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社内報ラブストーリー:安井編

「……人事の安井課長に連絡してみます」
 やむなく、私はそう答えた。
 仕方ない。レイアウトを決めたのは私なんだし、そこに余白が生じてしまったならそれは私のミスだ。自分の力で挽回できるだけまだましというものだろう。
 だからせめて、写真だけはぎりぎり恥ずかしくないやつを選びたい。
 答えた途端に東間さんの顔が一層明るくなり、
「さすが園田ちゃん、度胸が据わってるね」
「そうですね、責任は取らせていただきます……」
「園田ちゃんと安井課長の写真、楽しみにしてるから!」
 本当に心から楽しげに言われてしまったから、困った。
「あと、忘れないでね。ラブストーリーだからね!」
「わかってます。その辺何とか誤魔化してみます」
「誤魔化す必要なんてないでしょ?」
「いえもう本気で恥ずかしいんで」
「写真がないならほら、私が撮った結婚式の――」
「それはもういいですから! しまって!」
 なぜ東間さんはそんな写真データを持ち歩いていらっしゃるのか!
 たまたまカメラに残っていただけだと信じたいです。

 私自身は、プライベートの写真データを持ち歩いたりはしていない。
 だから正確には『人事の安井課長』ではなく、家に帰った後で、夫である巡くんに相談を持ちかけた。
「『社内報ラブストーリー』か」
 巡くんは私の話を聞いた後、そう呟いて吹き出した。
「小野口課長のタイトルセンスも相変わらずだな」
「ご本人はものすごく気に入ってるみたい」
 リビングのソファに並んで座りつつ、私は溜息と共に語る。
「私もいいテーマだとは思うんだけど、自分の写真を載せるとなるとね」
「何が問題なんだ。俺は一向に構わないよ」
「普通に恥ずかしい」
「恥ずかしがり屋だな、伊都は」
 巡くんが何だか嬉しそうに微笑む。
 そうは言ってもこっちは広報の人間だ。貰った写真を割付けるのも、そこにユーモアを効かせたキャプションを添えるのも私の仕事だ。人様の写真ならさておき、自分の写真にそれをやるのは途轍もなく恥ずかしいのだった。
「だって三月に結婚式挙げた後だって、自分で書いたんだよあのコメント。もうすっごい恥ずかしかったし、自作自演感半端なかったし」
 私がまくし立てると巡くんは目を瞬かせた。
「なら、他の人に書いてもらえばよかっただろ。東間さんとか」
「東間さんに任せると、えらいことになりそうだから……」
 当時、実際に言われていた。
『園田ちゃんの寿記事、何なら私が書こうか?』
 眼鏡の奥の瞳をきらきらさせながら言われて、私はお気持ちだけいただくことにしたのだった。
 だから今回も自分でやり遂げるしかない。
 そして自分でやるからには、恥ずかしくなさそうな写真を持っていくしかない。
「巡くん、何かいい写真ないかな?」
 私は彼に縋りついて尋ねた。
 すると、巡くんは眉根を寄せて考え込んだ。
「結婚式の写真じゃ駄目なんだろ?」
「できれば避けたいかな。前に載せたばかりだし」
「なら、チャペルでの誓いのキスも駄目か」
「駄目に決まってる! 自分でも直視できないんだから!」
「一分四十七秒のうちの一瞬だぞ。ほんの一部に過ぎないだろ」
「どこ切り取ったってキスはキスだから。恥ずかしいから」
 とにかく結婚式の写真はアウトだ。私の業務に差し障る。
 もっと無難で、仕事でまじまじと眺めても恥ずかしくない写真があればいいんだけど。
「巡くん、兄弟三人で写ってる写真とかない?」
 全員いい男でしかも激似の安井三兄弟とか、インパクトあっていいなと思った。
「あるけど、あれをラブストーリーとするのは何か嫌だ。そのテーマで載るなら俺は伊都と載りたい」
 巡くんはきっぱり言い切ると、自分の携帯電話を操作して、一枚の写真を画面に呼び出す。
「これならどうかな?」
「これって……新婚旅行の時の」
「ああ。しまなみ海道で撮った写真だ」
 写真の中には、ヘルメットを被った額を寄せ合う私と巡くんが写っている。
 背後に五月の晴天とエメラルドグリーンの海が広がる橋の上、少し風があるのか私の髪が真横にたなびいている。そう言えばこの頃はまだ髪が長かったんだっけ。どこの橋の上で撮ったんだったか、二人とも疲れを感じさせないいい笑顔だった。傍らにはレンタサイクルで借りたクロスバイクが二台停まっていて、あのハンドルの感触が手のひらに蘇ってくる。
 ヘルメット同士がぶつかる音が聞こえそうなくらいくっついて写っているのは、自撮りだからだ。サイクリングロードの上では通りかかる人も自転車乗りばかりで、とてもじゃないけど撮影なんて頼めない。だからこうして、柄にもなく、くっつきあって写真を撮った。
「楽しかったよね、新婚旅行」
 この写真を眺めているだけで、あの日の風の匂い、日差しの強さ、海の色、そして駆け抜けるクロスバイクの走行音が全て、鮮やかに思い出せた。
 それに、私の後ろを走り続けてくれた巡くんの勇姿も。
「楽しかったな。筋肉痛は辛かったはずだけど、今となってはいい思い出しか浮かばない」
 巡くんはそう言った後、写真から目を離せない私の髪をそっと撫でた。
「だからそれ、いい写真だろ?」
「うん」
 この上なく、いい写真だ。私の好きなものばかりが写っている。
 爽やかな風と晴れた空、きれいな海、自転車、そして巡くん。
 ラブストーリーというタイトルにもぴったりの一枚だ。
「だけどこれも、ちょっと恥ずかしいな。距離近くない?」
 私が今更ながら照れると、巡くんは長い指の先で私の頬をつっついた。
「新婚さんが離れて写ってる方がおかしいだろ」
「それはそうかも。不仲を疑われちゃうね」
 結婚式ほどわかりやすくはないけど、このくらいが私達らしくて、いい写真なのかもしれなかった。
「もっとすごい写真だってあるけど、人様に見せるならこんなところだ」
 巡くんが続けたその言葉は、ちょっと聞き捨てならなかったけど。
「もっとすごい写真って何?」
「いろいろだよ。例えば、伊都の寝顔とか」
「えっ、何でそんなの撮ってるの!?」
「いいだろ、可愛かったんだから」
 さらりと当たり前のように言われると、反論の言葉も出なくなる。
 それだけ愛されているということなら、まあ、文句も言えないか。
 ただ、気になることがある。弟さんの証言によれば、巡くんはかつて手帳に私の写真を挟んで持ち歩くという、ロマンチストらしい行動をやってのけていたそうだ。さすがに結婚してからはそんなことないだろうけど――ないよね?
「巡くん、私の寝顔写真なんて持ち歩いてないよね?」
 私は、恐る恐る彼に尋ねた。
 すると巡くんは柔らかい笑顔で答えた。
「今は違う。寝顔写真じゃないよ」
「今はってことは、昔は持ってたの!?」
「ああ。せっかく一緒に暮らしてるんだから、持ち歩く写真もこまめにアップデートしてるよ」
 何を平然とこの人は。
「じゃあ今は、どんな写真を持ち歩いてるの?」
「それは内緒。でも心配しなくていい、お前の写真だよ」
「いやそっちの方がある意味心配なんだけど!」
 巡くんはにこにこしたまま、だけど決して口を割らなかった。

