ふたりで過ごす休日は、時間の経つのがやけに早い。
一緒にご飯を食べて、雑誌を見て、ゲームして、映画のDVDを観て、他愛ないおしゃべりを繰り返しているうちにもう門限が迫っている。
季節が移ろうにつれて日が落ちるのも早くなり、外はとっぷり暮れていた。最近じゃ門限前でも『もっと早く帰ってきなさいよ』なんて、お母さんは口うるさい。
「そろそろ帰らなきゃ」
私が立ち上がると、トモは溜息混じりに応じた。
「そっか、もうそんな時間か」
「うん。また来るね」
秋物のコートを羽織る。もう、外を歩く時は上着が手放せなくなった。そろそろ手袋も必要かもしれない。次のバイト代が入ったら買わなくちゃ。
小さなボタンを留め始めると、隣でトモも立ち上がって、パーカーに手を伸ばす。その動きから察した私はすかさず言った。
「あ、送らなくていいよ。ひとりで帰れるよ」
「駄目だよ。外、すっかり暗いでしょ」
トモは言い聞かせる店長の口調で言った。
いつもそう言われてるけど、いつも断ってる。だって一緒に歩けない。
「暗いけど、平気だよ。慣れてるし」
軽く言ってみたつもりだったのに、
「だーめ」
強く返された。
「ちーちゃんに何かあったら嫌だから、駄目。送ってく」
「何もないよー。あったためしないもん」
「いいから。送ってくったら送ってくの」
今日のトモはどうしたんだろう、やけに強情で意地っ張りだ。本当に何かあったためしなんてないのにね。こんな田舎じゃ、変な人だってうろつかないよ。
心配する気持ちはうれしいけど、私は素直に頷けない。
「誰かに見られたらどうするの? 困らない?」
私たち、付き合ってるのは秘密なのに。誰にも言えないでいるのに。
カーテンを引いてない窓の外に視線をくれたトモが、もっともらしい顔になる。
「こんなに暗いんじゃわかんないよ。誰と誰が一緒に歩いてたかなんて」
「そっかな」
腑に落ちない私。
「そうだよ。はい、決まり」
だけど、トモは言うなり手早くパーカーを着て、コートのボタンを留め終えてない私の手を取った。
すぐにそのまま玄関に向かおうとしたから、
「ま、待って。靴履かなきゃいけないし」
私は慌てて力強い手を解く。
その後、ブーツの靴紐を結ぶのに、やけに手間取ってしまった。
外の空気は冷えていたけれど、きりりと澄んでいて心地よかった。繋いだ大きな手が温かい。
街灯が点在する夜道を、そんなに背の高くないトモと肩を並べて歩く。人通りは全くなくて、二人分の足音だけが響いている。それでも私は無性に落ち着かない気分でいた。
コートの袖の中にお互いの手を隠してある。でも、トモのパーカーの袖が繋がっているから、きっと傍から見たらばればれなんだろうな。隠すだけ無駄かもしれない。
「ね」
そわそわしながら切り出してみる。
「せめてフード、被ったら?」
誰か、知ってる人に見つかっても大丈夫なように。手を離そうとは思わない。手袋が要らないくらい温かくて、幸せだから。
「ああ、その方がいいかな」
言ってトモは、片手でごそごそフードを被る。
その後で私の方を向いた。目深に被ったフードの陰で、にっこり笑うトモの顔を見た瞬間、つい言いたくなった。
「……何か」
「何さ」
「そう言う変質者、いそうだと思って」
「何をう」
トモはぷっと頬を膨らませてむくれた。だけどそう見えたんだからしょうがない。こんな夜道でフードを被って歩いてるなんて、それこそ不審者だもん。
「怪しい人に見える」
「ちーちゃん酷い。俺は彼氏ですよ」
「知ってるよ」
大きな手を握る力を、ぎゅうっと込めてみる。
彼氏だから、見つかったらまずいんだ。
彼氏なのに、手を繋いで歩くだけで落ち着かなくて、周りが気になって、そわそわする。
理不尽っていうか、何だか寂しいなと思うけど、今はまだどうしようもない。年の差があり過ぎる私たちは、どうしても人目を気にしなくちゃいけない。
「いつになったら、外も平気で歩けるようになるのかな」
私は小声で聞いてみた。
返って来たのもひそひそ声だった。
