウンター席に着いても夫婦できょろきょろ、観察しているのが面白かった。
「道、相当混んでた?」
 お冷を出す真琴が尋ねると、渋澤はひょいと肩を竦める。
「ああ、この辺りは特に混んでたな。全然進まない区間もあったし……連休中、快晴の日と来ればしょうがないんだろうけど」
「絶好の行楽日和だからな」
 俺はカウンターの中に入り、早速支度を始める。前菜の調理から始めたところへ、渋澤がこう声を掛けてきた。
「しかし、港町も悪くないな」
 顔を上げると、カウンター越しに奴と目が合う。内装を見回していたとき以上に物珍しげな顔をされる。何となく気恥ずかしくて、笑いたくなる。
 奴も同じように感じたのか、笑いを含んだ声が続いた。
「海が見えないうちから潮の香りがする。趣きがあっていいよな」
「あ、時間があったら浜辺を散歩してみるといいよ。砂浜にはきれいな小石も落ちてるし、夕日を見るのも素敵だよ」
 真琴が嬉々として勧めているのを聞いて、俺もつい気分がよくなる。自分の故郷を気に入ってもらえるのはうれしいし、真琴がこの街に慣れた様子なのもうれしかった。是非、渋澤たちにもこの街を好きになってもらいたい。
 ただ、電話で話していた通り、海と温泉以外は何もないような街だというのも事実。観光資源の乏しさは客足にも響いている。
「もうちょっと栄えてたら、見るべきものもたくさんあったんだろうけどな。あんまり若い人向けの街並みじゃないんだよな」
 俺がそう言うと、なぜか渋澤には吹き出された。
 曰く、
「すっかり地元の人みたいな言い方してるな。そういう播上って新鮮だ」
 とのことで、とっさに面食らっていれば真琴にも言われた。
「だよね。播上ってばすごいんだよ、町内会の会合に顔を出してね、新名物の相談とか開発とかしてるの。こないだなんて夕方のニュースにも出てたし」
「へえ、すごいな。ニュースに取り上げられるほどなのか」
「熱心な活動をされてるんですね」
 渋澤にも一海さんにも感心されてしまったが、インタビューを受けたのは俺じゃないし、ちょっと画面に映り込んでただけだった。俺が帰ってくる前から取り組んでいたプロジェクトだから、俺一人が増えたところで大きく違ってくる訳でもない。ただ、せっかく帰郷した訳だから、何かこの街にも貢献出来たらいいなと考えたまでだ。――店を継ぐということは、それらも含めての仕事なのだと思っている。
「そのうち、播上の出す料理も新名物と呼ばれるようになるよ」
 不意に渋澤が言った。
 それから一海さんに向かって説明を添える。
「話してた通り、奴の料理は絶品なんだ。楽しみにしてるといい」

 そうまで言われたら、絶品の料理を出してやらなくては。
 新名物と呼ばれるくらいにもなりたいものだ。若女将の愛嬌だけに頼ってもいられないんだから。
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