5 馬鹿なままの君でいて

 十二月二十二日。約束通り、俺は携帯電話の電源を切った。
 頼まれなかったけど家の電話線も抜いた。前日の仕事のせいで寝不足ではあったけれど、そんなことはおくびにも出さない。と言うより、それどころじゃない。
 夕暮れ時を待って、ちーちゃんと二人きりのクリスマスパーティをした。
 まだ高校生の彼女がいるから、飲み物は当然シャンメリーだ。それでも苺のケーキはあるし、フライドチキンだって買ってきたし、ホームセンターで見つけた小さいやつだけどクリスマスツリーも飾った。狭い部屋の中でクラッカー鳴らしまくって、後から二人で、背中を丸めてのそのそ掃除もした。
「案外飛び散るんだね、クラッカーって」
 ちーちゃんがしみじみと言ったのが何ともおかしかった。思わず笑ったら、今日は笑いすぎだと呆れられた。
「シャンメリーで酔っ払っちゃったんじゃないよね、まさか」
「違うよ、ちーちゃん。俺は今、可愛い彼女に酔わされてるんだ」
「……自分の台詞に、じゃなくて?」
「酷いなあ」
「だってはしゃぎすぎなんだもん、トモ」
 悪いか。だって、楽しいんだ。
 クリスマスごときでこんなにはしゃいでるなんて、本当に久々だった。きっと子どもの頃以来だろう。もしかすると俺、若い彼女のおかげで少しは若返ったのかもしれない。そうだといいなあ。
 それぞれにプレゼントを用意して、贈り合ったりもした。
 ちーちゃんが俺にくれたのは帽子だ。ツイード素材で温かそうハンチングベレーだった。
「こういうの、試しにかぶってもらわないで買うのもどうかなと思ったんだけど」
 と言いながら彼女は包装を解いて、俺の頭に帽子をかぶせた。
 満足気な顔になって、頷いてみせる。
「似合うよ、トモ。よかった」
「本当? ちーちゃん的に合格?」
「合格!」
 にっこり笑って彼女が手を叩く。
 俺も嬉しい気分になって、被せてもらった帽子を撫でた。
「あんまりこういうの、かぶんないからなあ。どうして帽子にしたの?」
「外歩く時の為に」
「……フード被ると、不審者にしか見えないから?」
 いつだったか、そんなこと言われたりもしたっけ。思い返しながら尋ねると、彼女も思い出し笑いを見せる。
「うん、そう」
 それで帽子か。なるほど。
 でも、これを被っていたら怪しい人には見えないだろう。ちーちゃんの格好いい彼氏に見えるかな。いまいち見えなくても、まあ、彼女には俺しかいないから平気だ。そしてもちろん、俺にも彼女しかいない。
 俺が用意したプレゼントは、包みを開けずに彼女に手渡した。
「開けてのお楽しみ」
「ありがとう。今、開けてもいいの?」
「どうぞ。お礼を言うのは中を見てからだよ」
「そっか。じゃあ、開けるね」
 ちーちゃんはにっこり笑うと、丁寧な手つきで包装紙を剥がし始めた。薄型の長方形の紙箱を取り出して、そっと蓋を開ける。
 中に収められていた物を見て、すぐに表情を輝かせた。
「手袋!」
 細い手が黒い革手袋をそっと持ち上げれば、つやつやとした生地が光る。彼女の手に、良く似合いそうだと思った。
 だけど彼女は、
「革の手袋なんて、高かったんじゃない?」
 気遣わしげな目で尋ねてくるもんだから、思わず俺は苦笑する。
「そういうこと聞くのはマナー違反だよ、ちーちゃん」
 いつも何もしてあげられてないんだし、たまに高価な贈り物くらいさせて欲しいな。じゃないとあまりにもぞんざいすぎる彼氏だろ?
「でも……」
「せっかくだから着けてみてよ。きっと似合う」
 まだ何か言いたげなのを振り切って、俺は有無を言わさず彼女の手を取った。
 部屋の中で温められた白い手に、黒い革手袋を填める。
 両手に填めると、すらりと細い指が一層映えた。まるで貴婦人の手みたいだ。
「良く似合うよ」
 俺は彼女に囁いた。
 見知らぬ人の手を見つめるような目でいたちーちゃんは、やがてはにかんでこう言った。
「そうかな。何だかびっくり。私もこういうの、買ったことなかったから……」
「俺は、ちーちゃんに買うなら手袋がいいと思ってたんだ。これからますます寒くなるからね」
「うん、ありがと」
 黒い手袋を着けた手が、きゅっと握られる。
「お互いに身に着ける物をプレゼントに選ぶなんて、すごい偶然だね」
「そう言えばそうだな。以心伝心?」
「かもしれないね」
 顔を見合わせて、どちらからともなく笑った。
 よくよく考えれば恋人に贈るクリスマスプレゼントなんて、装飾品が定番なだけなのかもしれないけど、そんなこともどうでもいいんだ。俺たちがお互いのことを想って選んで、お互いに幸せならそれでいい。

