眼鏡は外さないでいて(1)

 志岐さんはいつも丸い眼鏡をかけている。
「ああ、これ? 伊達だよ」
 本人が言う通り、目が悪いわけではないらしい。
 でもファッションでかけているにしては似合ってない。志岐さんは丸顔だから、丸い眼鏡をかけると何もかも丸く見えてしまう。大きなレンズの黒縁眼鏡は野暮ったくて、志岐さん自身を冴えない大学生に見せていた。
 それでなくてもバイト先ではキッチン担当、いつも白い制服にキャスケット帽で髪を覆っていて、さも素性を隠して働いてる訳ありの人みたいに見える。
 お蔭でバイト仲間からの評判は散々だった。
「志岐さん、眼鏡やめたらモテるんじゃない?」
「せめてもう少しマシなフレームにするとかさ」
 しょっちゅうそんなことを言われているけど、志岐さんは笑い飛ばすばかりだ。
「別にモテたいって思ってないんで」
 そう言い切る志岐さんを、私は密かに尊敬している。
 皆が何と言おうと、野暮ったくて冴えない志岐さんがいい。

 私たちのバイト先『Four seasons』は個人経営のレストランだ。
 看板メニューはとろとろビーフシチュー、個人的なお薦めは自家製ティラミスのバニラアイス添え。
 私は週に四日ほど、土日なら日中に、平日は放課後にホールスタッフとして働いている。志岐さんはオーナーのお孫さんで、その技を盗むつもりでキッチンに入っているそうだ。たまに試作メニューと称して美味しい賄いを出してくれる、とっても優しいバイト仲間だ。

「凪咲ちゃん、今日の賄いは白身魚のグラタンなんだ」
 今日も出勤した私に、志岐さんは真っ先に声をかけてくれる。
「特別にデザートのおまけつき。食べてくだろ?」
「……うん」
 食べたかったのは本当だから、私はちゃんと頷いた。
 ただ、いつも通りの嬉しそうな顔はできなかったようだ。志岐さんも途端に訝しそうにする。
「どうした? 何か元気ないな」
「学祭の準備で疲れてるから、かも」
 曖昧に答えたのは、全部が事実じゃないからだった。
 学園祭がもう来週に迫ってて、準備に慌ただしいのは本当。お芝居に出ることになって、バイトのシフトをずらしてもらっていたところだ。
 でも、私が落ち込んでるのはそれだけじゃない。
「凪咲ちゃん?」
 口が重い私に、志岐さんが眼鏡の上で眉を顰めた時だった。

 お店のドアベルがお客様のご来店を知らせ、
「いらっしゃいませ――あ」
 ホールへ出ていった私の目に、見慣れた制服姿の三人組が飛び込んできた。
 緑のブレザーとチェックのスカートはうちの高校の制服だ。
 その制服がきれいなこととスカート丈の上品な長さ、そして襟につけた学年章から彼女たちが一年だとわかる。それぞれの顔には覚えがあるような、ないような――ただどちらにせよ私は戸惑い、対照的に彼女たちは歓声を上げた。
「ナギサ先輩、ここでバイトしてたんですね!」
 いきなり下の名前呼びですか。
「わあっ、先輩がスカートはいてる!」
 いや学校でだって一応毎日はいてます。 
「急に押しかけちゃってすみません、先輩!」
 謝るくらいならまず声のトーンを落として。
 静かだった店内に彼女たちの声が響くから、私は慌てて声を潜めた。
「君たち、お客様として来てくれたんだよね?」
 彼女たちは揃って頷き、仕方なく三人を席に案内した。
 そしてメニュー表とお冷を運んでいったところで、三人のうち一人が私に小さな手紙を差し出してきた。
「あの、先輩……」
 ――まただ。
 なんて、直感してしまう自分がいっそ忌々しい。
 だけど初めてじゃなかった。口を利いたこともない後輩が目を潤ませて、私に差し入れをくれたり、連絡先を記したメモをくれたり、あるいはもっとストレートなものをくれたりする。
 惜しむらくはうちの高校が女子高だってことだ。
「よかったら、これ、読んでください」
 そう告げてきた後輩の頬は真っ赤で、手紙を持つ両手は小刻みに震えていた。
 彼女の肩を別の子が、支えるように叩いて、
「大丈夫、頑張って渡しな!」
 などと小声でエールを送っているから、こっちはどうしていいのかわからなくなる。
「あのね、私、今バイト中だから」
 やんわり断ろうとしてみたけど、途端に手紙の子が顔を引きつらせ、別の子が口を挟んだ。
「先輩、読むだけでも読んでやってください。この子、先輩のファンなんです」
 受け取らざるを得ない流れって、ちょっとずるいと思う。

