Tiny garden

君だけが

 ケーキ屋さんを出た時には、外はもう日が落ちて、空が夜の色をしていた。
 駅前の商店街は帰宅ラッシュで混雑している。足早に駅の方へと向かう人々の流れを見てから、私はそっと視線を落とす。両手に填めたばかりの真新しい手袋。色は素敵なオレンジだった。
「似合うな」
 手袋の贈り主が隣に立ち、言ってくれた。私は照れ笑いを隠し切れずに答える。
「ありがとう」
 だけど彼はかぶりを振った。彼もまた、照れたような笑みを浮かべていた。
「いや、礼を言うのはこっちだって」
「そう、かな。でも、いろいろして貰ったのは私の方だし……」
「それなら俺の方だって」
 彼はそこで、言い難そうに言葉を切った。手で髪をかき上げながら、一生懸命何かを探しているみたいだった。だけど結局見つからなかったのか、はにかむように声を絞り出してみせた。
「ええと、こう言うのも何か、改まった感じだけど」
「うん」
 私は頷く。やっぱりどうしても笑ってしまう。顔が緩むのはお互い、仕方ないのかもしれない。
「これからも、明日からもよろしく」
 彼が言う。もう一度、私も頷く。
「うん。こちらこそ」
「末永く……って言うのもおかしいか。まあ、でも、ずっと仲良くしてられたらいいよな。……仲良くってのも何か物足りなくて微妙だけど。ああもう、難しいなこれ」
 珍しく歯切れのよくない物言い。ぼそぼそと言葉を重ねていく彼を、私はくすぐったい思いで見つめている。
 仲良しだったのは今までも同じだ。クラスでも仲の良い友人の一人だった。今はそうではなくなったけど――それなら私たちはどう変わってしまったのか、はっきり口にするにはまだ照れがあった。
 ただ、変わったのは確実。私の誕生日である今日、私と彼との間にはいつもと違うやり取りがあって、お互いに少しばかり特別な思い出を手に入れた。私は彼から、美味しいケーキと素敵な手袋と楽しい時間を贈られた。そしてもう一つ、ぎこちなく告げられた優しい言葉も。
 今年の誕生日は忘れられない思い出になる。これももう、確実だった。