 だけどパーティを終え、いつものように辿る帰り道で、ちーちゃんはせっかく贈った手袋を填めずに俺と手を繋いだ。
「手袋、しないの?」
 俺が尋ねると彼女はかぶりを振って、言う。
「いいの。だってトモと手を繋いでたら、温かいもん」
 繋いだ手は袖の中にある。自然と袖も繋がって、ゆらゆら揺れながら歩く。街灯の明かりに長く伸びる影も、ゆらゆらと浮かれたように揺れている。
「じゃあいつ着けてくれるのかな」
 俺は帽子、早速被ってるのにな。
 空いてる方の手で少し傾けると、彼女は微かに笑んだ。吐く息が白く、冬の空気に溶けていく。
「一人で歩く時だけにする」
「そっか。俺の送れないバイトの帰りとか?」
「うん。あと、トモが実家に帰っちゃう間とか」
「……そんなに寂しいんだ?」
 年明けのたった二日間の帰省を、ちーちゃんは未だに寂しがってくれている。その気持ちは嬉しいんだけど、何だか帰る気持ちが萎れそうだ。むしろ辛いのは彼女を置いていく俺の方かもしれない。
 その代わり、帰ったら両親には話しておこう。まだ先の話だけど、将来的に結婚を考えてる彼女がいます。なんてことくらいは。
「寂しいけど、平気だよ」
 そう言って握る手を強くする彼女が、待っていてくれる。だから必ず帰ってこよう。
「一人の時も、きっとトモと手を繋いでるみたいに温かくなれるから。手袋、大事に使うね」
「ありがとう」
 俺も手に力を込める。冷たい手。でももうすぐ、温かくなる。
 冬の道は静かだ。人通りもほとんどなく、二人の足音と話し声だけしかしない。耳や頬が痛くなるほどの冷たい空気の中で、見上げた空の星の光が、いつよりもはっきりと輝いている。
 彼女と手を繋いで歩けば、寒さなんかちっとも気にならない。ここはいい散歩道だ。
「この次帰る時は、是非一緒に来て欲しいな」
 俺はそう言ってみた。
 隣で、ちーちゃんが眉根を寄せる。
「一緒にかあ……うちのお母さん、外泊とか許さない人だから」
「でも、それは高校生のうちだけでしょ」
「かもね。卒業すればちょっとは意識、変わるかも」
 その後で彼女は小さく溜息をついた。
「私も、本当は、一緒に行きたいって思ってたんだ」
 連れて行きたい。そりゃあ俺だって、そうだ。
 だけど今は止めておく。人攫いにはなりたくない。どうせ攫うなら合法的にそれが叶う時まで待ってるよ。
「一緒に旅行なんて、いいな」
「いいね。いろんなところ、行きたいね。旅行じゃなくてもいいから」
 ふたりで辿る散歩道も悪くない。
 部屋でひっそり会う時間も楽しい。
 でも、いつかそれらがごく当たり前の選択肢の一つになって、俺たちが誰に気遣うこともなく、どこででも手を繋いで、寄り添って過ごせるようになれたらいいなと思う。――いや、必ずそうなってみせる。
 これはただの願望じゃない。手の届くところにある未来だ。
「そうなったらもっと、恋人らしいことしようか」
 俺は繋いだ手を離さずに、そっと彼女の顔を覗き込んだ。
 見上げる瞳がゆっくり瞬きをする。
「恋人らしいことって、例えばどんなこと?」
 怪訝そうに尋ねられて、俺は思わず苦笑した。
 それって、言葉で説明していいものなのかな。

 そんな風に幼い君も好きだから、もうしばらくはそのままでいてくれていいよ。
 いつかきっと君も大人になる。
 俺はせめてその時を、君と一緒に喜べるように、君に寄り添い続けたい。
 こうやってずっと、手を繋いで。

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