「今の子たち、何だ?」
 注文を受けてキッチンに駆け込んだ私に、志岐さんが短く尋ねてくる。
「すみません、うるさくして」
 私が代わりに詫びると、彼は何か察したように聞き返した。
「あの子たちか? 凪咲ちゃんが元気ない理由」
 率直に言えばそうだ。
 でも、あの子たちだけじゃない。
 上手く言えずに口ごもった私を見て、志岐さんは首を竦める。
「今日の賄い、必ず食べてけよ。話聞いてやる」

 レストランのバックヤードには休憩室があって、賄いはいつもそこでいただく。
 十人掛けの長いテーブルの隅っこに、私と志岐さんは向かい合わせに座った。そして本日の賄いメニュー、白身魚のグラタンを二人で食べた。
 熱々のグラタンにふうふう息を吹きかけつつ、私は事情を語り出す。
「実は私、モテ期が来てるの」
「モテ期……」
 志岐さんがぽかんとするのも無理はない。
「まあうち女子高だから、全員女子なんだけど」
 悲しいことに十八年の生涯の中で、男子にモテたことはない。中高と女子校だからそもそも男子との接点すらない。
 それはさておき、モテ期が訪れるほんの数ヶ月前まで、私は後輩にきゃーきゃー言われることもないごく普通の女子高生だった。
「前に話してたよね、学祭でお芝居やるの」
「ああ、『トリスタンとイゾルデ』な」

 うちのクラスの演目がそれで、私は主役のトリスタンをやることに決まった。
 何のことはない。部活をやっていなかったのと、クラスで一番背が高いという理由で決まっただけだ。普段の私は男らしさなんて欠片もなかった。
 でもまあ、せっかくだからと生まれて初めてショートにしてみた。
 高校生活最後の学祭だ。どうせならきっちりやり遂げようとお芝居の稽古にも熱が入った。

「その練習を見に来た後輩たちが、何でか私のことを気に入っちゃって」
 私がぼやくと、志岐さんはそこで気遣わしげに笑った。
「何でかって、自信ないのか? 『王子様』役なのに」
「ううん、逆。すっかり本物の王子様扱いだもん」
「俺も見てみたいな、凪咲ちゃんのトリスタンぶり」
「本番見に来る? 周り女子ばっかで居心地悪いかもだけど」
 正直に言えば私だって、王子様ぶりを誉められるのは悪い気がしない。
 だけどそれを、私そのものだって言われるのは複雑だった。
「何かね、後輩たちは私のこと、リアルトリスタンだって思ってるっぽいんだ」
 凛々しくて、情熱的で、恋の為なら倫理さえ踏みにじる王子様。
 私服の八割がスカートかワンピで、月々のバイト代も可愛い服とコスメに費やす私とは、全く正反対のキャラだ。
「だから制服着てるだけできゃーって騒がれるし、可愛い系の女子と喋ってただけで噂になるし、バレーの授業でサーブ外したらどよめかれたからね。『トリスタン様らしくない!』って」
 私だって人間だ。サーブくらいたまに外す。
 でもトリスタンはそうじゃない。そして皆は、私にトリスタンであるよう求めている。
「最近じゃ、結構ガチな告白までされるようになってさ」
「ガチなって……」
「付き合ってください、とかね。連絡先もしょっちゅう貰うし」
 同性愛を否定する気はない。本当に好きになったなら仕方ないって思うから。
 でも、皆が好きなのはトリスタンとしての私だ。凛々しくて情熱的な王子様。私とは全く異なる存在。
「もう、どうしていいのかわかんなくて。悩んでんの」
 志岐さんお手製のグラタンをつつきながら、思わず深い溜息をつく。
 せっかく美味しいものを食べてるのに、悩み事があるってだけで気分が浮かない。それも悔しかった。