 冷たい風の吹く帰り道。だけど手袋があるから、ちっとも気にならない。彼と並んで、駅前の通りを歩き出す。
「今だから言うけどな」
 歩きながら彼が言ってきた。
「結構、苦労したんだ。根回しするの」
「根回し?」
「そう」
 私が尋ね返すと、彼はひょいと首を竦める。
「実はさ、他の連中も祝いたいって言ってたんだ。お前の誕生日、皆でぱーっと祝ったらいいんじゃないかって」
「そうだったんだ」
 驚くと同時に、ちょっとだけこそばゆくなる。自分の知らないところで、皆がそんな相談をしていたなんて思いもしなかった。他の子を祝う為の相談なら楽しくて仕方がないのに、自分のこととなるとやっぱりくすぐったい。
「けど、俺はどうしても、二人がよかったんだ」
 彼の視線が足元に落ちた。歩くスピードがゆっくりになる。
「だって、こんな機会滅多にないだろ? ケーキをご馳走出来てプレゼントをあげられる口実なんて、誕生日を逃がしたらなかなか見つからないもんな。かと言って、来年まで待つってのも無理だったし、うかうかして誰かに先、越されんのもやだし」
 その言い方がおどけていたから、私は思わず笑ってしまった。
 彼の言う、口実としてはあまりにも贅沢過ぎた誕生日も、もうじき終わってしまう。寂しいけど、明日からのことを思えば寂しがってばかりもいられない。照れながらもきっと幸せなはずの『これから』を、十六歳としての一年間を過ごしていきたいから。
「だから皆には遠慮して貰って俺の貸し切りってことにしたわけ」
 ふっと笑うのが聞こえた。
「けど、散々に言われたよ。連中も結構口悪いよなあ、もし振られたらお互いに気まずい誕生日じゃないかとか、一人で台無しにしない自信はあるのかとか言ってきて」
「辛口だね」
 私もつられて笑う。吐く息が白くなる。
 台無しになるなんてこと、絶対になかったのに。彼がしてくれたことで、楽しくなかったことなんてない。今日だってそう。これからも、きっとそう。だから皆の気遣いは杞憂だ。
「でも、皆にもお礼を言いたいな」
 私が言うと、隣で彼が顔を上げた。
「お礼?」
「うん。皆の気持ちも、ちょっとうれしい」
 上手く言えるかどうかはわからないけど。何だかくすぐったいけど。皆の前へ出て行ったら、照れてしまう自分が簡単に想像出来るけど。
 でも、今日の幸せは、皆のお蔭でもある。
「ま、根回しへのご協力は感謝しないといけないか」
 どこか得意そうな表情がこちらを向く。目が合って、お互いにまた照れる。
「けど言われた分は言い返してやらないとな。これで目に物見せてやれるってもんだ。言いたい放題言われたからな、思いっ切り自慢してやる」
 表情と同じように得意げな言葉。私がまた笑い出しかけたら、不意に、彼は眉を顰めた。
 ぴたり、足を止めて、コートのポケットに手を突っ込んでいる。すぐに取り出したのは振動する携帯電話。軽快なメロディに乗って、ごく小さなライトがちかちか明滅していた。
 画面を覗き込んだ彼が苦笑する。
「噂をすれば影。メールが来てる」
 私に向かってそう言った途端、また、彼の手の中で携帯電話が震え出す。ライトの明滅も続いている。彼が怪訝そうに呟く。
「何だあいつら、一斉に送ってきやがって。そんなに信用されてないのか……?」
 一体、何通届いているんだろう。彼の電話はなかなか鳴り止まない。
 気になって、私は恐る恐る尋ねてみた。
「皆、何て言ってるの?」
「いや、普通に、今どうしてんのかって聞いてるだけだけど――」
 言いかけた彼の声を、もう一度メロディと振動が遮った。彼は眉間に皺を寄せたまま画面を見遣り、はっとしたように目を見開いた。
 次の瞬間、勢いよく振り向く。なぜか引き攣った横顔が、隣で呆然とする私へと告げてきた。
「あいつら、来てる」
「え?」
 誰が? どこに?
 訝しく思う私に、彼が指で指し示したのは、さっきまでいたケーキ屋さんのお店の陰。そこから、商店街の明かりに照らされた見慣れた顔がいくつか覗いていた。この位置からは笑顔に見えた。私たちの反応に気付くなり、手を振ってくる、クラスの友人たち。
 歓声と口笛とが混み合う街中に響いて、私と彼は思わず顔を見合わせた。
「皆……どうして、ここにいるの?」
「大分前から、いたらしい」
「え? だ、大分前って……私たちがケーキ屋さんにいた時から?」
「メールによれば、俺たちが学校出た時からずっと、だと」
「……本当に?」
 血の気が引いたのは一瞬だけ。間もなく倍になって戻ってきた。かっと火照り出す頬に手を当てると、私は皆の顔から目を逸らす。
 くすぐったいどころの話じゃない。恥ずかしくて、居た堪れない。
「よっぽど信用されてなかったのか、それとも単に面白がって見物に来ただけか。見世物じゃないっつうの」
 呻くように言った彼の手元で、何度目かわからないメール受信があった。ケーキ屋の陰から送られてきたもの、かもしれない。多分、友人たちの内の誰かが。
 メールの内容を見た彼は、あからさまに顔を顰めた。何が書いてあったんだろう。
「どうしたの?」
 私が尋ねると、慌ててぶんぶんとかぶりを振る。
「何でもない何でもない」
 それから皆の方を振り返って、大きな声を張り上げた。
「付き合ってすぐにそんなことが出来るかあっ!」
 ――何のこと?
 疑問に思う私の手を、彼はおもむろに強く引いた。手袋越しに握られて、そのまま繋ぐようにして歩き出す。
「い、いいのかな、皆のこと……」
 手を引かれて歩き出す私は、彼の横顔を見た。真っ赤な顔に怒りの表情を浮かべた彼は、振り向きもせずに答える。
「放っとけ、あんな野次馬連中!」
 後方からは街の騒音に紛れた、皆の囃し立てるような声が聞こえる。歓声と口笛が賑やかで、私も振り向く勇気がない。だけど振り向かなくてもわかる、皆が今頃どんな顔をしているのか。
 私の手を引いて、隣を歩く彼だけが機嫌を損ねた顔でいる。照れと苛立ちと怒りとが混ざり合った、複雑そうな表情。それを見つめながら私は、どんな顔をしていようか、真剣に迷った。
 幸せだけど、明日からしばらく冷やかされるだろうな。
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