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社内報ラブストーリー:霧島編

「営業の霧島さんならどうでしょう」
 私が口にした名前に、東間さんは意外そうな顔をする。
「霧島さん? 仲いいんだっけ?」
「奥さんと、秘書課の頃に一緒だったんです」
「確か、昨年度退職された、長谷さんだよね?」
「そうです。たまに一緒に遊びに行ったりするんです」
 今では家族ぐるみのお付き合いという間柄だ。頼むに当たっての支障はない。
 もちろん、すぐに写真を用意してもらえるかどうかはわからないけど――でも今なら大丈夫じゃないかって確信がある。
「それに霧島さんのとこ、最近赤ちゃんが生まれたんです」
 ここぞとばかりに私は力説する。
 ゆきのさんが出産したのはついこの間のことだ。母子共に健康で経過も良好だったから、今は退院して、夫婦で初めての子育てに追われる真っ最中なのだとか。
 私と巡くん、それに石田さんと藍子ちゃんは、入院中のゆきのさんを一度見舞い、生まれたてのぷくぷくもちもちふにふにな赤ちゃんともご対面していた。可愛かったなあ。
「ご夫婦とお子さんの写真、ラブストーリーにぴったりだと思いません?」
「確かにそうだね」
 これには東間さんも納得した様子だった。
 その後で目を輝かせて食いついてきた。
「霧島さんと長谷さんのお子さんでしょう? さぞ可愛いだろうね」
「超可愛かったです! おめめがくりっとしてて、髪もふさふさで」
「いいなあ……! 記事になるの楽しみにしてるね園田ちゃん!」
 どうやら東間さんは赤ちゃんを見るのが好きらしい。可愛いもの好きっぽいもんなあ。
 これは霧島さんにお願いして、ベストショットをいただきたいところだ。

 私は早速、霧島さんに連絡を取ってみた。
 するとありがたいことに快く引き受けていただくことができた。『写真の選別については妻と相談してからでいいですか?』とのことで、明日には持ってきてもらえるそうだ。
 聞いてみてよかった!

 霧島さんが広報課にやってきたのは、翌日の定時後のことだった。
「失礼します」
 折り目正しく一礼して入ってきたかと思うと、一人残っていた私を見つけて微笑む。
「お約束のものをお持ちしました」
「わあ、ありがとう! 助かる!」
 私は席を立って霧島さんを出迎えた。
「はい、メモリーカードでよかったんですよね?」
「うん。お忙しいとこお願いしちゃってすみません」
「お世話になってますし、お役に立てるなら嬉しいです」
 わざわざ写真を用意してくれた上にこのコメント、霧島さんって本当にいい人だ。
 受け取ったメモリーカードから、パソコンに写真を読み込んでみる。中には写真が三枚入っていて、どれも霧島さんご夫婦と赤ちゃんがしっかり写っていた。
 あれ、と思ったのは赤ちゃんの着ている服だった。よくあるふわふわとしたベビーウェアではなく、白地に美しい刺繍が施された、晴れ着のようなお祝い着を身にまとっている。見れば赤ちゃんを抱く霧島さんもぴしっとスーツ姿で写っているし、ゆきのさんもきれいなワンピースを着ていた。背景には神社がちらっと見える。
「お参りに行ったの?」
「ええ、お宮参りです」
「あ、そっか。もうそんな時期なんだ」
 ついこの間『生まれました』って連絡を貰ったと思っていたら、もうそんな時期なんだ。早いなあ。
「霧島さん、どの写真がいい?」
 マウスを操作しながら尋ねると、画面を覗き込んだ霧島さんは即答した。
「俺はどれでも。どれを選んでいただいても問題ないもの、選んできましたから」
「そうなんだ。もしかして、ゆきのさんチョイス?」
「はい。ちゃんとしてるのにして欲しいって言われました」
 霧島さんはそこで照れたように微笑んで、
「入院中の写真だと化粧してないから恥ずかしいそうです」
「それはわかるなあ。眉毛くらい書いときたいよね」
 ゆきのさんはお化粧していなくてもきれいだけどね。だからといってどこにでもすっぴんを出せるものではない、というのも事実だろう。
「ですので、お宮参りの写真にしたんです」
 写真の中の赤ちゃんは、くりくりのおめめをカメラに向けている。薔薇色のほっぺたをして、赤ちゃん特有の唇を尖らせた表情をしてお父さんに抱かれている。お母さんも、お父さんもすごく幸せそうに笑っている。赤ちゃんのこれからの人生の幸福を知っているみたいに。
 間違いない。この子は優しいお父さんとお母さんに心から慈しみ育てられ、穏やかで幸せな日々を送るだろう。この写真を見た誰もが、そのことを疑わないだろう。
 まさにラブストーリーの名にふさわしい一枚だ。
「いい写真だね」
 私が心から誉めると、霧島さんは眼鏡越しに目を細めた。
「ありがとうございます」
 その目元には寝不足の色が滲んでいる。
 お二人にとっては初めての子育てだ、苦労だって多いんだろうな。
「赤ちゃんのお世話ってどう?」
「正直、大変です。くたくただから抱き慣れなくて、お風呂に入れるのでも手間取ります。ゆきのさんも疲れてて、ゆっくり寝かせてあげたいと思ってるんですけど、なかなか……」
 首を竦めた後、霧島さんは穏やかに続けた。
「父親にできることってまだ多くなくて。今のうちに勉強しておかなきゃ駄目ですね」
 でもそう語る霧島さんは、お父さんの顔をしていた。
 写真と同じだ。赤ちゃんを危なげない手つきで抱くお父さんが写っている。
 勉強しておかなきゃ、なんて言っているけど、もうかなり勉強しているんじゃないかな。霧島さんなら。ゆきのさんの為に、そしてもちろん赤ちゃんの為に。
「霧島さんって真面目でいいね」
 私は誉めたつもりだったけど、霧島さんは戸惑ったようだ。すぐに苦笑を浮かべた。
「余裕がないように見えるって、昔からよく言われます」
「そうかなあ。今は余裕十分じゃない」
「でも先輩がた見てると、たまに羨ましくなりますよ。ああいう余裕が俺にも欲しいなって」
 いや、巡くんだってそこまで余裕綽々じゃないと思うよ。
 ――とは、言わないでおいてあげるけど。
 想像がつく。もしも私達の間に子供が生まれたら、巡くんがどんなお父さんになるか。抱っこの練習は必要だろうな。でも子守歌は、それはそれは上手に歌ってくれるだろう。子育ては人材育成とは訳が違うって戸惑うこともあるかもしれない。でもきっと、厳しくも優しいお父さんになる。
 まあ、そう言っといて私がどんなお母さんになるかは、現時点でこれっぽっちも想像できなかったりするんだけど。こればっかりはね。
「あの二人が先輩だと、さぞかし大変だっただろうね」
 賑やかでふざけるのが好きで構いたがりな二人だ。真面目な霧島さんには苦労も多かったことだろうと思ったら、彼は案の定笑い出した。
「ええ、正直に言えば本当に」
 実感がこもった言葉を口にしつつ、霧島さんは男の子っぽい顔で笑っていた。さっき見せたお父さんの顔とはまた違う表情だ。
「とは言えあのお二人がいたからこそ、今の俺があるわけですから」
 それから霧島さんは声を落とし、内緒話の口調で言い添えた。
「俺は先輩がたのこと、実は結構好きなんです」
 これもまた、ラブストーリーの一つかな。
 知ってたけどね!