 志岐さんも唸るように息をつき、それから少しの間黙った。
 丸顔に丸眼鏡をかけた志岐さんに、険しい表情はあまり似合わない。だけどその難しげな面持ちは、きっと私にかけるべき言葉を探しているからなんだろう。
 ここでのバイトを始めてからというもの、志岐さんはいつでも優しい先輩だった。入りたての頃にしでかした数々の失敗も笑顔で励ましてくれたし、理不尽なクレームに泣いた日は遅くまで涙に付き合ってくれた。テスト勉強で詰まった時、一緒に答えを考えてくれたりもした。
 そういう志岐さんのことを、私は密かに尊敬している。

「志岐さんって、格好いいよね」
 私が唐突に褒めたからだろうか、
「……えっ」
 志岐さんがうろたえたのが、丸眼鏡越しに見開かれた目でわかった。
「な、何だよ急に」
 声まで裏返ってるのがおかしくて、笑いを堪えながら続ける。
「いや、本気で思ってるよ。志岐さんって自分を曲げないじゃん」
「そうか?」
「眼鏡のこともさ。あれだけ皆に外せとか変えろとか言われてるのに、モテなくてもいいって言い切るとこ、潔くて格好いいと思うよ」
 誰が何と言おうと、私は野暮ったくて冴えない志岐さんを格好いいと思う。
「誉めても何にも出ないぞ」
 照れたのか、志岐さんが顔を隠すようにキャスケットを被り直した。
「別にお世辞じゃないって」
 私は言い添えてから、溜息まじりにぼやく。
「だって私は、そういうふうにはできなかったよ。何だかんだで皆の目が気になって、普段通りに振る舞えなくってさ。最近、めっちゃ窮屈」
 スカートをはいてると変な目で見られるから、下にジャージをはくようになった。
 クラスの友達とも、一対一では喋らないようになった。
 そして後輩たちからの好意を拒めないまま、ずるずるとこんな状況に陥っている私がいる。
「このまま学祭終わるまで待てばフェードアウトするんじゃないかって、告白の返事一切してないんだ。自分がされたら絶対嫌なことしてるって、自覚あるけど」
 でもあの子たちだって、どこまで本気なのかわからない。
 案外こっちが真面目に断ったら『えっこの人何マジに取ってんの』って思われるかもしれない。そういうのが怖くて、貰った手紙も連絡先も一読しただけだった。
 だけどもし、本気だったら――。
「私、トリスタン並みに酷い奴じゃん」
 グラタンを食べ終えた私は、休憩室のテーブルに突っ伏した。
「トリスタンって酷い奴だったっけ?」
 志岐さんがちょっと笑ったのが頭上に聞こえる。
「酷い奴だよ。お薬キメて主君の奥さんになる人寝取ったんだよ」
「……名作をそういうふうに評するのはやめなさい」
 軽く私をたしなめた後、彼は続けた。
「まあ惚れ薬の件は倫理的にどうかっていうんで、『もともと惹かれあってた二人が媚薬に背中押された』って筋書きにしてるお芝居もあるらしいな」
 そうだとしてもトリスタンのやったことは裏切りだ。不義密通だ。
 それは私がやってることと、どっちがどのくらい悪いことだろうか。
「ある意味、似合いのキャスティングだったのかもね」
 何度目になるかわからない溜息をつくと、
「相当参ってるな……ちょっと待ってろ」
 志岐さんは私の頭をぽんと叩いてから、休憩室を出ていった。

