Tiny garden

山田はサンタと読めなくもない(3)

「プレゼントを配るついでに、送っていくよ」
 山田がそう言ってくれたので、私は彼と共に外へ出た。

 庭のモミの木の下には金縁の赤いソリが用意されていて、二頭のトナカイが首に手綱をつけた状態で繋がれている。
 山田は二頭に歩み寄ると、優しい手つきでその毛並みをなでた。
「さあ行くぞ。ハヤテ、ムサシ、よろしくな」
 ハヤテもムサシも山田によく懐いているようだ。自ら撫でてくれと言わんばかりに首をすり寄せている。
 それを見守る私は、若干の不安を覚えた。
「打木さんも乗って」
 山田に促され、私はおそるおそるソリを指さす。
「あのさ、……飛ぶの?」
「もちろん。サンタのソリが飛ばなきゃおかしいよ」
 常識で考えたらソリが飛ぶ方が不思議だけど、夢の中って本当に何でもアリみたいだ。
「打木さん、高いところ苦手だった?」
「飛行機くらいなら別に平気。でもソリで空飛んだことはないから」
「大丈夫、こう見えても三年間無事故無違反なんだ」
 サンタが誰に取り締まられるっていうんだろう。疑問を抱きつつ、私はソリに乗り込んだ。
 ミニスカサンタ服のせいでむき出しの膝を抱えるようにして座ると、山田がどこから持ってきたのか、フランネルの膝掛けをかけてくれた。
「そういえば打木さん、帽子は?」
「失くしたんだって。酔っ払ったせいで」
 兄の言葉を思い出して答えると、山田は案じるように苦笑した。
「そのままだと寒いよ。よかったら、これを使って」
 すると何もなかった山田の手の中に、白いふわふわのかわいいイヤーマフが現れた。山田はそれを私の耳にかけてくれると、自分の帽子のふわふわを指さして笑った。
「おそろいだ」
 何を喜んでるんだろう。でも、そうやって笑われると悪い気はしない。
 山田もソリに乗り込み、私のすぐ前に座った。私の後ろにはプレゼントが詰まった白い大袋も積まれている。
「じゃあ、出発するよ」
「おっけー」
 覚悟を決めてうなづけば、山田は手綱を手に取った。
 二頭のトナカイが踏み固められた雪の上で蹄を鳴らす。トナカイたちはゆっくり走り出したかと思うと、緩やかな坂道を上るようにすんなりと宙に浮き、空気力学なんてガン無視で夜空へ駆けていく。
 もちろん繋いだソリも一緒に、飛行機よりもずっと優しい浮遊感でふんわり浮かんだ。
「わあ、浮いてる!」
「もっと高く飛ぶよ。楽しみにしてて」
 トナカイが引くソリはそのままぐんぐんと空を目指す。振り返ると、雪原にぽつんとあった山田の家と、そのあたたかい窓の光が遠ざかっていくのが見えた。
 正面に向き直る。
 目の前には赤いサンタ服を着た山田の、意外と広い背中がある。頭にはナイトキャップのぽんぽんが風に乗って揺れている。山田の肩越しにハヤテとムサシのおしりが見える。トナカイってしっぽが短いんだ、初めて知った。実物見たのは初めてだったから。
 いや、初めてというならサンタのソリに乗ったのだってそうだ。子供の頃は当たり前のように信じていて、でもいつの間にか信じなくなった存在が、今、私の目の前にいる。上機嫌で鼻歌なんて口ずさみながら、ソリで凍てつく夜空を駆ける。

