Tiny garden

新婚旅行の為の定食(1)

 新婚旅行に行くから、と渋澤が電話してきたのは四月の初めだ。
 俺と渋澤はお互い新婚だったが、お互いにハネムーンなんてものとは無縁だった。こっちは店の手伝いを始めたばかりで休んでる暇なんてないし、あいつはあいつで多忙かつ面倒事の多い中間管理職の身だ。まあ空港で離婚される羽目にならない分いいのかもなと笑い飛ばし合ったのもついこの間の話だった。
 そんな折も折の発言、新婚旅行に出かけると聞いた瞬間はさすがに驚いた。次いで、そうか遂に有休が取れたのか、こういう時はサラリーマンの方が得だよな、結婚してから辞めれば良かったかなと今更のことを思った俺の耳に、奴が続けた台詞が届いた。――だからお前の店の近くで、ゴールデンウィークにも泊まれそうな旅館を紹介してくれないか、と。
 観光都市と銘打つ我が故郷は、五月の連休ともなればそれなりに賑わいを見せる。もっとも田舎の宿命だろうか、温泉と漁業と観光名所だけでは毎年客を呼ぶのも難しいらしく、かと言って新名所が建てられるほどの予算もないそうで、ちらほらと観光客の減少傾向がローカルニュースでも伝えられるようになってきた。あまりいい理由でもないものの、ともかく四月に入ってからでも部屋を押さえることは出来た。まして俺は地元に構えて長い小料理屋の息子な訳で、戻ってきてからちょくちょく顔を出していた町内会等のお付き合いがものを言い、結果として半日も経たないうちに渋澤夫妻の宿泊先が決まった。海の見える温泉ホテル、しかも客室露天風呂付きと来たら不満もあるまい。
 むしろ他の要素で不満を持たれそうな気はしたが。
「先に言っとくけど、こっちは田舎だからな。温泉と海くらいで他は大したものもないぞ」
 旅館の部屋を予約してからそんなことを教える俺も俺だ。渋澤ならあの奥さんさえいれば、行き先なんぞ関係ないんだろうなとも思いつつ。
 片や、どことなく浮かれた様子の渋澤はこう応じた。
『別にいいよ。僕は二人に会えたら、そして可愛い妻を紹介出来たらそれで十分だ』
 渋澤瑞希は結婚してからも相変わらずマメで、もてる理由が判然としている男だった。見習うべき点は多い。非常に。