 程なくして戻ってきた彼の手には、ティラミスが盛られた皿があった。
 それを私の前に置き、慰めるように言った。
「ほら、特別サービスだ。これ食べて元気出せ」
「あ、ありがとう、志岐さん……!」
 うちの店の自家製ティラミスは絶品だ。土台はしっかり目のケーキ生地、そこにエスプレッソを染み込ませて、マスカルポーネチーズの濃厚なクリームと何段も重ねてある。ココアパウダーと合わせてビターな味わいだから、バニラアイスとの相性もばっちりだった。
「美味しい……。今日のはまた格別に美味しいよ!」
 私は志岐さんの優しさに感激しつつティラミスを頬張った。
 元気が出るかどうかはわからないけど――もうちょっとだけ頑張れそうな気はしてくる。とりあえず学祭が終わるまでは。告白の返事をどうするかは、まだ悩むけど。
「そうだろ。今日のは特別いい出来なんだ」
 志岐さんは満足げに、食べる私の顔を眺めている。
 それから何かを思いついたように、考え考え切り出してきた。
「凪咲ちゃん。王子様扱いが嫌なら、いっそ彼氏作れば?」
「え? 彼氏?」
「そうしたら周りの子たちも、凪咲ちゃんが『王子様』じゃないってわかるだろ」

 それはそう、かもしれない。
 私はトリスタンじゃないし、男の子でもない。人から好かれるのはいいけど、男の子の代わりを務めるつもりはない。そういう意思は確かに伝わるかもしれない。

 だけど問題は、
「そもそも私、好きな人いないんだけど」
 女子高という環境上、ご縁が一切ないことだ。
「そんなもん、付き合ってから好きになればいいだろ」
 志岐さんは意外にも軽い調子で勧めてきたけど、きっぱりとかぶりを振っておく。
「私、そんなことできないよ。初めての彼氏はちゃんと好きになった人がいい」
 だからこそ皆がしてくる告白が不思議なんだ。
 本当に私のこと好きなんだろうか。トリスタンじゃない私のことが。
「真面目なんだな、凪咲ちゃん。いいことだ」
 志岐さんが頷く。
 真面目な奴が他人の告白を疑ってかかるかどうかはさておき――彼はもう少し考えてから、こう言った。
「なら、偽の彼氏を作ればいい」
「偽の……? いないのに、いますって言うの?」
「それだけじゃない、一緒にいるとこ見せて回るんだよ。それこそ学祭あたりで」
 確かにそれも意思表示にはなるだろうけど、やっぱり似たような問題がある。
「私、男友達もいないんだけど、頼める人いないよ」
 すると志岐さんはすかさず自分を指差し、
「俺がなってあげようか、偽彼氏」
 と言った。
「えっ、志岐さんが!?」
「何だよ。俺じゃ不満か」
「不満はないけど……志岐さんこそいいの?」
「嫌なら言い出さないよ、こんな案」
 それから志岐さんは明るく笑って言い添えた。
「どっちにしろ、凪咲ちゃんのトリスタンは見に行きかったからな」
 そういうことなら好都合なのかな。
 他に頼める相手もいないし、志岐さんだったら普通に話せるから偽物だってばれないかもしれない。何より皆の熱狂を鎮めることができるなら、すごくありがたい。
「じゃあ、是非お願いします」
 私が頭を下げると、志岐さんも深々と下げ返してきた。
「こちらこそ。ちゃんと恥ずかしくない格好で行くから心配するな」
 バイト仲間に指摘されてる、野暮ったさを気にしてそう言ったのかもしれない。
 だから私は笑い飛ばした。
「心配なんてしてないよ。いつも通りの志岐さんで十分だからね」
 皆はあれこれ言うけど私は、今の志岐さんが優しくて、格好いいと思う。

 志岐さんはどう思ったんだろう。
 またキャスケットを目深に被り直したせいで、丸眼鏡の奥の表情は見えなかった。

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