 雪はいつしか止んでいて、晴れ渡る夜空には小さな星がいくつも光っていた。
 トナカイは軽快な足取りで走る。私たちの吐く白い息が冷たい空気の中に溶け、ソリにつけられた鈴が澄んだ音を鳴り響かせる。風は少しあるけど、イヤーマフと膝掛けのおかげでちっとも寒くない。
「打木さん、見て」
 山田が指さす地上には、小さな無数の光が身を寄せ合っているのが見えた。あれは、私たちが暮らす街の明かりだ。雪原の真ん中に、まるでどこかから切り取ってきたみたいに街が存在している。
「どういうこと? あれ、本物?」
「僕の配達区域。夢の中だからって、世界中どこでも飛んでいけるほど土地勘はないからな」
 変なとこ、リアルな仕組みなんだなあ。
「でもあの明かりは本物と同じだ。きれいだろ?」
 山田が言うとおり、空から見下ろす夜の街はそこらじゅうが消えない光であふれ、とてもきれいだ。ソリが街の上空をゆっくりと旋回すれば、辺りの雪原までぼんやりと、やわらかくあたたかく照らしているのが見えて、不思議と切ない気持ちになった。
「すごい……こんなの、夢でもないと見られないね」
 私の言葉に、山田はちょっと得意げな顔をした。
「来てよかった、って思ってくれた?」
「ん、まあね」
 ミニスカサンタの件があるので、私はあいまいに答える。
 でも山田はその後も、別の答えを期待するみたいにこちらを振り返る。あんまりちらちら見てくるもんだから、結局根負けして、言った。
「来てよかった! こんな経験、そうそうできるもんじゃないしね」
 予期せぬ招待だった――こんなもん予期できる奴がいるわけないけど、にしても、めったにない経験はできたし、ごちそうになったパイはおいしかったし、山田のサンタ服は似合ってるし、全体的に得した気分だ。サンタらしからぬ男子高校生的欲求については、まあ不問にしてあげてもよい。
 個人的には因縁あるミニスカサンタ服だから、そこだけは今でも複雑だけど。
「まさかこの服に、いい思い出ができちゃうとはな……」
 私が思わずつぶやけば、山田がまた振り返る。
「お兄さんのこと?」
「うん。あれから一年、ほとんど口利いてないんだよね」
 由井ちゃんの言うことはわかる。うちの兄は本当に変なところで思い切りがよくて、会社の先輩あたりから隠し芸を求められたらそれはもう真面目にやっちゃうことだろう。私ならバカみたいだって思うけど、兄はそういう時に空気を読む人だ。
 でも、そうやって自分から笑われ者になる兄を、私は絶対見たくない。
「打木さんは、お兄さんが大好きなんだな」
 ふいに、山田がそう言って、私はものすごくぎょっとした。
「え、なに! サンタって心も読めるの!?」
「読まなくてもわかるよ」
 山田は少し笑って、続けた。
「お兄さんが人に笑われるのが嫌で、だから腹が立ったんだろ。きっと素敵な人なんだろうな」

 うちの兄は妹の目から見ても素敵だ、と思う。
 身内のひいき目というのも否定はできないけど、少なくとも私にとっては自慢の兄だった。由井ちゃんが兄のことをイケメンだ、格好いいとすごく褒めてくれるのが誇らしかった。おまけに昔から優しいし、真面目だし、妹の私をすごく大切にしてくれた。
 そんな兄には、いくつになっても格好いいままでいてほしかったんだ。

「隠し芸で女装なんて思い切ったにしてもバカみたいじゃない? その上さんざん酔っ払ってさ、十二月の夜に床の上で寝たりして……一歩間違えば凍死案件じゃん」
 私がまくしたてると、山田も今度はこらえきれず声を上げて笑った。
「笑うな!」
 あわてて背中にパンチすると、
「ごめんごめん」
 山田は笑いながら謝ってきて、それからひとりごとみたいに付け足した。
「やっぱり、打木さんは優しいな」
 優しい奴が一年間も兄を軽蔑し、無視するなんて所業に出るだろうか。
 とはいえ私も兄を許す、許さないといった次元とは違う複雑な思いで見ている。そんなバカみたいな真似しないと続けられない仕事なんてどうなのとか、相談してくれたら女装以外の芸を提案できたかもしれないのにとか、帰るときに連絡くれたら暖房入れておいてあげたのにとか。
 そういう気持ちがぐちゃぐちゃに入り混じって消化しきれないまま、気づけばまたクリスマスがやってきた。
「今はクリスマスだ」
 純和風、しょうゆ顔のサンタクロースが言う。
「クリスマスって不思議と、いつもと違う気分にならないか? 小さな頃を思い出したり、好きな人を誘う勇気が湧いたり、誰かを思って優しい気持ちになったり……そういう心のささやかな変化は、僕らサンタクロースからの贈り物なんだ」
 言われて私は、ソリの後方に積まれたプレゼントの袋を見た。
 口が少し開いていて、中にしまわれた贈り物たちが覗いている。あの中身、そういえば何なんだろう。
「サンタはおもちゃを配るんじゃないの?」
 私の問いに、サンタクロースは答える。
「僕らが配るのはどこかに忘れてきた思い出、それからほんのちょっぴりの勇気、そして誰でも持ってる優しい気持ちだ。僕ら以外にも、この日だけのサンタクロースがたくさんいることは、君だって知ってるだろ?」