 ともかくも、社内報の特集記事は無事に仕上げることができた。
 社内報ラブストーリーと銘打ったその記事の中で、私と巡くんの写真は目立つでもなく、ひっそりと末席を汚すに留めた――と自分では思っている。

 東間さんはそうは思わなかったようだけど。
「いい写真! さすがどこでも仲良しだね、安井夫妻!」
 あと小野口課長にも思われてなかったようだけど。
「ラブストーリーの名にふさわしい写真だ。僕には眩しいくらいだよ」
 それと石田さんや霧島さんからも、
「社内報見たぞ。お前らくっついて写りすぎだろこの新婚夫婦め!」
「あの安井先輩が、伊都さんとだと素直に笑ってるのが印象深いです」
 なんていうコメントをいただきまして、何と言うか、やっぱり普通に恥ずかしかったです。
 でもまあ、巡くん自身は結構嬉しそうだった。
「社内報のこと言われる度に、伊都と結婚したんだって噛み締められるのが幸せだ」
 私としても、それは事実なのでまあいいかな、と思っておく。
 恥ずかしくても、幸せなのはその通りだ。

 気になることがもう一つだけある。
 巡くんは私の写真をこまめにアップデートしていると言ったけど、私の方にはそこまで頻繁に撮られている覚えがない。
 そもそも彼は、どこかに出かけでもしない限りは写真を撮ったりしない人だ。
「巡くんが持ち歩いてる写真って、どんなの?」
 私が尋ねても、巡くんははっきり答えてくれない。
「心配するなって。伊都の写真だよ」
「そこを心配してるんじゃないから!」
「俺が守りたいものの写真だ。そういうことで、納得してくれないか」
 撮られた覚えがない時点で、そういうことなんだろうけど――そんな言い方されたら、駄目だって言えなくなるから困る。

 いつか、狸寝入りでもして現場を押さえてやろうかとも思う。
 だけどそうしたところで、巡くんにどうしてもと言われたら、私は拒めなくなるだろう。
 私は何だかんだで彼に――私の夫に、とてもとても弱いのだった。
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