 そんな訳で、渋澤夫妻の来訪が決まった。
 うちの店は祝祭日なんて関係なく、それどころか書き入れ時には定休日を押して店を開けたりもする。二人のやって来る日も俺たちには仕事があったが、昼間なら時間もあるからと、昼食に招待することにした。例によってうちの店にだ。
 話が決まってすぐ、真琴にも相談した。
「へえ楽しみ! 渋澤くんとも会うの久々だし、奥さんとは初対面だもんね」
 途端にいい笑顔を見せてくれる彼女。こっちも気分が和む。
「ああ、俺もだ」
「だよね! 渋澤くんの奥さんって写真でしか見たことないから、どんな人かな、わくわくしない? ドレス着た姿はどこかのお姫様っぽく見えたけど、普段もそんな感じの人なのかなあ」
 うきうきしている彼女と同じく、俺も渋澤の奥さんを写真でしか見たことがない。『結婚しました』という文面の写真付き絵ハガキと、奴が送ってきた写真付きメールでだけ。そこではタキシード姿の渋澤とウェディングドレス姿の奥さんとが笑顔で納まっていて、真琴に見せたところ、『おとぎ話の王子様とお姫様みたい』という感想を口にしていた。渋澤の奥さんは背が高くて姿勢が良くて、美人とか可愛いというよりは凛々しい容貌をしていたから、真琴の感想はすごく当を得ている。
 ただ俺は、その感想に同意しつつ、一方で意外にも思っていた。渋澤の好みってこういう子なのか、と――話だけを聞いていた頃は違う感じの子を想像していた。渋澤みたいな奴は、真面目は真面目だがもう少しおっとりした印象の、いわゆる癒し系みたいな子を選ぶんじゃないかなと思っていて、電話越しに聞くその子についてもそういった印象を何となく持っていた。根拠はなく、そもそも奴と好みのタイプについて論じる機会もあまりなかったので俺の勝手な勘違いに過ぎないのだが、とにかく意外だった。
 本社に栄転する直前、奴が言っていたこともまだ覚えている。明らかに好意を持っているはずの女の子たち、その気持ちがわからないと言っていた渋澤は、奥さんになった子の気持ちはわかったんだろうか。それとも、そんなことはどうでもよくなるくらい強く惚れ込んでいたんだろうか。
 あるいは、奥さんに会ってみればしっくり来るのかもしれない。勝手な想像はさておき、俺も五月が楽しみなことには違いなかった。
「で、どんな献立にしよっか」
 ぼんやりしている俺をよそに、真琴の思考は既にメニューまで辿り着いていたようだ。渋澤夫妻を迎えての昼食の献立に。だからこっちも考え出して、間もなく答える。
「渋澤はハンバーグでいいよな」
「いいよね」
「他の献立は考えられないよな」
「渋澤くんイコールハンバーグって感じだよね。代名詞みたいな」
 真琴は渋澤が大好物を食べてる姿を知らない。それでも俺が散々語り聞かせたせいで、彼女の中には最早公式として出来上がってしまっているらしい。渋澤が大好物の品名を打ち明けた時の、拗ねたような顔が脳裏に浮かぶ。――真琴にばらしちゃったって言ったらまた拗ねられるかな。まあいいか。
「奥さんは好き嫌いとかないの?」
「ないって言ってた。何でも食べるから俺たちに任せるって」
「そっか、じゃあ……」
 伏し目がちにして彼女は考え込む。俺はその考え事よりも睫毛の影が気になる。直に視線が上がるだろうから見られなくなるのが惜しい、毎日見ているくせにそう思っている。
「大きな、ハート型のハンバーグにするのはどうかな!」
 そして直に視線を上げた彼女は、そんな突拍子もないことを言った。
「ハート型って、まさかうちの店で出すのか」
「え、駄目? 可愛くない?」
「いやどうだろ……。可愛いとかそういう問題じゃない気が」
 真琴のセンスは可愛いと思う。でもそういうのって出された方より作る方が恥ずかしいじゃないか。あの小料理屋の店内で、甚平を着た俺がハート型のハンバーグを捏ねて成形して焼いてたれを絡めて渋澤たちに出してやって――と想像するだけで本当恥ずかしい。勘弁してくれ。
「でもほら、新婚旅行だから」
 がっくりする俺に対して、彼女の言い分はこうだ。
「大きなお皿にハート型のハンバーグを一つ、どーんと載せてお出しするの。それを二人で仲良く半分こして、分け合って食べるのってすごく新婚さんっぽい感じがしない?」
 それはまあ、確かに。
 美味しいものを分け合って食べるという行動は互いの仲を深めるのにも有効だ。好物をあえて相手に譲り、美味しいと思う感覚を共有することの楽しさ、素晴らしさを俺も実地で経験済みだ。お蔭様で結婚しました。
 しかし、だからといってハートはないよな、ハートは。
「大きな皿で、分け合って食べられるメニューというのはいいと思う」
 俺が考え考え口にした言葉に、真琴は若干寂しげな目をした。
「形については却下?」
「そんな顔されると、却下とは言いにくいな……」
「言ってもいいよ。理由付きなら」
「だ、だって考えてみろ、そんなの出したらむしろ俺たちの方が渋澤に冷やかされるぞ、絶対」
 うろたえつつも説いてやる。それで彼女は少し想像してみたらしく、渋澤にどんな反応をされるかも察しがついたらしく、やがて気まずげに頬を赤らめた。
「それも、そうだね。何かこう、いかにも新婚さんっぽい、感じ」
「いや、だから、言うなって」
「……播上、顔赤い」
「……お互い様だ」
 やはり俺たちも新婚なので、ふとした拍子にこんな、ぎくしゃくした空気に支配されることがよくある。だからといって、同じ新婚のはずの渋澤家はこういうぎこちなさとは無縁そうだな、とも勝手に思う。つまり俺たちが不慣れなだけなんだろうが、もうちょっと何とかした方がいい気もする。こんな空気を毎日毎日味わっていたら恐らくそろそろ身がもたない。
 気まずさを溜息でやり過ごしてから、無理矢理話題を戻す。
「と、ところで、さっきの話だけど」
「うん……」
 答えながらも、目は合わせてくれない彼女。俺はちゃんとそっちを見たのに。短い髪の隙間に赤くなった可愛い耳を発見して、余計どぎまぎしているのに。
「ハンバーグを串に刺して、つくね風にして出したらどうだろう」
 こんな時に献立の話を続ける俺もどうかと思うが、はっとしたように顔を上げる彼女の真面目さも大したものだ。実に興味深げな眼差しを向けられたので、理不尽さも覚えつつ語を継ぐ。
「串焼きにして大皿に並べて出せば、いろんな味で出せるし、食べやすいし、何よりお前の主張する半分こも出来る」
 すると、たちまち彼女も表情を輝かせて、
「それいいかも。バリエーションも増やせそうだよね、大葉巻きとか肉巻きとか」
「逆に、挽き肉の中に何か入れてもいいかもしれない」
「面白そう! 食べてみるまで中身わからないとか、楽しいよねきっと」
「あとは味付けだな。せっかくだから串焼きの良さを活かせるものも――」
 結局のところ俺たちにとって、最も会話の弾む議題は料理のことだった。俺だって本当は、彼女とこうして献立だの出し方だのについて話し合っているのがすごく楽しい。さっき抱いた理不尽さもすぐに雲散してしまうくらいに。だからまあ、楽しいならいいじゃないかと思わなくもない。
 それ以降はびっくりするようなスピードでアイディアがまとまり、渋澤夫妻を迎える献立も容易く決まってしまった。
「ハネムーンのおもてなしなんて初めてだなあ」
 相談を終えた後、彼女はうれしそうに笑んでいた。自分も新婚なんだという事実はすっかり忘れているみたいなそぶりに見えた。俺たちが新婚旅行をしてないってことさえ、既に忘却の彼方にあるのかもしれない。
「ね、播上。頑張って美味しいご飯を出してあげようね、渋澤くんたちのいい思い出になるように」
 でも、もてなす側にすっかり馴染んでしまっている彼女も、悪くはない。
「そうだな、頑張ろう」
 頷く俺にちょっとはにかんだような顔をしてみせる、真琴は結婚してからも相変わらずいい女だ。俺はやはり渋澤を見習う必要があるなと非常に思う。
 そういう意味でも、ゴールデンウィークを楽しみにしていた。
▲top