 サンタは、いる。
 何年か前まではうちにもいた。さすがに今はもう来ないけど、でも今年は、山田に出会った。
 忘れてきた思い出、ちょっぴりの勇気、そして優しい気持ちは、私にも贈られるだろうか。
 もしもその贈り物があったら、私は――。

「打木さん、そろそろ帰ろうか」
 私の気持ちを見透かしたように、山田が言った。
 黙ってうなづけば、彼は切れ長の目を細める。
「下りるから、つかまって」
 そう言われたから、私は目の前にあった山田の背中にしがみついた。
「わっ……」
 とたんに山田がびくりとしたので、そういう意味ではなかったようだ。でも私は、そのままでいた。
 トナカイが引くソリはなだらかに下降を始め、遠くにあった光る街が足元に近づいてくる。滑空するように大回りで下りていきながら、やがて見慣れた街路に辿り着いた。
 住宅街にあるありふれた二階建ての家。バルコニーのある二階の、南向きの窓が私の部屋だ。明かりはついていない。
 ソリはバルコニーに横づけするように止まり、まず山田が立ち上がって私に手を差し出す。
「さあ、降りて。足元に気をつけて」
 私はその手を借り、柵を乗り越えバルコニーに下り立った。
「窓に触れたら中に入れる。そうしたら君の心は、寝ている君の身体に戻るよ」
 山田の言うとおり、窓ガラスに手を置くとまるで水面みたいにするりと沈んだ。このまますり抜けてしまえばいいってことらしい。
 でももう片方の手は、まだ山田の手を握ったままだ。
「じゃあまた明日、打木さん」
 ソリの上に立つ山田はそう言って笑うくせに、私の手を離そうとしない。
 私もどうしてか名残惜しくて、山田の優しい笑顔を見つめ返した。
「いろいろありがとう、サンタさん」
「お礼を言われるとは思わなかったな。無断で招待しただけなのに」
「いや、それはアレだけど……別に嫌じゃなかったし、楽しかったし」
 繋いでいた手が一瞬、きゅっと握られた。
「たぶんだけど。私、兄貴と仲直りするよ」
 私が告げると、山田はわかっていたように顎を引いた。
「きっとうまくいくよ。打木さんなら大丈夫」
「そうだといいけどね」
 うまく言えるといいけど。
 一年間もこじらせてたんじゃ、そう簡単にはできないかもしれない。
 でもサンタクロースが背中を押してくれてるから、やっぱり大丈夫かな。
「あのさ……」
 私は意を決して、山田から手を離した。
 山田は一瞬手を伸ばしかけ、だけどすぐに引っ込める。それから私の言葉の続きを促すように、無言で首を傾げた。
 だから、聞いてみる。
「私、今夜のこと、明日の朝も覚えてるかな?」
「打木さんが望んでくれたら……望んだら、覚えてるよ。きっと」
 答えた山田が、静かに手を振ってくれた。
 私は手を振り返すと、彼に背を向けて窓ガラスに飛び込む。
「……おやすみ」
 別れの言葉は、ずいぶんと遠くのほうから聞こえた気がした――。

 気がつくと、朝だった。
 私は自分の部屋のベッドに寝ていて、時計を見たら二十五日の朝五時だった。ミニスカサンタ服じゃなくて、ちゃんとパジャマを着ていた。部屋にも変わったところはなく、窓ガラスに触ってみたけど曇ってるだけですり抜けたりはしなかった。
 ただ一つ、枕元に置かれていた包装紙の包みを覗いては。
 でこぼこしたその包みには、きれいな金色のリボン飾りがついていた。開けてみたら、中には見覚えのあるイヤーマフがしまわれている。白いふわふわのそれは、山田が『おそろい』と言っていたものとそっくり同じだった。
「……まさか」
 私はあわてて部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。
 居間にはスーツ姿の兄がいて、ひとりでコーヒーを飲んでいた。でも血相を変えた私に驚いたようで、こわごわ尋ねてきた。
「どうした?」
「これ、私の部屋に置いた?」
 イヤーマフを掲げてみせると、兄は首を横に振る。
「いいや。お前、俺が部屋に入っただけで怒るじゃないか」
「まあ、そうだけど……」
「父さんか母さんからのプレゼントじゃないか?」
 常識で考えるなら、そうだろう。
 でも私は思う。これはきっと、サンタクロースからのプレゼントだ。
「あの、今さらだけど……去年はごめん」
 コーヒーカップを置いた兄が、不意を打つみたいにそう言った。
「お前、すごく心配してたんだってな。父さんたちから聞いたよ。みっともないところ見せて、悪かった」
 そうやって先に謝られると困る。
 私も、謝ろうと思ってたのに。
「私のほうこそ……」
 しかもすごく、もごもごした返事になった。格好悪い。
「ずっと怒ってて、ごめん。お兄ちゃんは悪くないの、わかってたんだけど」
 謝り返すと、兄はすごくほっとしたようだった。急に晴れやかな表情になって、元気よく続けた。
「今日もケーキを買って帰ろうか。昨日のケーキ、おいしかったろ?」
 それはなかなかいい提案だったけど、私は笑って応じる。
「今日はいいや。放課後にパーティの約束があるから、帰り遅くなる」
「……まさか、彼氏か?」
「違うし! 友達だよクラスの!」
 突っ込まれて否定したものの、顔は赤くなってたかもしれない。
 いやマジで、彼氏ではないんだけど。