 かくして、霧島さんの協力もあって特集記事は無事に完成した。
 様々な愛をテーマにした特集において、霧島一家の写真は幸福の象徴のように画面映えしていた。笑顔の両親と共に写るぷくぷくもちもちの赤ちゃんが人目を引かぬはずがなく、誌面越しにも伝わるその可愛さは、東間さんをはじめとする多くの社員を虜にしたようだ。
 お願いしてみてよかったなとしみじみ思った。

 翌月、社内報が更新されると、巡くんは早速感想をくれた。
「見たよ、『社内報ラブストーリー』」
 仕事を終えて帰宅して、夕飯を食べて一息ついたタイミングで切り出してきた。
「霧島の子供、やっぱ可愛いよな。あの特集で一番目立ってた」
 巡くんがしみじみと語るので、私もすかさず頷いた。
「赤ちゃんの可愛さに勝るものはなかなかないよね」
「そうだな、天使だった」
 私や巡くんにもああいう頃があったはずなんだけど、今や見る影もなしだ。皆、あの天使のような可愛さをどこへ置いてきてしまうんだろう。
 もっとも、その分得たものだってあるだろう。
 私と並んでソファに座る巡くんが、歳相応に男の人らしい素敵な顔立ちをしているように。
 巡くんの顔を見つめながら、私は続けた。
「霧島さん、すっかりお父さんの顔してたでしょ」
「ああ。ベテラン父ちゃんみたいな面で抱っこしてたよな」
 思いを馳せるように巡くんは視線を落とした。
「あいつの子供を見せてもらう日が来るとは思ってなかったよ」
 その横顔には、とても温かく、優しい微笑が浮かんでいる。
 いつか私達の間に子供が生まれたら、今みたいな表情をするのかもしれない。改めてそんな想像をしながら、私は巡くんを見つめる。
「……どうしたんだ、伊都。そんなに俺を熱い目で見て」
 私の視線に気づいた巡くんが、意味ありげに尋ねてきた。
「何か、ラブストーリーだなあと思って」
「俺達が?」
「それだけじゃなくて、皆が」
「皆って?」
 巡くんは怪訝そうだったけど、内緒にして欲しそうだったので、私も黙っておくことにする。
 案外と、世界は愛で溢れてるのかもしれない。
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