1 怒った顔のほうが魅力的。

 遅い昼食を休憩室で取っていると、その場にいたバイトの子にふと言われた。
「店長って、隅田ちゃんのこと好きですよね」
 危うく、ハンバーガーのレタスで窒息するところだった。
 ウーロン茶でそれを流し込んで呼吸を整えてから、
「そ、そうかな。そう見える?」
 何気ない素振りで聞き返したものの、心拍数は確実に跳ね上がった。紙コップを置く時に手が震えたのもどうにか気づかれなかったはずだが、どうだろう。
 ぎくりとしたのはもちろん、事実を指摘されたからに他ならない。
 確かに俺は学生アルバイトの隅田さん――と言うより、ちーちゃんのことが好きだ。いや、単に好きと言うレベルをもはや通り越して、つい数ヶ月前彼女になっていただきました。さすがに十七歳の子と付き合ってるのを公にはしておけないから誰にも秘密にしているし、店では単なる店長とバイトの関係だけど、いつ何時も彼女が大好きなのは間違いない。
 でも、まさかそれを悟られるとは。
 そんなにバレバレでしたか俺の言動。十代の頃みたいなはしゃぎ方はしてなかったつもりだし、閉店後に家まで送る時も、店の外で会う時もそれなりに気を遣ってきた。まして、皆の前で彼女と他の子を区別したり贔屓したり、なんてこともしていない。
 なのに勘づかれたのか。女の勘ってやつはこうも鋭いのか。ああ恐ろしや。さて一体どうしよう、さり気なく否定するか、いっそ認めて厳重に口止めするか、それとも――。
 俺は落ち着かない心境で、ちーちゃんと同じ時間帯で働くその子の次の一手を待っていた。
 いつものシフト入りの時間よりも早めに来ていたその子は、休憩室の、俺の座っている席の向かい側の椅子を引いて、そこに腰かけた。
 そして満面の笑みを浮かべ、身を乗り出してくる。
「隠しててもわかりますよ。バレバレですもん」
「……マジで?」
 思わず聞き返すと彼女は大きく頷く。
「はい。隅田ちゃんに怒られる時だけ妙に嬉しそうですから」
「えっ、そんなことないよ」
「ありますよー。こないだだって隅田ちゃんに、レジ袋ないって怒られてるのに、何か口元緩んでる風でしたし」
 なんてとこ見てるんだこの子。
 いや、しかし鋭いわ。事実だもん。ちーちゃんに怒られるのは申し訳ないし、店長として至らない点がある時はもうひたすら反省しているんだけど、ちーちゃんの怒ってる時の顔はすごく、可愛いんだよなあ。
 どちらかと言うと十七歳にしては大人っぽい顔立ちをしているちーちゃん。なのに化粧をしないから、その顔立ちはひたすら物静かで、生真面目そうに見える。たまに感情的になると、眉がきゅっと吊り上がって、白い頬が上気して、唇を幼く尖らせてくるのもすごく可愛いんだ。
 きっと、怒ってる顔の方が魅力的だ。――もちろん、業務内容について怒られるのは非常に申し訳ないことこの上ないんだけどね。
 しかしちーちゃんはあれで意外に気が強いから、何かと言うとすぐ怒る。ちょっとからかっただけでも怒る。仕事中は店長に向かって、そうじゃない時は彼氏に向かって物怖じせずに厳しいことを言う。
 まずいな。今度からは口元に気をつけよう。あと面白がって無闇に怒らせないようにしよう。
「ほら、好きですよね、隅田ちゃんのこと」
 バイトの子に重ねて尋ねられて、とりあえず俺は表情をごまかし言葉を濁した。
「うーん、まあ、可愛いと思うけど」
「ですよね!」
 同意を得たついでに確証も得たんだろうか、彼女は大きく頷いて目を輝かせた。
「隅田ちゃん可愛いから、そうじゃないかなと思ってたんですよー」
「へ、へえ……」
 どうする。どうしようか俺。
 冷たいものが背筋を伝うのを感じつつ、俺は食べかけのハンバーガーに噛りつく。この一口を飲み込んだら思い切って聞いてみよう。君は一体どこまでを知っているんだ、と――
「傍から見ても本当、理想の親子って感じです!」
「――はあ!?」
 思わず声が出た。
 今度はピクルスで喉を詰まらせるところだった。大急ぎでウーロン茶を流し込めば、夜間バイトの子はきょとんとしてこっちを見ている。
「あたし、何かおかしなこと言いました、店長」
「……いや」
 ああ言ったね。言ったよ。言ってはならないことを言ったぞお前。
 冷静に、と胸裏で三度繰り返した後、聞き返す。
「親子って言うけど……俺と隅田さん、そんなに離れてないよ。親子に見える?」
「見えますよー! もうばっちり、年頃の娘と愛娘には弱いパパって感じ!」
 嘘ぉ。何で。あり得ない。
 そりゃまあ年の差があるのは認めますよ。ちーちゃんだって外見の割には子供だなあと思うことも多々あるし、俺も自分が二十代のように若いとは思っていませんとも。
 だがそれにしたって、親子はないでしょ。
「だ、だってさ」
 俺は必死になりたいのをぐっと堪えながら、控えめに反論した。
「実際のところ俺は三十四だし、隅田さんは十七だよ。親子って言ってもちょっと大きすぎない?」
「ああ、そう言われるとそうかもですねえ」
「でしょ? 親子はないよ」
 腑に落ちた様子の彼女を見て、こっそり胸を撫で下ろす。そうそう、親子はあり得ない。年齢的にもそうだけど、見た目も精神年齢も親子ほどには離れていないはず。
 だってたったの十七歳差だ。十年もすればどうでも良くなるくらいの差だ。
「親子は言いすぎでしたね」
「そうだよ、失礼だな。俺はまだ若いんです」
「はいはい。でも、それだったら店長って」
 ふと、バイトの子がほくそ笑んだ。
「ん?」
「もしかしてロリコンですか?」
「……は」
 俺は作り笑いを浮かべる気力をも失くし、黙って彼女を見やった。
 テーブル越しに見えるのは、実に悪気のなさそうな笑顔だ。疑念があるどころか、俺を陥れようって気もないらしい若い女の子の表情だった。
 しかしそれにしたって酷い言い種だ。
「だってそうでしょ。隅田ちゃんが可愛く感じるってことは……」
「いや、あのね。可愛いって言ってもそういう可愛いじゃないんだよ」
「じゃあ親子の情愛?」
「それも違います。あくまでバイトちゃんのひとりとして可愛いと思ってんの」
 言って、俺はようやく逆襲に転じた。
「隅田さんは真面目だからね。早出や休日出勤頼んでも文句一つ言わないし」
「ですよねー。いつも、シフト代わってって頼むと二つ返事でオッケーだし!」
 夜間バイトのその子は笑顔のままで頷いた。今のは嫌味だぞ、と余程言ってやろうかと思ったけど止めた。鬱屈としたものが積もり積もってそれどころじゃない。