 あとで起きてきた両親にも聞いてみたけど、イヤーマフを置いたのはふたりでもなかった。
 となるとやっぱり山田――とはいえ、それを本人にどう確かめるかは難しい。
 だって普通に考えて、『あんた夢の中に私呼んだでしょ?』って聞くのは恥ずかしい。恥ずかしいっていうか中二病感ある。いや、私は夢の出来事もちゃんと覚えてるしイヤーマフが山田からだって確信もあるけど、山田が覚えてるかどうかって問題もあるわけで。覚えてたとしても、あんたがサンタかと人前では言えないし。

 そんなことをぐだぐだ考えながら登校したら、生徒玄関で山田に会った。
「おはよう、打木さん」
 山田は寒さで赤い頬をしていたけど、私を見るなり明るく笑う。
「お、おはよう」
 一方の私はいきなりうろたえた。
 今朝は、あのイヤーマフを早速つけてきた。そこに触れてくれたら昨日の夢が本当の出来事だってわかる。そう思ってちらちらうかがえば、上履きに替えた山田と目が合う。
 見慣れた純和風しょうゆ顔が、おかしそうに吹き出した。
「打木さん、すごくそわそわしてる」
「するわ! だってほら……その、クリスマスだし!」
「わかってるよ。イヤーマフもすごく似合ってる、かわいいな」
 違う、そこを褒めてほしいんじゃなくて――。
 って今、イヤーマフ『も』って言った?
「お兄さんと仲直りできた?」
 山田が、そう尋ねてきてくれたから。
 私はたまらなく安心して、でも急に照れながら答える。
「うん、まあ……何とか。結構あっさりだったよ」
 それも全部、サンタクロースの贈り物のおかげだ。
「ありがとね、山田」
 お礼を告げたら、山田はうれしそうにうなづいた。
「喜んでもらえるのが一番うれしいな、こちらこそありがとう」
「山田がお礼言うの変じゃない? 私が世話になったのに」
「でも元はと言えば、僕が勝手に呼んだんだからな」
 山田も恥ずかしそうに首をすくめる。
 まあ、それは確かに。
「言っとくけど今日のパーティには着てかないからね、アレ」
「うん、それがいい」
 宣言したら、山田はすんなりそう言った。
 それから私のイヤーマフをした耳元に近づき、声を落としてささやく。
「他の人には見せたくないから、かわいすぎて」
「は!?」
 私が動揺して硬直すれば、山田も赤い顔のままで、だけど笑いながら校舎の奥へ歩いていく。
 あわてて靴を履き替え、追い駆けた。
「っていうか、山田はどうすんの? コスプレ」
「僕もしないよ。あの服を遊びで着るのは抵抗ある」
「すっごく似合ってたけどなあ」
「打木さんほどじゃないよ」
「私のはいいから! 忘れろ!」
「君の頼みでもそれだけは無理かな」
 教室に続く階段を上がる。一歩先を行く山田の、上履きのかかとに記された名前を見て、そういえば山田はサンタと読めなくもないと思う。
 思ってたよりも、普通の男の子っぽいサンタだけど。
 でもそういうのも、私は嫌いじゃないな。
「今日のパーティではヨウルトルットゥをたくさん焼いておくよ」
 山田が、追い駆ける私を振り返る。
 私はちゃんとその味を覚えていて、だからすごくいい気分で応じた。
「楽しみにしてる。あれ、めちゃくちゃおいしかったからね」
「覚えててくれてありがとう」
 制服姿のサンタクロースも、すごくうれしそうにそう言った。
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