「いつだろうねえ……ちーちゃんが高校出たら?」
「それでも私、十八だよ」
「十八と三十五なら、外で手ぇ繋いで歩いてても問題なくない?」
「うーん、どうだろ」
幾つくらいなら釣り合う年齢なんだろう。ちっともわからないや。
「ちーちゃんが二十歳になったら、俺は三十七か」
「そのくらいならおかしくないのかな」
「まあ、ちーちゃんが大人になったら、どんな人と付き合おうと文句言われなくなるよ」
トモはそう言って、首を竦めて笑う。
「ただとりあえずはさ」
「何?」
「今でも俺たち、ばっちり釣り合ってるとは思うんだ」
水銀灯の光を浴びたアスファルトがきらきらしている。
心なしか、二人分の足音が速まった。
どきどきするあまり俯いてたら、ちょうど足元に石ころが現われた。それをブーツの爪先で思い切り蹴飛ばして、私は応じた。
「だったら、嬉しいな」
本当に嬉しい。トモがそう思っててくれるなら、他の誰がどんなふうに言おうと気になんかしない。
跳ね上がった石ころは、見えなくなるほど遠くまで飛んでいったみたいだ。真っ直ぐ伸びる道の向こうで音が消えた。顔を上げたら行く先まで見えていたかもしれないけれど、そんな勇気はなかった。
住宅街を歩いていくうち、私の家がもう目と鼻の先まで近づいてきた。
「……じゃあ、この辺で」
と私が切り出すと、トモは名残惜しそうに手を離した。コートの袖とパーカーの袖が離れてしまう。
「送ってくれてありがと」
「どういたしまして。いい散歩になったよ」
暗い夜道にもトモの笑顔は優しくて、穏やかだ。鼻の頭は寒さのせいか赤かった。多分、私も同じだろう。
「これからしばらくはさ、夜道も暗いから、散歩がてら送るから」
「え? 大丈夫なのに」
「いいの。俺が歩きたいの」
トモはフードの下で子どもみたいな顔をして、そのくせ声は大人ぶって、頑なに言い張った。
「一緒に歩くのも楽しかったよ。ちーちゃんは楽しくなかった?」
「楽しかったよ」
それはね、と思う。
でも、やっぱりまだ気になる。私たちがどんなに釣り合ってるって思ってても、どんなに想い合ってても、私はトモの半分の年齢でしかない。この関係が多くの人に、快く思われないだろうこともわかってる。
だからもう少し先までは。十八歳かな? あるいは二十歳になるまで? そのくらいまでは、駄目じゃないかなって。
「楽しかったならいいじゃない」
今日のトモはやっぱり頑固だ。
「また送るよ。一緒に歩こうよ」
「……でも」
「日が落ちてたら平気でしょ? 俺もも少し恋人っぽいことしてみたいんだ」
そう言って、私の手をもう一度取る。
まだ温かい。
「だから、送りがてら一緒にお散歩。またしようよ」
立ち止まる私たちの背後には、暗い夜道が伸びている。
人通りの少ない秋の道、青白い光にひっそり照らされたここが、私たちの散歩道だった。
唯一、手を繋いで歩くことを許された道だ。
よくある住宅街の風景だけで見るべきものは何もないけど、静かすぎて不気味なくらいだけど、トモと一緒ならそれだけで、歩くだけで楽しい。
私は手を離さずに頷く。
「うん」
そうして顔を上げた時、トモがほんの少し安堵した表情になったのを見た。
「そっか。じゃ、また明日な」
「うん。また明日ね。今日は早く寝て、明日寝坊しないようにね」
「ちーちゃんこそシフト間違えないように。明日は午後四時半からだ」
最後に言い残した台詞が、まるっきりお店にいる時のものでちょっとおかしかった。
来た道を、トモは一人きりで戻っていく。
フードを被ったままの背中を、私はしばらくの間、曲がり角の向こうへ見えなくなってしまうまで見送っていた。
澄んだ空気の中、夜空の星が随分と綺麗に見えると気づいたのは、その後のことだった。
次のお散歩の時は言おう。俯かないで、星を見ながら歩こうって。
トモのことが好き。嫌いになんかなれっこないから、私はいつも考えている。今のこと、これからのこと。
いつか本当に、ふたりが本物の恋人みたいに、いつでもどこでも手を繋いで歩けるようになれたらいいのに。