 そっか、ロリコンかあ……。
 ちーちゃん世代の子たちからすると、十七歳差ってやっぱり、そんな感じなのかな。
 決して小さい子が好きってわけじゃないんだけどな。ちーちゃん以外の女子高生にも興味はないし、制服フェチとかいうものでも断じてない。むしろ俺自身、こんなに若い子と付き合うようになるとは思ってもみなかった。
 彼女の真面目さと、一途さが好きだ。本当にそれだけだった。

「店長、元気ないですね」
 夜、物憂い気分で仕事を続けていたら、こっそりちーちゃんが声をかけてきた。
 ちょうど事務所の中にいて、他に人もいなかったので、思い切って言ってみた。
「ちーちゃん、俺、ロリコンじゃないからね」
 細い目をぱちくりさせたちーちゃんは、次の瞬間、
「仕事中にそう呼んじゃ駄目って言ってるでしょ」
 俺をきつく睨みつけた。
「でも言っておきたいと思ってさ。俺が特殊な趣味嗜好の持ち主じゃないってことを」
 声を潜めてそう告げると、彼女は呆れたように首を竦める。
「何で急に……別にそんなこと思ってないよ」
「本当? 本当に思ってない?」
 良かった、と胸を撫で下ろしたのも束の間。
「今更そんなことでいちいち悩まないでよ。私だって、気にしないようにしてるんだから、もうっ」
 きゅっと眉を吊り上がらせたちーちゃんに一喝されてしまった。

 怒った顔が何より魅力的な、十七歳年下の俺の彼女。
 誰が何と言おうと大好きです。でも断じてロリコンではありません。