Tiny garden

宝物にしよう。

 午後の教室は暖かい日差しと、よく響く先生の声と、ゆっくり流れる時間で満ち満ちていた。
 お蔭で眠たくて仕方がない。何度も見てしまう腕時計の針は、不思議なことにさっきからちっとも進んでいない。壊れてるんじゃないかと教室の壁掛け時計を確かめたら、本当に進んでいなくて驚いた。
 今日は私の、十六回目のバースデー。
 別に予定があるわけではないけど、それでも気分が弾む特別な日だ。
 誕生日に欲しいものはたくさんあるけど、今なら何より時間を進めて欲しい。でも先生にそう言ったところで、代わりに宿題でもプレゼントされるのが関の山だろう。
 そのうちに眠くて瞼が落ちてくる。必死で堪えてはいたけど、このまま時間がゆっくり流れたら睡魔に負けてしまいそうだ。

 その時だった。
 隣の席からそっと差し出された紙切れが、私の意識を現実に呼び戻してくれた。
 小さく切り取られたルーズリーフは端がぎざぎざしている。この雑な切り口には心当たりがあった。教室の一番後ろ、廊下側の席にいる友達から回ってきた手紙に違いなかった。

 開いてみれば予想通り、彼の踊るように忙しない個性的な字が並んでいた。
『今日、何か食いに行こ』
 疑問符のない問い合わせはいつものことだ。彼の場合、声をかけてくる時点でほとんどの予定が決まっているのが常だった。クラスの友人たちと遊びに行く時、企画立案はいつも彼の役目で、私たちはそれについていくだけでとても楽しい時間が過ごせた。

 誕生日にみんなと遊ぶのもいいかもしれない。
 私は彼の方を振り返り、笑顔と指で作った小さな円で答えた。
 ちょうどこっちを見ていた彼と目が合って、途端に少し笑われた。それから彼は視線を落とし、ペンを走らせ始めた。

 程なくして再び回って来た手紙には、勢い余ったような字が躍っていた。
『何がいい? 奢るから、お前が決めて』
 ――珍しい。
 思わず声に出して呟くところだった。彼の奢りだということもそうだけど、彼が予定を決めていなくいて、私に決めさせてくれたこともそうだ。
 誕生日だから、だろうか?
 覚えていてくれたのなら嬉しいし、彼やみんながそれでいいと思ってくれたなら一層嬉しい。だけど行き先を決める役割は責任重大だ。本当に私が決めてしまっていいんだろうか。

 先生の目を盗みながら、私は思案に思案を重ねた。時計の針がいくらか進んだ後、ノートの端を四角く切って、大至急返事を認める。
『公園近くのファミレスでどう? ドリンクバーのタダ券あったよね』
 隣の席の子に頼んで回してもらう。微笑ひとつで快く引き受けてくれるクラスメイトには感謝してもしきれない。

 手紙が順調に回っていき、彼のところまで辿り着くのをこっそりと見守っていた。
 受け取った彼が手紙を開いて、眉根を寄せるのも見た。
 ありきたり過ぎてお気に召さない答えだっただろうか。どきりとする私をよそに、彼はまたペンを走らせた。今度はびっくりするほど早く返事が届いた。
『そんなんでいいの? 誕生日なのにケーキは? 駅前のケーキ屋のチョコケーキ、いっつも食いたいって言ってるじゃん』
 言ってる、けど。
 駅前のケーキ屋さんはお気に入りで、確かに今もちょっと食べたい。でも彼を含めて、甘いものが苦手って子も結構いるから、ケーキ屋さんは却下だ。誕生日だからってわがままも言っていられない。

『いいよ、皆は他のものがいいって言うと思うから。ファミレスにもデザートあるし』
 私はそう書いて、もう一度送った。
 それから、クラスメイトたちの手で運ばれていく手紙がまた彼の元に届き、受け取った彼が読むのを見ていた。
 教室の一番後ろの席で、彼は難しい顔つきをしている。

 駄目出しをするくらいなら、そちらの好きに決めてくれても構わないのに。
 そんな事を思いながら、私は前を向いて頬杖を突く。誕生日だからと言ってわがままを言うつもりはないし、皆と楽しく過ごせるだけでも十分なのに。

 直に返事が来た。
 隣の席の子が、なぜか笑いを堪えながら手渡してきた。
『何言ってんの。今日、貸し切りだから』
 貸し切り?
 何が? お店が?
 もうお店は決めてるって事? だったら私が決めることなんて何もないはず。
 怪訝に思って振り返ると、こちらを見ていた彼が、しかめっつらのまま私を指差した。
 ――私?
 彼は溜息をつくように肩を動かすと、またペンを走らせ始めた。

 手紙が回ってきた。
 隣の席の子はまだ笑っている。どことなく意味ありげな笑みだ。
 怪訝に思いつつ手紙を開くと、そこにはこう書かれていた。
『お前と俺とふたりだけ。何か問題ある?』

 返事は書かなかった。書けなかった。
 代わりに私は振り返り、彼に向かって指で円を作った。
 普通に笑おうとしたけど、上手く笑えていたかどうかはわからない。何人かの冷やかすような視線も感じて、頬が熱かった。
 目が合った彼は、笑いを堪える表情で口元に手を当てていた。その後は教科書に隠れてるようにして見えなくなってしまったので、彼がどんな顔で午後の授業をやり過ごしたのかはわからない。

 それからも時計の針は進むのが遅くて、だけど眠気を感じることはなかった。
 どうしよう。幸せだ。心臓の音がどきどきうるさいけど、放課後が待ち遠しい。
 個性的な字が躍る五通の手紙を丁寧に畳んで、制服のポケットにしまった。
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